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「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ② /「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ②(後半)【再掲載 2017.3】 [読書記録 一般]

今回は、2月28日に続いて、武光誠さんの
「大人のための修学旅行 京都の歴史」2回目の紹介です。



出版社の案内には、


「日本史の流れをしっかりふまえたうえでもう一度京都を巡ってみたいという願
 望をかなえる“読む修学旅行”の本。歴史的舞台となった名所旧跡から、日本
 史の実像が浮かびあがる。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「朝廷の雨乞いを担った神社が貴船神社 祭神はヘビ神様」


・「貴船神社は賀茂大社と深くかかわる。下鴨神社の祭神玉依姫が祠を建てた
  のがおこり」


・「賀茂神社は、本来は水を司る農耕の神だが、平安遷都時伊勢神宮が農耕
神とされ、朝廷が禊ぎの神として扱った。」



もう一つ、再掲載となりますが、宮本常一さんの
「忘れられた子どもたち」②(後半)を載せます。
かつて、各地に「もらい子」の風があったことが分かります。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ②

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◇平安遷都で実現した貴族政権の復興(2)

□朝廷の雨乞いを担った神社[貴船神社]

○祭神はヘビ神様

 高おかみの神
   ヘビ姿 山を守り水を自由に操る

 山の神 = 「おかみ」
   かみの上だから「お」かみ 


○山の神は雨乞いの神

 貴船神社
  - 賀茂大社と深いかかわり
下鴨神社の祭神玉依姫が祠を建てたのがおこり

 平安時代 
   朝廷が祈雨と止雨の祭り
(黒馬)(白馬) 上賀茂神社神官が備える役目

 天喜3(1055)年 
   現在地に(奥から)


○荒ぶる神々から縁結びの神へ

 延暦15年(796)
   貴船明神のお告げにより鞍馬寺建立

↓ 荒ぶる神を毘沙門天の力で鎮める

   貴船神社 = 「鞍馬寺の鎮守」 + 「賀茂社の奥社」

 現在「縁結びの神」
   参拝者を増やそうと宣伝

 鞍馬寺
   770年 鑑禎がおこした毘沙門天の草堂を発展
796年 藤原伊勢人が拡大し鞍馬寺
義経 - 仏道修行を勧められるが奥で剣術修行



□山と川が生んだ賀茂の神進行[上賀茂神社①]

○もとは一体であった賀茂神社


○起源伝説
上賀茂神社 御子神 別雷神(ゆげいかづちのかみ)を祀る

  下鴨神社   別雷神の母神玉依姫と姫の父建角身命(たけつねのみこと)を祀る

○川上から下ってきた神

 神山の神が川を下る物語が発展 
   ― 鴨氏の祖先伝承

 

□朝廷と歩んだ発展の歴史[上賀茂神社②]

○神話に見える鴨氏の歴史

  乙訓(おとくに)神社の火雷神(ほのいかづちのかみ)が赤い矢の姿であらわれ
 玉依姫との間に上賀茂神社の祭神別雷神をもうけた(伝)     



 乙訓神社
   古社(式内社)京都府向日市の向日神社が

下流でしかも地位は賀茂社より低い



 鴨氏の発展
   鴨氏の一部 
     4~5世紀初 大和の葛城より乙訓に広まった

5世紀末 乙訓の鴨氏から上流に移住



    ◎鴨氏の勢力 - 葛城、乙訓、賀茂


○朝廷との絆を深める

 山城の鴨氏 
   7世紀末に賀茂神社の社殿
朝廷とのつながり

 平安京建設
   下社・上社おのおの従二位 

   大同二(807)年 
     賀茂神社 正一位 伊勢神宮に次ぐものとの命令



     ◎ 賀茂祭が朝廷の重要な行事になる(京都を守る神-朝廷)


○禊ぎの神としての地位を確立

 穢れを清める役目 
   御物思川と御手洗川

樽の小川
     平安貴族 禊ぎを行う=夏越の祓

 本来は水を司る農耕の神
  しかし平安遷都時伊勢神宮が農耕神
→ 朝廷が禊ぎの神として扱った


○大将軍神社

 平安時代
   瓦づくりの職人がまつった神社 瓦窯跡








☆「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ②(後半)【再掲載 2017.3】

<出版社の案内>
日本には多くの「忘れられた子どもたち」がいた。土に沁み、海に落とした
“母の涙・子の涙”を見てゆく。
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◇もらい子 聞き書き
 
□孤児の生きる世界


□メシモライ 

 6~7歳孤児 → 漁業技術 西日本

 東日本では暗い話になる
最上   - 年期を切って子を売る風
宮城北部 - 石巻や気仙沼へ子を売る風

鎌田三之助翁 品井沼干拓事業


□子を質入れする世界 - 時国家文書から

 人身売買の証文から始まる
= 貧困や共作の窮乏を大屋が肩替わりしたもの

            ∥

  大家は中小の農家より労力を仰いで大手作を維持し、中小の家々は大家に
 依存することによって凶作等の危機を切り抜けた
  
 ◎ 多くの物を吸い上げたが、危機に備えるもので、拡大再生産のためでは
  ない     


□下北のもらい子たち 

 下北郡東通村尻屋
   もらい子 - 津軽から のち 山中から

 嫁をもらうと田名部へ出て分家

 寝宿
 

□酒田市飛島のもらい子 

 南京小僧 ドンゴロス袋
 

□佐渡の養子


□日間賀島 

 佐久島のもらい子


□名倉のもらい子


□山口県羽鳥


□周防大島の伊予子・買い子



◇情島・梶子

□周防大島東端 

 情島 「怒りの孤島」ロケ地

※ ウソ


□「あけぼの寮」
     
 『離島の旅」人物往来社 昭和39年 



◇萩の花

□昭和21年10月17日 
 村の秋祭り

8月25日生 三千夫さん

もらい乳 - 皮膚病
(「愛情は子どもと共に」馬場書店 昭和23年)



◇母の記

□宮本まち 

 明治13年7月23日 西方郡長崎升田仁太郎長女

 明治33年 21歳 宮本善十郎に嫁ぐ
(「母の記」タイプ印刷 昭和37年)


□田村善太郎

明治以降の学校教育と伝統的な村社会のシツケのありようとの乖離を憂い、
 その融合に民間伝承の研究が役立つに違いないという思いが、民俗学にの
 めり込むきっかけの一つであったとどこかに書いてあった


□昭和24年8月
 「村の社会科」昭和書院


□昭和25年4月
 「ふるさとの生活」朝日新聞社



◇八坂書房

『宮本常一の本棚』 『座談録 生活と文化』 『山と日本人』
『伊勢神宮』  『日本の年中行事』  『飢餓からの脱出』 

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