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「新時代の教育をどう構想するのか」藤田英典 岩波ブックレット№533 2001年 ⑥ /『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑬ 【再掲載 2018.5】 [読書記録 教育]

今回は、2月6日に続いて、藤田英典さんの
「新時代の教育をどう構想するのか」の紹介 6回目です。



出版社の案内には、


「首相の私的諮問機関として各界の識者を集め、集中的な討議をへて発表された教育
 改革国民会議の報告は、教育基本法の見直し・奉仕活動の必要性など、大きな関心
 を呼び、今後の政策に反映必至の重大な提案を含んでいた。委員として参加・発言
 した教育学者が提案内容を検証・批判しながら『いま本当に必要な教育改革とは』
 を訴える。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「日本における教育の武装解除は、教育環境のいっそうの劣悪化と差別的な多様化
  を促進し、教育に対する保護者の利己主義的関心を助長し、地域の教育力の低下
を促進し、もう一方で学力・努力・生活態度の二極分化・多様化と平均的な学力
低下を促進してきたように見受けられる。」


・「日本の教育においては、この十数年の制度改革の基本路線を変えようとしていな
い点、それどころか、新自由主義的制度改革の基本路線はそのままにして、才能
の重視や創造性の育成を声高に叫び、もう一方で、道徳性や郷土愛・祖国愛の涵
養が重要だと主張し始めている点。」
- 道徳の教科化を急いで促進した一方、嘘をつき続けても平然としている姿を見る
とその「道徳」が権力者にとって都合のよい「道徳」だということをわたしは想像
してしまいます。


・「この十数年の制度改革の基本路線を変えようとしていない点、それどころか、新
自由主義的制度改革の基本路線はそのままにして、才能の重視や創造性の育成を
声高に叫び、もう一方で、道徳性や郷土愛・祖国愛の涵養が重要だと主張し始め
ていることが、我が国の教育の問題点の一つ。」





もう一つ、再掲載となりますが、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版静岡県伝説集』⑬を載せます。
師範学校とありますから、戦前に採集された話です。
全県にわたっての伝説が丁寧にまとめられています。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆「新時代の教育をどう構想するのか」藤田英典 岩波ブックレット№533 2001年 ⑥

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◇「教育の武装解除」批判

□教育の再武装化 イギリス  

 アメリカ1983年から

 ドイツ1990年以降



 ◎ 学力の向上、教育の質的改善を図り、以て経済競争力の強化と国民社会の活力
を高める目的に照らして、一応の合理性がある

     ↑↓

 
□日本 <教育の武装解除>

 ◎ 教育環境のいっそうの劣悪化と差別的な多様化を促進し、教育に対する保護者
  の利己主義的関心を助長し、地域の教育力の低下を促進し、もう一方で学力・努
  力・生活態度の二極分化・多様化と平均的な学力低下を促進してきたように見受
  けられる。

 

◇教育における新たな全体主義の危険 <危険①>
  
□問題点

 ◎ この十数年の制度改革の基本路線を変えようとしていない点、それどころか、
  新自由主義的制度改革の基本路線はそのままにして、才能の重視や創造性の育成
  を声高に叫び、もう一方で、道徳性や郷土愛・祖国愛の涵養が重要だと主張し始
  めている点。

 ○ 小中学校段階での学校選択の自由化、中高一貫教育の拡大、大学入学年齢制限
  の撤廃、入試での学習指導要領範囲外からの出題の容認といった制度改革は、教
  育制度を多様化・弾力化し、選択の幅を拡大し、子供の個性や才能を伸ばすこと
  になるからいいことだと言われている。



 ◎ しかし、それは裏を返せば、小中学校段階からの教育を能力主義的に再編し、
  経済力や教育力の豊かな家庭の子供を優先し、子供の生活と学習を子供の能力や
  家庭環境や保護者の関心によって分断していくと言うこと。



※ 危険


 ◎ また、復古的・全体主義的な傾向が見られる道徳性・献身性や郷土愛・祖国愛
  の重要性が叫ばれ、共同生活・奉仕活動が義務化されようとしていること自体に
  は反対ではないが=筆者)。

          ↓

 ◎ 一方で子供の生活基盤・教育基盤が利己主義的で差別的なものに分断・再編さ
  れ、子供の生活が孤立した個人の集まりにすぎないものに再編される傾向があり
  もう一方で復古的な道徳主義が闊歩するようになるなら、どういうことになるで
  しょうか?

※ 新たな全体主義に?


□もう一つの危険

 ◎ 利己主義的な能力主義的イデオロギーが特定のイデオロギーとして覆い被さ
  る。歪んだ自信や独善性,劣等感や疎外感がますます広がっていくのではない
  か。

 






☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 羽衣出版 1994年 ⑬ 【再掲載 2018.5】

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5 祟りと怨霊、妖怪塚と墓

(2)安松火 (浜名郡芳川村・現浜松市)

 今から120年程前に、芳川村字安松に平野という浪人が住んでいた。

 その浪人は一人の下男と数人の家来をおいていた。

 ある夏の夜、浪人は下男を連れて外出した帰途に、あまり暑かったので、道ばたの
瓜を盗んで食べた。

 浪人は下男に向かって、この事を決して他言してはならぬぞと厳しく言い付けた。

 そして家に帰って来たが、浪人はその事が気に掛かってならない。

 そして何とも気掛かりでならないので、ついにその下男を殺して、かめの中にその
死体を投げ込んでしまった。

 そして下男の里の母親を呼びよせた。

 母親は、それを見て非常に悲しがり、また怒った。


「一体お前はどんな事をしてこんなに殺されたのか」


と言って、金火箸で、グイと頭を突き刺し、芳川に持って行って、


「もし悪い事をして殺されたなら下に流れよ、悪くもなくて殺されたものなら上に流
 れよ」


と言ってドブンと水に投げ込んだ。

 すると、頭はぼっかり浮いて、ずんずん川上に上って行った。


 母親は非常に怒り悲しみ、


「それだけの魂があるならば、きっと仇を取れ」


と言って帰った。

 それからは、毎夜毎夜、たらい程もある大きな火の玉が、ころころと安松の村中を
転り廻った未、その平野浪人の家へ上って来て、くるくる廻って消えるのだった。

 村人は、そらまた出たと言って棒や刃物を持って追いまわしたが、ちっともつかま
さら(つかまら)なかった。

 火の玉は、いつも後になり前になりしてころころ転がった。

 村人は、それから仕方なく社を造って、それを祀った。

 それが現在でも祀ってあり、じょうど様だという。

 その平野家は、間もなく廃れて跡かたも無くなった。

 そのじょうど様の宮はあまり大きくはないが、大木が茂りあっていて見るからに寒
けのしそうな所である。



 今でも、その社に雨漏りがするようになると火の玉が出るといわれている。


 また、この祭りに花火や余興をやらないと、安松に悪病が流行するといって、村人
は毎年花火やら余興をやるという。                          
                               (金原せつ)

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