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「この国の宿題」宮川俊彦・櫻井よし子 WAC 2001年 ③ /「宮本常一が見た日本((NHK人間講座))」佐野眞一 NHK出版 2001年 ③ 【再々掲載 2011.】 [読書記録 教育]

今回は、11月17日に続いて、宮川俊彦さん、櫻井よし子さんの
「この国の宿題―教育液状化を止める」の紹介 3回目です。


納得することが多い現場の状況です。
出版された20年前と比べて、改善はみられていると言えるでしょうか。


出版社の案内には、

「学力の低下、自殺者の増大、いじめや不登校という悲惨な現実がなぜ起こったのか。学
 校で悩んでいる先生や子をもつ親世代の人のために、現在の教育へ問題提起する対談集」

とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「現代は家庭も社会もスケジュール管理に追われている。展望もなく、多くの人が身勝
  手でわがままな感情社会。身を置いていれば誰であれ疲れる。豊かな社会が招いた不
  幸せ。」


・「とりあえず食べられるから嫌なことを我慢する必要がなく、よく言えば自立していく。
批判的に言えば…勝手にする。我慢しなくていい社会は考えてみるまでもなく、あま
り幸せではない社会である。ぬくもりのある付き合いができにくいため心が寒々とな
ってしまいがち。」


・「60年代以降家庭でのしつけが崩壊
しかし新しい生活スタイルとして家庭は作られ、しつけに代わる新しい文化がつくら
  れることはなかった。むしろ、利己性を生み出しただけ。」


・「国も社会も親も常に誰かに頼ってきた。欧米の教育の基本は『問題は自分自身にしか
解決できない』であるのに対して、日本の子育ての基本が、『助けられて当たり前』
であるように感じてしまう。」



- 家庭は永遠に社会の原型である

この言葉が心に響きました。
では、どうしたらよいのか、政治にもその一端を期待しますが、
各政党は有権者に心地よく響く言葉だけのように感じてしまいます。
まず自分の周りから少しずつ。

 



もう一つ、再掲載となりますが、佐野眞一さんの
「宮本常一が見た日本((NHK人間講座))」③を載せます。
「この国の宿題」の要約を見直し、この本を思い出しました。
ともに同じ年、20年前に出版された本でした。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「この国の宿題」宮川俊彦・櫻井よし子 WAC 2001年 ③

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◇この親にしてこの子あり(2)

□親の価値観の方が問題だ

◎「我」だけが膨張

 ○自分らしく子どもに対して親は食べていけるのかどうかを判断の基準に置く
                             (親の現実主義)

 ○「なりたい」「ありたい」モデルの喪失の時代


 ○「人間皆同じじゃないか」という傍若無人な意識が浸透し、「人並み」ではなく「自
  分並み」「普通並み」という安心できる相手を常に射程にとらえておこうとする

    作文テーマ かっての「家の中心」から 今は母、テレビ、ダイニング…

          |
現代は家庭も社会もスケジュール管理に追われている。展望もなく、多くの人が
   身勝手でわがままな感情社会。

  身を置いていれば誰であれ疲れる。豊かな社会が招いた不幸せ。


 ○親の期待のせい?

  しつけを放棄した親は往々にして生活の管理も甘くなりがち。モノがあるのが当た
  り前の世界なのに、人にモノを分けるという発想がなかなか生まれてこない。

        ∥

   社会全体が豊かになり、みんなが小金持ちになったとき、他人との関係に心を配ら
  ず、むしろ自分のエゴを押し通すようになった。

   今や自己中心夫や自己中心妻のなんと多いことか。
       
   とりあえず食べられるから嫌なことを我慢する必要がなく、よく言えば自立してい
  く。批判的に言えば…勝手にする。我慢しなくていい社会は考えてみるまでもなく、
  あまり幸せではない社会である。ぬくもりのある付き合いができにくいため心が寒々
  となってしまいがち。




□戦後三代の核家族は何をしてきたか

 ○家族が多いことはそれ自体が人間修行の場
  
   ~ 各自が自分の役割をもたざるをえなかった

   60年代以降家庭でのしつけが崩壊
 しかし新しい生活スタイルとして家庭は作られ、しつけに代わる新しい文化が
    つくられることはなかった。むしろ、利己性を生み出しただけ。


今の母親たちは実家から小遣いをもらうことに何のためらいもない

    30代の親 
      → 目に見えることにだけとらわれている


 ○国も社会も親も常に誰かに頼ってきた

    欧米の教育の基本 =「問題は自分自身にしか解決できない」

        ↑↓

    日本 「助けられて当たり前」


 ○家庭は永遠に社会の原型である


 ○子どもたちは老人化している


 ○まず第一に父母を教育せよ

    家庭の力は確実に低下している 家族がばらばらに



    本当は親こそ教育の対象にしなくてはならない







☆「宮本常一が見た日本((NHK人間講座))」佐野眞一 NHK出版 2001年 ③ 【再々掲載 2011.】

<出版社の案内>
「昭和日本」のありとあらゆる場所を歩き、記録した、「旅する巨人」宮本常一。離島をは
じめ、地方の人びとに向けられた宮本の眼差しを、ノンフィクション作家の佐野眞一が再
検証。宮本が記録した膨大な資料や写真から立ちあがる、素朴で力強いメッセージを読み
解いてゆく。地方分権が叫ばれているいま、我々が学ぶべき宮本の精神を、各地への取材
を通してよみがえらせた「日本を識る」一冊。


◇海から見た日本

□梶田富五郎の人生 

 昭和20年代、郵便局長が地域のナビゲーターだった

 メシモライ = 相互扶助

 浅藻に住み着く
  ~ 港ができるまで30年間かかった


 
□取材ノートの山 宮本の対馬調査に掛ける執念

 中世社会の残存
   村落共同体の寄り合い(伊奈)-古文書
= アメリカ式民主主義への痛烈な批判(千尋藻)

   400年前から続く寄り合い

 「満山鈎」-厳原の満山善雄氏

 ◎宮本学問の基礎は「芋」と「海人」
「そりゃあ物知りだった」




◇庶民へのアプローチ

□三州名倉 

 愛知県設楽郡設楽町奥三河郷土館 = 宮本学の標本

 旧名倉村調査(昭和30~41)
昭和31.9.11 昭和35.5
「名倉談義」「名倉村・部落について」林業金融調査会

 宮本
 「樹を見ろ、いかに大きな幹であっても枝葉がそれを支えている。その枝葉を忘れて幹
  を論じてはいけない。その枝葉の中に大切なものがある。学問や研究はあくまで庶民
  や民衆の土台に築き上げるものだ」

  = 民俗誌 から 生活誌 への転換 

  = 宮本学の確立

 沢田久夫氏『三州名倉-史的変遷篇』(昭和26年)


 
□「人文科学」と「訊問科学」

・常に固有名詞を使うこと  

 ・調査には必ずお返しを


 
□五平餅と赤みそ  
   
 三河田口-奥三河郷土館  「万歳峠」


 
□名倉談義  - 臨済宗大蔵寺で

 夜這い - 夜ぼはみ - 私生児「堀田子」

相手の話が本当かどうかの判断基準
    ① 堕胎間引きの話 
② どぶろくが出るかどうか


□宮本民俗学
  
 「変わらないことへの関心」




◇食糧確保の使命

□敗戦の頃   
  戦前と変わらず - 棒のように貫いている


 
□集団帰農列車 
 
 北海道開拓 昭和22.10.20大阪発-10.23札幌着

 手塩地方へ300人を引率 幌延-問寒別に


 
□十津川と新十津川

 明治22(1889)年8月の大豪雨により移住


 
□宮本にとってたった一度の「官」の旅が宮本に慚愧の涙を流させた
(その後の移民の生活状況を見て)

 
□「棄民」の旅 → 済民の旅行脚へ

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