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「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑦ /「21世紀をになう子供たち」藤原正彦(お茶の水女子大学教授=当時) あすなろ夢講座21 20060215 於:グランシップ中ホール ①(前半)【再掲載 2017.5】 [読書記録 一般]

今回は、3月23日に続いて、武光誠さんの
「大人のための修学旅行 京都の歴史」7回目の紹介です。



出版社の案内には、


「日本史の流れをしっかりふまえたうえでもう一度京都を巡ってみた
 いという願望をかなえる“読む修学旅行”の本。歴史的舞台となった
 名所旧跡から、日本史の実像が浮かびあがる。」


とあります。




要約を読み直し、また京都を訪ねて確認したいと思いました。


今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「道真は平安時代最後の文人政治家」


・「道真の祟りの噂が広がった背景
道真は宇多天皇と醍醐天皇に引き立てられ右大臣に出世した。道真は
  朝廷支配を地方の実状にそって変えようとする立場だった。一方、
  時平は律令に従う支配、力ずくで租税を中央に収めさせようとする立
  場だった。藤原氏や源氏有力者は時平側についていた」


・「時平没後、時平の弟の忠平は祟りの話を自分の権力拡大に利用とした。
忠平は自分の系統を嫡流にするために時平悪人説を広めた。忠平の勢
力拡大とともに、道真の祟りの内容はかなり大がかりなものになって
  いった」


・「天徳3(959)年に忠平の子の師輔が大がかりな神殿に改めた。以降、
  天神が摂関家の守り神となっていった」




もう一つ、再掲載となりますが、藤原正彦さんの講演の要約、
「21世紀をになう子供たち」①(前半)を載せます。
会場のグランシップで、社会科サークルに誘ってくれたS先輩に偶然顔を
合わせてから、もう16年になるのだと驚きます。
藤原さんの考えは、今ではなかなか受け入れられなくなっているのかもし
れませんが、同じように感じることが多いのです。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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☆「大人のための修学旅行 京都の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ⑦

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◇藤原氏の盛衰を物語る国風文化と呪術信仰(2)

□祟り神となった菅原道真[北野天満宮①]

 荒ぶる神から学問の神へ
天満大自在天神

中世  商工民の信仰 
       → 各地の天神社の前に市  
       → 町に発展

近代  学問


 梅花を愛した文人・菅原道真
道真  平安時代最後の文人政治家

応天門の変(866年文人・伴善男が左遷された事件)の文人の地
      位の後退を嘆く詩

父は菅原是善
     藤原基経のもとで参議(文人貴族第一の家柄)


 道真の祟りの噂が広がった背景
道真 右大臣に出世(藤原時平に次ぐ地位)
宇多天皇と醍醐天皇の引き立て

   朝廷支配を地方の実状にそって変えようとする立場
←→ 時平は律令に従う支配 = 力ずくで租税を中央に
◎ 藤原氏・源氏有力者は時平側



   九州に左遷 903年亡くなる
直後から祟りの噂(道真に心を寄せた中下級貴族や庶民の仕業)

   ◎文人貴族も台風や天災のたびに道真の祟りであると言い立てた

909年  時平が39歳の若さで亡くなったことにより道真を神に祀る
        機運が熟した


 東向観音寺

 


□祟り神から守り神へ[北野天満宮②]
   
 藤原時平と天満宮
   時平没後、時平の弟の忠平は祟りの話を自分の権力拡大に利用

◎自分の系統を嫡流にするため時平悪人説
忠平の勢力拡大とともに道真の祟りの内容はかなり大がかりなもの
    になっていった

   天慶5(942)年 多治比父子に天神の信託

   947年    神良種にお告げ

      野寺(朝日寺)の僧 最鎮と力を合わせて祠
  ↓

   天徳3(959)年
     忠平の子の師輔 大がかりな神殿に改めた
   |
◎ 天神が摂関家の守り神


 恐怖心をあおる天神縁起の由来


 庶民に広まった天神信仰
秀吉 北野で大茶会 庶民にも参加呼びかけ

  ◎ 現在の天満宮の建物の多くは豊臣秀頼が作ったもの
片桐旦元を奉行として慶長12(1607)年に完成

◎ 桃山美術の粋


 北野廃寺跡
秦氏の勢力下
     広隆寺前身の蜂関寺?
中枢部分の太秦に移り広隆寺
跡地に野寺(朝日寺)がつくられた









☆「21世紀をになう子供たち」藤原正彦(お茶の水女子大学教授=当時) あすなろ夢講座21 20060215 於:グランシップ中ホール ①(前半)【再掲載 2017.5】


◇藤原正彦氏  

 父・新田次郎,母・藤原ていの次男として1943年満州にて生まれる。
1946年の引き上げの様子を書いた母の『流れる星は生きている』はベスト
セラーとなる。 

 東京大学理学部卒、理学博士。ミシガン大、コロラド大助教授、お茶の
水大助教授、ケンブリッジ大学での研修を経て、1989年より現職。

 夫人は磐田市出身。


◇「21世紀をになう子供たち」

□21世紀の子供たちに最も大切なものは次の3つである。

① 論理的思考力

 「船頭の腕力に当たるもの」
 

② 知識

「船頭の乗る、堅固な船に当たるもの」
 

③ 情緒力

「船頭の方向感覚に当たるもの」



①論理的思考力
 
「船頭の腕力に当たるもの」


 世界中の人が口にしている。 
(→数学者は人と同じことを言うことを恥とするから今回は説明しない)



②知識

 「船頭の乗る、堅固な船に当たるもの」


 最近の日本では、20年来知識を軽視してきた。私は知識が最重要であ
ると確信している。


 子供たちに創造性、独創性を求めるのはもってのほかである。


「自ら考える力」だとか「生きる力」だとか甘い言葉がはびこるのは残念。


小学校のうちは漢字を徹底的にたたき込むことが大切だと考える。




□小学校で 

 ◎ 漢字を徹底的にしごく
    
 ◎ 四則計算(分数・小数)をたたき込む



 ◎ 小学校では徹底的に知識をたたき込むことが大切である。


 知識の復活こそが必要である。


 小学校に英語・パソコン学習などもってのほかである。


 小学校から英語にたわむれていたら国際人は育たない。パソコンに戯れ
ていたらパソコンをつくる人がいなくなる。

 つくるには理数の学習が大切になるから。
 

 小学校のうちは、

「1に国語、2に国語、3、4がなくて5に算数。あとは10以下。」





◇「知識を取り戻す教育」

 子供に厳しい教育が必要である。


「子供中心の教育」とは「子供におもねる教育」につながっている。「子
供中心主義」の美辞麗句が先進国の教育をダメにしている。


必要なのは、徹底的に鍛えることだと考える。「きめ細かく厳しく教育
する」ことが大切になる。


 子供を傷付けずして教育はなしえない。


「耐える力」「がまん力」を身に付けさせることが最大の課題である。


「がまん力不足」は先進国共通の課題となっている。
   

 イギリスでも、かつては
  「テレビは家の中で最も環境の悪い位置に置かれる」
  「小遣いは仕事に対して与えられる」
  「悪い時は罰としてスリッパで尻を叩く = スパンク」
 などがあったが、これが薄くなってきたと同時に、教育上の諸問題が
吹き出してきた。


「がまん力不足」が端的に表れているのが、子供たちの「理数離れ」「読
書離れ」である。 


 国語社会科の本は寝転がっても読める。
 理数の学習は机に正対して時間をかけなければ分からない。時間に耐え
る時間がないと理数科の学習はできないし、その楽しさも分からない。


 読書はがまん。活字を一つ一つ丁寧に拾う作業の連続が読書であるから、
がまん力がないと読書はできない。


 子供の時に「がまん力」を身に付けさせることを主眼におくべきだ。




◇「まず第1は子供の個性を踏みにじること」

 今、必要なのは子供の個性を踏みにじることである。


 日本人は言葉の美醜にとらわれてしまう傾向にある。殺人犯の人格は踏
みにじられて良いと思う。何でも尊重すればよいというわけではない。


 悪い個性は踏みにじられる必要がある。子供はそれに耐え、がまん力を
身に付ける。
  

 もちろん、良い個性は大切にして伸ばすべきである。


 戦後の教育は、「身勝手」を助長してきていたのに過ぎない。
   

 子供におもねているうちは教育改革は成功しない。 


 先生と児童・生徒が平等ならおかしい。もちろん基本的人権以外は平等
ではない。
  

 子供におもねる教育が日本中に広まってしまっている。それが知識軽視
に表れている。
   

 戦前の「国家」「公」が、戦後「個人」にとってかわられてしまった。
何事も行き過ぎは良くない。中庸、バランス感覚が必要である。



③情緒力

 「船頭の方向感覚に当たるもの」
 


□重要な情緒力

 数学者は、研究しているうちに必ず「論理の限界」にぶちあたる。論理
は説得技術であるからだ。


 人間には何一つ平等なものはない。一切の自由はない。知能指数にも差
がある。しかし、その差は、努力・環境・性格で縮められる。


 私の知人にも、知能指数200でも数学の道をあきらめなければならなか
った人もいるし、知能指数138でも「天才」と呼ばれるようになった人も
いる。


 そのような差が生まれた要因は「美的センス」ではないかと考える。
 

 著名な数学者・岡潔(故人:奈良女子大学教授、教育者)も「情緒」の
重要性を説いている。

 岡先生は、
  「情緒とは、野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心だ」
と語っている。


 情緒を喜怒哀楽ととらえている人もいるが、それだけではない。私が
言う情緒とはもっと高度なものである。それは、教育的に培われるもの
である。
   

 例えば他人の悲しみを共に悲しむ心である。例えば友達の母親が亡く
なった時、1年生は悲しむことが少ないが、6年生になると悲しむこと
ができるようになる。

 それが教育的に培われた情緒だと言える。
   

 次に、「美的情緒」である。

 早期教育は、「教育では、良いことを重ねすぎると逆転して最悪にな
る」ことを証明することが多く見られる。


 イギリスに、ルース・ローレンツという少女がいた。11歳でオック
スフォード大学に入り14歳で博士論文、17歳でハーバード大学の講
師になったことで知られる、数学の天才と言われた女性で今30歳を過
ぎているはずだが、ここ12~13年名前を聞かなくなった。


 それは、子供自身が身に付けるべき大切な時期をスキップしすぎてし
まったからだと私は思う。


 彼女は天才だったのだが、一卵性親子とも言われるほどの彼女の父親
が彼女の才能をつぶしてしまった。


 天才だから、学問の天井までには行くことができる。しかし、学問を
進めるためには、それを突破させる何ものかが必要となる。その際、重
要な力を発揮させるもとが情緒力である。


 日常のくだらない体験が重要になるのである。


 例えばクラブで人間関係に悩んだり勉強との両立とで悩んだりするこ
とは、情緒力を培うことに必要なことだと言える。それを省くと楽にな
るのだが、大失敗に結び付いてしまう。

 

□論理的思考の欠陥

 論理的思考とは、「AならばB、BならばC、CならばD、・・・Zと
なる」と例えてみよう。その際、出発点のAは常に仮説である。
   
 その出発点となる仮説を選ぶのが情緒力(=それまでの経験)だと言え
る。Aを選ぶ際、おかしなことを選べば結論に到達するまでにおかしな
方向へとますますになっていく。


 情緒力が育っていないことは、危険なこととさえ言えるのではないか。

   
 論理力ももちろん大切だが、情緒力が育っているかいないかが決定的
なものとなる。
  

 船頭としての方向感覚が大切になる。

 

□大切な情緒 

 情緒の中でも、「美的感受性(美的情緒)」は重要である。日本人は、
この美的感受性が高いと言われている。それは日本人の文学を見れば分
かる。


 日本の文学(古代から中世までにおいては特に)は世界一だと言える。
万葉集から山ほど優れた文学作品を拾い出すことができる
                     (他国ではなかなか…)。


 この優れた美的感受性は、日本人の独創性に結び付いていた。その
美的感受性とは、「美しさ」「無常観=物のあはれ」「惻隠の情」など
である。
  

「はかないものに対して『美』を見いだすことができるのは日本人だ
けだ」とドナルド・キーン氏も語っている。 


 日本人の好む「もみじがり」は、西洋では行われない。


 西洋人にとっては、もみじは、死にかかった状態にしか過ぎない。
日本人だけが、死にかかった命に美を発見することができるのだ。


 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、次のように語っている。


「虫の音に聞き惚れるというのはヨーロッパでは類い希な詩人のみが
 しうることである。それを日本では普通の人が行っている」

と。


 また、なぜだろう、日本にはきれいな声でなく虫が多いのだ。
  


「もののあはれ」は、また、「自然にひざまずく心」である。欧米人に
とっては、「自然は征服すべき対象」であるのに、日本人にとっては
「自然は偉大であり、ただひざまずくのみ…といった存在」である。


 日本人は、自然と心を通わせることができるのだ。 


 七五調、五七調の短歌、俳句の伝統と人気がそれを物語っている。

岡潔先生は、
  
「日本人の数学がすごいのは俳句のおかげ」

だとさえ言っている。


 17字から31字で、目の前の世界から、宇宙にまで目を向ける想像
力が発揮されているのだ。俳句のイマジネーションが、数学のオリジナ
リティとつながっていると岡先生は見たのであろう。


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