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小浜逸郎さんはこんなことを⑥-「この国はなぜ寂しいのか」PHP 1998年(6) /「プロの条件」(『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より⑦)【再掲載 2011.12】 [読書記録 教育]

今回は、11月 5日に続いて、
「小浜逸郎さんはこんなことを」6回目、
「この国はなぜ寂しいのか-『ものさし』を失った日本人」6回目の紹介です。


今回も「個性尊重論の嘘」についての要約です。


出版社の案内には、


「『失楽園』現象から『酒鬼薔薇事件』『金属バット事件』『個性尊重論』の問題に至るま
 で子供や思春期の少年たちにかかわる社会現象をテーマに、不安と虚無感におびえる世
 相を読み解く。精神不況の時代を読む。」


とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「教育が個性を押し立てるのは、平等主義を貫きつつ,しかも画一主義といわれる非難
を回避しようとするから」


・「高校進学率96パーセントであることは、教育の大衆化・平準化が図られたというこ
 と。しかし、やる気のない子までで進学してしまった。」


・「教育とは凡庸さや画一性の再生産である」


・「教育で個性を育てられるというのは、教育界の思い上がりである。個性的な教育なら
可能であるが。」



「逃げ道」という言葉が、頭に残ります。





もう一つ、再掲載となりますが、『小さな人生論』より、
「プロの条件」を載せます。
自分はプロといえるだろうかと振り返ります。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆小浜逸郎さんはこんなことを⑥-「この国はなぜ寂しいのか」PHP 1998年 (6)

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◇個性を育てる教育など思い上がりだ 個性尊重論の嘘②

□教育はなぜ個性を押し立てるのか

  平等主義を貫きつつ,しかも画一主義といわれる非難を回避しようとするから



□教育における個性尊重は平等主義的必要

  高校進学率96パーセント
   = 教育の大衆化・平準化



  ◎ やる気のない子までで進学


  個性の尊重
   ①機会の平等



②結果の平等


  逃げ道
    「理解するのに時間が掛かるタイプ」

「個性的な顔」



□教育とは凡庸さや画一性の再生産である

  公教育は大なり小なり画一性であることを免れ得ない



    ○国家社会に有用な人間の育成


 個性とは看板 = 見せかけにすぎない

    
 公教育が人間形成に関われるのは,「人間の共通性」に関する部分



□教育は個性を育てられない

  = 教育界の思い上がり



□個性的な教育なら可能



□今は大切なイデオロギー







☆「プロの条件」(『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より⑦)【再掲載 2011.12】

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◇プロの条件

 職業のジャンルを問わない。仕事をすることによって報酬を得ている人は、そのことに
よって、すでにプロである。


 また、プロでなければならないはずである。


 しかし、現実にはプロとしての仕事の仕方をしていない人が相当数いることも事実であ
る。


 プロとアマとの違いは何だろうか。


 それは次の4つに集約されるのではないか。


 第一は、プロは 「自分で高い目標を立てられる人」だということである。

 自分なりにほどほどにやれればいい、この程度でいいだろうと、目標をできるだけ低く
設定しようとするのがアマである。


 プロは違う。プロは自分で高い目標を立て、その目標に責任を持って挑戦していこうと
する意欲を持っている。




 第二は「約束を守る」ということだ。
 約束を守るというのは、成果を出すということである。


 自分に与えられた報酬にふさわしい成果をきっちりと出せる人、それがプロである。


 成果を出せなくてもなんの痛痒も感じず、やれなかった弁解を繰り返してやり過ごそう
とする者がいる。


 アマの典型である。




 第三は、「準備をする」。

 プロは「絶対に成功する」という責任を自分に課している。


 絶対に成功するためには徹底して準備をする。


 準備に準備を重ねる。自分を鍛えに鍛える。


 そうして勝負の場に臨むから、プロは成功するのである。


 アマは準備らしい準備をほとんどせず、まあ、うまくいけば勝てるだろうと、安易な気
持ちで勝負に臨む。


 この差が勝敗の差となって表れてくるのである。


 表現を変えれば、プロは寝てもさめても考えている人である。


 起きている時間だけではない、寝ても夢の中にまで出てくる。

 それがプロである。


 少しは考えるが、すぐに他のことに気をとられて忘れてしまうのがアマの通弊である。




 第四は、これこそプロとアマを分ける決定要因である。


 プロになるためには欠かせない絶対必要条件だと言える。

 それはプロは

「進んで代償を支払おうという気持ちを持っている」

ということだ。


 プロであるためには高い能力が不可欠である。


 その高い能力を獲得するためには、時間とお金と努力を惜しまない。


 犠牲をいとわない。


 代償を悔いない。


 それがプロである。


 犠牲をけちり代償を渋り、自己投資を怠る人は絶対にプロになれないことは自明の理で
あろう。





 最後に一流といわれるプロに共通した条件をあげる。


 それは「神は努力する者に必ず報いる、と心から信じている」ということである。


 不平や不満はそれにふさわしい現実しか呼び寄せないことを知り、感謝と報恩の心で生
きようとする、それが″一流プロ″に共通した条件であることを付言しておきたい。



 さて、あなたはこれらの条件を満たしているだろうか、満たすべく努力をしているだろ
うか。

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