「孤独のすすめ」ひろさちや SB新書 2016年 ① /「頭はよくならない」小浜逸郎 洋泉社新書 2003年 ①【再掲載 2014.2】 [読書記録 宗教]
今回は、ひろさちやさんの
「孤独のすすめ」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「そもそも孤独を癒そうとするのが大間違い!現代日本がつくり出した、本当は誰しも感
じている『孤独』な状況-。昔の共同体のような『閉じた社会』での密な関係はなくな
り、今はネットで不特定多数とも広く繋がれる希薄な人間関係の中に生きています。い
つでも人と繋がれる時代に生きていながらも、昔に増して孤立感・疎外感を抱いている
人は多いようです。そして厳しい世間の荒波にもまれ、人間関係をこじらせ、ときに一
個人としての孤立や無力さを感じたり、孤独に苛まれることがよくあります。そもそも
今の世の中は狂っているともいえます。人は世間の物差し(常識)を押しつけられて生
きており、かえって疎外感や生きづらさ、孤立感を感じることにつながっているのです。
そう、そんな狂った世の中で、現代人が寂しくなく「孤独を生きる」には、実はほんの
ちょっとコツが入るのです。本書は、『孤独』というものの本質に立ち返り、般若をは
じめ古今東西の偉人賢人の考えも参照しつつ、ついつい癒(解消)しがちな『孤独』を
恥や悩みとせず、むしろおかしな世の中で自分の状況をしっかりと肯定し、孤独と上手
に向き合うことで、楽しく生きていく術を書き下ろすものです。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「強者は弱者が道徳を破った時、その道徳の名において弱者を糾弾する。だが、強者自
身が道徳を破っても、自分にはそれを守らないだけの相当な理由があるということで 自己を正当化する
・「この世は御縁の世界であり、いろいろな関係性、しらがみがある。一方の為にすれば、
一方が困る。そういう仕組みになっている。双方にとってのうまい解決策はない。」
・「地獄は自分の意思でいけるか、極楽世界は阿弥陀仏の招きがあって初めていけるわた
したちがいる世界」
・「お浄土へのお土産は美しい思い出とこの世で体験した苦労 」
ひろさちやさんの本を読むと、わたしはどこか救われた気分となりほっとします。
いかがわしい道徳がいまや教科となっています。
もう一つ、再掲載となりますが、小浜逸郎さんの
「頭はよくならない」①を載せます。
わたしの頭の中のもやもやした何かをはっきりと言葉に表してくれた本です。
今日は自治会の資源物回収の日。
当番さんが車で集めて回収場所に次々と持ってきてくれた資源物を
車からコンテナに入れるのが役目。
寒い朝になりそうですが、頑張ってきます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「孤独のすすめ」ひろさちや SB新書 2016年 ①
◇はじめに
「孤独」というのは世間に迎合しない毅然とした生き方の姿勢を意味する
× 孤独に生きる
◎ 孤独を生きる
◇家族の孤独
1 天国でまた会える
ひろさちや『死後の世界の観光案内』ごま書房 1983
『仏教の世界観 地獄と極楽』すずき書店 1990
2 嫁と姑の反目
◎ おばあさんの存在理由は、娘の育児を援助することにある
「おばあさん仮説」
3 この世はご縁の世界
◎「道徳とは、強者が弱者をいじめる武器」ひろさちや
強者は弱者が道徳を破った時、その道徳の名において弱者を糾弾する。だが、強者自
身が道徳を破っても、自分にはそれを守らないだけの相当な理由があるということで自
己を正当化する。
◎「道徳なんてくそくらえ」 いかがわしいもの
※ この世は御縁の世界であり、いろいろな関係性、しらがみがある。一方の為にすれ
ば、一方が困る。そういう仕組みになっている。双方にとってのうまい解決策はない。
4 ヤマアラシのジレンマ
◎ ショーペンハウアー(1788-1860) ヤマアラシのジレンマ
棘はプライド(人間) = 自尊心
現代の家族 = 個我の確立
家族全員がヤマアラシに
モハマッドの奇蹟
奇蹟とは何か?それは、山に向かって「こっちに来い!」と呼びかけて、それでも
山が動かないとき、自分の方から山に向かって歩いて行く。それが奇蹟です。そのと
き奇跡が起こるのです。
5 お浄土へのお土産
◎「清浄国土」-仏がおられる世界 仏国土という
極楽浄土(阿弥陀仏) 密教浄土(大日如来) 霊山(りょうぜん)浄土(釈迦仏)
◎ 地獄は自分の意思でいけるか、極楽世界は阿弥陀仏の招きがあって初めていけるわ
たしたちがいる世界
地獄は自分で自由勝手に決められるが極楽浄土はお招きによる
地獄 ‥ キリスト教は永遠
仏教は有限 一兆六千二百億年
極楽浄土は、いったんそこに生まれても、もう一度この世界に還ってくることができ
る = 行きっぱなしの世界ではない
極楽浄土 - 往く
↑↓
地獄 - 行く
他力
~ 「南無阿弥陀仏」を称えると極楽浄土に行くことができる
「おまかせします」
∥
◎ お浄土に生まれるときは全員が男性になる(経典)
= 生、年齢を超越した世界
◎お浄土へのお土産 = 美しい思い出 この世で体験した苦労
わたしたちがこの世で体験した苦労話
6 心の中のお浄土
お浄土においてお姑さんとしみじみ打ち解けて話し合えるせっかくのチャンス
現代人は 自由 と 独立 と 己れ を獲得した。(個我意識)
その代償にヤマアラシのジレンマ
娑婆世界こそ孤独・地獄ではないか
お浄土は一種のバーチャル・リアリティ(仮想現実)かもしれない
「私が死んだらあの極楽浄土に往く」
◎ この世においては、真のお詫びはできません。謝罪しているようで自己弁護になる
ことが多い。だから、わたしは、お詫びをお浄土へ延期したいと思うのです。
~ この世の後始末をする場所
☆「頭はよくならない」小浜逸郎 洋泉社新書 2003年 ①【再掲載 2014.2】
<出版社の案内>
そもそも頭は「よくなる」の?素朴で深い疑問に答える。 ちょっとどぎついタイトルで
すが、おためごかしや嘘八百より、「ほんとうのこと」の方が何百倍も役に立ちます。学
校崩壊、学力低下の惨状を見聞きするにつけ、本書の提言の過激さが、実はいかにまっと
うなものであるかがわかるはず。ご一読下さい。損はさせません!
◇切ないコンプレックス
人はなぜ頭が良くなりたいのか
三人寄れば学歴のはなし
「醜いこだわり」だと一蹴できるか?
切ない「頭脳コンプレックス」
これからの人生をできるだけ幸せに送るために
◇「頭がいい」とはどういうことか
頭の善し悪しを巡る行きすぎた礼節感覚
本音にはTPO,タテマエにはガス抜きが必要
「無駄と分かっている努力」の一例
(例)教育学部の「教育心理」「教育原理」
「通信簿の評価項目」今昔
昔…簡潔
今…だらだら 「技能」項目が消えている
知的能力は広く世間知をもカバーする
東大生は社会に出ても凡そ有用である
厳然といる「どの教科もできない子」
できる子とできない子に区別できる
権力は「頭のよい」少数者のもとに!
ヨクミキキシテ ワカリ ソシテワスレズ
すべての「わかる」情緒に支えられている
= 心身が開かれた状態にせよ
バカかどうかは見ればわかる
凡人にも見抜ける天才の天才たる所以
天才は伝統の破壊者にあらず
できない子を教えるほど大変な仕事はない
中学生の子供が持つ健全な「諦め感情」
マスコミが好んで取り上げる逆説的なエピソード
一流の学者が「僕は子供の頃全然できなかった…」
「ビリがノーベル賞」神話と「ゆとり理念」との情緒的な癒着
情緒的スクラム
偏差値40の大学からノーベル賞受賞者は絶対に出ない!
◇この人を見よ-私(小浜氏)自身の場合
□あらゆる謙遜は見栄である
社会的成功者の「劣等生でした」「引きこもりでした」「留年しました」
嫌味であり欺瞞である
=同じ事を普通の人が言ったら「それがどうした」で終わり
□トンでもなく間違った三段論法
間違った三段論法
大前提:秀才(誰)は若い頃好き勝手に遊んでばかりいた
小前提:ところで俺は遊んでばかりいる
結 論:ゆえに俺は秀才になれる
「はい,私は『頭がいい』」
◎ 彼等(秀才)は人並み以上に刻苦精励し自分の課題をこれと見定めて精神力や活力
を集中させ,脇目もふらない禁欲的な時間を費やしてきたはず
→ それを語らないだけ
∥
◎ 謙遜の美徳を発揮して自分をことさら「マイナスの神話」の主人公に仕立てたがる
~「錯覚」
□「頭の良さ」を自覚させられた私(小浜)の体験
知能テストで兄を上回る
生まれつき音痴,でも音楽の成績は「5」
すんなり乗り越えた中学受験
そして2度目の自覚
中学2年で小学5年を教える
超エリート校合格で芽生えた逸脱的行動
人それぞれの「上には上がいる」体験
これが私の「知的コンプレックス」
三年目の「浮気」(学問上の)
横文字アレルギー発症
自分で自分を診断すると…
批評はうまいが行動は駄目
ちょっとくらい「あやうし」でもいいじゃない
優れた人間に圧倒されるのも悪くない
「孤独のすすめ」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「そもそも孤独を癒そうとするのが大間違い!現代日本がつくり出した、本当は誰しも感
じている『孤独』な状況-。昔の共同体のような『閉じた社会』での密な関係はなくな
り、今はネットで不特定多数とも広く繋がれる希薄な人間関係の中に生きています。い
つでも人と繋がれる時代に生きていながらも、昔に増して孤立感・疎外感を抱いている
人は多いようです。そして厳しい世間の荒波にもまれ、人間関係をこじらせ、ときに一
個人としての孤立や無力さを感じたり、孤独に苛まれることがよくあります。そもそも
今の世の中は狂っているともいえます。人は世間の物差し(常識)を押しつけられて生
きており、かえって疎外感や生きづらさ、孤立感を感じることにつながっているのです。
そう、そんな狂った世の中で、現代人が寂しくなく「孤独を生きる」には、実はほんの
ちょっとコツが入るのです。本書は、『孤独』というものの本質に立ち返り、般若をは
じめ古今東西の偉人賢人の考えも参照しつつ、ついつい癒(解消)しがちな『孤独』を
恥や悩みとせず、むしろおかしな世の中で自分の状況をしっかりと肯定し、孤独と上手
に向き合うことで、楽しく生きていく術を書き下ろすものです。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「強者は弱者が道徳を破った時、その道徳の名において弱者を糾弾する。だが、強者自
身が道徳を破っても、自分にはそれを守らないだけの相当な理由があるということで 自己を正当化する
・「この世は御縁の世界であり、いろいろな関係性、しらがみがある。一方の為にすれば、
一方が困る。そういう仕組みになっている。双方にとってのうまい解決策はない。」
・「地獄は自分の意思でいけるか、極楽世界は阿弥陀仏の招きがあって初めていけるわた
したちがいる世界」
・「お浄土へのお土産は美しい思い出とこの世で体験した苦労 」
ひろさちやさんの本を読むと、わたしはどこか救われた気分となりほっとします。
いかがわしい道徳がいまや教科となっています。
もう一つ、再掲載となりますが、小浜逸郎さんの
「頭はよくならない」①を載せます。
わたしの頭の中のもやもやした何かをはっきりと言葉に表してくれた本です。
今日は自治会の資源物回収の日。
当番さんが車で集めて回収場所に次々と持ってきてくれた資源物を
車からコンテナに入れるのが役目。
寒い朝になりそうですが、頑張ってきます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「孤独のすすめ」ひろさちや SB新書 2016年 ①
◇はじめに
「孤独」というのは世間に迎合しない毅然とした生き方の姿勢を意味する
× 孤独に生きる
◎ 孤独を生きる
◇家族の孤独
1 天国でまた会える
ひろさちや『死後の世界の観光案内』ごま書房 1983
『仏教の世界観 地獄と極楽』すずき書店 1990
2 嫁と姑の反目
◎ おばあさんの存在理由は、娘の育児を援助することにある
「おばあさん仮説」
3 この世はご縁の世界
◎「道徳とは、強者が弱者をいじめる武器」ひろさちや
強者は弱者が道徳を破った時、その道徳の名において弱者を糾弾する。だが、強者自
身が道徳を破っても、自分にはそれを守らないだけの相当な理由があるということで自
己を正当化する。
◎「道徳なんてくそくらえ」 いかがわしいもの
※ この世は御縁の世界であり、いろいろな関係性、しらがみがある。一方の為にすれ
ば、一方が困る。そういう仕組みになっている。双方にとってのうまい解決策はない。
4 ヤマアラシのジレンマ
◎ ショーペンハウアー(1788-1860) ヤマアラシのジレンマ
棘はプライド(人間) = 自尊心
現代の家族 = 個我の確立
家族全員がヤマアラシに
モハマッドの奇蹟
奇蹟とは何か?それは、山に向かって「こっちに来い!」と呼びかけて、それでも
山が動かないとき、自分の方から山に向かって歩いて行く。それが奇蹟です。そのと
き奇跡が起こるのです。
5 お浄土へのお土産
◎「清浄国土」-仏がおられる世界 仏国土という
極楽浄土(阿弥陀仏) 密教浄土(大日如来) 霊山(りょうぜん)浄土(釈迦仏)
◎ 地獄は自分の意思でいけるか、極楽世界は阿弥陀仏の招きがあって初めていけるわ
たしたちがいる世界
地獄は自分で自由勝手に決められるが極楽浄土はお招きによる
地獄 ‥ キリスト教は永遠
仏教は有限 一兆六千二百億年
極楽浄土は、いったんそこに生まれても、もう一度この世界に還ってくることができ
る = 行きっぱなしの世界ではない
極楽浄土 - 往く
↑↓
地獄 - 行く
他力
~ 「南無阿弥陀仏」を称えると極楽浄土に行くことができる
「おまかせします」
∥
◎ お浄土に生まれるときは全員が男性になる(経典)
= 生、年齢を超越した世界
◎お浄土へのお土産 = 美しい思い出 この世で体験した苦労
わたしたちがこの世で体験した苦労話
6 心の中のお浄土
お浄土においてお姑さんとしみじみ打ち解けて話し合えるせっかくのチャンス
現代人は 自由 と 独立 と 己れ を獲得した。(個我意識)
その代償にヤマアラシのジレンマ
娑婆世界こそ孤独・地獄ではないか
お浄土は一種のバーチャル・リアリティ(仮想現実)かもしれない
「私が死んだらあの極楽浄土に往く」
◎ この世においては、真のお詫びはできません。謝罪しているようで自己弁護になる
ことが多い。だから、わたしは、お詫びをお浄土へ延期したいと思うのです。
~ この世の後始末をする場所
☆「頭はよくならない」小浜逸郎 洋泉社新書 2003年 ①【再掲載 2014.2】
<出版社の案内>
そもそも頭は「よくなる」の?素朴で深い疑問に答える。 ちょっとどぎついタイトルで
すが、おためごかしや嘘八百より、「ほんとうのこと」の方が何百倍も役に立ちます。学
校崩壊、学力低下の惨状を見聞きするにつけ、本書の提言の過激さが、実はいかにまっと
うなものであるかがわかるはず。ご一読下さい。損はさせません!
◇切ないコンプレックス
人はなぜ頭が良くなりたいのか
三人寄れば学歴のはなし
「醜いこだわり」だと一蹴できるか?
切ない「頭脳コンプレックス」
これからの人生をできるだけ幸せに送るために
◇「頭がいい」とはどういうことか
頭の善し悪しを巡る行きすぎた礼節感覚
本音にはTPO,タテマエにはガス抜きが必要
「無駄と分かっている努力」の一例
(例)教育学部の「教育心理」「教育原理」
「通信簿の評価項目」今昔
昔…簡潔
今…だらだら 「技能」項目が消えている
知的能力は広く世間知をもカバーする
東大生は社会に出ても凡そ有用である
厳然といる「どの教科もできない子」
できる子とできない子に区別できる
権力は「頭のよい」少数者のもとに!
ヨクミキキシテ ワカリ ソシテワスレズ
すべての「わかる」情緒に支えられている
= 心身が開かれた状態にせよ
バカかどうかは見ればわかる
凡人にも見抜ける天才の天才たる所以
天才は伝統の破壊者にあらず
できない子を教えるほど大変な仕事はない
中学生の子供が持つ健全な「諦め感情」
マスコミが好んで取り上げる逆説的なエピソード
一流の学者が「僕は子供の頃全然できなかった…」
「ビリがノーベル賞」神話と「ゆとり理念」との情緒的な癒着
情緒的スクラム
偏差値40の大学からノーベル賞受賞者は絶対に出ない!
◇この人を見よ-私(小浜氏)自身の場合
□あらゆる謙遜は見栄である
社会的成功者の「劣等生でした」「引きこもりでした」「留年しました」
嫌味であり欺瞞である
=同じ事を普通の人が言ったら「それがどうした」で終わり
□トンでもなく間違った三段論法
間違った三段論法
大前提:秀才(誰)は若い頃好き勝手に遊んでばかりいた
小前提:ところで俺は遊んでばかりいる
結 論:ゆえに俺は秀才になれる
「はい,私は『頭がいい』」
◎ 彼等(秀才)は人並み以上に刻苦精励し自分の課題をこれと見定めて精神力や活力
を集中させ,脇目もふらない禁欲的な時間を費やしてきたはず
→ それを語らないだけ
∥
◎ 謙遜の美徳を発揮して自分をことさら「マイナスの神話」の主人公に仕立てたがる
~「錯覚」
□「頭の良さ」を自覚させられた私(小浜)の体験
知能テストで兄を上回る
生まれつき音痴,でも音楽の成績は「5」
すんなり乗り越えた中学受験
そして2度目の自覚
中学2年で小学5年を教える
超エリート校合格で芽生えた逸脱的行動
人それぞれの「上には上がいる」体験
これが私の「知的コンプレックス」
三年目の「浮気」(学問上の)
横文字アレルギー発症
自分で自分を診断すると…
批評はうまいが行動は駄目
ちょっとくらい「あやうし」でもいいじゃない
優れた人間に圧倒されるのも悪くない