「宮本常一著作集 42 父母の記/自伝抄」 宮本常一 未来社 2002年 ④ /「新健康の常識60」増田貢一 現代書林 2011年【再掲載 2015.2】 [読書記録 民俗]
今回は、12月29日に続いて、宮本常一さんの著作集から
「42 父母の記/自叙伝」の紹介 4回目です。
封建的だといって、すべてのことを捨て去ってよいのか。
民主主義とは何か。
わたしたちが前の世代から受け継ぎ、つないでいくべき事は何か。
要約を読み直し、考えました。
鬼太鼓座、鼓動のサイトに、
宮本常一さんと永六輔さんのつながりについて記されていました。
永さんのラジオ番組でよく宮本常一さんの名前を聞いたことを思い出します。
出版社の著者紹介には
「宮本常一に強大な影響を与えた父、母、祖父、祖母に関する文章および自伝
的エッセイを収録する。また本巻には、母の葬儀の際に出席者へ配った、
『母の記』、妻へ向けた文章を含む『我が半生の記録』(『妻たる人に』)、
郵便局の勤務時代の回想である『私の郵便局時代』、祖母の死去と葬儀の行
程を記した『祖母の死と葬儀』、父の死のドキュメントである日記など、
今回初公開となるきわめてプライヴェートで貴重な文章を多数収録。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「おまえは学者になるなよ。学者はたくさんいる。おまえは事実を掘り起こ
してくることだ。現実の生活は刻々と変わっていく。そして古いものが滅
んでいくが,そうした人々の生活をできるだけ丹念に書き留めておくこと
が何より大切なことである。それが学問の資料になる。良い資料がなけれ
ば立派な学問は発達しない。おまえには学問以前の仕事をしてもらいたい
- 渋沢敬三から宮本常一への言葉 」
・「農業の合理化は,結局単なる農業労力の省力化以外の何ものでもない。多
くの設備投資にもかかわらず農産物価格は不安定なまま。結局,省力化に
よって余った労力は次第に都市の商工業に吸収せられざるを得ない。いわ
ば,日本の農民たちは都市資本家あるいは政府の工業政策の犠牲に立たさ
れ,それにより工業化が進んできたといってよい」
・「民俗学とは『人間が生きる尊さ,生きる意味ってものは何かと言うことの追求』」
・「民主主義とはいったい何かというと,個人が個人に属する権利だけを守っ
ていくことではなく、個人の権利が守られていくような社会を作ってい
くことに皆が努力することだと思う。それが,既に失われつつある事実
を反省しなければ日本の民主主義は守られないと思う。私がここで民俗
学を講義し続けてきたのはそこにあったのです。」
・「日本の都市問題は『最初からそこに住み着いて自分の理想の世界にしよう
とする人が少ないということにある』」
もう一つ、再掲載になりますが、増田貢一さんの
「新健康の常識60」を載せます。
本年もすこやかに過ごせることを願います。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一著作集 42 父母の記/自伝抄」 宮本常一 未来社 2002年 ④
◇私の民俗学(1)
□民俗学への道
昭和14年初春
師範学校時代の恩師・森信三先生が満州建国大学の教授として赴任
されることになり大学助手の話が…
|
渋沢
「満州に行く前に日本全国を一通り歩いたらどうか」
→ 9月末 小学校を退職
→ 全国の民俗採集旅行 (乞食旅行)
□戦争が激化して中学校教師に
→ 昭和20年4月 大阪府庁
大阪府下・篤農家 食糧自給対策
↓
郷里で百姓 百姓の合間に全国を歩く
自分の調査を進めていくと共に技術・知識の運搬人になった
∥
◎ 実に多くの誠実な人に会うことができた
その人たちは古い文化を背負いつつ前向きに歩いていた
↓
渋沢敬三に報告
~ 昭和42年までに 全国200箇所の農山村の調査
渋沢が宮本に
「おまえは学者になるなよ。学者はたくさんいる。おまえは事実を
掘り起こしてくることだ。現実の生活は刻々と変わっていく。そ
して古いものが滅んでいくが,そうした人々の生活をできるだけ
丹念に書き留めておくことが何より大切なことである。それが学
問の資料になる。良い資料がなければ立派な学問は発達しない。
おまえには学問以前の仕事をしてもらいたい」
|
◎ 自分が自己を主張することも大切なのだが,相手の立場や言
い分を知ることも大切である
→ 昭和40年から学校の教師に
□百姓の子として
夢 ◎農業経営の合理化
→ 農村工業
◎農協統合
- どこまでも経済団体
↓
◎離島振興,山村信仰
農業の合理化は,結局単なる農業労力の省力化以外の何ものでもない
→ 多くの設備投資にもかかわらず農産物価格は不安定
↓
◎ 結局,省力化によって余った労力は次第に都市の商工業に吸収せら
れざるを得ない。いわば,日本の農民たちは都市資本家あるいは政府
の工業政策の犠牲に立たされ,それにより工業化が進んできたといっ
てよい
|
※ 戦後農民の服の輝きは消えた
□理論と実践
文化はある行きづまりになる場所へ一番たまるもの
= 人間の血
日本の同和問題も同様
×「これは私の専門外ですが」
学生争議
「解決ではなく新しいスタートにする」
「教育者って言うのは争って構わないんだ。教育の場が生かされつつ
争うのだったら,ぼくはいくら争っても構わないと思っているんだ。
その争うことのために一般の人たちを犠牲にするのは,もはや教育
じゃない」
民俗学
~ 「人間が生きる尊さ,生きる意味ってものは何かと言うことの追求」 |
◎ 人がそれぞれの場に於いてどのようにそれを処理して生きてき
たかと言うこと,それを見ていくことが,この学問の本当の姿で
はないんだろうか
□生活と文化と民俗学 - 武蔵野美術大学退官記念講演 -
昭和40(1965)年~ 武蔵野美大
それまではずっと給料をもらわない仕事をやってきた
日本常民文化研究所員
昭和29年 全国離島振興協議会事務局長
|
◎ 一週間の内二日だけ原稿を書いて食う金を作り,5日は他人
のために使ってみたいというのが私の願いだった
|
◎ 私自身の調査研究活動は大変曖昧
他のいろいろの条件の中でいろいろ方向を発見していく
一番やりたかったのは瀬戸内海の研究
日本の封建制度はヨーロッパのそれとは違う
= 一種の官僚システム
∥
◎ それぞれの人が給料をもらってそれぞれの地位にあり職務を果たす
世襲制の政治
~ 民主主義へ
∥
◎ 日本それ自体がもう一度封建時代へ逆戻りしつつあるというこ
とを十分認識していただかないと大きな問題になってくると思う
のです
↓
◎ 民主主義とは個人の権利が守られるような社会を作っていくこ
とに皆が努力すること
= 努力なしに民主主義はあり得ない
◎ 「 民主主義とはいったい何かというと,個人が個人に属する権利だけ
を守っていくことではなく、個人の権利が守られていくような社会を
作っていくことに皆が努力することだと思う。
それが,既に失われつつある事実を反省しなければ日本の民主主義
は守られないと思う。私がここで民俗学を講義し続けてきたのはそこ
にあったのです。」
※ 民俗学
~ 柳田が始め,折口が発展させた。
◎ 「 一つ一つの民族的事象は随分消えていっている。正月行事も盆行事
も昔の行事はうんと少なくなってきている。しかし,そういうものは
消えていっても,我々の中にある血と言いますか,慣習,文化という
ものは本来後天的なものであって,生まれてから後々われわれの身に
付いたものである。その後からついたもの,それは実はその前の時代
にあったものを受け継いでいる。」
郷里に帰る機会が多くなっている。
日本の都市の特色の一つ。郷里に本貫があり東京に住む人の多さ。 ∥
日本の都市
- 永住の気持ちが少ない
↓ 仮住居の気持ち
日本の都市問題
「最初からそこに住み着いて自分の理想の世界にしようとする人が
少ないということにある」
☆「新健康の常識60」増田貢一 現代書林 2011年【再掲載 2015.2】
[出版社の案内]
自分でカンタンにできる「骨盤矯正」「ダイエット法」「健康体操」「食事法」
「悩み別解消法」。いますぐ超健康になれるカラダの教科書。
◇増田貢一
昭和45年 下田市生
平成10年4月沼津市で「増田健康院」
健康
-「腰とお腹が強い」
◇「骨盤の歪み」ポイント
骨盤ってそんなに大事なの?
骨盤-洗骨 腸骨 恥骨 尾骨 大腰筋
身体のバランスの左右差に注意せよ
正しく座れる人は若々しく見えると心得よ
硬くなっている筋肉を緩めるべし
左肩が上で右あごでははさみにくい
神経の働きの悪さこそ万病の元と心得よ
歪んでいる人ほど足を組む
自律神経の裏に身体の歪みあり
交感神経と副交感神経
人間の頭の重さはボーリングの球と等しい
◇「身体の常識」
日本人の昔の生活スタイルを見直すべし
◇「非常識な健康法」
肩こりや首痛
首や肩の疲れは首や背中の筋肉が緊張して硬くなり血行が悪くなる
から起こる
筋肉のアンバランス
→ バンザイ体操
= 挙げにくい方の手首をつかみ上に上げる
「42 父母の記/自叙伝」の紹介 4回目です。
封建的だといって、すべてのことを捨て去ってよいのか。
民主主義とは何か。
わたしたちが前の世代から受け継ぎ、つないでいくべき事は何か。
要約を読み直し、考えました。
鬼太鼓座、鼓動のサイトに、
宮本常一さんと永六輔さんのつながりについて記されていました。
永さんのラジオ番組でよく宮本常一さんの名前を聞いたことを思い出します。
出版社の著者紹介には
「宮本常一に強大な影響を与えた父、母、祖父、祖母に関する文章および自伝
的エッセイを収録する。また本巻には、母の葬儀の際に出席者へ配った、
『母の記』、妻へ向けた文章を含む『我が半生の記録』(『妻たる人に』)、
郵便局の勤務時代の回想である『私の郵便局時代』、祖母の死去と葬儀の行
程を記した『祖母の死と葬儀』、父の死のドキュメントである日記など、
今回初公開となるきわめてプライヴェートで貴重な文章を多数収録。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「おまえは学者になるなよ。学者はたくさんいる。おまえは事実を掘り起こ
してくることだ。現実の生活は刻々と変わっていく。そして古いものが滅
んでいくが,そうした人々の生活をできるだけ丹念に書き留めておくこと
が何より大切なことである。それが学問の資料になる。良い資料がなけれ
ば立派な学問は発達しない。おまえには学問以前の仕事をしてもらいたい
- 渋沢敬三から宮本常一への言葉 」
・「農業の合理化は,結局単なる農業労力の省力化以外の何ものでもない。多
くの設備投資にもかかわらず農産物価格は不安定なまま。結局,省力化に
よって余った労力は次第に都市の商工業に吸収せられざるを得ない。いわ
ば,日本の農民たちは都市資本家あるいは政府の工業政策の犠牲に立たさ
れ,それにより工業化が進んできたといってよい」
・「民俗学とは『人間が生きる尊さ,生きる意味ってものは何かと言うことの追求』」
・「民主主義とはいったい何かというと,個人が個人に属する権利だけを守っ
ていくことではなく、個人の権利が守られていくような社会を作ってい
くことに皆が努力することだと思う。それが,既に失われつつある事実
を反省しなければ日本の民主主義は守られないと思う。私がここで民俗
学を講義し続けてきたのはそこにあったのです。」
・「日本の都市問題は『最初からそこに住み着いて自分の理想の世界にしよう
とする人が少ないということにある』」
もう一つ、再掲載になりますが、増田貢一さんの
「新健康の常識60」を載せます。
本年もすこやかに過ごせることを願います。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一著作集 42 父母の記/自伝抄」 宮本常一 未来社 2002年 ④
◇私の民俗学(1)
□民俗学への道
昭和14年初春
師範学校時代の恩師・森信三先生が満州建国大学の教授として赴任
されることになり大学助手の話が…
|
渋沢
「満州に行く前に日本全国を一通り歩いたらどうか」
→ 9月末 小学校を退職
→ 全国の民俗採集旅行 (乞食旅行)
□戦争が激化して中学校教師に
→ 昭和20年4月 大阪府庁
大阪府下・篤農家 食糧自給対策
↓
郷里で百姓 百姓の合間に全国を歩く
自分の調査を進めていくと共に技術・知識の運搬人になった
∥
◎ 実に多くの誠実な人に会うことができた
その人たちは古い文化を背負いつつ前向きに歩いていた
↓
渋沢敬三に報告
~ 昭和42年までに 全国200箇所の農山村の調査
渋沢が宮本に
「おまえは学者になるなよ。学者はたくさんいる。おまえは事実を
掘り起こしてくることだ。現実の生活は刻々と変わっていく。そ
して古いものが滅んでいくが,そうした人々の生活をできるだけ
丹念に書き留めておくことが何より大切なことである。それが学
問の資料になる。良い資料がなければ立派な学問は発達しない。
おまえには学問以前の仕事をしてもらいたい」
|
◎ 自分が自己を主張することも大切なのだが,相手の立場や言
い分を知ることも大切である
→ 昭和40年から学校の教師に
□百姓の子として
夢 ◎農業経営の合理化
→ 農村工業
◎農協統合
- どこまでも経済団体
↓
◎離島振興,山村信仰
農業の合理化は,結局単なる農業労力の省力化以外の何ものでもない
→ 多くの設備投資にもかかわらず農産物価格は不安定
↓
◎ 結局,省力化によって余った労力は次第に都市の商工業に吸収せら
れざるを得ない。いわば,日本の農民たちは都市資本家あるいは政府
の工業政策の犠牲に立たされ,それにより工業化が進んできたといっ
てよい
|
※ 戦後農民の服の輝きは消えた
□理論と実践
文化はある行きづまりになる場所へ一番たまるもの
= 人間の血
日本の同和問題も同様
×「これは私の専門外ですが」
学生争議
「解決ではなく新しいスタートにする」
「教育者って言うのは争って構わないんだ。教育の場が生かされつつ
争うのだったら,ぼくはいくら争っても構わないと思っているんだ。
その争うことのために一般の人たちを犠牲にするのは,もはや教育
じゃない」
民俗学
~ 「人間が生きる尊さ,生きる意味ってものは何かと言うことの追求」 |
◎ 人がそれぞれの場に於いてどのようにそれを処理して生きてき
たかと言うこと,それを見ていくことが,この学問の本当の姿で
はないんだろうか
□生活と文化と民俗学 - 武蔵野美術大学退官記念講演 -
昭和40(1965)年~ 武蔵野美大
それまではずっと給料をもらわない仕事をやってきた
日本常民文化研究所員
昭和29年 全国離島振興協議会事務局長
|
◎ 一週間の内二日だけ原稿を書いて食う金を作り,5日は他人
のために使ってみたいというのが私の願いだった
|
◎ 私自身の調査研究活動は大変曖昧
他のいろいろの条件の中でいろいろ方向を発見していく
一番やりたかったのは瀬戸内海の研究
日本の封建制度はヨーロッパのそれとは違う
= 一種の官僚システム
∥
◎ それぞれの人が給料をもらってそれぞれの地位にあり職務を果たす
世襲制の政治
~ 民主主義へ
∥
◎ 日本それ自体がもう一度封建時代へ逆戻りしつつあるというこ
とを十分認識していただかないと大きな問題になってくると思う
のです
↓
◎ 民主主義とは個人の権利が守られるような社会を作っていくこ
とに皆が努力すること
= 努力なしに民主主義はあり得ない
◎ 「 民主主義とはいったい何かというと,個人が個人に属する権利だけ
を守っていくことではなく、個人の権利が守られていくような社会を
作っていくことに皆が努力することだと思う。
それが,既に失われつつある事実を反省しなければ日本の民主主義
は守られないと思う。私がここで民俗学を講義し続けてきたのはそこ
にあったのです。」
※ 民俗学
~ 柳田が始め,折口が発展させた。
◎ 「 一つ一つの民族的事象は随分消えていっている。正月行事も盆行事
も昔の行事はうんと少なくなってきている。しかし,そういうものは
消えていっても,我々の中にある血と言いますか,慣習,文化という
ものは本来後天的なものであって,生まれてから後々われわれの身に
付いたものである。その後からついたもの,それは実はその前の時代
にあったものを受け継いでいる。」
郷里に帰る機会が多くなっている。
日本の都市の特色の一つ。郷里に本貫があり東京に住む人の多さ。 ∥
日本の都市
- 永住の気持ちが少ない
↓ 仮住居の気持ち
日本の都市問題
「最初からそこに住み着いて自分の理想の世界にしようとする人が
少ないということにある」
☆「新健康の常識60」増田貢一 現代書林 2011年【再掲載 2015.2】
[出版社の案内]
自分でカンタンにできる「骨盤矯正」「ダイエット法」「健康体操」「食事法」
「悩み別解消法」。いますぐ超健康になれるカラダの教科書。
◇増田貢一
昭和45年 下田市生
平成10年4月沼津市で「増田健康院」
健康
-「腰とお腹が強い」
◇「骨盤の歪み」ポイント
骨盤ってそんなに大事なの?
骨盤-洗骨 腸骨 恥骨 尾骨 大腰筋
身体のバランスの左右差に注意せよ
正しく座れる人は若々しく見えると心得よ
硬くなっている筋肉を緩めるべし
左肩が上で右あごでははさみにくい
神経の働きの悪さこそ万病の元と心得よ
歪んでいる人ほど足を組む
自律神経の裏に身体の歪みあり
交感神経と副交感神経
人間の頭の重さはボーリングの球と等しい
◇「身体の常識」
日本人の昔の生活スタイルを見直すべし
◇「非常識な健康法」
肩こりや首痛
首や肩の疲れは首や背中の筋肉が緊張して硬くなり血行が悪くなる
から起こる
筋肉のアンバランス
→ バンザイ体操
= 挙げにくい方の手首をつかみ上に上げる