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「さんすうゲーム さんすう文庫12」藤沢市算数教育研究会 日本図書センター 2014年 /「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号) ②(後半) [読書記録 教育]

今回も2つ紹介します。


1つ目は、藤沢市算数教育研究会の
「さんすうゲーム さんすう文庫12」を紹介します。



特別支援学級を10年間担任しました。
算数科の学習では、計算は好きで喜んで取り組むのですが、
他領域には、苦手意識をもつ子が多く、そのため算数の時間を嫌がる子もいました。
そこで、算数の時間のどこかに5分間ずつぐらい、
得意な計算力を高めるために、トランプを使った「計算トランプ」、
算数のおもしろさに気付くように「さんすうゲーム」「さんすう手品」、
を組み込みました。
「計算トランプ」、年度当初はできなくて嫌がるのですが、次第に熱が高まり、
年度末の参観会では素晴らしい姿を保護者の方に見てもらうことができました。
「さんすうゲーム」「さんすう手品」で興味関心は高まるのですが、
何しろネタが不足して…。
そんな折、役立ったのがこのシリーズの本でした。



出版社の案内には、

「楽しくスラスラ読める24話。きちんとわかるから、君も『さんすう』が好きになる!」

とあります。


本はすばらしく、イラスト付きでたいへんわかりやすいのですが、
文字だけでの要約となると…。
教員、小学生のいる御家庭におすすめの本です。
図書館を利用して確認するのもおすすめです。




2つ目は、昨日の続き、「NHKラジオ深夜便」2019年3月号より、
「五木寛之のラジオ千夜一夜」第9話「涙と悲しみ」②(後半)です。
五木さんの次の言葉が特に心にしみました。

-「戦後長い間、笑うことや明るいことを考えることなど、いわゆるプラス思考の状態だけ
  が価値あるものとされ、それらの対極にある、泣くこと、悲しむこと、悩むことはマイ
  ナス思考と呼ばれ、悪いストレスと決めつけられてきはしなかったかと。

「NHKラジオ深夜便」誌もおすすめです。



昨夜20時、眼科クリニックに行きました。
たまたま当番ということで診てもらうことができました。
28日、枝によりできた傷が治っていました。
もう一度3日後に診てもらいますが、ひとまず安心しました。
田畑の多い地域なのですが、眼科クリニックまで徒歩3分。
正月休みに受診でき、たいへん助かりました。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆「さんすうゲーム さんすう文庫12」藤沢市算数教育研究会 日本図書センター 2014年

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◇数当て遊び

(1)数当て遊び
   
  ① 好きな数を一つ考えてください。

  ② その数を3倍してください。

  ③ その答えに6をたしてください。

  ④ 今度は3で割ってください。

  ⑤ 答えは何ですか。

  □-2



(2)数当て遊び
   
  ① 好きな数を一つ考えてください。

  ② その数を2倍してください。

  ③ その答えに2をたしてください。

  ④ 今度は5倍してください。

  ⑤ 答えに5をたしてください。

  ⑥ 答えはいくつですか。

□-15÷10


(3)誕生日当て
   
  ① 生まれた日を2倍してください。

  ② その数に7をたしてください。

  ③ その答えに50を掛けてください。

  ④ 今度は月をたしてください。

  ⑤ 答えから365をひいてください。

  ⑥ 答えはいくつですか。

   □+15=612
日 月



□数当てゲーム1~63

□数当てゲーム1~63.jpg

①「このカードにある数の中から好きな数を選ぶのじゃ。でも、えへん、お願いだから、
  それをいわないでよ。」
  
          ↓

②「その数はこの中に入っていますか?」6枚
 
 → 入っていると言ったカードの左上隅の数を全部足す    












☆「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号) ②(後半)

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◇ストレスから心を解き放つには、マイナスと呼ばれる感情を否定しないこと。

 そこで問題になってくるのが、ストレスからいかに心を自由に解き放つかということです。


 よく言われるように、運動はストレスを解放する有効な手段の一つです。あるいは、笑っ
たり、楽しいことを考えるのもよい方法とされています。


 中でも、笑いについては医学的な見地からも研究が進んでおり、その効用は一般にも広く
認識されるようになりました。   


 確かにそのとおりなのだと思います。


 しかし私は、あえて問題提起をしたいのです。


 戦後長い間、笑うことや明るいことを考えることなど、いわゆるプラス思考の状態だけが
価値あるものとされ、それらの対極にある、泣くこと、悲しむこと、悩むことはマイナス思
考と呼ばれ、悪いストレスと決めつけられてきはしなかったかと。


 しかし、悲しいできごとを回想することによって、その悲しみが少しずつ薄らいでいくこ
ともあるのです。



 ですから私は、プラスの感情だけではなく、マイナスと呼ばれる感情も大事にすべきだと
考えています。



◇神代の昔から泣くことを大事にした日本人。戦争によって、泣くことが弾圧されていった。

 民俗学者の柳田國男は、1941(昭和16)年に「涕泣史談」という文章を発表しています。


「涕泣(ていきゅう)」とは、涙で顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きじゃくる状態のことで、
このタイトルはさしずめ、「泣くことに関しての歴史」といったところでしょうか。


 その中で柳田は、日本人が近頃あまり泣かなくなったとして、
「最近五十年百年の社会生活において、非常に激変した一事項」
と指摘しています。


柳田によると、昔の日本人は非常によく泣いていたそうなのです。


 しかも、時と場所、状況によって泣き方を使い分けていたらしい。


 つまり、日本人は泣くことを大事にした民族であったというのです。


神話や物語の世界にもそれは表れていて、確かに、荒ぶる神須佐之男命が、天も落ちよ地
も裂けよとばかりに豪快に泣いています。


 あるいは俊寛僧都はじめ、江戸時代の人気浄瑠璃作家•近松門左衛門が描いた人間たちも
実によく泣きます。


一方、「涕泣史談」が発表されたのは太平洋戦争開戦の年。


 日本男児たるもの泣いてはならぬという空気がみなぎっていた時代です。


 それは男性に限ったことではなく、当時少年だった私にも、「銃後の母」なる美談仕立ての
話が新聞紙面を飾っていた記憶があります。


 戦死した一人息子が白木の箱になって帰ってくる。


 それを迎えた老いたる母は、涙一滴こぼさず、「お国のために立派に死んでくれました」と
静かにほほ笑んでいたというのです。

それほどに、あの時代は泣くことが弾圧されていたということでしょう。


 戦後になると、占領下でアメリカ的な明るい暮らしやプラス思考が一種の憧れをもって語
られ、それがいかに心にも体にもいい影響を与えるラィフスタイルかという側面ばかりに光
が当てられる時代が、長く続くことになります。さらに、経済成長という新たな戦争を背景
に、「泣いている場合ではない」という前のめりの固定観念が、日本人の間に蔓延していった
のではないでしょうか。



◇心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはできない。

 その日本経済も右肩下がりの時代を経験し、ここ十年ほどの間に少し風向きが変わってき
ました。

 
 涙すること、嘆くことでむしろ心が浄化され、体が活性化することもあるのはないか、と
言われるようになってきたのです。

 心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはできない、というこ
とも言われるようになりました。


悲しみの効用について、本居宣長が『石上私淑言』の中でこんなことを書いています。生
きている以上、誰しも必ず悲しみに出合う。


 その悲しみを心に閉じ込めていては永遠に解放されない。悲しいときは
「ああ、悲しい」
と声に出しておらべと。


 つまり、悲しみは生きるエネルギーに転化できるということです。


 そう考えると、『曽根崎心中』や『金色夜叉』といったお芝居を見て存分に涙を流し、すっ
きりした顔で劇場を後にする人たちの明るい顔にも得心がいくというものです。


 明治、大正、昭和に流行した浪曲や浪花節にも、誰もが涙するストーリが実に多かった。


 人々はそうやって、明日の生きるエネルギと勇気を取り戻してきたのではないでしょう
か。


 私自身の引き揚げ体験を思い返してみても、難民としての苦しい日々の中で、戦前の歌謡
曲や演歌など、センチメンタルな歌をみんなで歌っていた記憶があります。

 つらいとき、人はその気持ちのまま、悲しい歌を聴き、歌うことで慰められる。

 明るく元気な歌は意外にも、今まさに艱難辛苦を味わっている人の心を励ますことにつな
がりにくいものなのです。


 涙や別れを歌うことの多い演歌や歌謡曲を「後ろ向きで古臭い」と軽んじる人がいますが、
そうではないと私は思います。人々は、涙する代わりに、哀切なメロディーに悲しみを昇華
しているのです。


 それは、大きなストレスや悩みを浄化する術として、庶民が体験的に身に付けた知恵なの
かもしれません。


 弱い人間が悲しい歌を歌うのではない。


 むしろ、逆境に立ち向かおうとするとき、人は悲しみの歌を歌い、それによって生きる力
を取り戻すことがあるのです。


世の中が大変な勢いで変化していくこの時代に、私たちは百年生きられるかもしれない命
を授けられ、生まれてきました。


 その中で、いかに自分の心を治めていくか。それは、避けて通れないテーマといえるでしょう。


 その意味で、骨や筋肉に強い負荷をかけ、破壊された細胞の再生力で体を作っていくボデ
ィービルのトレーニング理論になぞらえれば、心にも適度な負荷をかける必要がありそうな
気がします。


 笑うことによって心を緩め、泣いて負荷をかける。そのどちらをも否定せず、自分の心と
体を一体のものとして、長く治めていきたいものです。


  <途中一部略>


2018年12月10日放送/聞き手・渡邉幹雄

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