「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ② /東井義雄さんの言葉⑨【再掲載 2012.6】 [読書記録 一般]
今回は、11月2日に続いて神崎宣武さんの
「図説 日本のうつわ」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「わん、はち、さら、ぜん。日本は、多種多様の食器をつくりだしてきた。
食器の豊かなかたちと色彩を紹介し、縄文から現代までの食器の歴史をた
どり、日本人の食器文化を探る。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「陶器は壺などの大物類が多く、磁器は日常食器などの小物類が多い」
・「湯飲み碗は江戸中期以降から」
・「貧乏徳利とは酒の量り売りに用いた通い徳利。大半が美濃高田焼き(岐阜)
の二合半入り」
・「重箱にごちそう( 祝儀…赤飯や餅不祝儀…饅頭)をつめて近所にふるまうこ
ともあった。いただくと、洗わず,少し中身を残したり,かわりのものを
入れて返す風習もあった」
もう一つ、再掲載になりますが、わたしの教育ノートから
「東井義雄さんの言葉」⑨を載せます。
教育界での名著とされる『村を育てる学力』で知られる東井さん。
将来の村を背負ってもらうための教育のはずだったのに…
力をつけた子どもたちが村をすて都会に出て行ってしまった…
-私は敗れた
寂しく読みました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ②
◇やきものの技法
陶器 … 粘土
磁器 … 陶石(岩石)
(作業)
練り込み → 成形 → 乾燥 → 焼成・素焼き → 本焼き
磁器
素焼き
→ すぐ全体に釉薬を掛ける(白磁・青磁)
呉須やコバルトで絵付け(染め付け)
→ 釉薬
色絵磁器
~ 上絵付け
◇やきもの碗
①土器 -粘土 土もの やきもの
②陶器 釉薬掛け陶器・焼きしめたせっこ-粘土
③磁器 -坏土 石もの
↓
◎陶器 - 壺などの大物類
◎磁器 - 日常食器などの小物類
鉄碗
9割が磁器
汁碗
美濃焼の粗磁器(半磁器)多かった(戦前)
湯飲み碗
江戸中期以降
◇木器の鉢
現在
菓子鉢 中鉢程度 白木地
春慶塗 本塗り
漬け物ももられた
木地の大鉢
- そば粉・うどん粉のこね鉢
↓
強度・くぼみから木地の刳り鉢
◇はち
鉢 - 主に煮物を盛りつけるための器
汁気があるからある程度の深さが必要
|
大半は陶磁器
磁器鉢 三つ重ね(大中小) 中部~西日本で
井鉢や皿鉢
小鉢 口径13㎝以下の鉢 和え物,酢の物,付け汁,銘々鉢
中鉢 口径13㎝~16㎝の鉢 銘々皿の煮付け,水菓子
大鉢 口径16㎝以上の鉢 汁気の多い料理のいっしょ盛り
猪口 江戸中期 本膳料理に登場した磁器で深めの鉢
→ のち蕎麦猪口,酒猪口に転用
◇酒器
主
徳利と杯
徳利
貧乏徳利 … 酒の量り売りに = 通い徳利
大半が美濃高田焼き(岐阜)の二合半入り
燗徳利 … チロリ ハトカン
= 本格的普及は清酒一般化の後(明治中期以降~)
盃 平盃・チョク・グイノミ
(儀礼用) 江戸中期
◇重箱
2~5段
近世 ・持ち運び容器として普及 農村…山遊び 漁村…浜遊び
・贈答用,接客用 ごちそう( 祝儀…赤飯や餅不祝儀…饅頭)を近所に
※ 洗わず,少し中身を残したり,かわりのものを入れて返す風習
・貯蔵器
☆東井義雄さんの言葉⑨【再掲載 2012.6】
◇作文・綴り方教育論
□「綴り」と「綴り方」と「日記」
綴り = 生活
◎ 吐き出すだけの世界・しゃべるだけの世界・怒鳴るだけの世界
↓
綴りの世界を耕す
∥
◎ 雑談
= ノートの上の赤いペンの雑談
□子供たちは何を書くのか
子どもの綴りを問題にしてやること
□子供たちは何を書こうとするのか
綴り
~ 過去から現在に移行する
|
未来さえも動員される
◇「学童の臣民教育 」(1944年日本放送出版協会より刊行=ハマコウ註)
1 御民といのち
「私のまわりに荘厳ないのちの数々がみちみちていて下さる。そして,その
中に私のいのちがある。美しく尊いいのちのさ中に私が生かされていると
いうこと,これは何としてもただごとではない。余りにも身の程過ぎた尊
いことであるように思われてならぬ。」
2 村童の臣民教育
(1)村童の心
(2)村童の教師となりて
郷土の子ども
村童の決意
□私の戦争責任(東井)
「学童の臣民教育」(文藝春秋)を出したのに 「適格」と聞いて その
ままずるずると居座ってしまった私
・私の戦後体験
・戦争責任とは何か
◇表現指導と生活綴り方
表現指導
手でなく体 一般化
◇作文指導における主題と構想との関係
□主題と構想
そのもう一つ前のもの
主体性の大切さ
小西健二郎 戸田唯巳
◇再び「村を育てる学力」をめぐって
□私は敗れた
昭和47年3月教員退職 八鹿町
「村を育てる学力」の相田小学校は跡形もない
若者もほとんど村にはいない
↓
◎荒れに荒れている
私は完全に敗れた
□負け戦の記録
(1)「村を育てる学力」への抵抗と挑戦 昭和22年 相田小学校へ
(2)負け戦の始まりと終わり
相田小学校で14年 → 高橋中学校 → 八鹿小学校
・八鹿小学校にかけた私の願い
・私のこれから
→ ふるさと創り
◇雑木林
5年教室は 雑木林
こぶこぶの たくましい桑の木もあるし
素性のいい ホウの木もある
表皮はあらいが
案外 中の緻密な
くぬぎもある
かたい 常緑の つばきもあるし
有用な かしの木もある
いま
それらが
それぞれに
芽をふいている
鮮緑の
芽をふいている
山を持ち上げるような勢いで
芽をふいている
わたしは
この雑木林が
たまらなく
好きだ
◇教室づくり
「下農は雑草を作り,中農は作物を作り,上農は土を作る」
土を作れば作物は自ずと育つ
「図説 日本のうつわ」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「わん、はち、さら、ぜん。日本は、多種多様の食器をつくりだしてきた。
食器の豊かなかたちと色彩を紹介し、縄文から現代までの食器の歴史をた
どり、日本人の食器文化を探る。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「陶器は壺などの大物類が多く、磁器は日常食器などの小物類が多い」
・「湯飲み碗は江戸中期以降から」
・「貧乏徳利とは酒の量り売りに用いた通い徳利。大半が美濃高田焼き(岐阜)
の二合半入り」
・「重箱にごちそう( 祝儀…赤飯や餅不祝儀…饅頭)をつめて近所にふるまうこ
ともあった。いただくと、洗わず,少し中身を残したり,かわりのものを
入れて返す風習もあった」
もう一つ、再掲載になりますが、わたしの教育ノートから
「東井義雄さんの言葉」⑨を載せます。
教育界での名著とされる『村を育てる学力』で知られる東井さん。
将来の村を背負ってもらうための教育のはずだったのに…
力をつけた子どもたちが村をすて都会に出て行ってしまった…
-私は敗れた
寂しく読みました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ②
◇やきものの技法
陶器 … 粘土
磁器 … 陶石(岩石)
(作業)
練り込み → 成形 → 乾燥 → 焼成・素焼き → 本焼き
磁器
素焼き
→ すぐ全体に釉薬を掛ける(白磁・青磁)
呉須やコバルトで絵付け(染め付け)
→ 釉薬
色絵磁器
~ 上絵付け
◇やきもの碗
①土器 -粘土 土もの やきもの
②陶器 釉薬掛け陶器・焼きしめたせっこ-粘土
③磁器 -坏土 石もの
↓
◎陶器 - 壺などの大物類
◎磁器 - 日常食器などの小物類
鉄碗
9割が磁器
汁碗
美濃焼の粗磁器(半磁器)多かった(戦前)
湯飲み碗
江戸中期以降
◇木器の鉢
現在
菓子鉢 中鉢程度 白木地
春慶塗 本塗り
漬け物ももられた
木地の大鉢
- そば粉・うどん粉のこね鉢
↓
強度・くぼみから木地の刳り鉢
◇はち
鉢 - 主に煮物を盛りつけるための器
汁気があるからある程度の深さが必要
|
大半は陶磁器
磁器鉢 三つ重ね(大中小) 中部~西日本で
井鉢や皿鉢
小鉢 口径13㎝以下の鉢 和え物,酢の物,付け汁,銘々鉢
中鉢 口径13㎝~16㎝の鉢 銘々皿の煮付け,水菓子
大鉢 口径16㎝以上の鉢 汁気の多い料理のいっしょ盛り
猪口 江戸中期 本膳料理に登場した磁器で深めの鉢
→ のち蕎麦猪口,酒猪口に転用
◇酒器
主
徳利と杯
徳利
貧乏徳利 … 酒の量り売りに = 通い徳利
大半が美濃高田焼き(岐阜)の二合半入り
燗徳利 … チロリ ハトカン
= 本格的普及は清酒一般化の後(明治中期以降~)
盃 平盃・チョク・グイノミ
(儀礼用) 江戸中期
◇重箱
2~5段
近世 ・持ち運び容器として普及 農村…山遊び 漁村…浜遊び
・贈答用,接客用 ごちそう( 祝儀…赤飯や餅不祝儀…饅頭)を近所に
※ 洗わず,少し中身を残したり,かわりのものを入れて返す風習
・貯蔵器
☆東井義雄さんの言葉⑨【再掲載 2012.6】
◇作文・綴り方教育論
□「綴り」と「綴り方」と「日記」
綴り = 生活
◎ 吐き出すだけの世界・しゃべるだけの世界・怒鳴るだけの世界
↓
綴りの世界を耕す
∥
◎ 雑談
= ノートの上の赤いペンの雑談
□子供たちは何を書くのか
子どもの綴りを問題にしてやること
□子供たちは何を書こうとするのか
綴り
~ 過去から現在に移行する
|
未来さえも動員される
◇「学童の臣民教育 」(1944年日本放送出版協会より刊行=ハマコウ註)
1 御民といのち
「私のまわりに荘厳ないのちの数々がみちみちていて下さる。そして,その
中に私のいのちがある。美しく尊いいのちのさ中に私が生かされていると
いうこと,これは何としてもただごとではない。余りにも身の程過ぎた尊
いことであるように思われてならぬ。」
2 村童の臣民教育
(1)村童の心
(2)村童の教師となりて
郷土の子ども
村童の決意
□私の戦争責任(東井)
「学童の臣民教育」(文藝春秋)を出したのに 「適格」と聞いて その
ままずるずると居座ってしまった私
・私の戦後体験
・戦争責任とは何か
◇表現指導と生活綴り方
表現指導
手でなく体 一般化
◇作文指導における主題と構想との関係
□主題と構想
そのもう一つ前のもの
主体性の大切さ
小西健二郎 戸田唯巳
◇再び「村を育てる学力」をめぐって
□私は敗れた
昭和47年3月教員退職 八鹿町
「村を育てる学力」の相田小学校は跡形もない
若者もほとんど村にはいない
↓
◎荒れに荒れている
私は完全に敗れた
□負け戦の記録
(1)「村を育てる学力」への抵抗と挑戦 昭和22年 相田小学校へ
(2)負け戦の始まりと終わり
相田小学校で14年 → 高橋中学校 → 八鹿小学校
・八鹿小学校にかけた私の願い
・私のこれから
→ ふるさと創り
◇雑木林
5年教室は 雑木林
こぶこぶの たくましい桑の木もあるし
素性のいい ホウの木もある
表皮はあらいが
案外 中の緻密な
くぬぎもある
かたい 常緑の つばきもあるし
有用な かしの木もある
いま
それらが
それぞれに
芽をふいている
鮮緑の
芽をふいている
山を持ち上げるような勢いで
芽をふいている
わたしは
この雑木林が
たまらなく
好きだ
◇教室づくり
「下農は雑草を作り,中農は作物を作り,上農は土を作る」
土を作れば作物は自ずと育つ