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大村はまさんはこんなことを ⑳-『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 (8) /『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ②【再掲載 2012.5】 [読書記録 教育]

今回は、11月26日に続いて、大村はまさんの
「大村はまさんはこんなことを」の紹介 21回目です。
「灯し続けることば」の要約の8回目です。





出版社の案内には、


「『国語教育の神様』とまで言われた国語教師・大村はま、98歳になる今日までの著作・
 執筆から選びだした珠玉のことば52本と、その周辺。自らを律しつつ、人を育てるこ
 とに人生を賭けてきた大村はまの神髄がここに凝縮された。『熱心と愛情、それだけや
 れることは、教育の世界にはないんです』『したことの悪さより、しかられた傷のほう
 が大きいということはないでしょうか』『熱心結構、いい人あたり前です』『スタート
 ラインが一緒でも、ゴールには同時に入りません』『しかられ上手であることが必要で
 す』etc.子どもにかかわるすべての大人、仕事に携わるすべての職業人に、折に触れて
 ページを開いて読んでほしい。」


とあります。




- 私はいろいろな案があってこそ、ないように見えるすばらしさが心にしみました

この森繁久弥さんのお話を、時折ふと思い出すことがあります。





もう一つ、再掲載となりますが、有馬朗人さん中西進さんなどの編による
『日本例話大全書』②を載せます。
人前で話をするときのネタ元となるようなお話しがたくさん載せられている本です。

井深八重さんの覚悟には心を動かされました。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆大村はまさんはこんなことを ㉑-『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 (8)

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◇「なんにも考えてこなかったのですが…」

 教師たちの会に、俳優の森繁久弥さんを講演にお招きしたことがありました。


 みんなが楽しみに待っているところへ、森繁さんが走るようにはいっていらっしゃいま
した。


「遅くなりました。いま旅から帰ってきたもので」

とおっしゃり、

「なんにも考えてこないで、先生がたの前でお話をするなんておこがましいようですけれ
 ど」

というふうに話し始められました。


 しかし、大変面白く、心にしみるお話でした。


 さてお話が終わって、

「何かこの際、お聞きしたいことがありましたら」 

となると、一人の方が

「大変おもしろいお話でした。なんにも考えてこられないのに、どうしたらそういうふう
 に、のびのびと、しかし筋の通ったお話ができるようになるのでしょうか」 

と尋ねられました。



 そのときです。


 森繁さんが、瞬間キリっとした表情になりました。


 すぐまた元の穏やかな表情に戻りましたが、私にはその瞬間がわかりました。

「なんにも用意してこなかった、と言いましたが、本当は、う-んと用意してきました。
 みなさんに楽しんで聞いていただけるように、長い間、この話の案を練っていました。
 なんにも考えてこなかったと言ったのも、それも私の案でした」

 会場はシーンとなりました。


 私はいろいろな案があってこそ、ないように見えるすばらしさが心にしみました。


 案はいくら練っても練りすぎることはないということ、それをなんでもないように、重
い感じにならないようにして、気軽に聞いてもらうためには何倍もの苦心がいることを知
りました。


 なんにも考えていないような自然さがあるからといって、なんにもないんだと思ったり
するのが、どんなに浅いものの見方か、話すことの難しさに思いを致していないことであ
るかと気づきました。




□『灯し続けることば』 2004年7月1日 初版第一刷発行

  著者 大村はま  発行者 宮木立雄  発行所 株式会社小学館











☆『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ②【再掲載 2012.5】

[出版社の案内]
悲しみにあったとき、喜びに溢れるとき、それぞれのときに人々を勇気づけ、心を豊か
にさせる例話を集める。一読者として読んで参考になるだけでなく、学校や会社その他
のいろいろな集会で、例話として活用できる一冊 。
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<生老病死>

◇泣いて敵将を討ち取る 熊谷直実

 熊谷直実(1141~1208)鎌倉初期武将


 一の谷の戦い(1184)
  若武者と一騎打ち 薄化粧した平敦盛16歳

 涙ながらに討ち取る

→ 直実のちに出家して法然の弟子となる

 


◇歴史を変えた命乞い 池禅尼

 平治の乱(1159)で源頼朝(1147~1199)捕らえられる

  → 平頼盛の家来である弥兵衛宗清に預けられた


弥兵衛宗清が哀れに思い敦盛の母池禅尼に命乞い
「亡くなった自分の実子である家盛に似ている」

  → しかし清盛は聞き入れず


 池禅尼何回も嘆願 → 結局、伊豆蛭ケ小島に島流し

 


◇子を亡くした父の祈り 山上憶良

山上憶良(660~733) 
   古日という幼子を亡くした


 子を失って父にできるのは結局祈ること以外になかった

 


◇覚悟のさらし首 近藤勇

 近藤勇(1834~1868)京都守護職・松平容保の直属武士集団「新撰組」局長 


 鳥羽伏見敗戦後 
   甲陽鎮撫隊 - 甲州・流山 - 官軍に降伏


 明治元年(1868)4月25日 板橋で斬首 35歳
さらし首を覚悟して髭を剃った

 


◇迷惑を掛けないように 結解勘兵衛

 結解勘兵衛
  - 浪人  覚悟の焼死 蒲生氏郷の元家臣


 明暦3(1657)年正月 
  「振り袖火事」「丸山火事」

  天徳寺の雑用 - 火 事 -寺宝を守り本堂で座禅のまま焼死

 


◇いのちを奪うことの罪深さ 小林一茶

 小林一茶(1763~1827)
  「おらが春」に蛇の祟りの話

 


◇冷静に死を見つめた生前葬  河竹黙阿弥

 河竹黙阿弥(1816~1893) 
   明治22年12月24日「生き弔い」


 

◇死亡広告を頼んで息絶える 斎藤緑雨(1867~1904)




◇サソリの後悔  宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

 


◇病気も縁の内  西有穆山

西有穆山 (にしありぼくざん 1821~1910)
   島田・伝心寺  赤痢にかかるも読書

 


◇涙は人のために流すだけ 井深八重

 井深八重(1897~1989)
  1919年夏ハンセン病と診断
  
   同志社女子専門学校卒 - 長崎県高等女学校に勤めたあと


 神山復生病院に(御殿場) 
   らい収容施設



  一年後 誤診が判明
レゼー神父(院長)は退院を勧める

しかし、彼女は看護婦資格を取り戻ってくる



 60年あまり過ごす「涙は人のためにだけ流しなさい」

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