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小浜逸郎さんはこんなことを26-「学校縮小論と教師役割 : これからの教師像を共有するために」-『教師の現在・教職の未来 : あすの教師像を模索する』油布佐和子編 教育出版 1999年 より (2) /『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑭【再掲載 2018.5】 [読書記録 教育]

- 学校に不信感を持っていながら学校に期待する。『センセイ』に対する尊敬
  など抱いていないくせに、何かと『センセイ』に依存する。


今回は、3月3日に続いて、
「小浜逸郎さんはこんなことを」26回目、
『教師の現在・教職の未来 : あすの教師像を模索する』より
「学校縮小論と教師役割」2回目の紹介です。



小浜さんの文章を読むと、
わたしの頭の中のもやもやが晴れるような思いがします。
現在の現場の悩みの根幹を示してくれているようです。


20年も前に小浜さんが示してくれた「過渡期の問題」。
過渡期が20年以上も続いてるのだとわたしは感じました。



『教師の現在・教職の未来 : あすの教師像を模索する』の出版社の案内には


「変化しつつある社会の中で、教育の現状と意義を考察する。5では制度的な
 制約のなかで多様な役割を求められる現代の教師の現実を検証し、未来の教
 師像はいかにあるべきかを様々な視点から模索する。」

とあります。



執筆者も豊かです。

 ・教師の「がんばり」は教育を救えるか (油布佐和子)
 ・疲弊する教師たち : 多忙化と「荒れ」のなかで (松浦善満)
 ・教師のライフサイクルにおける危機 : 中堅教師の憂鬱 (紅林伸幸)
 ・教師集団の解体と再編 : 教師の「協働」を考える (油布佐和子)
 ・教師は子供に向き合えるか : 教育相談の観点から (石川憲彦)
 ・教師は多文化時代に対応できるか : 教師の意識を問う (恒吉僚子)
 ・「指導の文化」と教育改革のゆくえ (酒井朗)
 ・教師は何を期待されてきたか : 教師役割の変化を追う (油布佐和子)
 ◎学校縮小論と教師役割 : これからの教師像を共有するために (小浜逸郎)
 ・問われる教育の公共性と教師の役割 : 教育改革のゆくえ (藤田英典)
 ・教師としてできること (油布佐和子) [執筆]




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「近代化、学校に代表されるような旧来の社会的制度が個人の生活を支配・規
 制・掌握する必然性と力が衰退し、生活の個人裁量的な時間が増えたために、
  家庭の教育水準や要求水準が高まり、その結果家庭教育の善し悪しが一層問わ
  れるようになった」


・「親の教育意識も先鋭化しているから、教師も引き受け期間が長いほどきつい
監視下に置かれることになる。しかも、その眼差しは間接的であらざるを得
ないから、それだけあらぬ誤解や非難を受ける可能性は高いと言える。」


・「委託権力の質の問題が顕著になっている。全体として『商売人』的なも
のへと変わり、これまでよりも『家庭からの委託』という側面が強くなってい
る。それが『わがままな親』の話題と関連しているのではないか。」


・「学校に不信感を持っていながら学校に期待する。『センセイ』に対する尊敬
  など抱いていないくせに、何かと『センセイ』に依存する。」




もう一つ、再掲載となりますが、
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)⑭を載せます。
こわい話ですが、このような地域の話が続いてくれればと思います。


昨日3回目のワクチンをうちました。
腕が痛いことと若干だるい程度で、前回よりは副作用は強くないようです。
今日はじっとしていましたが、明日はすっきりと過ごしたい。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆小浜逸郎さんはこんなことを26-「学校縮小論と教師役割 : これからの教師像を共有するために」-『教師の現在・教職の未来 : あすの教師像を模索する』油布佐和子編 教育出版 1999年 より (2)

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◇教師をめぐる時代の動向

「家庭の教育力が低下した」は本当か?



◎ 近代化、学校に代表されるような旧来の社会的制度が個人の生活を支配・規
 制・掌握する必然性と力が衰退し、生活の個人裁量的な時間が増えたために、
 家庭の教育水準や要求水準が高まり、その結果家庭教育の善し悪しが一層問わ
 れるようになった

      ↓

 ◎ 現場教師と親との間の葛藤という新しい作用関係(泥仕合)の場が定着す
  ることになった

  |

 ◎ 公教育という社会的関係のスタイル - 過渡的性格


 ◎ あまりにも長い委託期間は考えもの

   親の教育意識も先鋭化しているから、教師も引き受け期間が長いほどきつ
  い監視下に置かれることになる。しかも、その眼差しは間接的であらざるを
  得ないから、それだけあらぬ誤解や非難を受ける可能性は高いと言える。

      ↓

 ◎ おそらくこれからは、国民的規模での共通要求を満たす必要性は衰退して、
  多様で個別的な輪郭のはっきりとした要求を、その都度満たす教育機関が求
  められるであろう。それに応じて、公教育を支えてきた近代型教師像も変容
  を迫られるに違いない。



◇これからの教師

 ◎ 義務教育教師と民間スクール教師との役割分担

  = 仲介者的な役割

(民間)インストラクター的職能


□親のあり方と教師

 ◎ 委託権力の質の問題

   全体として「商売人」的なものへ



 ◎ これまでよりも「家庭からの委託」という側面が強くなっている
   ※ わがままな親



 ◎ 教師はそうしたエゴ交錯の危険の中において公共の代表としての権威性
  を演出できるだろうか?

 
□過渡的の難しさ

 ◎これまでの親  
  - 子供の教育を学校という社会的機関に委ねるのが当然と考えてきた



 ◎ 100年間、親たちの中に教育は全て国家公認の機関で責任を持ってやって
  もらうものだという意識が習慣づけられてしまった

      ∥

 ※ 人を当てにする傾向
やたらと学校に規制を求める

  |
 
 ◎ 子供にこうなってほしいという強い欲求を親としての自分の責任と信念
  を基盤として追求するのではなく、押しつけの習慣にしたかったままで、
  無理に学校社会というがたの来ている公的システムを通じて満たそうとし
  ている。

  ↑↓

 ◎◎ 学校に不信感を持っていながら学校に期待する。 ◎◎

  ※「センセイ」に対する尊敬など抱いていないくせに、何かと「センセイ」
   に依存する。


     
 ◎ 一種の過渡期の混乱









☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑭【再掲載 2018.5】

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5 祟りと怨霊、妖怪塚と墓 続き

(3)津波と亡霊 (浜松市)

 昔、ある浜辺の一部落に大津波が来るとの噂が立った。


 しかし多くの人々はこれを信じなかった。


 ただ老人はこういった事をよく信じていたので、若者の理屈を排して山へ避
難した。


 若者達は「何、そんな事があるものか」と言って逃げようとしなかった。


 ところがある晩、果して大津波が来た。そして居残った者は皆、大海原へ運
 び出されてしまった。


 そして、数年が過ぎて、白い骨が幾つも幾つも波打ち際に打ち寄せられた。


 ところがそれから、毎夜毎夜、海岸でうめき声がする。


 これを見届けたものはないが、どこからともなく

「喉が乾いた、水をくれ 水をくれ」

という声が聞こえて来る。


 それで村人達は、無惨な死を遂げた人々の霊が、何の供養もされないで迷っ
ているのだと気づいて、経をあげてもらったところ、その翌日からは全く声が
無かったという。
                           (渡辺はな)




(4)死人と着物 (浜松市)

 ある六部(巡礼)が途中で日が暮れて宿とても無く、途方にくれてとぼとぼ
と歩いていた。


 そして、ふと見ると、少し行った山のふもとに古ぼけた山寺がある。


 そこで、そこへ泊めてもらおうとして、その門前までたどり着いたが、どう
しても門が開かなかったので、仕方なく一夜を門の屋根の下で過ごす事にした。


 すると、真夜中ころ、そこの門の向こう側から

「ミヨオン、ミヨオン」

という妙な声がする。


 六部はブルブルッとして隙間から向こうを見ると、ちょうど墓場があり、そ
の中の、まだ埋めたばかりらしい盛り上りがった土の中から一人の痩せこけた
死人が立って動き始めると、どこからか赤鬼と青鬼が出て来て、その死人を、
ぼりぼり、ぼりほりと食べ始めた。


 六部は、あまりのすごさにそのまま門にかじり付いて一夜を明かした。そし
て夜が明けると、さっそく和尚を起こして昨夜の一部始終を話した。


 和尚も不思議でならず二人で互いに考えているところへ、一人の女が駆け込
んで来て、

「和尚さま、和尚さま、昨日埋めていただいた死人に、着物を着せて上げるの
 を忘れました。着物を差し上げないと、鬼がとって食うと言いますので、さ
 っそく持って参りました」

と言った。


 そこではじめて解って、さっそくお経を上げて、着物も捧げたので、その夜
から鬼も死人も出なかったそうである。
                          (渡辺はな)

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