「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ③ /「まじめの崩壊」 千石保 サイマル出版社 1991年 ②【再掲載 2013.7】 [読書記録 一般]
今回は、3月11日に続いて、武光誠さんの
「大人のための修学旅行 京都の歴史」3回目の紹介です。
出版社の案内には、
「日本史の流れをしっかりふまえたうえでもう一度京都を巡ってみたいという願
望をかなえる“読む修学旅行”の本。歴史的舞台となった名所旧跡から、日本
史の実像が浮かびあがる。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「葵祭は室町時代末一時途絶えたが元禄7(1694)年再開」
・「競馬(くらべうま) 騎射
古代人は神の前で武技を行えば荒ぶる神が喜ぶと考えていた」
・「河合神社の神官の家に生まれた鴨長明」
・「華やかな時代祭に古をしのぶ平安神宮」
もう一つ、再掲載となりますが、千石保さんの
「まじめの崩壊」②を載せます。
出版当時大きな話題となりました。
30年も前の本なのですね。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ③
◇平安遷都で実現した貴族政権の復興(3)
□葵祭の起源を探る[下鴨神社①]
定期的に行われた遷宮
葵祭を重んじた平安貴族
5月15日(雨時翌日) 葵祭(賀茂祭)
上賀茂神社と下鴨神社が合同でひらく
宮中、路頭、社頭三つの儀式
室町時代末一時途絶えたが元禄7(1694)年再開
民衆に開かれた祭りの意味
農耕神として多くの民衆の信仰
奈良時代
騎射の禁令が多数出された 民衆の行事
↓
平安時代
摂社 上賀茂の土地の神である地主神をまつる
□なぜ葵祭はおおがかりになったのか[下鴨神社②]
もとは祟り神だった賀茂の神
6世紀半ば 祟り神を鎮める祭り
→ イノシシの頭をかぶった人が馬に乗って駆ける
↓
競馬(くらべうま)→騎射
◎古代人は神の前で武技を行えば荒ぶる神が喜ぶと考えていた
川
→ 洪水 うまく祀れば豊作をもたら騎射す
天皇家が祀った三輪山の神はもと疫病をおこす祟り神
神事に見る賀茂祭の原型
5月12日深夜 御阿礼祭
~ 神むかえ
あつく祀られた荒ぶる神
嵯峨天皇 皇女を斎院にして賀茂神社に騎射騎射祀らせた
下鴨神社に齋院
防鴨河使(ぼうがし) 鴨川の治水
河合神社
小社宅(おこそべ)神社 - 玉依姫
河合神社の神官の家に生まれた鴨長明
□華やかな時代祭に古をしのぶ[平安神宮]
平安都宮を復元
明治28(1895)年 平安遷都1100年記念
桓武天皇と孝明天皇の父
美しい庭をもつ神宮の「神苑」
節分の原型が神宮で復活
時代祭 明治28年~
大難の儀 昭和49(1974)年 復活
熊野神社
平安末 後白河法皇の命令
□失われた平安京の名残[大極殿跡ほか]
京都御所の歴史
再建されなかった大極殿跡
朱雀門の鬼伝説
朱雀門
出入り口 異国使者が迎える行事 雨乞い 禊ぎ祓い
鬼を恐れぬ剛胆
紀長谷雄 源頼光
遷都後
和気清麻呂-神護寺
坂上田村麻呂-清水寺
京都文化博物館
☆「まじめの崩壊」 千石保 サイマル出版社 1991年 ②【再掲載 2013.7】
<出版社の案内>
目的のために耐えることから逃避する若者たち。大人たちが奉じてきた
「まじめ」の重みを、「ノリ」の軽さで崩壊させる平成日本の若者たち。
産業社会からポストモダンの消費社会へのパラダイム転換の視点から若
者現象を解明し、「新しい理念の模索」を呼びかける問題作。
◇千石保
(財)日本青少年研究所長 1928年冨山生
神戸地検 ~ 総理府青少年対策本部参事官 ~ 日本青少年研究所
◇「価値観」の逆転
□「やさしい青年」
しかし
① 熱さがない
② プライバシーに入らない = 「心のベルリンの壁」
今の若者は「やさしい」のだが,友人と距離を置き,無難に傷付かない
ようにしているだけ
→ ◎ 本当は「保身的」で「冷酷」で「残酷」な面を持つ
◎ 道徳性も足りない
□ノリで仕事をする
その時その時をエンジョイする = コンサマトリー
インスツルメント(道具、手段)を拒否し、その時その時を楽しむ
↓
◎ コンサマトリー化
□イメージを求めて
◎日本の状況は一方でインスツルメントとしての耐性が求められ、これなく
しては生産が成り立たない。ポストモダンでのコンサマトリーを享受し得な
いジレンマに直面している。どう考えても若者の消費志向、旅行思考、非貯
蓄志向、つまりはコンサマトリー化が日本の斜陽化をもたらしつつある。
浅田彰「逃走論」
◎ モダンの本質である管理、秩序、統制、暗記、従順からの逃走
◎ 蓄積からの逃走
↓
しかし、逃走だけでは生活基盤がなくなってしまう
∥
◎ 若者たちは学校や社会から逃走し始めた
役に立つかどうかではなく意味があるかどうか
= 記号の世界
□ポストモダンのパラダイム
コジェーブ(仏哲学者)
「日本やアメリカでは歴史が終わった」
= 豊かさからは葛藤がなくなり従って歴史がなくなる
◎ 一方で大量生産従順型のまじめ人間が求められ、他方で面白型人間が
求められている
↓
◎ まじめ人間だけでは新しい社会に適応できないし、面白人間だけでも
いずれ貧しい社会になってしまう
※「モダンとポストモダンの対立」
※「まじめ人間と面白型人間の対立」
※ モダン VS ポストモダン
※ 絶対的普遍主義 VS 相対主義
※ 集団主義 VS 個人主義
「大人のための修学旅行 京都の歴史」3回目の紹介です。
出版社の案内には、
「日本史の流れをしっかりふまえたうえでもう一度京都を巡ってみたいという願
望をかなえる“読む修学旅行”の本。歴史的舞台となった名所旧跡から、日本
史の実像が浮かびあがる。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「葵祭は室町時代末一時途絶えたが元禄7(1694)年再開」
・「競馬(くらべうま) 騎射
古代人は神の前で武技を行えば荒ぶる神が喜ぶと考えていた」
・「河合神社の神官の家に生まれた鴨長明」
・「華やかな時代祭に古をしのぶ平安神宮」
もう一つ、再掲載となりますが、千石保さんの
「まじめの崩壊」②を載せます。
出版当時大きな話題となりました。
30年も前の本なのですね。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ③
◇平安遷都で実現した貴族政権の復興(3)
□葵祭の起源を探る[下鴨神社①]
定期的に行われた遷宮
葵祭を重んじた平安貴族
5月15日(雨時翌日) 葵祭(賀茂祭)
上賀茂神社と下鴨神社が合同でひらく
宮中、路頭、社頭三つの儀式
室町時代末一時途絶えたが元禄7(1694)年再開
民衆に開かれた祭りの意味
農耕神として多くの民衆の信仰
奈良時代
騎射の禁令が多数出された 民衆の行事
↓
平安時代
摂社 上賀茂の土地の神である地主神をまつる
□なぜ葵祭はおおがかりになったのか[下鴨神社②]
もとは祟り神だった賀茂の神
6世紀半ば 祟り神を鎮める祭り
→ イノシシの頭をかぶった人が馬に乗って駆ける
↓
競馬(くらべうま)→騎射
◎古代人は神の前で武技を行えば荒ぶる神が喜ぶと考えていた
川
→ 洪水 うまく祀れば豊作をもたら騎射す
天皇家が祀った三輪山の神はもと疫病をおこす祟り神
神事に見る賀茂祭の原型
5月12日深夜 御阿礼祭
~ 神むかえ
あつく祀られた荒ぶる神
嵯峨天皇 皇女を斎院にして賀茂神社に騎射騎射祀らせた
下鴨神社に齋院
防鴨河使(ぼうがし) 鴨川の治水
河合神社
小社宅(おこそべ)神社 - 玉依姫
河合神社の神官の家に生まれた鴨長明
□華やかな時代祭に古をしのぶ[平安神宮]
平安都宮を復元
明治28(1895)年 平安遷都1100年記念
桓武天皇と孝明天皇の父
美しい庭をもつ神宮の「神苑」
節分の原型が神宮で復活
時代祭 明治28年~
大難の儀 昭和49(1974)年 復活
熊野神社
平安末 後白河法皇の命令
□失われた平安京の名残[大極殿跡ほか]
京都御所の歴史
再建されなかった大極殿跡
朱雀門の鬼伝説
朱雀門
出入り口 異国使者が迎える行事 雨乞い 禊ぎ祓い
鬼を恐れぬ剛胆
紀長谷雄 源頼光
遷都後
和気清麻呂-神護寺
坂上田村麻呂-清水寺
京都文化博物館
☆「まじめの崩壊」 千石保 サイマル出版社 1991年 ②【再掲載 2013.7】
<出版社の案内>
目的のために耐えることから逃避する若者たち。大人たちが奉じてきた
「まじめ」の重みを、「ノリ」の軽さで崩壊させる平成日本の若者たち。
産業社会からポストモダンの消費社会へのパラダイム転換の視点から若
者現象を解明し、「新しい理念の模索」を呼びかける問題作。
◇千石保
(財)日本青少年研究所長 1928年冨山生
神戸地検 ~ 総理府青少年対策本部参事官 ~ 日本青少年研究所
◇「価値観」の逆転
□「やさしい青年」
しかし
① 熱さがない
② プライバシーに入らない = 「心のベルリンの壁」
今の若者は「やさしい」のだが,友人と距離を置き,無難に傷付かない
ようにしているだけ
→ ◎ 本当は「保身的」で「冷酷」で「残酷」な面を持つ
◎ 道徳性も足りない
□ノリで仕事をする
その時その時をエンジョイする = コンサマトリー
インスツルメント(道具、手段)を拒否し、その時その時を楽しむ
↓
◎ コンサマトリー化
□イメージを求めて
◎日本の状況は一方でインスツルメントとしての耐性が求められ、これなく
しては生産が成り立たない。ポストモダンでのコンサマトリーを享受し得な
いジレンマに直面している。どう考えても若者の消費志向、旅行思考、非貯
蓄志向、つまりはコンサマトリー化が日本の斜陽化をもたらしつつある。
浅田彰「逃走論」
◎ モダンの本質である管理、秩序、統制、暗記、従順からの逃走
◎ 蓄積からの逃走
↓
しかし、逃走だけでは生活基盤がなくなってしまう
∥
◎ 若者たちは学校や社会から逃走し始めた
役に立つかどうかではなく意味があるかどうか
= 記号の世界
□ポストモダンのパラダイム
コジェーブ(仏哲学者)
「日本やアメリカでは歴史が終わった」
= 豊かさからは葛藤がなくなり従って歴史がなくなる
◎ 一方で大量生産従順型のまじめ人間が求められ、他方で面白型人間が
求められている
↓
◎ まじめ人間だけでは新しい社会に適応できないし、面白人間だけでも
いずれ貧しい社会になってしまう
※「モダンとポストモダンの対立」
※「まじめ人間と面白型人間の対立」
※ モダン VS ポストモダン
※ 絶対的普遍主義 VS 相対主義
※ 集団主義 VS 個人主義