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「隠された証言 日航123便墜落事故」藤田日出男 新潮社 2003年 ② /「おちついた読書」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑤)【再掲載 2014.2】 [読書記録 一般]

今回は、2月16日に続いて、藤田日出男さんの
「隠された証言 日航123便墜落事故」2回目の紹介です。


長い間、墜落事故の原因は圧力隔壁の修理によるものと思い込んでいました。
藤田さんや青山透子さんの本を読み、次第に疑問をもつようになりました。
思い込みはこわいものだと感じています。


出版社の紹介には

「1985年8月12日、午後7時半すこし前。テレビに流れた『羽田発大阪行き
 日航機が行方不明』というテロップが、『日航123便墜落事故』を伝える最
 初の報となった。誰もが最悪の事態を想像して慄然とした。30歳台も後半
 の方なら、墜落現場が発見される
 までの異常に長く感じられた数時間と初めてブラウン管に映し出された山岳
 地帯の闇に浮かぶ炎を鮮明に記憶されているに違いない。あれから18年が経
 つ。だが、事故原因はいまだに謎に包まれたままなのだ。
 1987年6月19日、運輸省・事故調査委員会が、最終的な『航空事故調査報告
 書』を公表した。この600ページにおよぶ報告書が示した事故原因は、事故
 関係者の誰も納得させることが出来なかった。なぜか。奇跡的に生き残った
 4人の女性たちの語る事故発生後の機内の様子と事故調が想定した結論は、
 まったく齟齬をきたしていたからだ。事故調の主張はこうだ。後部圧力隔壁
 の破壊で高圧の空気が機体の尾部に噴出し、垂直尾翼がパンクして吹き飛ん
 だ。このため、事故機は操縦不能に陥り、ついに群馬県御巣鷹山に墜落した。
 本当だろうか? 垂直尾翼を一瞬のうちに吹き飛ばすような空気の噴出が起
 これば、機内には爆風が流れ、ベルトをしていない人は機外へと吸い出され、
 たいていの人の耳の鼓膜を損傷する。室温はマイナス40度まで一気に下が
 る。生存者は、空気の流れはなく、寒くもなかったと言い鼓膜も正常であっ
 た。
 これら、生存者の証言は、雑誌、テレビなどに登場したが、事故調は自分た
 ちは与り知らぬことと無視してきた。なんのために? そして事故の本当の
 原因は? 
 本書は、元日航のジャンボ機パイロットで事故調査のエキスパートでもある
 藤田日出男氏が、旧運輸省・役人の内部告発で入手した秘密資料をもとに、
 18年の歳月をかけて事故の真相を明らかにした渾身のドキュメントである。」
 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「落合さんへのインタビューは8月13日15時頃(14:08にヘリが到着したばか
  りなのに)、わずか45分後、余りに遅い輸送、余りに早い情報聴取。防衛庁
  の事故への対応が極めて素早かった(のが疑問)」


・「事故当日、相模湾海上で海自の『まつゆき』(が訓練中)。123便はその真
上を飛行していた。『まつゆき』が試射したミサイルが直撃した可能性が
  ある」


・「朝日新聞のヘリが12日21:20には正確に確認し写真撮影もしていた。その
下には航空自衛隊のヘリも確認された。その20分前には米軍ヘリが救助を
開始しようとしていた。それにもかかわらず、中止命令が出された。なぜ
か出所不明のものだけが信用され、正確な情報は無視された。地上からの
正確な情報・埼玉県警長野県警パトカーからの目撃情報も無視された」


・「米軍のアントヌッチ大尉の手記が明らかにされる必要がある」





もう一つ、再掲載になりますが、宮本常一さんの
「おちついた読書」を載せます。
時間がないと言い訳して読書量が少なくなりつつある自分を振り返りました。







<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
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☆「隠された証言 日航123便墜落事故」藤田日出男 新潮社 2003年 ②

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◇墜落現場(2)

 残された遺書初めての証言
16日 落合由美子さん初インタビュー
   19日 川上慶子さんインタビュー 
21日 吉崎博子さんインターネット
   いくつかの遺書も



 送れた救難と素早い情報聴取 
調査官防衛庁航空自衛隊の小原申一郞医官の質問が、ほとんどのインタ
  ビュー記録が1986.4.25聴聞会の数日後、郵便受けに入っていた。
  
  落合さんへのインタビュー 
    8月13日15時頃(14:08にヘリが到着したばかりなのに) 
※ わずか45分後、余りに遅い輸送、余りに早い情報聴取
      防衛庁
        - 事故への対応が極めて素早かった
  
      相模湾海上で海自の「まつゆき」
        123便はその真上を飛行
        ◎「まつゆき」が試射したミサイルが直撃した可能性

      12日21時過ぎ、自衛隊のヘリが正確に2機
                   (朝日の「ちよどり」が確認) 



 現場に最初に入ったのは一般人
   捜索隊が入った13日午前9時前に大学生を交えた一般人が現場に入っ
  て下山する途中遭遇している
   4人以外にも親子連れの3人が朝早く下山  



 8月12日
  ①19:15 米軍機 煙発見 

  ②19:21 F4 三国峠東側で火災      

③20:42 航空自衛隊ヘリ現場上空

④20:50 ヘリが上空 
        ロープ降下しようとしたところ横田基地より中止命令
       → 引き返す

  ⑤21:10 朝日ヘリ ちよどり機発見
            正確な位置   

⑥23:17 長野信濃新聞自社ヘリに確認

⑦23:35 朝日ちよどり 御座山北がちがうことを 
        再び現場上空へ 
        下には自衛隊ヘリが飛行



 8月13日 

⑧4:39 自衛隊ヘリ墜落地点確認 
        ○○1㎞と報告-誤り 南に3㎞ずれ

  ⑨5:00 自衛隊ヘリ 三国山北西2㎞と報告 
            ほぼ一致

⑩5:10 航空自衛隊OH-6機体発見 
        「御座や真東5㎞」と報告 北西に5㎞ズレ

  ● 朝日新聞のヘリが21:20には正確に確認 写真撮影も
| その下には航空自衛隊のヘリも
20分前には米軍ヘリが救助を開始しようとしていた
しかし中止命令
※ なぜか出所不明のものだけが信用され、正確な情報は無視された
地上からの正確な情報・埼玉県警長野県警パトカーからの目撃情報
   は無視
 


 米軍 アントヌッチ大尉の手記
明らかにされる必要有
①8月12日6:57より9:20までの間に日米当局でどんな交渉が行われ
     たのか

    ②なぜ我々は現場を去るように命令されたのか

  ③日本の当局はどのような命令を救援隊に与えたのか
午後9時20分 最初の日本機
~ 当時の自衛隊が現場を「そのまま放棄していた」



 正確な情報を出所不明の情報を重視
   地元の人はスケノ沢の方だと確認していた  

   夜中でも十分に助け出せたんだ
マスコミを誘導するように御座山情報が繰り返された      

   ※ 事故の翌日現場に最も速く到着していた一般人、立命館大学の澤井
    純一教授が教え子2人と下山してきたとき、かれらは4人になってい
    た。








☆「おちついた読書」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑤)【再掲載 2014.2】

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 私は小学校を卒業して後、正規の勉強をしたのは師範学校の二部と専攻科の
2か年だけであった。


 そのためか、机に向かって書物を読む機会はきわめて乏しかったし、図書館
を利用することも少なかったが、書物はほとんど手ばなしたことがない。


 電車の中、バスの中、人を待つ間などに読んだ。したがって、大きい書物を
手にすることは少なかったが、それでも冊数にすると、かなりの数にのぼって
いる。


 ただ、ものを書くときは机に向かわねばならない。

 それは夜間が多い。

 昼は別の仕事に追われて、自分自身の仕事にぶちこむことは少なかった。


 考えてみるとまったく落ち着きのない日々であったといえる。


 しかし、これは私一人ではないようだ。電車へ乗ってみると若い人たちが何
人かかならず本をひろげて読んでいる。


 サラリーマンたちがスポーツ紙や週刊紙を読んでいるのと対照的であるが、
この若者たちがサラリーマンになるとやはりスポーツ紙を読むようになるのだ
ろうかと思ってみる。


 しかし、かならずしもそうではないと思う。


 10年まえに電車の中でこれほど本は読まれていなかった。


 みんながある落ちつきをとりもどしてきたことによって、まとまったものを
読もうとする意欲がつよくなってきはじめたのだと思う。


 ただこの人たちも時間を十分に持っていないのであろう。


 だが読書の習慣のついた人たちは、これからさき図書館を利用することが多
くなるのではあるまいか。


 アパート暮らしをするものが多くなると、本をならべるスペースも少ないで
あろう。


 よい本をゆっくりおちついて読みたいというときには自然に図書館へ足が向
かうようになってくると思う。


 それにはよい本をたくさんそなえた図書館がたくさんできなければならない。


 そして人間が静かに物を考えるゆとりを持つようになったとき、はじめて人
間がこれからさきどのように生きてゆくべきかという方向を、はっきり見いだせ
ると思う。
        (「学校図書館」194号 全国図書館協議会 昭和41年12月)

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