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月刊「少年育成」より ⑦-「日本バンスキング」(連載『やじうまんが』№157) 篠原ユキオ /「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ②【再掲載 2015.7】 [読書記録 教育]

今回は、5月19日に続いて、
キーワード「月刊『少年育成』」より7回目の紹介です。


今回も篠原ユキオさんの連載『やじうまんが』からです。
掲載されていた年と号は分かりません。



わが子の様子を見ていても、
金銭の使い方で気に掛かるところがあります。
子どもの頃に家事や畑仕事等、
もっと家の仕事を経験させればよかったなとも思います。
聖人になってから、上手に伝えることはなかなか難しいと感じます。




もう一つ、再掲載となりますが、城郭遺産による街づくり協議会の
「浜松の城と合戦」②を載せます。
執筆者のお一人、加藤理文さんは大変魅力的な方です。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆月刊「少年育成」より ⑦-「日本バンスキング」(連載『やじうまんが』№157) 篠原ユキオ

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 知人のご亭主が蒸発した。


 恵まれた家庭で育ち、一流と言える大学を出て一流の会社に入り、
才女の奥さんと結婚後、東京本社に栄転。何一つ問題の無い人生を
歩んでいるものと思っていたが、実際はずいぶん違ったようで、結
婚前からの内緒の借金が膨れに膨れ、ついに仕事も家庭も放り出し
て行方不明になつたというのである。


 実は彼にはこういう事件が以前にも一度あって、過保護の親がそ
の尻拭いをして何とか収まったらしいのだが、再び蒸発。


数週間後に帰ってきたものの今度は動きが取れず、自殺未遂の後、
最終的に自己破産の道を選んだということだった。


『借金は病気やからね。覚醒剤と一緒で習慣性があるからね。あな
たがそれを許容できるなら二人でやり直すのもいいけど、2度と
こんな事は無いと信じているならそれは大きな間違いだよ。1度有
ることは2度有るし、2度有ることは確実に3度有るよ』

とアドバイスしたが、その後どうなったのか今だに連絡は無い。
 

昔の子どもたちは

「欲しい物が有れば何日かよく考えてごらん、それでも欲しければ
少しずつお小遣いを貯金して買えばいい」

と親から言われて育ったものである。
 

 もちろん、今もなお、そういう教育をされている家庭も有るかも
しれないが、殆どが『買い与える、あるいは援助してやる」といっ
た傾向に大きく傾いている。


 そんな事に慣れてしまった若者達は社会人になっても、自分の経
済力以上のものを欲しがり、欲しくなると何としてもすぐに手に入
れようと考える。


 当然、今の安月給では無理だから借金をする。


 簡単な手続きで何十万かのお金が懐に入ってくる。

 
 使った後は、こつこつと毎月返し続けなければならないのだが、
このしんどさが連中には実感として希薄なようで、又、別の借金に
走るのである。


 分不相応なブランドものに身を包み、『やっぱり本物は違うわネ
エ!』などと中身の無い会話をしている若者たちを見ていると嘔吐
感さえ覚える。


 そういえばわが国も自分の能力以上の国債を乱発し、格付け会社
からは先進国で最低のランクに下げられてしまった。

「親が親なら子どもも子どもじゃ」

と言われそうな情けない状況なのである。


 中身の無い自分を別のもので飾りつけるために借金をしてまでも
目一杯の見栄をはる、そんな連中を標的に、さも借金がお洒落なラ
イフスタイルであるかのように思いこませる消費者金融の洗脳CM
が満面の笑みをたたえて、今日もテレビから甘い言葉をささやき続
けている。








☆「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ②【再掲載 2015.7】

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◇織田・豊臣時代の遠江の城 加藤理文

□織豊系城郭の成立と展開  【石垣+瓦葺建物】
   
 3つの建物(橋、倉庫、御殿)で機能

 信長の安土城 
  - 新技術  ◎ 本体は山の上

 秀吉の大阪城
  - 新技術  ◎ 低地に築城 = 政治的な意味合い
| 平和の到来
 ◎ 秀吉は見せつけたかった
   配下の武将にも同構造の城を造らせる(ミニ大阪城)
↓例 近江・佐和山城
      抑止力になる
  


□東海地域における織豊系城郭の誕生 

 【石垣山城】
  - 小田原攻めの時秀吉が造った陣城




◇今よみがえる浜松城  三浦正幸

□浜松城の縄張りと建物の概略
日本でもトップクラスの城

 天守、天守以外も
   - 城の規模 が非常に大きい
     四万あるうちのトップ10に入る

 元城小あたりが二の丸 
石垣の部分は天守曲輪と本丸部分のみ
残りはほとんど土塁

 二の丸に浜松城主が住んでいた(ほとんどが老中-江戸にいた)
「鉄門」くろがねもん 
       50万石以上にしかないはずだが・・・高い格式
     |
   ◎江戸時代  店主がなくなっていて規模は巨大だが建物は貧弱



□天守曲輪と天守台 
 不等辺多角形
  - おおざっぱに7角形
   
 天守台も不等辺多角形 
  - 技術不足

豊臣時代(関ヶ原以後は技術革新)



□浜松城天守の大きさ
天守台 
   大きい 八間四方(現在は八間×五間)
∥ ◎本来は今の天守より大(1階床面積1.5倍以上)
松本城に匹敵するぐらいの巨大天守と予測

 浜松城天守が今残っていたら日本で五本の指に入る巨大天守
           | (関ヶ原以前としては最大)
◎ 堀尾吉晴の「大きな天守好き」 松江城も
  


□浜松城天守の規模形式  
   
【三重四層】か【四十四層天守】



□天守台の歪みと天守台の特徴 
   
 天守に地下室
  ~ 穴蔵の中に井戸
   
望楼型と層塔型の天守



□二の丸御殿の構成 
 日本で五番目ぐらい(の○○)


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