「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号) /「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1988年 ①【再掲載 2018.3】 [読書記録 一般]
今回は、月刊『ラジオ深夜便』より、五木寛之さんの
「涙と悲しみ」を紹介します。
五木寛之さんは、ラジオ深夜便に随分以前から出ておられます。
月刊『ラジオ深夜便』は文章で放送を振り返ることができるのが好きです。
泣いたり涙を流したりすることも大切ですね。
もう一つ、再掲載となりますが、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」①を載せます。
「モーニングショー」での坂東さんのトークを覚えている人も
かなり少なくなったのだろうと想像されます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号)
◇涙と悲しみの効用
浄土真宗の開祖親鸞が亡くなったのは、90歳のときでした。
臨終のときを悟った親鷺は、弟子たちに次の言葉を残したとされています。
「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人
は親鸞なり」(『御臨床の御書』)
仏の教えを広めることに生涯をささげた親鸞は、この世の命が尽きたあとも、
仏の道を歩み続けようとしていました。
自分はこれから極楽浄土へ往き、仏になって帰ってくる。
だから弟子たちよ、一人でいるときは二人だと思いなさい。
二人でいるなら三人だと思いなさい。
うれしいときも、悲しいときも、決して一人ではない。親鸞はいつも皆の
そばにいるから。
そう言って旅立っていったというのです。
◇心と体は誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切らない。
私たちは一人ではない。
親鸞のこのメッセージは、宗教や宗派の違いを超え、信仰の有無とも関係な
く、現代の私たちに通じるものがあります。
ほかならぬ自分自身の心と体が、いつでもどこでも自分とともにいてくれる
最も親しい友であり、誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切るこ
とのない存在だからです。
私が健康に関して発言し始めたのは、かれこれ20年以上前のことでした。
当初から、人間の心と体は一対のものと捉え、『こころとからだ』(1996
年)というタィトルの本も刊行しています。
例えば、「日本人の二人に一人はがんになる」などと言われるほど、長寿社
会を生きる私たちにとって、がんは身近な病気になっています。
発症の要因はさまざまあるものの、ストレスががんを招く大きな要因の一つ
であることは定説になっていると言っていいでしよう。
「病は気から」というわけですが、では、強いストレスにさらされている人が
必ず病気になるかというと、そうでもないところが不思議です。
私自身、小説家としてデビューして半世紀、日々ストレスの連続でした。
きょうが締め切りなのに原稿が上がらない、いっそどこかに身を隠してしま
いたいと思うような場面を数限りなく経験してきました。
そんな私が、86歳の今もこうして原稿と向き合う毎日を過ごしていること
から見ても、ストレスだけが病気のもとではないことは明らかでしょう。
そうなると今度は、ストレスには良いストレスと悪いストレスがあるのだ、
という説が浮上してきます。
大変でもやりがいを感じられる仕事は良いストレス、いやいやながらやら
される仕事は悪いストレス、といったところでしょうか。
果たしてストレスをそんなふうに二つに分けることができるのか、私自身
はちょっと疑問に思ってはいるのですが、そうはいっても、人生も後半に入
るあたりから、当然のことながら、誰しもフィジカルに体力は落ちてくるも
のです。
そこをカバ-していくためには、やはり、心を整えて気持ちに余裕を持た
せることがとても大事になってくると思うのです。
◇ストレスから心を解き放つには、マイナスと呼ばれる感情を否定しないこと。
そこで問題になってくるのが、ストレスからいかに心を自由に解き放つかと
いうことです。
よく言われるように、運動はストレスを解放する有効な手段の一つです。
あるいは、笑ったり、楽しいことを考えるのもよい方法とされています。
中でも、笑いについては医学的な見地からも研究が進んでおり、その効用は
一般にも広く認識されるようになりました。
確かにそのとおりなのだと思います。
しかし私は、あえて問題提起をしたいのです。戦後長い間、笑うことや明る
いことを考えることなど、いわゆるプラス思考の状態だけが価値あるものとさ
れ、それらの対極にある、泣くこと、悲しむこと、悩むことはマイナス思考と
呼ばれ、悪いストレスと決めつけられてきはしなかったかと。
しかし、悲しいできごとを回想することによって、その悲しみが少しずつ薄
らいでいくこともあるのです。
ですから私は、プラスの感情だけではなく、マイナスと呼ばれる感情も大事
にすべきだと考えています。
◇神代の昔から泣くことを大事にした日本人。戦争によって、泣くことが弾圧されていった。
民俗学者の柳田國男は、1941(昭和16)年に「涕泣史談」という文章を発表し
ています。
「涕泣」とは、涙で顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きじゃくる状態のことで、
このタイトルはさしずめ、「泣くことに関しての歴史」といったところでしょう
か。
その中で柳田は、日本人が近頃あまり泣かなくなつたとして、「最近五十年
百年の社会生活において、非常に激変した一事項」と指摘しています。
柳田によると、昔の日本人は非常によく泣いていたそうなのです。
しかも、時と場所、状況によって泣き方を使い分けていたらしい。つまり、
日本人は泣くことを大事にした民族であったというのです。
神話や物語の世界にもそれは表れていて、確かに、荒ぶる神須佐之男命
が、天も落ちよ地も裂けよとばかりに豪快に泣いています。
あるいは俊寛僧都はじめ、江戸時代の人気浄瑠璃作家•近松門左衛門が描い
た人間たちも実によく泣きます。
一方、「涕泣史談」が発表されたのは太平洋戦争開戦の年。
日本男児たるもの泣いてはならぬという空気がみなぎっていた時代です。
それは男性に限ったことではなく、当時少年だった私にも、「銃後の母」な
る美談仕立ての話が新聞紙面を飾っていた記憶があります。
戦死した一人息子が白木の箱になって帰ってくる。
それを迎えた老いたる母は、涙一滴こぼさず、「お国のために立派に死んで
くれました」と静かにほほ笑んでいたというのです。
それほどに、あの時代は泣くことが弾圧されていたということでしょう。
戦後になると、占領下でアメリカ的な明るい暮らしやプラス思考が一種の
憧をもって語られ、それがいかに心にも体にもいい影響を与えるラィフスタ
イルかという側面ばかりに光が当てられる時代が、長く続くことになります。
さらに、経済成長という新たな戦争を背景に、「泣いている場合ではない」
という前のめりの固定観念が、日本人の間に蔓延していったのではないでし
ょうか。
◇心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはできない。
その日本経済も右肩下がりの時代を経験し、ここ十年ほどの間に少し風向
きが変わってきました。
涙すること、嘆くことでむしろ心が浄化され、体が活性化することもある
のはないか、と言われるようになってきたのです。
心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはでき
ない、ということも言われるようになりました。
悲しみの効用について、本居宣長が『石上私淑言』の中でこんなことを書
いています。
生きている以上、誰しも必ず悲しみに出合う。
その悲しみを心に閉込めていては永遠に解放されない。
悲しいときは「ああ、悲しい」と声に出しておらべと。
つまり、悲しみは生きるエネルギーに転化できるということです。
そう考えると、『曽根崎心中』や『金色夜叉』といったお芝居を見て存分
に涙を流し、すっきりした顔で劇場を後にする人たちの明るい顔にも得心が
いくというものです。
明治、大正、昭和に流行した浪曲や浪花節にも、誰もが涙するストーリ
が実に多かった。
人々はそうやって、明日の生きるエネルギと勇気を取り戻してきたので
はないでしょうか。
私自身の引き揚げ体験を思い返してみても、難民としての苦しい日々の中
で、戦前の歌謡曲や演歌など、センチメンタルな歌をみんなで歌っていた記
憶があります。
つらいとき、人はその気持ちのまま、悲しい歌を聴き、歌うことで慰めら
れる。
明るく元気な歌は意外にも、今まさに艱難辛苦を味わっている人の心を励
ますことにつながりにくいものなのです。
涙や別れを歌うことの多い演歌や歌謡曲を「後ろ向きで古臭い」と軽んじ
る人がいますが、そうではないと私は思います。
人々は、涙する代わりに、哀切なメロディーに悲しみを昇華しているので
す。
それは、大きなストレスや悩みを浄化する術として、庶民が体験的に身に付
けた知恵なのかもしれません。
弱い人間が悲しい歌を歌うのではない。
むしろ、逆境に立ち向かおうとするとき、人は悲しみの歌を歌い、それによ
って生きる力を取り戻すことがあるのです。
世の中が大変な勢いで変化していくこの時代に、私たちは百年生きられるか
もしれない命を授けられ、生まれてきました。
その中で、いかに自分の心を治めていくか。それは、避けて通れないテーマ
といえるでしょう。
その意味で、骨や筋肉に強い負荷をかけ、破壊された細胞の再生力で体を作
っていくボディービルのトレーニング理論になぞらえれば、心にも適度な負荷
をかける必要がありそうな気がします。
笑うことによって心を緩め、泣いて負荷をかける。そのどちらをも否定せず、
自分の心と体を一体のものとして、長く治めていきたいものです。
車好きの私のことですから、自動運転が実用化されたら、ひょっとして90歳
を過ぎたころにまた車に乗れるかもしれないヽなどと空想を重ねつつ、この先世
の中がどうなっていくのか、見届けたい思いを強くしている今日このごろです。
2018年12月10日放送/聞き手・渡邉幹雄
☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1988年 ①【再掲載 2018.3】
◇愛情について
□ゲーテ
「天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして
人間には愛がなければならない」
□愛は「の」の字から始まる
愛は受けるもの(心理学)
= 心からそれを受け入れてやる
「の」の字さえつけておけばよい
例「あらあ、ほめられたの」
↑
そのまんま繰り返せばよい
人間は知と情
情で返すのが愛
□愛の反射鏡を磨く
言った言葉と同じ言葉を言って、顔も同じになって同じ気持ちになる
情を受け入れてやるのは大切
□認めてもらいたい願い
反射鏡
= 喜びが二倍になる、痛みは半分にしてくれる
□褒めて育てて大学者
カルタシス(浄化)
- 苦しいことをみんな聞いてもらえばほっとする
芥川龍之介
「ほんとにいい友達というのは、語るによく、訴えるによい」
□27秒の自制心
勇気を与える忍耐力
ほしいという気持ちは平均27秒(フロイト)
→ それだけの時間稼ぎをすればよい
◇幸福について
□笑顔を忘れないで
安い化粧品でも笑っていればきれいになる
奥さんの顔
= うちの中の太陽
= オクサン(SUN)
お母さんの顔つきが檀那さんの幸せを決めるのです
「幸せに振る舞うこと」
マカレンコ
「いい子供は必ず幸せなお母さんと一緒にいる」
□心のスイッチ右左
心のスイッチ左側
何でも悲観的に考える人
ないないづくし ないない考えれば不幸せ
↑↓
心のスイッチ右側
主体性・自主性
見られる自分のことを「自己」セルフ
見る自分を「自我」
自我が満足することが大切
「涙と悲しみ」を紹介します。
五木寛之さんは、ラジオ深夜便に随分以前から出ておられます。
月刊『ラジオ深夜便』は文章で放送を振り返ることができるのが好きです。
泣いたり涙を流したりすることも大切ですね。
もう一つ、再掲載となりますが、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」①を載せます。
「モーニングショー」での坂東さんのトークを覚えている人も
かなり少なくなったのだろうと想像されます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号)
◇涙と悲しみの効用
浄土真宗の開祖親鸞が亡くなったのは、90歳のときでした。
臨終のときを悟った親鷺は、弟子たちに次の言葉を残したとされています。
「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人
は親鸞なり」(『御臨床の御書』)
仏の教えを広めることに生涯をささげた親鸞は、この世の命が尽きたあとも、
仏の道を歩み続けようとしていました。
自分はこれから極楽浄土へ往き、仏になって帰ってくる。
だから弟子たちよ、一人でいるときは二人だと思いなさい。
二人でいるなら三人だと思いなさい。
うれしいときも、悲しいときも、決して一人ではない。親鸞はいつも皆の
そばにいるから。
そう言って旅立っていったというのです。
◇心と体は誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切らない。
私たちは一人ではない。
親鸞のこのメッセージは、宗教や宗派の違いを超え、信仰の有無とも関係な
く、現代の私たちに通じるものがあります。
ほかならぬ自分自身の心と体が、いつでもどこでも自分とともにいてくれる
最も親しい友であり、誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切るこ
とのない存在だからです。
私が健康に関して発言し始めたのは、かれこれ20年以上前のことでした。
当初から、人間の心と体は一対のものと捉え、『こころとからだ』(1996
年)というタィトルの本も刊行しています。
例えば、「日本人の二人に一人はがんになる」などと言われるほど、長寿社
会を生きる私たちにとって、がんは身近な病気になっています。
発症の要因はさまざまあるものの、ストレスががんを招く大きな要因の一つ
であることは定説になっていると言っていいでしよう。
「病は気から」というわけですが、では、強いストレスにさらされている人が
必ず病気になるかというと、そうでもないところが不思議です。
私自身、小説家としてデビューして半世紀、日々ストレスの連続でした。
きょうが締め切りなのに原稿が上がらない、いっそどこかに身を隠してしま
いたいと思うような場面を数限りなく経験してきました。
そんな私が、86歳の今もこうして原稿と向き合う毎日を過ごしていること
から見ても、ストレスだけが病気のもとではないことは明らかでしょう。
そうなると今度は、ストレスには良いストレスと悪いストレスがあるのだ、
という説が浮上してきます。
大変でもやりがいを感じられる仕事は良いストレス、いやいやながらやら
される仕事は悪いストレス、といったところでしょうか。
果たしてストレスをそんなふうに二つに分けることができるのか、私自身
はちょっと疑問に思ってはいるのですが、そうはいっても、人生も後半に入
るあたりから、当然のことながら、誰しもフィジカルに体力は落ちてくるも
のです。
そこをカバ-していくためには、やはり、心を整えて気持ちに余裕を持た
せることがとても大事になってくると思うのです。
◇ストレスから心を解き放つには、マイナスと呼ばれる感情を否定しないこと。
そこで問題になってくるのが、ストレスからいかに心を自由に解き放つかと
いうことです。
よく言われるように、運動はストレスを解放する有効な手段の一つです。
あるいは、笑ったり、楽しいことを考えるのもよい方法とされています。
中でも、笑いについては医学的な見地からも研究が進んでおり、その効用は
一般にも広く認識されるようになりました。
確かにそのとおりなのだと思います。
しかし私は、あえて問題提起をしたいのです。戦後長い間、笑うことや明る
いことを考えることなど、いわゆるプラス思考の状態だけが価値あるものとさ
れ、それらの対極にある、泣くこと、悲しむこと、悩むことはマイナス思考と
呼ばれ、悪いストレスと決めつけられてきはしなかったかと。
しかし、悲しいできごとを回想することによって、その悲しみが少しずつ薄
らいでいくこともあるのです。
ですから私は、プラスの感情だけではなく、マイナスと呼ばれる感情も大事
にすべきだと考えています。
◇神代の昔から泣くことを大事にした日本人。戦争によって、泣くことが弾圧されていった。
民俗学者の柳田國男は、1941(昭和16)年に「涕泣史談」という文章を発表し
ています。
「涕泣」とは、涙で顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きじゃくる状態のことで、
このタイトルはさしずめ、「泣くことに関しての歴史」といったところでしょう
か。
その中で柳田は、日本人が近頃あまり泣かなくなつたとして、「最近五十年
百年の社会生活において、非常に激変した一事項」と指摘しています。
柳田によると、昔の日本人は非常によく泣いていたそうなのです。
しかも、時と場所、状況によって泣き方を使い分けていたらしい。つまり、
日本人は泣くことを大事にした民族であったというのです。
神話や物語の世界にもそれは表れていて、確かに、荒ぶる神須佐之男命
が、天も落ちよ地も裂けよとばかりに豪快に泣いています。
あるいは俊寛僧都はじめ、江戸時代の人気浄瑠璃作家•近松門左衛門が描い
た人間たちも実によく泣きます。
一方、「涕泣史談」が発表されたのは太平洋戦争開戦の年。
日本男児たるもの泣いてはならぬという空気がみなぎっていた時代です。
それは男性に限ったことではなく、当時少年だった私にも、「銃後の母」な
る美談仕立ての話が新聞紙面を飾っていた記憶があります。
戦死した一人息子が白木の箱になって帰ってくる。
それを迎えた老いたる母は、涙一滴こぼさず、「お国のために立派に死んで
くれました」と静かにほほ笑んでいたというのです。
それほどに、あの時代は泣くことが弾圧されていたということでしょう。
戦後になると、占領下でアメリカ的な明るい暮らしやプラス思考が一種の
憧をもって語られ、それがいかに心にも体にもいい影響を与えるラィフスタ
イルかという側面ばかりに光が当てられる時代が、長く続くことになります。
さらに、経済成長という新たな戦争を背景に、「泣いている場合ではない」
という前のめりの固定観念が、日本人の間に蔓延していったのではないでし
ょうか。
◇心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはできない。
その日本経済も右肩下がりの時代を経験し、ここ十年ほどの間に少し風向
きが変わってきました。
涙すること、嘆くことでむしろ心が浄化され、体が活性化することもある
のはないか、と言われるようになってきたのです。
心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはでき
ない、ということも言われるようになりました。
悲しみの効用について、本居宣長が『石上私淑言』の中でこんなことを書
いています。
生きている以上、誰しも必ず悲しみに出合う。
その悲しみを心に閉込めていては永遠に解放されない。
悲しいときは「ああ、悲しい」と声に出しておらべと。
つまり、悲しみは生きるエネルギーに転化できるということです。
そう考えると、『曽根崎心中』や『金色夜叉』といったお芝居を見て存分
に涙を流し、すっきりした顔で劇場を後にする人たちの明るい顔にも得心が
いくというものです。
明治、大正、昭和に流行した浪曲や浪花節にも、誰もが涙するストーリ
が実に多かった。
人々はそうやって、明日の生きるエネルギと勇気を取り戻してきたので
はないでしょうか。
私自身の引き揚げ体験を思い返してみても、難民としての苦しい日々の中
で、戦前の歌謡曲や演歌など、センチメンタルな歌をみんなで歌っていた記
憶があります。
つらいとき、人はその気持ちのまま、悲しい歌を聴き、歌うことで慰めら
れる。
明るく元気な歌は意外にも、今まさに艱難辛苦を味わっている人の心を励
ますことにつながりにくいものなのです。
涙や別れを歌うことの多い演歌や歌謡曲を「後ろ向きで古臭い」と軽んじ
る人がいますが、そうではないと私は思います。
人々は、涙する代わりに、哀切なメロディーに悲しみを昇華しているので
す。
それは、大きなストレスや悩みを浄化する術として、庶民が体験的に身に付
けた知恵なのかもしれません。
弱い人間が悲しい歌を歌うのではない。
むしろ、逆境に立ち向かおうとするとき、人は悲しみの歌を歌い、それによ
って生きる力を取り戻すことがあるのです。
世の中が大変な勢いで変化していくこの時代に、私たちは百年生きられるか
もしれない命を授けられ、生まれてきました。
その中で、いかに自分の心を治めていくか。それは、避けて通れないテーマ
といえるでしょう。
その意味で、骨や筋肉に強い負荷をかけ、破壊された細胞の再生力で体を作
っていくボディービルのトレーニング理論になぞらえれば、心にも適度な負荷
をかける必要がありそうな気がします。
笑うことによって心を緩め、泣いて負荷をかける。そのどちらをも否定せず、
自分の心と体を一体のものとして、長く治めていきたいものです。
車好きの私のことですから、自動運転が実用化されたら、ひょっとして90歳
を過ぎたころにまた車に乗れるかもしれないヽなどと空想を重ねつつ、この先世
の中がどうなっていくのか、見届けたい思いを強くしている今日このごろです。
2018年12月10日放送/聞き手・渡邉幹雄
☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1988年 ①【再掲載 2018.3】
◇愛情について
□ゲーテ
「天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして
人間には愛がなければならない」
□愛は「の」の字から始まる
愛は受けるもの(心理学)
= 心からそれを受け入れてやる
「の」の字さえつけておけばよい
例「あらあ、ほめられたの」
↑
そのまんま繰り返せばよい
人間は知と情
情で返すのが愛
□愛の反射鏡を磨く
言った言葉と同じ言葉を言って、顔も同じになって同じ気持ちになる
情を受け入れてやるのは大切
□認めてもらいたい願い
反射鏡
= 喜びが二倍になる、痛みは半分にしてくれる
□褒めて育てて大学者
カルタシス(浄化)
- 苦しいことをみんな聞いてもらえばほっとする
芥川龍之介
「ほんとにいい友達というのは、語るによく、訴えるによい」
□27秒の自制心
勇気を与える忍耐力
ほしいという気持ちは平均27秒(フロイト)
→ それだけの時間稼ぎをすればよい
◇幸福について
□笑顔を忘れないで
安い化粧品でも笑っていればきれいになる
奥さんの顔
= うちの中の太陽
= オクサン(SUN)
お母さんの顔つきが檀那さんの幸せを決めるのです
「幸せに振る舞うこと」
マカレンコ
「いい子供は必ず幸せなお母さんと一緒にいる」
□心のスイッチ右左
心のスイッチ左側
何でも悲観的に考える人
ないないづくし ないない考えれば不幸せ
↑↓
心のスイッチ右側
主体性・自主性
見られる自分のことを「自己」セルフ
見る自分を「自我」
自我が満足することが大切