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大村はまさんはこんなことを ㉓-『教えるということ』共文社 1973年 (2) /「読めば読むほど」永六輔・永千絵・永麻里 くもん出版 2001年 【再掲載 2013.12】 [読書記録 教育]

今回は、12月11日に続いて、大村はまさんの
「大村はまさんはこんなことを」の紹介 23回目です。
「教えるということ」2回目です。



こんな教師を目指したいという教師像を示してくれます。



出版社の案内には、


「教えない先生が多すぎる。『教える』とはどういうことか。教師・父母必読、問題の書。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「そんなにお礼を言わなくてもいいので、それは、何かしてあげたかもしれないけれど、
 それが私の生きがいであった。あなたを世話し、あなたを愛し、あなたのために心配し、
 いろいろなことをしてあげることが私の生活そのものであったし、生きがいであった。
 それでじゅうぶんむくいられたのであって、私に恩義のようなものを感じることはな
 い。」
- 親として見事な言葉だと私は思いました。


・「私は子どもたちにとって、重荷になるような先生になりたくないと思います。子ども
たちは私といっしょに勉強した間につけてあげることのできた力で、力いっぱい自分
の人生を生きていく。それでもし思い出してくれなくたっていいではないかと思うの
  です。あの仏様の指と同じように…。」



・「仏様の指のようなみごとな技術をもちたいと思います。めだたない、させられている
とは思わない場面の中に子どもを入れて、子どもたちを勉強させたいものだと思って
いるのです。」



・「私たちは教師であれば、今の社会よりは次の社会へ希望をつないで生きている種類の
人間なのだと思います。次の社会へ希望をつないで、そこに生きがいを認め、そこを
生きる人を作ろうと思ってやっているのだと思います。」



大村さんの文章が、
明るい希望に満ちた未来を目指していけるように指し示す大人でありたい、
と気付かせてくれました。





もう一つ、再掲載となりますが、永六輔さん、永千絵さん、永麻里さんによる
「読めば読むほど」をませます。
たいへん短い要約ですが、サブタイトル通り、
「子どもたちを〈本好き〉にする本」だと思います。
読んでからいつのまにか20年間経っています。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆大村はまさんはこんなことを ㉓-『教えるということ』共文社 1973年 (2)


<教師の仕事の成果>


◇教師の本懐

 幸田文さんの書かれた随輩に、もうだいぶ前に読んだので、そのとおりのことばでは思
い出せませんが、たいへん好きなことばがありました。


 お嬢さんをご結婚で、送り出される時のことです。


 お嬢さんが長い間、おかあさんだけに育てていただいたことを心から感謝なさいました。


 そのとき、幸田さんは

「そんなにお礼を言わなくてもいいので、それは、何かしてあげたかもしれないけれど、
 それが私の生きがいであった。あなたを世話し、あなたを愛し、あなたのために心配し、
 いろいろなことをしてあげることが私の生活そのものであったし、生きがいであった。
 それでじゅうぶんむくいられたのであって、私に恩義のようなものを感じることはな
 い。」

とおっしゃったという、私も全く同感です。


 生徒があって教えることができて、それが私の生きがいでございました。


 じゅうぶんむくいられたと思います。


 子どもから何もお礼を言ってくれなくても、私はその生徒を教えることによって、自分
の生活というものがあったのです。


 私という人間のこの世にいたしるしにもなり、この世に生きた意味があったのです。


 自分の努力は全部むくいられた思いがいたします。


 私は子どもたちにとって、重荷になるような先生になりたくないと思います。


 子どもたちは私といっしょに勉強した間につけてあげることのできた力で、力いっぱい
自分の人生を生きていく。


 それでもし思い出してくれなくたっていいではないかと思うのです。


 あの仏様の指と同じように…。


 もしほんとうにすばらしい教師であったなら、子どもは私のことなど思わないかもしれ
ないと私は思います。


 あの仏様の指のような存在でありたいと思います。


 そして、豊かな力を、先生の指がふれたことをも気づかずに、自分の能力と思い、自分
のみがき上げた実力であると思って、自信に満ちて、勇ましく次の時代を背負って行って
くれたら、私はほんとうの教師の仕事の成果はそこにあると思うのです。


 そして、その仏様の指のようなみごとな技術をもちたいと思います。


 めだたない、させられているとは思わない場面の中に子どもを入れて、子どもたちを勉
強させたいものだと思っているのです。


 そうする時にはじめて未来の幸福を作り出す、一本立ちした、一人で生きていける人間
というものが、できていくのではないかと思います。


 私たちは教師であれば、今の社会よりは次の社会へ希望をつないで生きている種類の人
間なのだと思います。


 次の社会へ希望をつないで、そこに生きがいを認め、そこを生きる人を作ろうと思って
やっているのだと思います。


 ですから、みんなが自分の力だと信じ、先生のことなんか忘れてしまってくれれば本懐
であると私は思うのです。













☆「読めば読むほど」永六輔・永千絵・永麻里 くもん出版 2001年 【再掲載 2013.12】

<出版社の案内>
どうしたら、子どもたちに、活字に親しんでもらうことができるか?永六輔一家は、どう
やって本と出会い、読書をしてきたか?指折りの読書家の父と、その娘たちが、いま、本
をめぐる熱い「想い」のなかから提言する、永家式「読書のすすめ」。
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◇読書のいま 
  
『私の本棚』ラジオによる読み聞かせ  NHKラジオ 樫村治子



◇本って何だろう
 
 勝海舟の読書 
   父が作った肉筆のお経の本
   想像力の大切さ


活字が想像力を育てる 
   読書は人を孤独の世界に没頭させる


 読む喜びと集める喜び



◇本は読むより大切なことがある

 お経ばかりの父の本棚 
   書いた人と本とは違う


現場に行って生の芸能に触れる



◇様々な読書

 読書は旅だ = 小沢昭一
          
   ~ 見返りを求めない読書



◇子どもに読み聞かせを

 ◎ 読み聞かせ,語り聞かせ,歌い聞かせ


◎ きれいな言葉を伝えたい


自分の力で読みたい本を読む 
   読書の喜びを親子で共有する

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