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「新津地区愛称標識の由来」 1989年 ③ /「子どもの本のカレンダー」鳥越信・生駒幸子 創元社 ① 2009年【再掲載 2014.1】 [読書記録 郷土]

今回は、12月19日に続いて新津地区愛称標識設置委員会による
「新津地区愛称標識の由来」の紹介 3回目です。


「愛称標識」について、『浜松市史 五』には次のような記述がありました。


「浜松市内を歩いていると、坂や道や橋の名前を記したり、建物などの跡地であることを
 示す標識を目にすることがしばしばある。これは愛称標識と呼ばれ、それぞれの町の歴
 史的ないわれのある坂、道、橋、場所などを将来に伝えてゆくために、浜松市や地域の
 自治会連合会が設置しているもので、市全体では1300本を超えている(『のびゆく浜松』
 中学校編 平成15年4月発行)。標識には浜松市が設置した擬木(コンクリート製)や木
 製のものと、地域の自治会連合会の愛称標識設置委員会が設置した木製のものの二種が
 ある。
 浜松市の愛称標識設置事業は昭和57年度から始まり、翌58年2月までに「百段坂」な
 ど45カ所に設置された。この事業は59年度までの3カ年にわたり、道路や橋、坂など
 合計140カ所に愛称標識が立てられた。平成11年3月、駅南地区愛称標識設置委員会
 が刊行した『愛称標識』(サブタイトル「駅とともに変わりゆくまち」)の『発刊にあた
 って』によれば、自治会連合会の事業は昭和58年度の神久呂地区が最初で、平成10年
 度に3地区(東、駅南、佐鳴台)を最後に完了していることが分かる。16年間にわたっ
 たこの大掛かりな事業は、市広報課の指導があったとはいえ、各地区の人々の協力によ
 って実現を見たものであった。地区では愛称標識設置委員会を組織して取り組んでおり、
 完成までにはおおよそ1カ年程度の月日を要している。各地区では、標識設置と並行し
 て各標識についての説明をまとめた冊子を作成している(図3―69は河輪地区発行の冊
 子)。市内35の全ての地区で作成され、その全てが中央図書館に保存されていて、事業
 に関わった人々の熱意がしのばれる。事業はふるさと見直しのブームに乗ったものとも
 言えるが、郷土への関心を目覚めさせ郷土愛を育てる事業として意義深いものであった
 と言えるのではなかろうか。」
浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ より



小学校3,4年生の社会科学習には、たいへんよい資料となります。
赴任が決まった折、地区の『愛称標識』を読むようにしています。
地域の歴史や産業などを知るのによい資料となるものです。
しかし、かなりの年月がたち、木製の標識は朽ちて撤去されそのままになっているものも
かなりあります。
再整備されることを願っています。





もう一つ、再掲載となりますが、鳥越信さん、生駒幸子さんの
「子どもの本のカレンダー」①を載せます。
366日、その日に関わりのある本が紹介されています。
たいへん利用価値の高い本だと私は思います。
鳥越信さんは国際グリム賞を受賞した児童文学者。児童文学に関する本を多数出版されて
います。
鳥越さんが大阪府に寄贈した12万点の資料を基に1984年に開館したのが大阪府立国際児童文学館です。
当時の府知事が来館者が少ないことを理由に閉館・廃止に動いたのは2009年でした。
文化を大切にするのにはお金がかかりますが、お金がかかることはすべて悪いことなので
しょうか。
お客さんを呼ぶことも大切ですが、研究機関でもあったのに…。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「新津地区愛称標識の由来」 1989年 ③


◇愛称標識の由来(2)

11 旧児童遊園地跡[きゅうじどうゆうえんちあと] (小沢渡町住宅) 

 昭和27年、小沢渡町に市営住宅団地が造成されたが、その当時この遊園地は雑草の生
い茂る空地であった。

 その後、住民の奉仕により雑草を取り除き、植樹を行い、浜松市の助成を受けて遊具を
設置するなどして現在の姿となり、現在まで、多くの子供達の遊び場,自治会の野外行事
や文化活動の場として利用されてきた。

 この遊園地は,昭和63年度から始まった「市営住宅小沢渡団地」の建て替えにより駐
車場となることとなったので、当時の苦労や楽しい思い出をいつまでもとどめるために愛
称標識をこの地に残すこととした。




12 市営住宅通り[しえいじゅうたくどわり](小沢渡町住宅)
  
 昭和27年、小沢渡団地内に引揚げ者住宅が建設され、5月から6月にかけて24世帯が
入居した。また、28年には市営住宅20戸が建設され、5月中に20世帯が入居した。 
 
 これが小沢渡町住宅自治会の原点である。
  
 そして,28年10月には念願の単位自治会(当時は小浜[こはま]住宅自治会と称した)
として発足し、今日に至っている。

 当自治会の発祥の地として後世に残したいので,市営住宅通りとした。




13 鯨川〔くじらがわ]               (堤町)
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  【鯨川 かなあ?】
 堤町と倉松町の間を流れる境川で、昔、鯨が海からさかのばって来たことがあったとの
言い伝えにより鯨川と呼ばれている。

 あるいは、半農半漁の生活を営んでいた遠い祖先の人達が,陸地近くに回遊してきた鯨
を小舟とモリで捕獲し、その水揚などに利用した川ではないかとも考えられる。

 今は土地改良事業の結果立派な排水路となり、排水機場が設置されている。




14 堤防跡地[ていぼうあとち]        (堤町)
  
 堤町の西はずれに位置し、強風と飛砂によってつくられた自然堤である。北から南に細
長く伸びた堤の上に狭い道がついていたが、雑草とかん木が生い茂り通行の妨げをなして
いた。

 今は土地改良事業によって宅地と農地に変わり、その面影を留めていない。
(旧下位ストア近く)




15 御前道[ごぜんみち〕           (堤町)
  
 可美村東若林から米津浜に至る当地域の重要な道路であったため、昔から御前様(尊い
人)のお通りになる大切な道路であると言い伝えられ、地域の人々が維持管理に特に努め
てきた。

 戦時中は浜松高射砲連隊の米津浜演習場に通じる唯一の道で、「高射砲道路」とも言わ
れていた。また幕末に浜松藩によって築造された御台場に通じる道路として「お台場道」
とも言われている。             (米津工業東 南北に走る)




16 狐山〔きつねやま〕            (堤町)

 堤町の東端に松の木と雑草の生い茂った森があり、昔から人々に畏敬されていた場所が
あり,その森に狐が棲みついていたため、狐山と呼ばれていた。

 戦後、土地改良事業を実施した際、狐山に隣接した畑から約1500年前と認められる土
師器(はじき)高杯(たかつき)の土器類が多数出土した。

 三方原台地の南の海岸線に沿った低地であるこの地域は、1500年前には海であったと、
従来考えられていたが,古代の土器が発見され、人間の居住が立証されたことは、画期的
な出来事で、狐山は重要な遺跡であるといえる。 (和Olieve 園 北裏)




17 松引き川〔まつひきがわ〕        (倉松町)
  
 昔,ある秋の日に一羽の鶴が降り立ち、くわえていた松の苗をこの川の水に浸して飛び
去ったという。

 鶴によって小沢渡町の大東院という寺まで運ばれた松は、そこで庭掃除をしていたおば
あさんが植えて、いわゆる「音羽の松」として有名になった。

 付近に残る字名「大池」「小川」「大川」「堤北」などから察すると、この辺りはかつて
湿地帯であり、大雨が降ると川になるようなところだったようである。
(倉松大西 深津美容室近く)




18 辻地蔵通り〔つじじぞうどおり]     (倉松町)
  
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  【辻地蔵】
 現在の西農協(現とぴあ浜松)倉松出荷場の付近にはかつて寿福寺の火葬場があり、そこ
に通じる道の入口に地蔵堂があった。

 この地蔵堂の地蔵菩薩は寿福寺第10世五老峯院(ごろうほういん)の住職時代(1800
~1850年)、野辺の送りの道中に安置して、大衆の教化をはかったものである。

 その際、倉松海岸の小石を拾ってきて、経文を書き、下に埋めたり、周囲に置いたりし
たが、途中から松かさを置くようになった。

 また、いつのころからか,「いぼ」のできた人が一心にこの地蔵を拝んだところ、いぼ
がとれたということが人々の間に伝わり、今は「いぼ地蔵」の名で親しまれている。



19 瓦ケ塚[かわちけづか]           (倉松町)
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 【瓦ヶ塚】 
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 【畑から見つかる土器】
 寿福寺蔵の「倉松由来和讃」によると、倉松は古来、倉庫を中心としての産業によって
繁栄を極めており、地区内には神社2、寺院3が人々の信仰を集め、松林の中に各戸2棟
以上の倉庫をもって幸福に暮らしていたが、文亀2年(1502年)8月9日の大汐(津波)
のため、廃墟と化したという。

 津波に流きれる以前の倉松には新船町(しんふねちょう)、松尾町、勘助町、土器町(ど
きちょう)があったとされているので、この瓦ケ塚は土器町の土器の生産現場か、廃棄物
の集積場と考えられる。

 なお,「かわらけ」とはうわぐすり(軸)をかけない素焼の陶器のことで、昭和30年代
の耕地整理のころにはまだ,素焼の土器の破片がこの辺りの畑から出ていたということで
ある。

 また、一説には難破船が打ち上げられた跡ともいう。   (現瓦塚遺跡)











☆「子どもの本のカレンダー」鳥越信・生駒幸子 創元社 ① 2009年【再掲載 2014.1】

<出版社の案内>
「自分の誕生日が出てくるお話の本が読みたい」九州のとある公共図書館への子どものリ
クエストに応えて、1年間366日毎日の日付の入った子どもの本を紹介する。「○○ちゃ
んのお誕生日の本はどれかな?」「次はお父さんのお誕生日の本を読んで みようか」会話
が広がり、自然と本好きになる楽しい本。本書は、1996年にゆまに書房で刊行されたも
ののリニューアル版。紹介する本を、現在書店や図書館で入手可能な本に改めた。
                         
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◇1月
  7日 「いつもUFOのことを考えていた」 和田登 文溪堂 1994年


  8日 「たたかいの人」 大石真 フレーベル館 2007年 田中正造


 10日 「だれもしらない大ニュース」 長新太 ほるぷ出版 1992年 


13日 「千葉省三童話全集6 無人島漂流記」 岩崎書店 1981年


 14日 「死の国からのバトン」 松谷みよ子 偕成社 1976年


 15日 「みんなで町を歩いたよ」 田村学 童心社 2002年 総合学習


 16日 「ふしぎな木の実の料理法」 岡田淳 理論社 1994年 こそあどの森シリーズ


17日 「神戸っ子はまけなかった」 今関信子 PHP研究所 1995年 阪神大震災


18日 「約束の国への長い旅」 篠輝久 リブリオ出版 1998年 リトアニアユダヤ人救出

 19日 「激動を見た」 小西聖一 理論社 2007年 咸臨丸


 21日 「愛と勇気の鐘」 藤崎康夫 くもん出版 1987年 1946年の品川博少年の家


23日 「ダリの国が見たい」 森枝雄司 大日本図書 1994年


 24日 「失われた歴史」 佃実夫 筑摩書房 1971年 台湾


 26日 「エルクの日記」 A.ローズ あかね書房 1985年 ユダヤ人


 28日 「ぼくの生きる力」 あんずゆき 佼成出版社 院内学級


 29日 「ヘンショーさんの手紙」 B.クリアリー あかね書房 1984年


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