鷲田小彌太さんはこんなことを 22-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (2) /「学校を変える教師の発想と実践」奈須正裕 金子書房 2002.5【再掲載 2012.12】 [読書記録 一般]
今回は、11月15日に続いてわたしの読書ノートから、
「鷲田小彌太さんはこんなことを」22回目、
「日本人のための歴史を考える技術」の紹介 2回目です。
出版社の案内には
「邪馬台国論争とは何か、『記紀』の正しい読み方はなど、歴史の『なぜ』を
いかに問い、考えるかについて、全ての知識や学問の基礎が歴史にあると
考える哲学教授が挑む日本人のための日本史講座・古代篇。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「ヤマトは『おらがムラ』。『ヤマト』は固有名詞ではない。大和=奈良とい
うわけではない」
・「中国にとり日本は属国で野蛮国。聖徳太子は対中国強硬政策をとった。内
憂があるとき外患で乗り切る政策である。高句麗や百済に対するエールを
送ることになる冒険主義的な外交路線を敷いた」
・「中国にとって『侵略』の大義名分は『懲罰』。中国はかつてカンボジアを
支援した。カンボジアが農村共産主義を目指して都市住民の大量殺害した
のは中国共産党の文化大革命の影響と毛沢東主義の指導と強制があったか
ら」
・「神道は共同社会の無意識であり,習俗,習慣と結びついたものである。本
地垂迹,神仏習合に見るようにどんな宗教とも結びつく。言い換えるなら
新規参入を容易に日本化する能力ともいえる。神道は奇妙なものといえる
のかもしれない。」
もう一つ、再掲載になりますが、奈須正裕さんの
「学校を変える教師の発想と実践」を載せます。
20年前を感じました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆鷲田小彌太さんはこんなことを 22-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (2)
◇邪馬台国は何ものか
□「邪馬台国論争」とは何か
ヤマトは「おらがムラ」
「ヤマト」は固有名詞ではない
大和=奈良というわけではない
「邪馬台国はなかった」- 古田武彦と高木彬光
「魏志」では「邪馬壱国」ヤマイチ国
古田 - 人格的には?
また「魏志」そのものも偏見や誤謬
□極東アジアの古代 - 中国と朝鮮半島の情勢
中国かシナか?
中華思想
中国にとり日本は属国で野蛮国
日本が中華帝国に知られるようになる - 紀元前後
「前漢書」
「倭人有り 分たれて百余国となる」
そのうち30国ばかりが楽浪郡の政庁と朝貢貿易
日本は「戦国時代」
中国の中世期は国家衰退期に入った
中国古代社会の頂点
~ 秦漢の統一国家
国境がなく常に外敵に悩まされた
↓
分裂国家 中世社会
戦国時代 → 三国志 → 六朝時代
朝鮮半島の苦悩 - 分断して支配せよ
高句麗 - 中国政権の圧迫 - 面従腹背
∥
一旦隋や唐が力を落とすと腹背に
唐 新羅を味方につけ高句麗を挟み撃ち
高句麗 百済と連携して対抗
日本の対中国恐怖
4~6世紀
日本にとってはものすごい恐怖の時代
高句麗,最も親しい百済がなくなったら,中国の目が、
ひいては手が直接日本に伸びる
- それが恐ろしい
→ 加羅を通して百済を高句麗を陰で応援している
聖徳太子の対中国強硬政策
内憂があるとき外患で乗り切る政策
高句麗や百済に対するエール
∥
◎冒険主義的な外交路線を敷いた
|
当時,極東(北)アジアには,中国があり,その属国である
高句麗,新羅,百済という半独立国があり,さらに朝鮮半島諸
国より独立性の強い属国
= ヤマトという国があった
□「邪馬台国」はなかった
「邪馬台国」は卑字である。属国を卑字で表す中国が「臺」という美字
を使うことはあり得ない(古田)
<「臺」=「うてな」「高殿・宮殿」>
邪馬台・倭・大和は同じではない
高句麗・百済・新羅とヤマト王朝の誕生
4世紀
朝鮮半島 独立心旺盛な国家感覚の目覚め
↓
日本に伝染 ヤマト王朝エネルギーに
= 朝鮮半島の運命はヤマトの運命と連動していた
□「朝貢」外交
冊封国家
- 中国の属国として承認され爵位を与えられた国
中国の意識では冊封国は自国の延長
国家意識の希薄な中国
個人主義の国は集団化・一体化を好まない
中国にとって「侵略」の大義名分は「懲罰」
中国-カンボジアを支援
カンボジアが農村共産主義を目指して都市住民の大量殺害
中国共産党の文化大革命の影響と毛沢東主義の指導と強制が
あったから
日本とヨーロッパが併行発展した理由
乾燥地帯から現れてくる人間集団の破壊と制服の力から逃れられた
|
◎ 梅棹忠夫の文明の生態史観
「遣隋使」とは何か,何を目的としていたか
遣隋使 600~614年 6回
政治的服従と引き替えに経済援助と文化の移入
国家主権の制限
屈辱外交だが経済的・文化的見返りが大
倭の五王の外交戦略
倭の五王
- 宋に使者「安東将軍」
『宋書』讃・珍・済・興・武 421~478年
∥
◎ 5世紀には国家統一
□祭祀と政治
ペア統計形式は「現在」形
祭祀と政治の分離 ~ 天皇の非政治化
政教分離は人類に共通な事象だ
◎ 分離しているかどうかが近代化のメルクマール
「神道」という奇妙なもの
共同社会の無意識であり,習俗,習慣と結びついたもの
∥
◎どんな宗教とも結びつく
本地垂迹,神仏習合
|
◎新規参入を容易に日本化する能力
☆「学校を変える教師の発想と実践」奈須正裕 金子書房 2002.5【再掲載 2012.12】
◇はじめに
□改革のキャスティングボードはあなたが握っている
答申や通達は突き詰めて考えれば一種のお願い
◎(現場が本気になれば,いくらだって骨抜きにできてしまう)
□行政施策は幅で読む
行政施策を手玉に取るぐらいのスケールの大きさ
教師の具体像
「職人気質の復権」
◇「総合的な学習の時間」をどうつくるか
□教育課題
生活現実との対決を通して生活創造の担い手となっていくことを目指す
□今一度,総合的な学習とは何か
総合的な学習という用語
・総合的学習 愛知県東浦町立緒川小学校
「的」≒ 総合学習
・合科学習
木下竹次が提唱 奈良女子高等師範 大正9(1920)年~実施
「学習即生活 生活即学習」をモットー
◎子ども中心,生活主義の立場
内容的には総合学習と同じ
合科教授とは似て非なるもの
□総合学習という用語が持つ二つの意味合い
1 教育内容上の意味合い(一領域としての意味合い)
生活教育の思想・立場
奈良高等師範附属小
「しごと(統合)もけいこ(教科)も子どもたちの真実の生活…」
2 教育方法上の意味合い(一つの単元で複数の教育内容)
□学習指導要領上ではどうなっているか
・内容 … 国際理解,情報,環境,福祉・健康
「自己の生き方を考えることができるようにする」
・方法 … 合科的・関連的な指導
合科的「単元,一コマの中で,複数の教科の目標や内容を組み合
わせて学習活動を展開するもの」各教科のみ
関連的
「教科等別に指導するに当たり,各教科等の指導内容の関連を検討し,
指導の時期や方法などについて相互の関連を考慮して指導するもの」
教科等(道徳・特活・総合も含めて)
◎ 総合的な学習の時間には,独自の目標・内容がある。
(具体的には各学校で定める)のであり,内容領域別に別個である教科
の指導をこの時間を用いて行うことは,不適切な運用である
□内容的に4つに再整理できるねらい
① 自ら課題を見付,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を
解決する資質や能力を育てること
② 情報の集め方,調べ方,まとめ方,報告や発表,討論の仕方などの学び方
やものの考え方を身に付けること
③ 問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育成すること
④ 自己の生き方についての自覚を深めること
①~③「学び方」 ④「生き方」
◎ 「自ら学び自ら考える力」は教育課程全体で目指すべきもの
□総合的な学習ならではのねらいとしての「生き方」
学び方 と 生き方
「鷲田小彌太さんはこんなことを」22回目、
「日本人のための歴史を考える技術」の紹介 2回目です。
出版社の案内には
「邪馬台国論争とは何か、『記紀』の正しい読み方はなど、歴史の『なぜ』を
いかに問い、考えるかについて、全ての知識や学問の基礎が歴史にあると
考える哲学教授が挑む日本人のための日本史講座・古代篇。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「ヤマトは『おらがムラ』。『ヤマト』は固有名詞ではない。大和=奈良とい
うわけではない」
・「中国にとり日本は属国で野蛮国。聖徳太子は対中国強硬政策をとった。内
憂があるとき外患で乗り切る政策である。高句麗や百済に対するエールを
送ることになる冒険主義的な外交路線を敷いた」
・「中国にとって『侵略』の大義名分は『懲罰』。中国はかつてカンボジアを
支援した。カンボジアが農村共産主義を目指して都市住民の大量殺害した
のは中国共産党の文化大革命の影響と毛沢東主義の指導と強制があったか
ら」
・「神道は共同社会の無意識であり,習俗,習慣と結びついたものである。本
地垂迹,神仏習合に見るようにどんな宗教とも結びつく。言い換えるなら
新規参入を容易に日本化する能力ともいえる。神道は奇妙なものといえる
のかもしれない。」
もう一つ、再掲載になりますが、奈須正裕さんの
「学校を変える教師の発想と実践」を載せます。
20年前を感じました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆鷲田小彌太さんはこんなことを 22-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (2)
◇邪馬台国は何ものか
□「邪馬台国論争」とは何か
ヤマトは「おらがムラ」
「ヤマト」は固有名詞ではない
大和=奈良というわけではない
「邪馬台国はなかった」- 古田武彦と高木彬光
「魏志」では「邪馬壱国」ヤマイチ国
古田 - 人格的には?
また「魏志」そのものも偏見や誤謬
□極東アジアの古代 - 中国と朝鮮半島の情勢
中国かシナか?
中華思想
中国にとり日本は属国で野蛮国
日本が中華帝国に知られるようになる - 紀元前後
「前漢書」
「倭人有り 分たれて百余国となる」
そのうち30国ばかりが楽浪郡の政庁と朝貢貿易
日本は「戦国時代」
中国の中世期は国家衰退期に入った
中国古代社会の頂点
~ 秦漢の統一国家
国境がなく常に外敵に悩まされた
↓
分裂国家 中世社会
戦国時代 → 三国志 → 六朝時代
朝鮮半島の苦悩 - 分断して支配せよ
高句麗 - 中国政権の圧迫 - 面従腹背
∥
一旦隋や唐が力を落とすと腹背に
唐 新羅を味方につけ高句麗を挟み撃ち
高句麗 百済と連携して対抗
日本の対中国恐怖
4~6世紀
日本にとってはものすごい恐怖の時代
高句麗,最も親しい百済がなくなったら,中国の目が、
ひいては手が直接日本に伸びる
- それが恐ろしい
→ 加羅を通して百済を高句麗を陰で応援している
聖徳太子の対中国強硬政策
内憂があるとき外患で乗り切る政策
高句麗や百済に対するエール
∥
◎冒険主義的な外交路線を敷いた
|
当時,極東(北)アジアには,中国があり,その属国である
高句麗,新羅,百済という半独立国があり,さらに朝鮮半島諸
国より独立性の強い属国
= ヤマトという国があった
□「邪馬台国」はなかった
「邪馬台国」は卑字である。属国を卑字で表す中国が「臺」という美字
を使うことはあり得ない(古田)
<「臺」=「うてな」「高殿・宮殿」>
邪馬台・倭・大和は同じではない
高句麗・百済・新羅とヤマト王朝の誕生
4世紀
朝鮮半島 独立心旺盛な国家感覚の目覚め
↓
日本に伝染 ヤマト王朝エネルギーに
= 朝鮮半島の運命はヤマトの運命と連動していた
□「朝貢」外交
冊封国家
- 中国の属国として承認され爵位を与えられた国
中国の意識では冊封国は自国の延長
国家意識の希薄な中国
個人主義の国は集団化・一体化を好まない
中国にとって「侵略」の大義名分は「懲罰」
中国-カンボジアを支援
カンボジアが農村共産主義を目指して都市住民の大量殺害
中国共産党の文化大革命の影響と毛沢東主義の指導と強制が
あったから
日本とヨーロッパが併行発展した理由
乾燥地帯から現れてくる人間集団の破壊と制服の力から逃れられた
|
◎ 梅棹忠夫の文明の生態史観
「遣隋使」とは何か,何を目的としていたか
遣隋使 600~614年 6回
政治的服従と引き替えに経済援助と文化の移入
国家主権の制限
屈辱外交だが経済的・文化的見返りが大
倭の五王の外交戦略
倭の五王
- 宋に使者「安東将軍」
『宋書』讃・珍・済・興・武 421~478年
∥
◎ 5世紀には国家統一
□祭祀と政治
ペア統計形式は「現在」形
祭祀と政治の分離 ~ 天皇の非政治化
政教分離は人類に共通な事象だ
◎ 分離しているかどうかが近代化のメルクマール
「神道」という奇妙なもの
共同社会の無意識であり,習俗,習慣と結びついたもの
∥
◎どんな宗教とも結びつく
本地垂迹,神仏習合
|
◎新規参入を容易に日本化する能力
☆「学校を変える教師の発想と実践」奈須正裕 金子書房 2002.5【再掲載 2012.12】
◇はじめに
□改革のキャスティングボードはあなたが握っている
答申や通達は突き詰めて考えれば一種のお願い
◎(現場が本気になれば,いくらだって骨抜きにできてしまう)
□行政施策は幅で読む
行政施策を手玉に取るぐらいのスケールの大きさ
教師の具体像
「職人気質の復権」
◇「総合的な学習の時間」をどうつくるか
□教育課題
生活現実との対決を通して生活創造の担い手となっていくことを目指す
□今一度,総合的な学習とは何か
総合的な学習という用語
・総合的学習 愛知県東浦町立緒川小学校
「的」≒ 総合学習
・合科学習
木下竹次が提唱 奈良女子高等師範 大正9(1920)年~実施
「学習即生活 生活即学習」をモットー
◎子ども中心,生活主義の立場
内容的には総合学習と同じ
合科教授とは似て非なるもの
□総合学習という用語が持つ二つの意味合い
1 教育内容上の意味合い(一領域としての意味合い)
生活教育の思想・立場
奈良高等師範附属小
「しごと(統合)もけいこ(教科)も子どもたちの真実の生活…」
2 教育方法上の意味合い(一つの単元で複数の教育内容)
□学習指導要領上ではどうなっているか
・内容 … 国際理解,情報,環境,福祉・健康
「自己の生き方を考えることができるようにする」
・方法 … 合科的・関連的な指導
合科的「単元,一コマの中で,複数の教科の目標や内容を組み合
わせて学習活動を展開するもの」各教科のみ
関連的
「教科等別に指導するに当たり,各教科等の指導内容の関連を検討し,
指導の時期や方法などについて相互の関連を考慮して指導するもの」
教科等(道徳・特活・総合も含めて)
◎ 総合的な学習の時間には,独自の目標・内容がある。
(具体的には各学校で定める)のであり,内容領域別に別個である教科
の指導をこの時間を用いて行うことは,不適切な運用である
□内容的に4つに再整理できるねらい
① 自ら課題を見付,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を
解決する資質や能力を育てること
② 情報の集め方,調べ方,まとめ方,報告や発表,討論の仕方などの学び方
やものの考え方を身に付けること
③ 問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育成すること
④ 自己の生き方についての自覚を深めること
①~③「学び方」 ④「生き方」
◎ 「自ら学び自ら考える力」は教育課程全体で目指すべきもの
□総合的な学習ならではのねらいとしての「生き方」
学び方 と 生き方