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「隠された証言 日航123便墜落事故」藤田日出男 新潮社 2003年 ① /「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年 ③【再掲載 2016.9】 [読書記録 一般]

今回は、藤田日出男さんの
「隠された証言 日航123便墜落事故」1回目の紹介です。


出版社からコメントは大変長く、強い思いが込められているように感じます。


出版社の紹介には

「1985年8月12日、午後7時半すこし前。テレビに流れた『羽田発大阪行き
 日航機が行方不明』というテロップが、『日航123便墜落事故』を伝える最
 初の報となった。誰もが最悪の事態を想像して慄然とした。30歳台も後半
 の方なら、墜落現場が発見される
 までの異常に長く感じられた数時間と初めてブラウン管に映し出された山岳
 地帯の闇に浮かぶ炎を鮮明に記憶されているに違いない。あれから18年が経
 つ。だが、事故原因はいまだに謎に包まれたままなのだ。
 1987年6月19日、運輸省・事故調査委員会が、最終的な『航空事故調査報告
 書』を公表した。この600ページにおよぶ報告書が示した事故原因は、事故
 関係者の誰も納得させることが出来なかった。なぜか。奇跡的に生き残った
 4人の女性たちの語る事故発生後の機内の様子と事故調が想定した結論は、
 まったく齟齬をきたしていたからだ。事故調の主張はこうだ。後部圧力隔壁
 の破壊で高圧の空気が機体の尾部に噴出し、垂直尾翼がパンクして吹き飛ん
 だ。このため、事故機は操縦不能に陥り、ついに群馬県御巣鷹山に墜落した。
 本当だろうか? 垂直尾翼を一瞬のうちに吹き飛ばすような空気の噴出が起
 これば、機内には爆風が流れ、ベルトをしていない人は機外へと吸い出され、
 たいていの人の耳の鼓膜を損傷する。室温はマイナス40度まで一気に下が
 る。生存者は、空気の流れはなく、寒くもなかったと言い鼓膜も正常であっ
 た。
 これら、生存者の証言は、雑誌、テレビなどに登場したが、事故調は自分た
 ちは与り知らぬことと無視してきた。なんのために? そして事故の本当の
 原因は? 
 本書は、元日航のジャンボ機パイロットで事故調査のエキスパートでもある
 藤田日出男氏が、旧運輸省・役人の内部告発で入手した秘密資料をもとに、
 18年の歳月をかけて事故の真相を明らかにした渾身のドキュメントである。」
 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「素早い防衛庁の対応?
  ・防衛庁の探索開始はレーダーから消えた18:57からわずか4分後
・一方、運輸省は20:33に初めて要請」


・「情報確認は遅く、全部で5回。13日朝になってからも誤った情報を流して
いた。わざとミスリードしたのではないか」


・「警官が日航関係者を過敏に意識」


・「事故調査報告書の最大の問題点は『4名の生存者以外は即死あるいはそれ
に近い状態であった』としている点 」


・「ヘリポート付近で4名の生存者が2時間近く待たされたのは、生存者を現
  場から下ろすために使われるヘリが、先に運輸大臣と消防庁長官の移動に
使われた可能性が大」



もう一つ、再掲載になりますが、鳥越信さんの
「はじめて学ぶ日本児童文学史」③を載せます。
子どものための本がどのように始まり読まれていったのかが分かります。


<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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☆「隠された証言 日航123便墜落事故」藤田日出男 新潮社 2003年 ①

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◇墜落現場(1)

 17年の始まり
1985.8.12 レストランで 
   川崎機長から
    → 航空事故調査



 現場に急ぐ
タクシーで羽田の事務所に
ラジオで「長野県北相木村付近」情報が混乱
   ◎ なぜ場所が確認できないのか怒りに似た気持ち 



頭をよぎった「もく星号事故」
1952.4.9 7:50AM 



 混乱する墜落地点情報
ごった返す事務所 30人以上
同行 
     松田司郎機関誌と佐藤進副操縦士 
     真夜中過ぎに東京出発
   川上村に近づくと陸自のトラック増 
     ヘリの音も
   「扇平山頂上付近だ」という会話
     → 登りはじめる しかし北の尾根と知る



 素早い防衛庁の対応
   防衛庁の探索開始はレーダーから消えた18:57からわずか4分後
    19:01にはF12機出動 19:54ヘリV107を見切り発進   
運輸省は20:33に初めて要請
  ◎ ? なぜ自衛隊は素早く探索に参加しなかったのか
    ? 情報確認は遅く、全部で5回 
      13日朝になってからも誤った情報を流していた
      わざとミスリードしたのではないか   
翌14日 日の出と共に三国峠で車を降り尾根を歩いた



 地獄への道
高速墜落  
   正視には耐えられない地獄そのもの 
     ~ 腐敗臭



 地獄を見ていたミッキーマウス
事故現場市余りにも広く急斜面
   ※ 警官が日航関係者を過敏に意識 



 機長の姿見えず
下顎の一部のみ 歯形から確認
   原因情報収集
     + 探索救難体制の機能
     + 人的被害最小限に抑えるための情報
   感情を抑えられなければ立っていられない状況



 生存者発見



 遺体の脈をとる 
   石のあるあたり6畳ぐらいの範囲に4人の生存者   
  救助がもっと早ければ
   ◎ 最大の問題点(事故調査報告書)
      「4名の生存者以外は即死あるいはそれに近い状態であった」  



置いておかれた生存者
ヘリポート付近で4名の生存者が2時間近く待たされた
   「上野消防団活動記録」 
11:28 4人確認
11:32 電話入る
12:03 4人ヘリで第一小へ
12:47 13:11グランド到着の連絡が入る
12:53 交信不能
13:27 収容すまない
13:36 ヘリが上野村ヘリに向け出発
      14:08 ヘリ到着
  ※ 生存者を現場から下ろすために使われるヘリが運輸大臣と消防庁長官
   の移動に使われた可能性が大  
 






☆「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年 ③【再掲載 2016.9】

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◇伝記と歴史読み物
文明開化・富国強兵

  教育に関する勅語 
    日本の歴史に重点

  「家庭教育歴史読本」12編 
    落合直文・小中対象 博文館1891.2~1892.10

  「二宮尊徳翁」寺田露伴 博文館 1891.10 少年文学

  「近江聖人」村井弦斎 叢書「少年文学」14編 博文館 1892.10

  「アブラハム・リンコルン」国木田独歩 
     「少年伝記叢書」第3編 民交社 1896.5
   
  「日本歴史譚」第一編 博文館 1896.12

  「宇治川」巌谷小波 「日本お伽噺」第24編 博文館 1899.1

  「耶蘇」上田敏 「世界歴史譚」第3編 博文館 1899.4

  「中浜万次郎」石井研堂 「少年読本」第23編 博文館 1900.5

  「鬼吉川」大町桂月 


□通史の読み物シリーズ
 「少年日本歴史」全6巻 積文館 1909.5~1910.8

 「少年日本歴史読本」博文館 1911.2~1916.7

   以後
    大同館書店,三省堂,大日本雄弁会,講談社,偕成社,学習社

   伝記作家 池田宣政,森銑三,吉野源三郎

   戦後 
    偕成社,ポプラ社,講談社,国土社,学習研究社,さえら書房



◇押川春浪と立川文庫
  1901.11 「海島冒険奇譚 海底軍艦」押川春浪
           (父は東北学院創始者 早大卒)

  武侠六部作 春浪の武侠小説


□上笙一郎  大衆児童文学としての軍事冒険小説
① 侵略的ナショナリズム 
   ② 新科学兵器
   ③ 英雄としての少年少女


□冒険小説・科学小説・軍事小説
冒険小説 
    「少年倶楽部」大日本雄弁会講談社 1914創刊
  ↓
戦後 
    瀬川昌男「白鳥座61番星」未都書店1960
中尾明 「宇宙島の少年」新光社1984
古田足日「ロボットカミイ」福音館1970


□ シリーズ
  「なぞの転校生」眉村卓
  「時をかける少女」筒井康隆
  「夕ばえ作戦」「消えた町」


□立川文庫の出現
  1911.4 立川文明堂 大阪
       → 立川文庫
旧版に3銭を足すと新本と交換 = 貧少年之支持
タツカワブンコ


□講談師・二代目玉田玉秀斎 山田敬と出会う
  「大阪赤本」
    → 人気者に 速記者確保
玉田文庫を計画 
    → 「立川文庫」なら
※ 聞く講談から書き、創る講談へ

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