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野口芳宏さんはこんなことを ⑫-人格の育成を考える(2) 〈最終〉 /「妖怪と怨霊の日本史」田中聡 集英社新書 2002年 ②【再掲載 2015.8】 [読書記録 教育]

「教師の保身とエゴ,それは表に出されないので,まことしやかにあれこれ美しい言葉で
 言われるが,そこにまやかしもある。
 例えば,父親参観日という言葉を葬るべきではない。
 父親のいない子には,
 『今日はあなたのお父さんもきっと天国から見に来ているよ。だからしっかり勉強しよ
  うね』
 といえばいい。それが本物の教育だ。
 今は,母性原理が中心で,優しすぎる学校,優しすぎる教師が多い。母性原理も大事だ
 が,現実原理,父性原理をもっと導入すべきである。このような硬派の教育が今こそ求
 められるのではないか。」

 野口さんの言葉ですが、わたしの心に刺さりました。





今回は12月8日に続いて、わたしの教育ノートより 
「野口芳宏さんはこんなことを」12回目「人格の育成を考える」後半の紹介 最終です。



今回も、指示、禁止について、深く考えさせられました。
以前読んだときも、大変納得した文章ですが、いつの間にか忘れてしまっていました。
時々読み直すことは大切だと感じます。

- 子供は,責任を自分に持たせられたときに自ら考え始めるのである。

わたしも、教職生活を振り返り、つくづくとそうだなあと感じます。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「安全の教育は,危険の中でのみすることができるのである。今の学校はこうしたこと
の正反対をしている。良い例が,自転車を禁止することである。」


・「禁止と指示は判断力を奪う。」


・「子供というものは,基本的に危険,冒険そして不潔が大好きなものである。」


・「指示されればそこで考えは止まる。」

「考えようとしない子を育てているのは,自己責任を問わない教育にある。非指示とは
責任を自覚させる教育なのである。」





もう一つ、再掲載となりますが、田中聡さんの
「妖怪と怨霊の日本史」②を載せます。
読んだ当時ははっきりとイメージすることができたのですが、
要約の仕方のためか、読み直してもぼんやりとしたイメージになっています。






今日は地の神様のおまつり日です。
地の神様は遠州の地域で信仰されている土地、屋敷をお守りくださる神様で、
家の敷地の北西隅に小さなおやしろが置かれてます。
お社の前に赤飯のおむすびをお供えします。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆野口芳宏さんはこんなことを ⑫-人格の育成を考える(2) 〈最終〉


4.実践のいくつか



(1)禁止への挑戦

 刃物を学校に持ってくるなということがよく言われる。


 私はこれに反対である。


 昔の田舎は,小学校1年生になると肥後ノ守というナイフを持たされた。


 これを持って山へ行き,竹を切っていろいろなものを作った。手を切ったりしながらひ
とつひとつ危険を克服し,たくましくなっていったのである。


 それが今の学校では,刃物を持たせると,手を切るかもしれないから持たせないでおこ
うというふうになる。


 そして,鉛筆削り器を教室に配置したりする。


 私は,刃物を使える子に育てたかった。


 だから,

「私の学級は刃物を持とう。ただし,けんかには絶対使わない。そうしよう!」

と提案した。子供たちは大喜び。保護者もわかってくれた。


 そこで高価な小刀を注文した。


 ナイフではなく,鞘のついた小刀である。


 専門店に,40本注文したら,何に使うのかと言われたので,子供たちに持たせたいと
言った。


 すると,感激して小売値の3割引で売ってくれた。(笑)


 子供たちに渡して,

「いいか,この小刀はな,指の2,3本簡単に切れる。すぱっとな。気をつけろよ。」

と言うと,子供たちはすごく緊張した。


 そして,鞘の抜き方,木の削り方を一つ一つ教えた。
 

 安全の教育は,危険の中でのみすることができるのである。


 今の学校はこうしたことの正反対をしている。良い例が,自転車を禁止することである。


 3年生までは駄目という。


 4年生からはいい。


 本当に乗せたくないから自転車店に,

「子供たちに売らないでくれ」

と言えばいいのだが,それは営業妨害だからしない。(笑)


 私は子供に任せよと主張した。


 同僚は「怪我したらどうする」と反対した。


「怪我をしたら怪我したときだ。(笑)けがの中で学ぶそれが大切なんだ。」

と言った。


 これはPTAには受け入れられた。


 ところがある日,ある母親が,

「学校に,自転車に乗って遊びに行ってもいいんですよね?」

と聞きにきた。私は

「あんたが決めなさい」

と突っぱねた。


そうすると

「あっ,ダメですか」

という。

「だめじゃないよ。あんたが決めなさい。」

すると,

「やっぱりいいんですか」

と言う。

「だからあんたが決めなさい。」(笑)

 それでやっと分かってくれた。


 うっかり「いいですよ」などと言ったり,あるいはダメですよなどと言えば責任は私に
あることになる。


 どこまでも判断は行動する主体の自分にある。


 今の子供を皮肉って「交差点の中の子供たち」であると言っている。


 子供たちは,いつも信号を待っている。


 行くか,止まるか,待つかは自分で判断すべきである。


 たとえ赤信号でも,時には自分で判断して渡っていくことも必要である。


 禁止と指示は判断力を奪う。


 子供というものは,基本的に危険,冒険そして不潔が大好きなものである。(笑)

 
 ところが大人は危険と不潔から遠ざけようとして子供を弱くしているのである。


 グラウンドに寄付金でグローブジャングルという遊具を設置した。


 高学年の子がぐるぐる回し,低学年の子がしがみついては振り落とされ,ケガが絶えな
かった。


 すると母親代表が禁止を求めてきた。


 私は,

「もう少し待て。だんだんけがをしなくなる」

と言った。


 4カ月でけがはなくなった。


 子供は危険に対応するのである。


 ちなみに,そのグローブジャングルは,今ではロープでぐるぐる巻きにされて赤くさび
ている。






(2)非指示への試み

 指示されればそこで考えは止まる。


 担任時代の私は,修学旅行の小遣いを自由にしようといった。


 子供たちは大喜び。


 わっと盛り上がった。


「ただし,これから皆が行くところは都だ。盗られるかもしれないぞ。落とすかもしれな
 い。もし,落としたり盗られたりしたときには,先生には絶対に報告するな。(笑)自
 分の責任だ。」

というと子供たちは静かになった。


「そうか,落としてもいいくらいの額を持っていけばいいのか」

と一人一人が考え始めた。


 考えようとしない子を育てているのは,自己責任を問わない教育にある。


 非指示とは責任を自覚させる教育なのである。






(3)責任内在論

 戦後は責任外在論が幅をきかせている。


 道路で穴にはまってけがをすれば道路が悪いという。


 プールのフェンスに穴が開いていた。


 そこを子供がくぐってけがをした。


 すると,プールの穴がけしからんという。


 人のせいにして自分のせいとは考えない。 


 自分の行動の責任は己にあるのである。


 交通事故の増加に伴いあちこちに信号をつけろという。


 私は基本的にこの風潮に懐疑的である。


 附属小学校で,大学に入る前の車道が,とても交通量が多いので,PTAが歩道橋をつ
けろと言った。


 何年も働きかけたが,一向に実らなかった。


 ある時有力者の子供が入学した。


 とたんに認可された。(笑)


 ところが大学の学長が,駅から大学に向かう最短の道には,景観上歩道橋をつけるのは
だめだという。


 そこで仕方なく,大学から少し外れたところに歩道橋を設置した。


 駅から出て,ぐるっと遠回りして歩道橋を上り下りして,学校に着く。


 子供たちはそこを通るようにということになった。


 ところが先生たちは従来の下の歩道を通っていた。(笑)


 それを歩道橋の上から見ていた子供たちが「先生はずるい」と言い出した。


 そして児童会で問題にした。(笑)


 職員会議で「これについてどうしましょう」という話題が出た。


「子供と一緒に歩道橋を渡るべきだ」という理想派。


「いや子供は歩道橋だがわれわれ大人は歩道でよい」という現実派。


「子供が見ているときは歩道橋を渡り,夜などは下を渡る」という妥協派。


 あれこれの意見が出てなかなか決まらない。


 そこで私はこう言った。

「あの歩道橋は,お母さんたちが,あなたたち子供が安全なようにとつけてくれたものだ。
 しかし従来の歩道を通ってはだめだということではない。先生たちは,命がけで下を歩
 いているのだ。(笑)あなたたちも,命をかけるのであれば歩道を通ればよい。」


 そういう指導をせよといった。


 それで,子供からの不満はいっぺんになくなった。


 責任は自分にある,ということを伝えたのだ。


 子供は,責任を自分に持たせられたときに自ら考え始めるのである。




 教師の保身とエゴ,それは表に出されないので,まことしやかにあれこれ美しい言葉で
言われるが,そこにまやかしもある。


 例えば,父親参観日という言葉を葬るべきではない。


 父親のいない子には,

「今日はあなたのお父さんもきっと天国から見に来ているよ。だからしっかり勉強しよう
 ね」

といえばいい。


 それが本物の教育だ。


 今は,母性原理が中心で,優しすぎる学校,優しすぎる教師が多い。


 母性原理も大事だが,現実原理,父性原理をもっと導入すべきである。

 このような硬派の教育が今こそ求められるのではないか。











☆「妖怪と怨霊の日本史」田中聡 集英社新書 2002年 ②【再掲載 2015.8】

<出版社の案内>
元始、日本は妖怪の国であった。彼らはこの国のあらゆる場所に暮らし、人間と共存して
きた。しかし、時代とともに妖怪はその姿を歴史の表舞台から消した。本書は、その跡を
膨大な資料でたどり、本来の歴史の中に位置づけた、まったく新しい「日本史」への試み
である。そこから浮かび上がるのは、まさに「天皇家」を中心とした権力闘争の壮大なド
ラマであった。怨みを飲んで抹殺されていった者どもの魂が、怨霊となって人間の歴史に
介入する。ここに、知られざる歴史の真髄が語られる。
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◇ツチグモ虐殺と蛇神の威力
  
□ツチグモと地名 

 ヤソタケル ツチグモ

 - 罠にかけられて殺される(平らげる対象者)


ツチグモとは異族を蔑んでの呼称
    
   → 異様な殺され方をする 
 椿の槌で打ち殺す,茨に追い込んで衰弱死


 血なまぐさい名付け
  


□霊剣フツノミタマ 

 ニキハヤヒ
 
 - 神武の寵愛 - 物部の祖


 ニキハヤヒ

  = 物部氏

  天皇家より先にヤマト支配
 
    
 ナガスネ・ビコ - 土着の長
 

 ニキハヤヒはナガスネビコを裏切った





□三輪山の蛇神

 神武天皇

 - 畝傍山の麓の樫原宮で治世


   大和でホトタタラススキヒメ(セヤタタラヒメとオオモノヌシの間の子)を后に
※ オオモノヌシはあらゆるもの-霊たちの首長,蛇神


 崇神天皇 

   オオモノヌシの祟りを鎮めるため三輪山にオオモノヌシを祀らせた

オオタタネコ - 祭祀者 ~ 箸墓古墳も


 イクタマヨリヒメ 
   相手を探すために男の着物の裾に紅をさす

→ 三輪山の神まで 三匂の糸力のこる

   → 三輪

   → 三輪君の祖 オオタタネコ祭祀  オオモノヌシ鎮撫


オオタタネコとは陶邑に住む須恵器製造集団出身
  




□祟りの効力 

 オオモノヌシ - 要をなす神  =  崇神天皇 まつり ハツクニシラス

  △オオモノヌシ     と   ▽アマテラス

△とぐろを巻く蛇神   と   ▽機織る処女神

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   △山中に隠れ天下守護      ▽日神

(蛇神の霊威)



◎ 力の総体の上に大王家がバランス


         ◎ 蛇神の加護を得た者のみが天下を治めることができる 

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