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鷲田小彌太さんはこんなことを 26-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (6) /「まじめの崩壊」 千石保 サイマル出版社 1992年 ②【再掲載 2013.7】 [読書記録 歴史]

今回は、12月25日に続いてわたしの読書ノートから、
「鷲田小彌太さんはこんなことを」26回目、
「日本人のための歴史を考える技術」の紹介 6回目です。

おもしろい説だと思いました。


出版社の案内には

「邪馬台国論争とは何か、『記紀』の正しい読み方はなど、歴史の『なぜ』を
 いかに問い、考えるかについて、全ての知識や学問の基礎が歴史にあると
 考える哲学教授が挑む日本人のための日本史講座・古代篇。」

とあります。


大化の改新のとらえ方をおもしろく感じました。




もう一つ、再掲載になりますが、千石保さんの
「まじめの崩壊」②を載せます。
出版から はや30年。
「まじめ」は過去のものになってしまったのでしょうか。
ただまじめなだけでは本人が苦しむことになってしまいます。
まじめを軸とした+αが必要な時代になっていることは感じます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆鷲田小彌太さんはこんなことを 26-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (6) 

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◇倭の五王
倭の五王とは誰か
讃 - 応神,仁徳,履中   

    珍 - 反正,仁徳

    済 - 允恭

    興 - 安康

    武 - 雄略



  鉄文化がやってきた
日本には鉄と青銅器がほとんど同時に入った
     - 朝鮮半島の渡来人


  文化の輸入形式
① きわめて長い歴史時間を経て人も文化もやってきた

    ② トップを輸入 蘇我氏は渡来人 崇神は南加羅の王
応神と継体は百済王の弟

    ③ 新しい首長を要求

    ④ ヤマト国の文化輸入の独特の形式

 

◇蘇我氏は悪人か?

  古代史の開始から大動乱の二百年
大化の改新の謎
  ① 改新直前に聖徳太子の子山背大兄が殺される
「大兄」 = 第一天王位継承者 = 皇太子
  犯人は蘇我入鹿とされる

  ② 聖徳太子とは何者か

      ③ 蘇我氏 
         - 大罪人にされている(日本書紀)

      ④ 中大兄皇子 
          二十数年も天王の座に着いていない
在位三年でなくなる


  蘇我氏は天王家だ
  日本書紀 ~ 蘇我氏
   ◎功績 仏教導入 対隋外交 憲法17条制定
▲罪 崇峻の殺害 生前天王墓まがいのものを造営
山背大兄一族殺害 天王家転覆の陰謀

石渡説 
     「蘇我氏が天王家であった」(応神系)
稲目 = 欽明

   馬子 = 用明 =聖徳太子
<応神系の権力の肥大化>が日本書紀で批判
↑↓
物部氏(継体系)


  「日本書紀」大化の改新のクーデター合理化
中大兄皇子(天智)の後継者として天武・持統

  大化以前 
        二つの天王家を二つの豪族に変じて断罪し,中臣(藤原)
       氏の功績を一人際だたせる目論見


  蘇我氏には没落する理由があった
大化の改新 
      - 陰惨なクーデター
政務中の天王を密室で取り囲み押し殺した

◎ 無法ながら成功した
  1 馬子天王らが王位継承権を独占し,今ひとつある
            天王家を圧迫・壊滅させようとした
彦人大兄殺害に対する復讐劇

           2 外交政策 
               対中国対朝鮮路線の対立

百済の国難への対処法
馬子・入鹿は親百済
↑↓
唐の反感を買う
                → 路線変更を






☆「まじめの崩壊」 千石保 サイマル出版社 1992年 ②【再掲載 2013.7】

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<まじめの崩壊>
◇まじめからマジへ
  リーダーの消滅と人気者の浮上
  「団体駆け足教育」
       - 勤倹力行の崩壊

  1977年から大きく変化
勉強のできる子がガリ勉,マジと軽蔑されるようになった



  キン肉マン登場-まじめ崩壊期
= インスツルメントの価値を拒否しコンサマトリー化した日本若者の姿
「ロッキー」「フラッシュダンス」が受け入れられない

◎「巨人の星」から「キン肉マン」へ


  ビートたけしのタテマエ攻撃-コミック定着期
  「まじめ」を攻撃して「マジ」の地位に引きずりおろす運動
 明石家さんま - 倫理を欠いた行動が迎えられた 
             ホンネ,コミカル
  ↓
 ◎ まじめによく働いたり勉強したりする者がリーダー,規範,中心
     でなくなった
   村上泰亮『産業社会の病理』


  新人類の誕生-対立葛藤期
  村上泰亮『産業社会の病理』
  「手段的合理主義に伴う勤倹力行の論理が産業社会を育てた個人主
      義と対立葛藤を呼ぶだろう」


  1977(昭和52)年オイルショックによる低成長
→ 父母の会社,社会を恨む会話が新人類を発生させた

◎「自分らしくありたい」昭和37,38年生まれ
         「自分大切価値観」

  オイルショック
   ◎「他者への犠牲」→ 「自分大切」



 豊かさとノリのパラドックス
新しい矛盾葛藤の時代
「仕事とは自分で見つけてくるもの」=「仕事無限定制」の崩壊

ルーチン仕事以外はノー
日本 
      手段合理性の倫理と個人主義のコンサマトリーとの葛藤段階
プレモダン →(モダンを経ずて)→ポストモダン

◎ 日本では個人主義が根付かないまま経済とライフスタイルだけ
      がポストモダンに突入した
  (お金だけがポストモダンの脱工業化を果たしたが,精神がまだ近
      代の個人主義に育っていない)




◇おたくの論理
 アイドリアン 「おたく族」C級アイドルファン
    アイドリアンのおたく性 エンドレスが前提


 ヒーローからアイドルへ
ヒーローがいなくなりアイドルが誕生 おにゃんこクラブ


 出世から降りた若者たち
  勤倹力行 
       モダニズムのエトスが中学生からなくなっている
   = 一億総おたく化現象
  生産とそのための勤倹力行がないことがおたくを生む土壌
  若者の大切なもの
       = 「自分の時間」
  仕事にはやる気がなくても趣味にはやる気満々


  目的を持たない新入社員
働く目的
     ~ 楽しく暮らすための手段


 スペシャリスト志向
ゼネラリスト志向からスペシャリスト志向へ



◇相対主義の罠
1977(昭和52)年前後日本人の価値観が大きく変化した 

  「支持政党なし」カテゴリーがトップに

  1978年歴史終焉説
  1989. 7 フランシス・フクヤマ『歴史の終焉』
  1989.12 ベルリンの壁崩壊


  「モノ」から「コト」へ
  物質主義からポスト物質主義へ(インクルハート)
  havingからbeingへ(エーリッヒ・フロム)
 第二の波から第三の波へ(トフラー)
 モーレツからビューティフルへ
   ∥
◎「追いつけ追い越せ」の目標がなくなった


  理念の喪失と「欲求」の新しい形
若者たちの欲求は「楽しさ」 今田高俊『モダンの脱構築』
80年代差別化の時代 感性・パフォーマンスが大きな主流に


  自分に忠実に生きる
「自分のしたいことをしなければならない」人間の出現
例え常識に反しても…


  否定される絶対的基準
普遍主義・絶対主義の崩壊から相対観への転換
「自分なりに頑張った」で済ませてしまう… 
(相対観のバリエーション)


 文明の崩壊を招く相対主義
  アラン・ブルーム(シカゴ大)
       『アメリカンマインドの終焉』
   アラン・フィンケルクロート(フランス)
       『思考の敗北或いは文化のパラドクス』
「対話の喪失」-相対主義批判

 「こうでなければならぬ」という基準の喪失が「自分なりに」「自分
   らしく」という言葉に置き換えられてしまった。
= 相対観があらゆる場で猛威をふるう
  相対観 → タテマエの喪失

 ◎「自分なりに」という現代のピカピカキーワードは若者たちの人口数だけ
  の「モノサシ」を生んだと言える。共通のモノサシがなくなり,それぞれ
  が個性化してもよくなったと言える。

※ 現代社会の危機的状況
◎「対話や討論がなくなった」
「お前はそうか,俺はこうだ」で終わってしま
          「多種少量友人」

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