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「致知」2003年9月号 ① /「辺境を歩いた人々」宮本常一 河出書房新社 2005年 ③(最終)【再掲載 2013.5】 [読書記録 教育]

今回は、「致知」
2003年9月号の要約の紹介 1回目です。


「致知」は月刊誌です。
3年前までは定期購読していました。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「感動というやつは人間を変えちまう。そして奥座に沈んでおる力をぎゅ
  うっと持ち上げてきてくれる - 椋鳩十」


・「人間は誤差の範囲で競っている-遺伝子から見れば人間は99.99%同じ」


・「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず
  一瞬遅すぎないときに - 森信三」


・「文学はもの言わぬ神の意志に文字を与えることである - 芹沢光治良」





もう一つ、再掲載となりますが、宮本常一さんの
「辺境を歩いた人々」③を載せます。
笹森儀助のことが少しだけ分かりました。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「致知」2003年9月号 ①

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◇牛尾治朗

 「和して流れず」岸信介 
   「中庸」の言葉
   
 「孤に徹し、衆と和す」大平正芳
   
  地位にふさわしい人格者を見出す  
「果たして優れた人物を競争を通して選べるか?」



◇特集・感動・笑・夢

 椋鳩十 
  30年ぶりの同窓会
「あのしらくもがこんな人物になるとは思わなかった。
   何かあったのか。」         |

 しらくも  
   息子に勉強させたい 
    → 自分も本を読もう
「ジャン・クリストフ」に感動 
    → 専門書(農業)
頼りにされる農業指導者になる

 椋
 「感動というやつは人間を変えちまう。そして奥座に沈んでおる力を
  ぎゅうっと持ち上げてきてくれる」



◇「感動」と「笑い」と「夢」が遺伝子をオンにする  村上和雄&横澤彪

 村上和雄 
   筑波大名誉教授 S11奈良県生 遺伝子工学

 横澤彪(やすし) 
   吉本興業相談役  S12群馬県生
元フジテレビプロデューサー  H7吉本入社

 いい遺伝子のスイッチを入れる
   いい遺伝子をオン 
   悪い遺伝子をオフに

 ミスマッチが面白い

 お笑いビデオで病気を治す時代
B&Bの漫才 
     1500遺伝子の内10がアップ5がダウン

   ◎ストレスにはネガティブなものもあればポジティブなものもある

 アホは自分のものさしをもつ
アホ … 面白い物に無条件で反応
   
 ノーベル賞受賞者 田中耕一

 人間は誤差の範囲で競っている
   遺伝子から見れば人間は99.99%同じ

◎もっと自分をさらけ出すような生き方を

 人知れず努力を重ねること
仮説を作る 
   本を読む

 夢が遺伝子のスイッチを入れる

 誰もが自分の花を咲かせられる 
◎授業はエンタティメント



◇サンティアゴの道が教えてくれたもの 壇ふみ&神渡良平

 神渡良平 
   S23鹿児島県生 九州大学医学部中退 38で倒れる

 壇ふみ
   女優 エッセイスト

 サンティアゴ・デ・コンポステーラ(基督教三代巡礼地の一つ)
キリスト直弟子12使徒の1人・聖ヤコブ(スペイン語でサンティ
  アゴ)の亡骸が眠る地

 全行程800㎞ 35日間歩く 
   サンティアゴ巡礼道(カミーノ)
   四国八十八か所 1400㎞

 君はきっと奇跡を体験する 
ブラジル人作家 パウロ・コエーリョ「星の巡礼」
→ 1993 カミーノ ユネスコの世界遺産
  サン・ニコラス礼拝堂「洗足の儀礼」

 すべては天の計らい
  「自分との対話のために」
すべては私に十分です = 感謝
   
 理性が働いてブロック 
   犬のように全身で喜びを表現できないか
◎ 素直に感動することはすてきなこと
   
 人生を渡る一番大切な秘訣  
森信三
   「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず
    一瞬遅すぎないときに」

  すべては神の御手に

 ワンランク上の人生に引き上げさせようとしていらっしゃる
I am given enough.

 善意が善意を呼ぶ

 人生をもう一度見つめ直したい 
   「聖なる道」になっている
どろどろの道 - 愚痴をこぼすまい

 カミーノは人生そのもの
辛いのは最初の四日間と最後のオーセブレイロ峠
サン・ファン・デ・オルテガ境界
ニンニクスープ ホセ・マリア老神父の善意

 芹沢光治良
  「文学はもの言わぬ神の意志に文字を与えることである」










☆「辺境を歩いた人々」宮本常一 河出書房新社 2005年 ③(最終)【再掲載 2013.5】

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◇笹森儀助

  北は千島,南は琉球・台湾までつぶさに歩いて民情を明らかにして多く
 の記録を残した。のち奄美大島司として島の開発に尽くす。


1 幕末の世に生まれて
  1845年 儀助誕生 父・重吉 弘前藩のお目付役
15~22歳 山田登門下で武芸の修行

  1870(明治3)年 弘前藩庁の租税掛 26歳


2 牧場の経営
1889(明治22)年 農牧社の社長


3 貧乏旅行に出る
1891(明治24)年4.5~6.13 70日間貧乏旅行


4 千島探検に向かう
命がけの調査 野宿も 4日間 シュムシュム島
  

5 南の島々へ 
1890年 『千島探検』

井上馨に勧められて南島へ(砂糖)
決死の覚悟 1893.5.10  49歳
田代安定に教わる 田代安定 1856.8.22 鹿児島生

  1609年 薩摩の琉球攻め
       → 支配下に
名前だけ琉球王国-実は薩摩藩の植民地

  明治22年 沖縄県に
   田代安定の沖縄旅行  通訳-安堂

  伊能嘉矩と台湾 1868年遠野生 明治28年台湾へ
1895-1945年 日本領土
学者の家に生まれて 坪井正五郎の元で勉強 - 人類学
台湾探検 1895(明治28)~  10年間調査 『台湾文化志』


6 儀助の南島採取
明治26(1893)年5.24東京出発  飲料水と風土病
  

7 大島島司として 
砂糖の権利とサツマイモが独占


8 朝鮮からシベリアへ


9 青森市長となる
明治35(1902)5月~明治36(1903)年12月
財政整理 水道

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