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「三方原の戦い」小和田哲男 学研M文庫 2000年 ④(最終) /「志」について 鍵山秀三郎  ② (出典不明) 【再掲載 2016.8】 [読書記録 歴史]

今回は、5月28日に続いて小和田哲男さんの
「三方原の戦い」の紹介4回目 最終です。




出版社の案内には、


「元亀三年十月、甲府に発った二万五千の武田軍は、遠江の三方ヶ原の
 戦いで徳川家康を撃破し、そのすごさを天下に知らしめた。この遠征
 を真の目的とはいったい何だったのか?はたして信玄に天下盗りの野
 望はあったのか?戦国史研究の第一人者が、豊富な資料を駆使して三
 方ヶ原までの道程を詳しく分析しつつ、緻密な推理で“戦国史の謎”
 に迫る。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「信玄の、家康を浜松城からおびき出す作戦が『三方原の戦い』
  家康は信玄の挑発に乗ってしまった。」


・「『犬のような』と表現される滅私奉公の論理に裏付けられた三河武士
の忠誠心により家康は命拾いした。」


・「信玄の死に救われた信長と家康」






もう一つ、再掲載となりますが、鍵山秀三郎さんの
「志について」②を載せます。
中学生に向けての講演会の内容の一部ですが、
大人のわたしの心にも大きく響きました。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
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☆「三方原の戦い」小和田哲男 学研M文庫 2000年 ④(最終)

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◇おびき出された家康

 信玄方 
   25000

 家康方  
   8000 + 3000(信長援軍)=11000

◎「兵多きが勝つ」兵法の原則

 信玄の「家康を浜松城からおびき出す」作戦 = 三方原の戦い
  ~ 家康は信玄の挑発に乗ってしまった ~



◇戦いは石合戦で始まった

 三方原に信玄軍が待ちかまえていた
5時頃から戦が始まった

「八備」崩され総退却

 家臣が家康の身代わりになり死んでいき命からがら浜松城に逃げ帰る
夏目吉信 
      家康の身代わりに
布橋一丁目に碑
松井(鎧)
   鈴木久三郎(采配)

◎「犬のような」と表現される三河武士の忠誠心
      |
   ◎ 滅私奉公の論理に裏付けられた三河武士の忠誠心により家康
    は命拾い
      ↓
   ◎ 家康にとり譜代家臣は宝

◎ 途方に暮れ呆然とした姿を絵師に描かせ、それを常に身の回
    りに置いていた
     ~ 徳川美術館の家康画像

自分が慢心しそうになるとこの絵を取り出してながめ、苦しか
    った頃のことを思い出していた

◎ 失敗の経験をプラスに転化



◇「空城の計」は史実か?
   
 信長援軍の将・平手汎秀
   道に迷い、稲場で討たれる
    - 石碑と墓


 信長援軍の将・佐久間信盛
戦線離脱
    → 味方を見殺し のち信長により追放される

 ◎ 一人の人間の生死を度外視して、「家」の存続と発展という面から
  考えると、戦場で死ぬというのは最大の名誉であり、家名存続の方
  法であった。
       ↓
 ◎ 生き恥をさらすな
     → 日本の軍隊に


 逃げる家康の後を山県昌景と馬場信房らの隊が追撃

帰城 
   → 城門を開け放ちかがり火を焚くよう命じる
    ◎ 城内で太鼓「酒井の太鼓」(歌舞伎) 
- 史実ではない
     → 家康の神格化    
◎ 逃げ帰ってくる将兵が後を絶たず、収容する必要から



◇犀ヶ崖の夜襲

 「浜松御在城記」
大久保忠世と天野康景の二人
   
 当時 深さ10m 幅4~5mの崖

 鉄砲をかき集め、100騎ほどで奇襲を掛けた 12月22日
→ 逃げ場を失いたくさんの武田軍が落ちて死んだ

浜松城側に橋を渡り追い返されるときは橋をとられていたため落ちて
しまった
 - 夜襲は史実



◇信玄の死に救われた信長と家康

 刑部で越年する信玄
三方原の戦い 元亀3(1572)年12月22日
午後5時~夜半 徳川方大敗

武田信玄 首実検
23日朝 犀ヶ崖北方の本陣で
1000余りの首をとる


 刑部(細江町中川)で陣
通称刑部に刑部砦 砦跡 3陣
元亀3(1572)年12月22日
     ~ 元亀4(1573)年1月3日
→ 信玄の病気が悪化



◇野田城の戦い

 刑部 → 野田城



◇信州駒場で死去

 信玄の死とその影響
死は3年間秘密に
   → 室町幕府の滅亡に









☆「志」について 鍵山秀三郎  ② (出典不明) 【再掲載 2016.8】

◇「三つの幸せ」について

 人間は一人の例外もなく、幸せに生きたいという願望を持っています。


 しかし、どうしたら幸せな生き方ができるのか。具体的にわからない
人も多いのではないかと思います。


 そこで、私がGLAの高橋佳子先生から教わった「三つの幸せ」をご
紹介します。

 幸せな生き方をするための参考にしてください。
 


 幸せには三つあるといわれます。
 

 一つ目の幸せは、してもらう幸せです。
 

 皆さんが赤ちゃんのとき、お腹が空いたといっては泣き、オムツが濡
れたといっては泣きました。

 
 するとお母さんが飛んできて、おっぱいを欧ませてくれたり、オムツ
を替えてくれましたね。


 そのとき皆さんは幸せでした。


 これが「してもらう幸せ」です。
 


 二つ目は、自分でできるようになった幸せです。
 

 字が書けるようになった。一人で自転車に乗れるようになった。サッ
カーがうまくなった。


 これが「できる幸せ」です。


 何でも自分でできるようになると、偉くなった気がして嬉しいもので
す。




 でも、その次の幸せがあります。それが、「人にしてあげる幸せ」で
す。

 人がしてほしいことをしてあげれば喜ばれますね。そんな人は頼り
にされます。


 人に物を差し上げる、自分の身体と時間を使って何かして差し上げ
る、相手の喜こぶして相手の喜びをわが喜びとする。


 この幸せを大事にしていただきたいの「してあげる幸せ」は三つの
幸せのなかでも最高の幸せです。



 さあ、皆さんも「してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進み、
そして「してあげる幸せ」を味わえる人になってください。

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