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鷲田小彌太さんはこんなことを ⑮-「新学問のすすめ」マガジンハウス 1997年 (3) /「ハシモト式 古典入門」橋本治 ごま書房 1997年 ③【再掲載 2016.9】 [読書記録 教育]

今回は、9月11日に続いてわたしの読書ノートから、
「鷲田小彌太さんはこんなことを」15回目、
「新学問のすすめ」3回目の紹介です。




出版社の案内には

「楽しく生きるために、何をどう学び活かしていくか。仕事と生活に役立
 つ『新・学問』の快楽的修得法。」

とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「大学は大衆化した
  = 産業社会とビジネス社会に適応する知識や技術の習得」


・「戦後日本の教育は平均値を上げる教育
産業社会の一員となるために多様な能力」


・「学問の最先端は学者の頭の中にある。ただし最先端の研究者と最上の
  教師とは殆どの場合一致しない」



もう一つ、再掲載になりますが、橋本治さんの
「ハシモト式 古典入門」③を載せます。
受験生の頃「ハシモト式」が出ていれば… 




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆鷲田小彌太さんはこんなことを ⑮-「新学問のすすめ」マガジンハウス 1997年 (3) 

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◇人はなぜ学問をするのか (1)

□「学問」が変わった
 徒弟制度としての学問教授
    教授 ~ 自由放任
「努力せざる者能力なき者は去れ!」

なすべきは古典解釈,個別研究

  
 「大学」の学問の変容
60年代大学紛争
       → 大学全体の権威が崩壊した
大学は大衆化した
       = 産業社会とビジネス社会に適応する知識や技術の習得
大学で,「専門」も「教養」も「学問」という形式では
       消滅して行きつつある



□大学とは何か
3つのカテゴリー
(1)大学の最高カテゴリー
専門教育を行う 
        嘗ての哲学は「知の総体」
= 「綜芸種智院」(アーツ・アンド・サイエンス)
           ↓
◎ 専門への文化
専門研究者を養成する 
         - 教員の養成
国家支柱の一員となる
         - エリート
最高カテゴリーは最重要カテゴリーではない
大衆的な専門 = 教養大学が圧倒的多数


 (2)大学の重要カテゴリー
教養教育を行う
       「綜芸種智」=「教養」(リベラル・アーツ)
ゼネラリストの知と技術
教養人
           ~ 有閑階級 エリート
      教養を教える教師がいなかった
制度的にも専門部より劣位
教養教育は担当する教師の専門の周辺をなぞるようなもの     
          = 専門を薄めた雑炊に終始

◎ しかし,文部省は一体化
一般的な知識・技術の持ち主を養成する
  戦後日本の教育 = 平均値を上げる教育
エリート養成の教育は特殊な例外を除き存在しなかった

◎ 2~3割の「落ちこぼれ層」が生まれる
◎  1割の「エリート層」が対象から外される
産業社会の一員となる
多様な能力


 (3)大学の最低カテゴリー
モラトリアム機関である
自律的な生活者を養成する
職業に結びつかない知と技術 = 教養
国際・国家市民の一員となる



□学問の最先端はどこにある
企業は研究開発の最大部門である
学問の「棲み分け」 民間・国家プロジェクト・大学
学問の最先端は学者の頭の中にある
ただし最先端の研究者と最上の教師とは殆どの場合一致しない







☆「ハシモト式 古典入門」橋本治 ごま書房 1997年 ③【再掲載 2016.9】

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◇「ひらがな」の持つ意味
□国家が認めた最初のひらがな  『古今和歌集』
 『古今和歌集』
    序文 紀貫之はひらがなで書いた                           = 国家事業として作られた本


□日本人の心は,ひらがなが表現した
序文(意訳)
 「和歌というものは,人の心の中にある感情を核として生まれた言葉に
  よってできているものだ。世の中に生きている人間には,いろんな事
  が起きて忙しいけれども,その忙しさが人間に働きかけて,いろいろ
  な感情を生む。その感情があるからこそ,人間は,何かを見たり聞い
  たりするに付けて,自分の感情を形にした歌を詠むのだ。」



◇「古典の中の古典」が日本の古典をわかりにくくしている
□「古典の中の古典」とは?
古典 
  ①「漢字だけ」          
    『日本書紀』『古事記』
②「漢字だけの万葉仮名によるもの」
   『万葉集』
③ひらがなだけ
    『源氏物語』『土佐日記』
『古今和歌集』
 ※ 古典というものは元々分かりにくいもの


□平安時代に,まだ,ちゃんとした日本語の文章は存在しない
 「普通の日本語の文章による古典」は『徒然草』(兼好法師)

◎ 兼好法師の時代になって初めて現代人にも読める文章が登場



◇「和歌」はどうして重要なのか
□和歌が重要な『伊勢物語』
 『伊勢物語』和歌がとても多い
 在原業平が主人公 - 絶世の美男 
  → 后とスキャンダル起こし都外へ
 「作者が詠んで,主役は和歌」


□漢字ばかりじゃ女にもてない
「男=漢字」
 「歌を歌う」
   = 漢詩の一節にメロディを付けて歌った 
     男の上等な趣味
 ◎ ひらがなによる和歌よりも,漢文・漢詩の外国系が断然優位
「和歌」
   =「やまと歌」 日本オリジナルの歌の形


□清少納言は漢字の分かる「とんでる女」
 清少納言
   男が漢詩の一節をなぞなぞめかして言うとすぐに返事
= 男たちの人気者

清少納言嫌いが多い 
   代表格が紫式部
    「女が漢字にまつわる知識を振り回すのはみっともない」=美学
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◎いくら男たちが漢詩を歌っても女の所へは届かない
→ ひらがなの和歌を詠む = ラブレター

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