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「大人のいない国」鷲田清一・内田樹 プレジデント社 2008年 ② /「大村はま 教室で学ぶ」小学館 1990年【再掲載 2015.10】 [読書記録 一般]

今回は、1月7日に続いて、鷲田清一さん、内田樹さんの
「大人のいない国」の紹介 2回目です。


要約を読み直すと難しく…。

出版社の著者紹介には

「気づいてみれば、みんなで『こんな日本に誰がした』を大合唱。誰も『こん
な日本に私がした』とはゆめゆめ思っていない。老いも若きも『責任者を出
 せ!』と騒ぐクレーマー天国で、絶滅危惧種『本当の大人』をめぐって二人
 の哲学者がとことん語る。」
 
とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「人は年を取るほど『多重人格化』していく」


・「古代的な同胞愛は,親族や小規模の集団成因に対する自然な友愛の感情を
義務規定によって制度的に強化したもの」


・「現代に於いて,国民国家は「不愉快な他者」を隣人として受け容れるとい
  う悲痛な決断の上にしか成り立たない」


・「相互に依存しなければ何もできない人間」


・「『力のない正義は無力であり,正義のない力は圧政的だ』パスカル」




もう一つ、再掲載になりますが、大村はまさんの
「大村はま 教室で学ぶ」を載せます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
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☆「大人のいない国」鷲田清一・内田樹 プレジデント社 2008年 ②

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◇対談:「大人学」のすすめ 鷲田清一・内田樹(2)

□人は年を取るほど「多重人格化」していく
◎ 人が成熟するというのは,繊維が複雑に絡み合った絨毯のように,情
   報やコンテンツ(内容)が詰まっていく

     ← なのに,今の世の中,ジャーナリストも単次元的な語り口のみ
       すぐに善悪を付けたがる

  ※ 何でも善悪に分けたがるシンプルな二次元論はどうにかならないか?

しかし,「多様性が大事だ!」の声 ×
多様性って一つ間違えば無責任な概念

  「じゃあ,どうして個人は多様ではいけないの?」
   → 多様人格といわれて否定される…  

  50歳前の危ない世代 「ラスト・ダダ」
  駄々をこねる
◎ 子どもと大人がいるわけではなく,みんなが幼児性を抱え込んでい
    る。それを一人一人がかろうじてとりまとめることができているだけ。

建て前と本音の葛藤がなければ老人だってただの子ども!



◇大人の愛国論 内田樹(神戸女学院大学教授)

□「惨状と堕落」を嘆く人々
瑕疵① 「栄光ある祖国,誇り高い同胞」が,いつ,どのような形態で存在し
        たのか

どこまで歴史を遡ろうと,完全無欠の「栄光ある祖国」と出会えない

   瑕疵② 「日本国民」と「狭義の日本人」
~ その中に言っている本人は含まれていない


□「自分好き」に終わる同胞愛 
   同一語を両義で使い分ける詭弁


□現代国家は「均質的集団」になり得ない
   古代的な同胞愛は,親族や小規模の集団成因に対する自然な友愛の感情
  を義務規定によって制度的に強化したもの


□「不快な隣人たち」を受け入れられるのか
純度の高い集団を作ろうとすれば,集団は必ず分裂する
     → すべての人を愛することはできないが,分裂を導き入れることを自制する
      ことはできる  
  ◎唯一の愛国心のかたち

    =「不快な隣人たち」を国民国家のフルメンバーとして受け入れること    ↓
「私人としての不快」を押し殺して「公民としての義務」に従う
(=現代の愛国心)

  ※ 現代に於いては,国民国家は「不愉快な他者」を隣人として受け容れる
   という悲痛な決断の上にしか成り立たない

  オルテガ・イ・カセー
民主主義を成り立たせるギリギリの最低条件
      =「敵と共に生き,反対者と共に統治すること」



◇弱い者に従う自由 鷲田清一(大阪大学総長)

□相互に依存しなければ何もできない人間
共生  
    相互に依存しないでは何一つできない,そういう人間の弱さがこの社
   会でどれほど見にくくなっているか

  「可愛い」ができなければ「頑張れ」
   <協同>の機能が,その細部まで中央管理的なシステムに吸い上
    げられることで急速にやせ細ってきた

  弱い者をさらに弱体化していくプロセス


□誰もが「じぶんを担いきれない状況にある」 
   依存は常に相互的


□弱い者に従うと言うこと
パスカル
    「力のない正義は無力であり,正義のない力は圧政的だ」



◇呪いと言論 内田樹
「匿名」で発信する理由

  ネット上を行き交う「呪」の言葉

  ネットへの書き込みで人が死ぬ社会
「呪い」は他者の苦しみを自分の「得点」に数えるマインドが生き延びている
    限り生き延びる

 「言論の自由」はどのように誤解されているか
発言は本質的に懇請である

  わたしの言葉を吟味し査定するのは「他者」である
「場が存在する」認識

 「受信者への敬意」あるいは「ディセンシー」

  言論の自由とは「場の審判力」に対する信任のことである
「受信者への敬意」「受信者への予祝」
      端的にディセンシー(礼儀正しさ)

  「祝福」だけが「呪詛」を相殺することができる








☆「大村はま 教室で学ぶ」小学館 1990年【再掲載 2015.10】

◇「ストレートに教えてください」
 M
   「先生、ストレートに教えてください」


◇あとがきの評価をめぐって
学習記録のあとがき
    学習成果、作品、レポート、資料 
     → 学期末毎に一冊の本に
      ◎内容整理
        → 順序を考える 
        → 目次作り 
        → ページ打ち 
        → 表紙
        → とびら
        → 奥付 
        → あとがき

   Kのあとがき
     早合点による誤解


◇「ああうるさかったあ」
  「作文は嫌い」と言わせない工夫
   ①「書くことがない」状況にしない
     ② 書く前の指導 
         軽く見えて重いもの
          ↓
         書き込み式文集 

   教師の説明に「ああうるさかったなあ 早く書きたかったのに…」
   = 予定していなかった話をするな


◇「ちょっと古かったのではありませんか」
従来の読書指導に安住できず

   心を打たれた「ことばの事実」
     西尾実「ことばの真実」


◇「殴りたいと思ったことは?」

   相手を一人前の人間として遇する 
     「ことば」への信頼を


◇「あの 感想文なしで」
   中学生の読書感想文嫌い  
     読書の価値は感想文に左右されない


◇「好きじゃないと思いますか」
  「猿の先生」を差し出した子ども 
     「この本読みませんか」

   子どもたちの成長に頭を下げる


◇「…わけにはいかないんですか」
   自らを失うことの怖さ
     ずうっと読み続けた子ども「甘えの構造」

   手を出さないのも出し方の一つ


◇「一人グループはないんですか」
   大きな机を独り占めしたK


◇「書き取りなんかしなくても…」
   教室の一隅での「放談」
     子どもは一隅、隅っこが好き

   100%でなくても
     辞書ひきの達人


◇「できる子どもだけど…」
   できる子できない子 
     子どもへのお土産
       … しおり一枚、絵はがき一枚

   できる子いないんですか
   「できるできない」の届かないところ


◇「一万 一ページ」  
   読書マラソン 朗読


◇熱中させる資料を
  「旅の絵本」安野光雄


◇書き出しの指導  
  「教師が書き出しの文章を」 
   → 続きを子どもたちに
= 実際に書いてみることが効果的

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