「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」柳家小三治 岩波書店 2019年 ③ / 特集の言葉「運命を開く」-『致知』2005年3月号より【再掲載 2015.1】 [読書記録 一般]
今回は、1月21日に続いて、柳家小三治さんの
「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「円熟の古典落語、軽妙なマクラで、聴くものを魅了してやまない噺家・柳家小三治。本
書では、生い立ち、初恋、入門、修業時代、落語論から、バイク、クラシック音楽、俳
句、忘れじの人々まで、すべてをたっぷり語り下ろす。独特の語り口もそのままに、ま
さに読む独演会。芸と人生に対する真摯な姿勢が、初めて明らかに。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「子どもらしく言うんじゃなくて、子どもになってしゃべるんです。」
・「口調の奥にあるものを私は見ようとした。」
・「今はただ、石炭殻をばらまいたみたいなもんで、それぞれの『個性』があっていいっ
て見えるかもしれないけど、何か『芯』になるモデルがあるから『個性』って言える
んで、ただバラバラだとみんなゴミッくずになっちゃうんじゃないかねえ。芯がちゃ
んとあるから、ゴミもあったり、それぞれの良さが光るわけで、みんなゴミッくずに
なったら、それで安心するのは、ゴミッくずのやつらばっかりですよ。」
教育にもつながる言葉が多いと感じました。
もう一つ、再掲載となりますが、月刊誌『致知』より
「特集の言葉『運命を開く』」を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」柳家小三治 岩波書店 2019年 ③
◇生き方を変えたバイク
人間を理解できなきゃ落語はできない。
落語は人生の、社会の縮図ですから。
1982.7 北海道ツーリング
三遊亭圓窓、金原亭伯楽、柳家三語楼
「転倒蟲」
土橋亭里う馬、喫茶店マスター 齋藤広二
51歳でオートバイとお別れ
リウマチで両手首痛
◇落語研究会
TBS「落語研究会」国立劇場で毎月
白井良幹(よしもと)アドバイザー
土曜昼「お笑いスタジオ」1970.7-1973.3
「小言念仏」1971.10.14 金馬さんエンタテイメント 三升家勝太郎 小言をまき散らす
「自分の声でいいんだ。大人も子どもも地声でいい。おかみさんとやるからって女の声
出す必要は何もない。声柄で人を演じ分けるな。ただ、その人物になりきれってこと
です。」
「子どもらしく言うんじゃなくて、子どもになってしゃべるんです。」
「味噌蔵」1977.9.29
都はるみ復帰コンサート
魂だけを歌ってた
「墨東忌憚」藤間紫に舌を巻いた
落語研究会は自分の勝負をする場所でありました
◇談志さんと志ん朝さん
□談志
小さん同門のすぐ上の兄弟子
かっこつけたがる人(他人がいると)
世間を気にして生きる人
手柄を大事にしていた
◎「つまらない希望なんか持たなければ『家元・元祖』って言われるようなものに、知ら
ず知らずのうちになれるような人だったと思います。」
□志ん朝
安心できる
世間体を気にしていない
圓生が好き
ヨーロッパにスキー 1982
「おんなじじゃねえか」
◎「口調の奥にあるものを私は見ようとした。」 ○(?)になるような器
□小三治語録
「私はやっぱり口調じゃなくて、中に秘められている人柄、立場、そういうもので噺と
してなきゃあ人を動かすことをできない」
「闘っていればそのうち答えが出てくるんですよ。闘わないやつは何も出てこない、と
私は信じているんですけどねえ。」
「今はただ、石炭殻をばらまいたみたいなもんで、それぞれの『個性』があっていいっ
て見えるかもしれないけど、何か『芯』になるモデルがあるから『個性』って言える
んで、ただバラバラだとみんなゴミッくずになっちゃうんじゃないかねえ。芯がちゃ
んとあるから、ゴミもあったり、それぞれの良さが光るわけで、みんなゴミッくずに
なったら、それで安心するのは、ゴミッくずのやつらばっかりですよ。」
☆特集の言葉「運命を開く」 『致知』2005年3月号より【再掲載 2015.1】
過日、古い友人に頼まれ、ある大学で学生に話す機会があった。
教授に伴われて教室に入った途端、唖然とした。百人ほど入れる教室。前方はほとん
ど空席で、50人ほどが後方に固まっている。
それもジュースを飲んだり食べ物を頬張ったり、教授の姿を認めても様子に変化はない。挨拶するでなし、私語がとめどもない。
正直、これが大学生かと思った。そこには授業に向かう緊張感も講義に対する好奇心も、
いささかも感じられない。どんよりした倦怠感が漂うばかりである。
まず前方の席に詰めてもらった。きびきび移る学生は一人もいない。口にこそ出さな
いが、迷惑げな気配がありありである。若者たちがよく口にする「かったるい」とはこ
のことかと思った。
その時点で、準備していったすべてを話すことは放棄した。話題を絞り、質問を発し、
感想文を書いてもらい、拙いなりに関心を引くように努めて一時間半の責任を果たした。
帰途、電車の中で彼らの感想文を読んだ。
おや、と思った。当方の伝えたかったことをそれぞれが真剣に受け止めていた。教室
をおおっていた倦怠感とこの感想文の落差は意外だった。
思うに、彼らも立派な感受性を備えているのだと思う。
ただ、心をコップに例えれば、心のコップがきちんと立っていないのだ。
心のコップが倒れたり引っくり返ったりしていては、いくら水を注いでもこぼれるば
かりである。
彼らは心のコップが立たないまま20歳近くまで人生を歩んでしまったのではないか。焦点の定まらない生き方を心から惜しいと思った。
運命とは定まっているものではない。自ら運び、ひらいていくものである。そのため
には心のコップを立てなければならない。それをなすのが教育である。
教育は心のコップを立てることから始まるといっても過言ではない。
まず心のコップを立てる-運命をひらく第一条件である。
第二の条件は、決意すること。小さなことでいい。小さなよきことを決意する。そこ
から運命の歯車は回転していく。
そして決意したら、それを持続すること。
花は一瞬にして咲かない。木も瞬時には実を結ばない。自明の理である。
次に、「敬するもの」を持つこと。
「敬するもの」とは人が心の中に持った太陽である。すべての生命は太陽に向かって成
長する。心も また敬するものを持つ時、それに向かって成長する。
最後に、「縁」を大事にすること。縁を疎かにして大成した人は一人もいない。
「不幸の三定義」というのがある。友人の西田文郎氏から聞いた。
一 決して素直に「ありがとう」といわない人
一 「ありがとう」といっても、恩返しをしない人
一 「ありがとう」と唱えただけで恩返しはできたと思っている人
縁のある人に、この逆のことを心がけていくところに、運命をひらく道がある。
心したいことである。
「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「円熟の古典落語、軽妙なマクラで、聴くものを魅了してやまない噺家・柳家小三治。本
書では、生い立ち、初恋、入門、修業時代、落語論から、バイク、クラシック音楽、俳
句、忘れじの人々まで、すべてをたっぷり語り下ろす。独特の語り口もそのままに、ま
さに読む独演会。芸と人生に対する真摯な姿勢が、初めて明らかに。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「子どもらしく言うんじゃなくて、子どもになってしゃべるんです。」
・「口調の奥にあるものを私は見ようとした。」
・「今はただ、石炭殻をばらまいたみたいなもんで、それぞれの『個性』があっていいっ
て見えるかもしれないけど、何か『芯』になるモデルがあるから『個性』って言える
んで、ただバラバラだとみんなゴミッくずになっちゃうんじゃないかねえ。芯がちゃ
んとあるから、ゴミもあったり、それぞれの良さが光るわけで、みんなゴミッくずに
なったら、それで安心するのは、ゴミッくずのやつらばっかりですよ。」
教育にもつながる言葉が多いと感じました。
もう一つ、再掲載となりますが、月刊誌『致知』より
「特集の言葉『運命を開く』」を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」柳家小三治 岩波書店 2019年 ③
◇生き方を変えたバイク
人間を理解できなきゃ落語はできない。
落語は人生の、社会の縮図ですから。
1982.7 北海道ツーリング
三遊亭圓窓、金原亭伯楽、柳家三語楼
「転倒蟲」
土橋亭里う馬、喫茶店マスター 齋藤広二
51歳でオートバイとお別れ
リウマチで両手首痛
◇落語研究会
TBS「落語研究会」国立劇場で毎月
白井良幹(よしもと)アドバイザー
土曜昼「お笑いスタジオ」1970.7-1973.3
「小言念仏」1971.10.14 金馬さんエンタテイメント 三升家勝太郎 小言をまき散らす
「自分の声でいいんだ。大人も子どもも地声でいい。おかみさんとやるからって女の声
出す必要は何もない。声柄で人を演じ分けるな。ただ、その人物になりきれってこと
です。」
「子どもらしく言うんじゃなくて、子どもになってしゃべるんです。」
「味噌蔵」1977.9.29
都はるみ復帰コンサート
魂だけを歌ってた
「墨東忌憚」藤間紫に舌を巻いた
落語研究会は自分の勝負をする場所でありました
◇談志さんと志ん朝さん
□談志
小さん同門のすぐ上の兄弟子
かっこつけたがる人(他人がいると)
世間を気にして生きる人
手柄を大事にしていた
◎「つまらない希望なんか持たなければ『家元・元祖』って言われるようなものに、知ら
ず知らずのうちになれるような人だったと思います。」
□志ん朝
安心できる
世間体を気にしていない
圓生が好き
ヨーロッパにスキー 1982
「おんなじじゃねえか」
◎「口調の奥にあるものを私は見ようとした。」 ○(?)になるような器
□小三治語録
「私はやっぱり口調じゃなくて、中に秘められている人柄、立場、そういうもので噺と
してなきゃあ人を動かすことをできない」
「闘っていればそのうち答えが出てくるんですよ。闘わないやつは何も出てこない、と
私は信じているんですけどねえ。」
「今はただ、石炭殻をばらまいたみたいなもんで、それぞれの『個性』があっていいっ
て見えるかもしれないけど、何か『芯』になるモデルがあるから『個性』って言える
んで、ただバラバラだとみんなゴミッくずになっちゃうんじゃないかねえ。芯がちゃ
んとあるから、ゴミもあったり、それぞれの良さが光るわけで、みんなゴミッくずに
なったら、それで安心するのは、ゴミッくずのやつらばっかりですよ。」
☆特集の言葉「運命を開く」 『致知』2005年3月号より【再掲載 2015.1】
過日、古い友人に頼まれ、ある大学で学生に話す機会があった。
教授に伴われて教室に入った途端、唖然とした。百人ほど入れる教室。前方はほとん
ど空席で、50人ほどが後方に固まっている。
それもジュースを飲んだり食べ物を頬張ったり、教授の姿を認めても様子に変化はない。挨拶するでなし、私語がとめどもない。
正直、これが大学生かと思った。そこには授業に向かう緊張感も講義に対する好奇心も、
いささかも感じられない。どんよりした倦怠感が漂うばかりである。
まず前方の席に詰めてもらった。きびきび移る学生は一人もいない。口にこそ出さな
いが、迷惑げな気配がありありである。若者たちがよく口にする「かったるい」とはこ
のことかと思った。
その時点で、準備していったすべてを話すことは放棄した。話題を絞り、質問を発し、
感想文を書いてもらい、拙いなりに関心を引くように努めて一時間半の責任を果たした。
帰途、電車の中で彼らの感想文を読んだ。
おや、と思った。当方の伝えたかったことをそれぞれが真剣に受け止めていた。教室
をおおっていた倦怠感とこの感想文の落差は意外だった。
思うに、彼らも立派な感受性を備えているのだと思う。
ただ、心をコップに例えれば、心のコップがきちんと立っていないのだ。
心のコップが倒れたり引っくり返ったりしていては、いくら水を注いでもこぼれるば
かりである。
彼らは心のコップが立たないまま20歳近くまで人生を歩んでしまったのではないか。焦点の定まらない生き方を心から惜しいと思った。
運命とは定まっているものではない。自ら運び、ひらいていくものである。そのため
には心のコップを立てなければならない。それをなすのが教育である。
教育は心のコップを立てることから始まるといっても過言ではない。
まず心のコップを立てる-運命をひらく第一条件である。
第二の条件は、決意すること。小さなことでいい。小さなよきことを決意する。そこ
から運命の歯車は回転していく。
そして決意したら、それを持続すること。
花は一瞬にして咲かない。木も瞬時には実を結ばない。自明の理である。
次に、「敬するもの」を持つこと。
「敬するもの」とは人が心の中に持った太陽である。すべての生命は太陽に向かって成
長する。心も また敬するものを持つ時、それに向かって成長する。
最後に、「縁」を大事にすること。縁を疎かにして大成した人は一人もいない。
「不幸の三定義」というのがある。友人の西田文郎氏から聞いた。
一 決して素直に「ありがとう」といわない人
一 「ありがとう」といっても、恩返しをしない人
一 「ありがとう」と唱えただけで恩返しはできたと思っている人
縁のある人に、この逆のことを心がけていくところに、運命をひらく道がある。
心したいことである。