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「子どもの学力がぐんぐん伸びる家庭楽習」杉渕鐵良 PHP研究所 2004年 ④(最終) /「新津(しんづ)地区愛称標識の由来」 1989年 ①【再掲載 2021.12】 [読書記録 教育]

今回は、3月12日に続いて杉渕鐵良さんの
「子どもの学力がぐんぐん伸びる家庭楽習」の紹介4回目 最終です。



出版社の紹介には

「計算ミスが一向になくならない。一生懸命やっているのに、うまくいかない。
やればやるほど、こどもがやる気をなくす…そんな悩みを抱えるお母さんに
贈る“親子ともに楽しみながら力がつく”実践的家庭楽習本。」
 
とあります。


本日紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「キーワードは『限定』。できるものとできないものを分けていく」


・「時間を掛けて、半歩先の課題に向かわせ、励まし続ける指導を」


・「迷親から名親になるヒント。子どもを乗せて、まず自分が動き、一緒に取
り組む」


・「教える側が変われば子どもは伸びる。学力が伸びると生活態度も変わる」




もう一つ、再掲載になりますが、
「新津地区愛称標識の由来」①を載せます。
昭和63年から平成元年にかけて、浜松市の各地域で「愛称標識の由来」冊子
が出されました。主に歴史的な由来に基づいて太い木の杭に書かれた愛称標識
が設置され、その由来について書かれたものです。
新しい勤務校に赴任すると、校区の歴史を知るために、まずこの冊子に目を通
したものでした。しかし、その標識設置後30年以上となり、標識の字は薄く
なり、杭も朽ち始めています。再び整備されることを願いますが、予算の関係
でそれも難しいことと聞きます。①は、地区名、町名の由来についてです。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。



☆「子どもの学力がぐんぐん伸びる家庭楽習」杉渕鐵良 PHP研究所 2004年 ④(最終)

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◇家庭楽習
  
 楽しんで学ぶからこそ子どもは伸びる 
家庭楽習 
    - 親も楽しい子も楽しい やって楽しい上達して楽しい
 1年生レベルからスタート
 分析すれば怒る必要がなくなる
  子どもを大雑把にくくるのはやめよう
 キーワードは「限定」
- できるものとできないものを分けていく

   子どもの何を見るか
◎「変化を捉える」
◎「学習能力の養成」
※やる気がすべて

   豊富なバリエーション
あきさせない 
     臨機応変 
     手を変え品を変え
    
   指導
    1 時間を掛ける
2 半歩先
3 励まし続ける

   ちょっとひと工夫
  丸付け
       - 一つ一つに
 書き順は全身で
 勉強を遊びに変える
  計算相撲
   できたら○ できなかったら●
 発表ビンゴ
┌──┬──┬──┐
│ │ │ │
├──┼──┼──┤
│ │ │ │
├──┼──┼──┤
│ │ │ │
└──┴──┴──┘
伸びる子は時間を有効活用している
  細切れ時間の使い分
  1分30秒 CM
  3分
  5分
 15分
  
  3つの観点で子どもを伸ばす
加速
      ポイント「最初にじっくり丁寧にやる」
波及 
      まず一点突破
螺旋 
      スパイラル方式で
丁寧 → 速く → 丁寧2 → 速く2



◇しつけ編
  
  子どものやる気を引き出す3要素
1 成功体験   小さな成功体験の積み重ね
2 有能感    自信
3 知的面白さ

  担任との賢い付き合い方
サポート 
    援助 
    良い関わりを
  
  迷親から名親になるヒント 
やすらぎの空間
親が動けば子どもも動く
※ 子どもを乗せる まず自分が動く 一緒にやる

  見方・考え方は言葉に表れる

  子どもをよく見て
  拡大の目
逆転の目  恥ずかしがらずに声を出したね

  声掛けのタイミング
    褒めてほしいその一瞬

  半歩先を期待

  叱り方
   「できなくて当然」でスタート
      加点法 
  全面否定しない
  お先にどうぞ
 
  子どものことで落ち込んだときに
  それだけで幸せ 
      成功体験
      前提を変えて
  
  切り離して考える 
    よくばりすぎては… 
    まず一つ、一点突破
  
  三歩進んで二歩下がる 
できたところがスタート


◇鼎談 隂山英男&桑原健介&杉渕鐵良
  教える側が変われば子どもは伸びる
 
  学力が伸びると生活態度も変わる
 
  家庭が変わると子どもの伸びに加速度がつく
 
  子どもを見る眼を鍛える
  家庭塾 
     - 週1回 親同士

  2週間続けて同じ問題をやる
 
  朝の時間を大切にする 
   コピー機


◇杉渕学級参観記  櫻井よしこ
  「恥の文化」が忘れられている
 
  「道徳は行動である」
 
  子どもにきちんと食事をさせている
 
  すべてが道徳教育につながる









☆「新津(しんづ)地区愛称標識の由来」 1989年 ① 【再掲載 2021.12】


◇はじめに
 人間が生活するところには文化が生まれます。

 私たちが暮らしているこの新津の地に、いつ人びとの生活が始まったのか、
さだかではありませんが、とにかく遠い昔から、きまざまな生活文化が存在し
ていたはずです。

 それらの中には、長い年月を経て、ひとつのことばとなり、慣習となり、あ
るいは地名などとなって、いまに伝えられてきたものもあります。しかし、そ
うした伝承文化も、近年のめまぐるしい社会変化の中で、ほとんどが消滅の時
期を迎えています。

 新津地区が、浜松市の昭和63年度愛称標識設置モデル事業対象地区として
指定されたのを機に、地域内のいくつかを掘り起こし、見つめ直してみまし
た。

 その結果、いま40本の愛称標識が立っています。 

 愛称標識が建てられたこと自体にも、もちろん意義がありますが、そこに至
るまでの、みなさんの「ふるさと意識」への高まりが、何物にもかえがたい収
穫であったように思います。

 いろいろなかたちでご協力いただいた、本当に多数の皆さんに、心から感謝い
たします。

 平成元年2月

                       新津地区愛称標識設置委員会



◇新  津  の  由  来

 明治22年に町村制が決められ新橋村・小沢渡村・倉松村・米津村・堤村・
田尻村・法枝村が合併して「新津村」が誕生し、それまでの各村は、大字
(おおあざ)何々と呼ばれるようになった。

 「新津村」という村名は、合併した村の中から、新橋の「新」と米津の「津」
をとって、命名されたといわれる。

 昭和26年3月、新津村は浜松市に合併し、現在の新津地区各町が生まれた。

 なお、平成元年2月1日現在、新津地区の世帯数は4、047世帯、人口は
13、306人である。



◇町  名  の  由  来
 
□新 橋 町(にっぱしちょう)   
    
 現在では全面的に埋立てられて、その面影もないが。むかしは、今の可美村
との間に東西に長い沼があった。

 いつのころか、この沼地の最もくびれたところに新しい橋が架けられ、その
とき里人が名村けた「新橋」が地名の由来といわれている。

 なお、鎌倉時代の資料の中に、すでに「新橋郷」の名がみえることから、か
なり古い時代から、この地名が使われていたと思われる。


□小沢渡町(こざわたりちょう)
    
 むかし、この町の北側には池や小さな沢が多く東海道へ出たりする場合には、
その小さな沢を渡らなければならないところから、小沢渡という地名が生まれ
たという。


□米 津 町 (よねづちょう) 
    
 米津の「津」は湊(みなと)・船だまりと考えられ、地元の人は、
「むかし、ここから米が海上輸送されたので、米津と呼ぶようになった」
と話している。

 また「米(よね)とは砂と同じ意味で、砂丘にかこまれた湊であった」とする
説もある。


□倉 松 町 (くらまつちょう)
    
 新津地区の中で、ここだけが堀江藩の統治下にあった。

 堀江藩大沢家は、庄内(いまの舘山寺町)に陣屋を構えた旗本であり、三河
の吉良家などと同じように「高家」と呼ばれ、格式の高い家柄であった。

 この倉松の庄屋は、俗に名主代官といわれて、領主大沢家の代官を兼ね、と
くに苗字帯刀も許され、年貢の取り立てをしていた。

 その年貢米を入れる百俵倉が、村のまん中の松林に囲まれて建てられていたと
ころから、倉松と名付けらたといわれる。

 なお、昔の資料には、蔵松・鞍松の字も見うけられる。


□堤 町 (つつみちょう)
    
 むかし、このあたり一帯は海であったが、天竜川による土砂の沖積(当時は、
いまの馬込川が天竜川の本流であった)や、土地の隆起などによって陸地となっ
た。   

 そのとき防波堤が築かれたことも考えられる。

 また、天竜川の堤であったかも知れない。

 いずれにしても、堤があったから、それが地名になったものと思われる。


□田 尻 町 (たじりちょう)
    
 浜名平野の南端にあたり、稲作がおこなわれる田んぼの終わりという意味
の「田の尻」が、地名になったといわれる。

 この町の地形は、非常に複雑であるが、これは馬込川が天竜川の本流であっ
たころ、つまり田尻湊(たじりみなと)が栄えた時代の名残(なごり)とみら
れている。


□法 枝 町 (のりえだちょう)
    
 この町も複雑な地形を示しており、住民の生活が、馬込川と遠州灘とに大き
なかかわりをもって、今日に至ったことを物語っている。

「法枝の『法』は『仏法』の意味で、仏教が栄えたところ」とみる人もいるが、
はっきりしない。


□卸 本 町 (おろしほんまち)
    
 浜松卸商センター加入の各社従業員から町名を募集して、最も多かったこの
町名を採用したといわれる。

 昼間は2、000人近い人びとが働いて、独特な活気をみせているのに反して、
夜間は住む人もほとんどいないというのが、この町の大きな特徴である。

※注:「新津の由来」、「町名の由来」は昭和57年発行『ふるさと新津』を参照

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