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「新津地区愛称標識の由来」 1989年 ① /「教師の生きがいとつらさ」 諸富祥彦(出典不明)【再掲載 2017.1】 [読書記録 郷土]

今回は、新津地区愛称標識設置委員会による
「新津地区愛称標識の由来」1回目の紹介です。

今回は、新津地区(浜松市南部 海岸沿い)の冊子の内容を紹介します。


昭和63年から平成元年にかけて、
浜松市の各地域で「愛称標識の由来」冊子が出されました。

各地域に主に歴史的な由来に基づいて太い木の杭に書かれた愛称標識が設置され、
その冊子が出されました。

竹下登首相による「ふるさと創生事業」に関連するのかなとわたしは思っています。


新しい場所に赴任すると、まずひの冊子に目を通したものでした。
公民館ごとに出されていることが多く、地域の歴史を知ることができます。
子どもたちにもよく読ませたものでした。
しかし、その標識設置後30年以上、書かれた字は薄くなり、杭も朽ち始めています。
再び整備されることを願います。


今回は、地区名、町名の由来についてです。


先ほど犬の散歩のついでに近くの愛称標識を確かめたところ、亡くなっていることに気づ
きました。自分のぼんやり加減が分かりました。
ついこの間まであったのに…。危険だからとったのでしょうか。
子どもが小さい頃、
「あれ、なあに。」
と聴かれ、話すチャンスとなったのに。




もう一つ、再掲載となりますが、諸富祥彦さんの
「教師の生きがいとつらさ」を載せます。
明治大学教授の諸富さん、学校現場のことをよくご存じです。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
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☆「新津地区愛称標識の由来」 1989年 ①


◇はじめに

 人間が生活するところには文化が生まれます。


 私たちが暮らしているこの新津の地に、いつ人びとの生活が始まったのか、さだかでは
ありませんが、とにかく遠い昔から、きまざまな生活文化が存在していたはずです。


 それらの中には、長い年月を経て、ひとつのことばとなり、慣習となり、あるいは地名
などとなって、いまに伝えられてきたものもあります。しかし、そうした伝承文化も、近
年のめまぐるしい社会変化の中で、ほとんどが消滅の時期を迎えています。


 新津地区が、浜松市の昭和63年度愛称標識設置モデル事業対象地区として指定された
のを機に、地域内のいくつかを掘り起こし、見っめ直してみました。その結果、いま40
本の愛称標識が立っています。 


 愛称標識が建てられたこと自体にも、もちろん意義がありますが、そこに至るまでの、
みなさんの「ふるさと意識」への高まりが、何物にもかえがたい収穫であったように思い
ます。


 いろいろなかたちでご協力いただいた、本当に多数の皆さんに、心から感謝いたします。

 平成元年2月

                          新津地区愛称標識設置委員会




◇新  津  の  由  来

 明治22年に町村制が決められ、新橋村・小沢渡村・倉松村・米津村・堤村・田尻村・
法枝村が合併して「新津村」が誕生し、それまでの各村は、大字(おおあざ)何々と呼ば
れるようになった。「新津村」という村名は、合併した村の中から、新橋の「新」と米津
の「津」をとって、命名されたといわれる。


 昭和26年3月、新津村は浜松市に合併し、現在の新津地区各町が生まれた。


 なお、平成元年2月1日現在、新津地区の世帯数は4、047世帯、人口は13、306人で
ある。




◇町  名  の  由  来
 
□新 橋 町(にっぱしちょう)   
    
 現在では全面的に埋立てられて、その面影もないが。むかしは、今の可美村との間に東
西に長い沼があった。


 いつのころか、この沼地の最もくびれたところに新しい橋が架けられ、そのとき里人が
名村けた「新橋」が地名の由来といわれている。


 なお、鎌倉時代の資料の中に、すでに「新橋郷」の名がみえることから、かなり古い時
代から、この地名が使われていたと思われる。



□小沢渡町(こざわたりちょう)
    
 むかし、この町の北側には池や小さな沢が多く東海道へ出たりする場合には、その小さ
な沢を渡らなければならないところから、小沢渡という地名が生まれたという。



□米 津 町 (よねづちょう) 
    
 米津の「津」は湊(みなと)・船だまりと考えられ、地元の人は、

「むかし、ここから米が海上輸送されたので、米津と呼ぶようになった」

と話している。
    

 また「米(よね)とは砂と同じ意味で、砂丘にかこまれた湊であった」とする説もある。



□倉 松 町 (くらまつちょう)
    
 新津地区の中で、ここだけが堀江藩の統治下にあった。


 堀江藩大沢家は、庄内(いまの舘山寺町)に陣屋を構えた旗本であり、三河の吉良家な
どと同じように「高家(こうけ)」と呼ばれ、格式の高い家柄であった。
    

 この倉松の庄屋は、俗に名主代官といわれて、領主大沢家の代官を兼ね、とくに苗字帯
刀(みょうじたいとう)も許され、年貢の取り立てをしていた。


 その年貢米を入れる百俵倉が、村のまん中の松林に囲まれて建てられていたところから、
倉松と名付けらたといわれる。
    

 なお、昔の資料には、蔵松・鞍松の字も見うけられる。



□堤 町 (つつみちょう)
    
 むかし、このあたり一帯は海であったが、天竜川による土砂の沖積(当時は、いまの馬
込川が天竜川の本流であった)や、土地の隆起などによって陸地となった。   


 そのとき防波堤が築かれたことも考えられる。
    

 また、天竜川の堤であったかも知れない。
    

 いずれにしても、堤があったから、それが地名になったものと思われる。



□田 尻 町 (たじりちょう)
    
 浜名平野の南端にあたり、稲作がおこなわれる田んぼの終わりという意味の「田の尻」
が、地名になったといわれる。
    

 この町の地形は、非常に複雑であるが、これは馬込川が天竜川の本流であったころ、つ
まり田尻湊(たじりみなと)が栄えた時代の名残(なごり)とみられている。



□法 枝 町 (のりえだちょう)
    
 この町も複雑な地形を示しており、住民の生活が、馬込川と遠州灘とに大きなかかわり
をもって、今日に至ったことを物語っている。
   

「法枝の『法』は『仏法』の意味で、仏教が栄えたところ」とみる人もいるが、はっきり
しない。



□卸 本 町 (おろしほんまち)
    
 浜松卸商センター加入の各社従業員から町名を募集して、最も多かったこの町名を採用
したといわれる。
    

 昼間は2、000人近い人びとが働いて、独特な活気をみせているのに反して、夜間は住
む人もほとんどいないというのが、この町の大きな特徴である。

 注:「新津の由来」、「町名の由来」は、昭和57年発行「ふるさと新津」を参照










☆「教師の生きがいとつらさ」 諸富祥彦(出典不明)【再掲載 2017.1】


教師の生きがいは、次の6つです。

1 「子どもとのふれあい」

  …「先生、大好き」と子どもに言われること。



2 「学級経営の達成感」

  …「このクラスにいられてうれしいな」と言われること。



3 「授業の達成感」

 …「先生の授業は面白くて、もっと勉強したくなるよ」と言われること。



4 「部活動の達成感」

 …「先生を中心に部活のみんながまとまって、試合に勝っていい結果が出せました」と
  言われること。



5 「学校づくりの達成感」

 …「先生方みんなで、力を合わせて取り組んでいただいたおかげで、よい学校づくりが
   できて、感謝しています」と管理職に言われたりすること。



6 「保護者からの感謝」

 …「うちの子、遠足でとてもいい経験をさせていただいたようです。ありがとうござい
   ます」と言われること。





ところが、
仕事がうまくいかなくなってくると、すべてがつらさに反転していきます。


1 「子どもから嫌われる」

 …「クソじじい」「クソばばあ」呼ばわりされること。



2 「学級が荒れ、崩壊に陥る」

 …「こんなクラス、やってらんねえよ」と言われること。



3 「授業はしらけ、教師は漫然と教科書を読む状態」

 …「おまえの授業、受けてやっているだけ、ありがたく思えよ」と言われること。



4 「部活内の目配りが不足していた」

 …「先輩にいじめられてばかりいるのに、見て見ぬふりをされた」と言われたりするこ
  と。



5 「学校づくりに必要ない存在とみなされる」

 …「いつ辞めてもらってもかまわないからね」と管理職に言われること。



6 「保護者からのクレーム」

 …「うちの子、先生の授業、つまらないって言っていますよ。いっそ教師を辞めてもら
   えませんか」と保護者から言われること。




 これでは、教師はやりがいが見いだせません。つまり、喜びは全部つらさにはね返って
くるのです。順調にいっていたときの喜びが大きければ大きいほど、つらさも大きくなる
のです。


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