月刊「少年育成」より ⑩-「木陰の物語 第29話『選べない日々』 団士郎 (出版年月不明) /「朝には紅顔ありて」 大谷光真 角川書店 2003年 ①【再掲載 2011.10】 [読書記録 教育]
今回は、5月29日に続いて、
キーワード「月刊『少年育成』」より10回目の紹介です。
今回は団士郎さんの連載『木陰の物語』からです。
まとめたものが、ホンブロック社から出されています。
出版社の案内には、
「カウンセラーとして、30年間で1000家族との面談をしてきた著者。
家族について、じっくりと考えたい人に読んでいただきたい、 あた
たかい本ができあがりました。
公立児童相談機関で25年間、家族を対象にしたカウンセラーとして
活動した著者・団士郎がつづる家族の物語、16編。
その経験から出会った家族の豊かなエピソードを、読みやすい漫画エ
ッセイで紹介します。
家族をもつすべての人に。子どもに関わる仕事に就いている人に。人
生の分岐点に立つ人に。
これまで見過ごしがちだった『家族』という形をいま一度振り返るた
めの、大人のための練習問題。力を抜いて、ページを開いてみてくだ
さい。
コラム寄稿は、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さん、映画作家の
大林宣彦さん、デザイナーのセキユリヲさん。」
とあります。
ここに書かれている父親像、いいですね。
練習問題の解答は各自が出さなくてはなりませんし、考えた抜いた解答
が 、例えうまくいかなかったとしても正解だと思います。
もう一つ、再掲載となりますが、大谷光真さんの
「朝には紅顔ありて」①を載せます。
先日も大変お世話になった近所の方の浄土真宗のお通夜で聞いた、
蓮如さんの「白骨の御文章」。
心に響きました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑩-「木陰の物語 第29話『選べない日々』 団士郎 (出版年月不明)
◇「団さん、これみてみ」
友人が古いハガキを出した。
赤茶けた5円ハガキ。
彼に宛てて出された、父親からのものだという。
父親は彼が幼い頃に亡くなったと聞いたような気がしていたので、エッ
と思った。
それは,夜行列車の中で息子宛に書かれたものだった。出張で東京に向
かう車中、米原駅あたりでソバ定を食べた話がかいてあった。
単身での営業だろうか。夜行列車の窓から見える家々の灯りと、窓に映
る自分の姿を見比べながら息子にハガキを書く…こんな父親もあるんだ…
と思った。
「親父はキャッチボールが上手くてよく相手をしてくれて」
「ユニホームも町内で一番に作ってくれた」
長いつきあいながら、彼の父親のことを初めて聞いた気がした。
そういった後
「でも、突然いなくなった」
と言った。
蒸発である。
二人の兄弟と母親の生活が始まったのだという。
「人にこの話ができるようになるまで、三十年かかった…」
そう語る彼も、二人の子の父親だ。
母親と私が台所でロ論していた。
ことの起こりは友達の高校の学園祭。
毎月の小遣いとは別に母が千円手渡してくれた。
持っていると安心だが、それほど学内で遣うことがあるわけではなかっ
た。
五百円以上残して帰宅して、母にその精算をしようとしたときのことだ
った。
まだ五百円札が普通の時代だった。
そういってポケットやカバンの隅々まで探した。
しかし,見あたらないで前述のような 長いロ輪になっていた。
納得いかない私は,家の中を探し始めた。
そして玄関の運動靴の下に踏みつけられた五百円札を見つけた。
「ほら!あったな、言った通りや!」
そう叫んで、母に手渡した。
二週間ほど経ったある日、母がこんな話をした。
「この間の五百円札な-、あれお父さんがおいとかはったんやって」
茶の間でナイターを見ていた父が、口論を聞いていてしたことだという。
ことの大小は様々だが、子どもには想像できないことが家族には時々起
こる。
様々な記憶を抱えた息子達が、やがて父親になってゆくのである。
☆「朝には紅顔ありて」 大谷光真 角川書店 2003年 ①【再掲載 2011.10】
◇人はなぜ生きるのでしょう
その答えを探すために生きるのです
なぜ生きるのかと悩み、生きる目的を考える力こそ人間のすばらしさ
◇人は皆願われて生を受けています
名前の意味
初参式
~たくさんの願い 社会から
「生かされている」いのち
- 願いの中に人生の味わい
◇人は誰でも自分に都合良く生きようとするものです
善人とは誰?
人間の考える「善」はどんなに本人がそのつもりでも独りよがりなもの
↓
常に「自分の至らなさ、悪さ」に気が付く生き方を!
◇洗いざらい思い返せばそんなに潔白な人はいないはずです
真宗の「悪い人」 - 「我」を破る者
(例) 生き物を殺さない
→ 誰もがいのちを奪って生活
= 皆が「悪人」
親鸞 「煩悩を捨てられず戒めを破っているような人間であっても救われ
る道はあるはずだ」と考えた
∥
◎ 自己を真摯に振り返り自らの行いに「悪人」の自覚をもっている
人間こそが救われる
~ 「悪人正機」
◎ 本当の意味での善人すべてにおいて潔白な人などいるはずがない
◇欲望はあって当然 押さえつける必要はありません
2500年前のインド
「三衣一鉢」当時ゆとりがあったらからこそ
お釈迦さま
~ 「中道を歩む者がよし」とされた
「少欲知足」 禁欲ではない
◎ 知足の精神こそ大切 管弦楽の弦と同じ
仏教の五戒(在家)
① 殺生しない
② 盗んだり働かなかったりしない
③ 邪淫を犯さない
④ 嘘をつかない
⑤ 酒を飲まない
◎ しかし、浄土真宗には戒めはない
~ わたしたちが戒めを破ってしか生きられない悪人だから
自分の意志による戒め
↓
◎ 少欲知足
自分自身で判断
「ふと立ち止まり、自分がよい音色を奏でる楽器となっているかどうか思い
浮かべてみたいものです」
◇憎しみも怒りも元を正せばあなたの欲望です
人間は欲望があって当然
|
憎しみも怒りも自分の欲望がなせるわざ
= 自分の心が生んだもの
<以下略>
キーワード「月刊『少年育成』」より10回目の紹介です。
今回は団士郎さんの連載『木陰の物語』からです。
まとめたものが、ホンブロック社から出されています。
出版社の案内には、
「カウンセラーとして、30年間で1000家族との面談をしてきた著者。
家族について、じっくりと考えたい人に読んでいただきたい、 あた
たかい本ができあがりました。
公立児童相談機関で25年間、家族を対象にしたカウンセラーとして
活動した著者・団士郎がつづる家族の物語、16編。
その経験から出会った家族の豊かなエピソードを、読みやすい漫画エ
ッセイで紹介します。
家族をもつすべての人に。子どもに関わる仕事に就いている人に。人
生の分岐点に立つ人に。
これまで見過ごしがちだった『家族』という形をいま一度振り返るた
めの、大人のための練習問題。力を抜いて、ページを開いてみてくだ
さい。
コラム寄稿は、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さん、映画作家の
大林宣彦さん、デザイナーのセキユリヲさん。」
とあります。
ここに書かれている父親像、いいですね。
練習問題の解答は各自が出さなくてはなりませんし、考えた抜いた解答
が 、例えうまくいかなかったとしても正解だと思います。
もう一つ、再掲載となりますが、大谷光真さんの
「朝には紅顔ありて」①を載せます。
先日も大変お世話になった近所の方の浄土真宗のお通夜で聞いた、
蓮如さんの「白骨の御文章」。
心に響きました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑩-「木陰の物語 第29話『選べない日々』 団士郎 (出版年月不明)
◇「団さん、これみてみ」
友人が古いハガキを出した。
赤茶けた5円ハガキ。
彼に宛てて出された、父親からのものだという。
父親は彼が幼い頃に亡くなったと聞いたような気がしていたので、エッ
と思った。
それは,夜行列車の中で息子宛に書かれたものだった。出張で東京に向
かう車中、米原駅あたりでソバ定を食べた話がかいてあった。
単身での営業だろうか。夜行列車の窓から見える家々の灯りと、窓に映
る自分の姿を見比べながら息子にハガキを書く…こんな父親もあるんだ…
と思った。
「親父はキャッチボールが上手くてよく相手をしてくれて」
「ユニホームも町内で一番に作ってくれた」
長いつきあいながら、彼の父親のことを初めて聞いた気がした。
そういった後
「でも、突然いなくなった」
と言った。
蒸発である。
二人の兄弟と母親の生活が始まったのだという。
「人にこの話ができるようになるまで、三十年かかった…」
そう語る彼も、二人の子の父親だ。
母親と私が台所でロ論していた。
ことの起こりは友達の高校の学園祭。
毎月の小遣いとは別に母が千円手渡してくれた。
持っていると安心だが、それほど学内で遣うことがあるわけではなかっ
た。
五百円以上残して帰宅して、母にその精算をしようとしたときのことだ
った。
まだ五百円札が普通の時代だった。
そういってポケットやカバンの隅々まで探した。
しかし,見あたらないで前述のような 長いロ輪になっていた。
納得いかない私は,家の中を探し始めた。
そして玄関の運動靴の下に踏みつけられた五百円札を見つけた。
「ほら!あったな、言った通りや!」
そう叫んで、母に手渡した。
二週間ほど経ったある日、母がこんな話をした。
「この間の五百円札な-、あれお父さんがおいとかはったんやって」
茶の間でナイターを見ていた父が、口論を聞いていてしたことだという。
ことの大小は様々だが、子どもには想像できないことが家族には時々起
こる。
様々な記憶を抱えた息子達が、やがて父親になってゆくのである。
☆「朝には紅顔ありて」 大谷光真 角川書店 2003年 ①【再掲載 2011.10】
◇人はなぜ生きるのでしょう
その答えを探すために生きるのです
なぜ生きるのかと悩み、生きる目的を考える力こそ人間のすばらしさ
◇人は皆願われて生を受けています
名前の意味
初参式
~たくさんの願い 社会から
「生かされている」いのち
- 願いの中に人生の味わい
◇人は誰でも自分に都合良く生きようとするものです
善人とは誰?
人間の考える「善」はどんなに本人がそのつもりでも独りよがりなもの
↓
常に「自分の至らなさ、悪さ」に気が付く生き方を!
◇洗いざらい思い返せばそんなに潔白な人はいないはずです
真宗の「悪い人」 - 「我」を破る者
(例) 生き物を殺さない
→ 誰もがいのちを奪って生活
= 皆が「悪人」
親鸞 「煩悩を捨てられず戒めを破っているような人間であっても救われ
る道はあるはずだ」と考えた
∥
◎ 自己を真摯に振り返り自らの行いに「悪人」の自覚をもっている
人間こそが救われる
~ 「悪人正機」
◎ 本当の意味での善人すべてにおいて潔白な人などいるはずがない
◇欲望はあって当然 押さえつける必要はありません
2500年前のインド
「三衣一鉢」当時ゆとりがあったらからこそ
お釈迦さま
~ 「中道を歩む者がよし」とされた
「少欲知足」 禁欲ではない
◎ 知足の精神こそ大切 管弦楽の弦と同じ
仏教の五戒(在家)
① 殺生しない
② 盗んだり働かなかったりしない
③ 邪淫を犯さない
④ 嘘をつかない
⑤ 酒を飲まない
◎ しかし、浄土真宗には戒めはない
~ わたしたちが戒めを破ってしか生きられない悪人だから
自分の意志による戒め
↓
◎ 少欲知足
自分自身で判断
「ふと立ち止まり、自分がよい音色を奏でる楽器となっているかどうか思い
浮かべてみたいものです」
◇憎しみも怒りも元を正せばあなたの欲望です
人間は欲望があって当然
|
憎しみも怒りも自分の欲望がなせるわざ
= 自分の心が生んだもの
<以下略>