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「目からウロコの教育を考えるヒント」清水義範 講談社 2001年 ② /『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 21【再掲載 2018.9】 [読書記録 教育]

今回は、4月8日に続いて、清水義範さんの
「目からウロコの教育を考えるヒント」2回目の紹介です。




出版社の紹介には

「こんな時代だからこそ、教育を根本から考えよう!『子供たちがあぶない』
『教育の危機』『日本はお先真っ暗』 それってホントですか?子供大好きの
シミズ博士がとことん考え尽くした、大納得の異色教育論。」
 
とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「国語教育に忍び込む『教科書の思想のいやらしさ』に子どもたちは気付い
ている」


・「音読ないがしろにされており、正しいアクセントを聞き取りやすく読む教
育がなされてない。『話すこと』への配慮がない。まともにしゃべること
  が出来なくてまともな思考はもてない。もっと話し方の教育をすべき。」


・「教科書全体から嘘っぽいしらけるしかないような臭みが漂っている。セン
チなムード的迫り方で子どもに現代における正しいことを教えていく教科
  書の思想にはげんなりする。教科書の臭み(=おセンチ,正しい)を感じる
  から」


・「先生たちは国語でついうかうかと道徳の授業をしているのではないだろう
か。国語は,ともすれば道徳教育に流れ、いつのまにか思想教育に結びつ
  きやすいので警戒が必要」



もう一つ、再掲載になりますが、
「新版 静岡県伝説昔話集」21を載せます。
戦前の女子師範学校の学生さんにより採集されたものです。
記録に残すことの大切さを感じます。




昨夜は町の自治会の定例会がありました。
今年は役員3年目、最後の年となります。
過ごしやすい町であるように努めます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆「目からウロコの教育を考えるヒント」清水義範 講談社 2001年 ②

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◇国語教育に忍び込むもの 
  「教科書の思想のいやらしさに子どもたちは気付いている」  

□今の国語教育 
  作文                
黙読中心 - 読解力
= 音読ないがしろ 
      ※ 正しいアクセントを聞き取りやすく読む教育はない

  「話すこと」には配慮がない

◎ まともにしゃべることが出来なくてまともな思考はもてない。もっと
   話し方の教育をすべき。(清水)
  

□国語教科書を読んで(文藝評論家・清水良典とともに) 
教科書全体から嘘っぽいしらけるしかないような臭みが漂っている

戦後民主主義の反戦平和の教材が判子で押したように入っている。
   今の中学生のリアルタイムのセンスと凄まじいほどに落差がある。

◎ 全体を通して教科書の思想にはげんなり
○野坂昭如「戦争童話集」は名作だが一話二話抜くとしらける。
○「走れメロス」教科書に載るとゲッ。
→ センチなムード的迫り方で子どもに現代に於ける正し
          いことを教えていく 
    = 教科書の臭み <おセンチ,正しい>
  

□国語 = 言葉を使う能力を高めるための教科
  ① 話す能力
      人に分かるようにちゃんとしゃべる   
人の共感を得る

  ② 読む能力
     読み取る力をつける

  ③ 文章を書く能力
      平明・論旨がすっきりしていて説得力のある文章            

  ※ なのに,今の教科書には今の国民にとって正しいことが並んでいる。
   つまり,国語の授業ついでに道徳教育としてしまえとでも思っているか
   のよう。 

  → ◎ 道徳は道徳の時間に!

◎ 先生たちは国語でついうかうかと道徳の授業をしているのではな
     いだろうか?

    ◎ 国語は,ともすれば道徳教育に流れてしまいやすい。
いつの間にか思想教育に。  
         → 警戒が必要









☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 21【再掲載 2018.9】

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9 地名の由来 続き

(12)富塚 (浜名郡富塚村・現浜松市)

   浜松市郊外の富塚村西脇に御塚様、または○富塚(お-つか)と称して、
  小さい祠の中に石地蔵様のようなものが安置してある。

   言い伝えによれば、これはこの村の開祖だと言って、村人は大いに尊崇
  し、毎年9月24日にお祭りをする。

   この○富塚様があるので、富塚の村名が出来たのだという。
                            (本多みち)


(13)血塚畷 (浜名郡雄踏町)

   明治維新になる少し前の事、雄踏の小山という所の医者の家へ中年の女
  が雇われた。

   彼女の夫は至って凶暴なので、ついに家出して女中となり、この医者の
  家へ身を隠したのである。
 
   しかし、執拗な夫は六部(巡礼)姿となって妻を探しまわり、ついにこ
  の医者の家にいるのを見つけ出した。

   そして、妻を村はずれにおびき出してずたずたに斬ってしまった。

   彼女は、斬られながらも一町(約109㍍)余りの畷を逃げまわり、その
  ために畷の上も草もことごとく血潮で真紅に染まる程であった。

   それから人々は、この畷を血塚畷と呼ぶようになった。

   また彼女が殺された場所にその冥福を祈るため、地蔵様を作り、彼女の
  名前のお弁をとって弁地蔵と称し、地蔵棟の前の道を弁地蔵道と呼んでい
  る。
                             (本多みち)


(14)芋瀬 (浜名郡河輪村・現浜松市)

   河輪村に芋瀬という字がある。

   昔、天竜川が大洪水になった。

   ちょうど時期が夏で、上流地方では芋を沢山栽培しておったが、それが
  この氾濫のため、みんな押し流されて河輪村に漂着し、天竜川の瀬に堆積
  したので、ここを芋瀬と呼ぶようになった。
                             (本多みち)


(15)蒲島 (浜名郡河輪村・現浜松市)

   河輪村の蒲島という所は、ごく小さい字で、今では2、3軒しか人家が
  ない。

   昔、この村のある老人が天竜川に魚釣りに行っていると、上流の方から
  蒲で編んだ筵の上に神様が乗って流れて来たので、その老人は、不思議な
  こともあるものかなと、うやうやしく奉拝して我が家に帰りお祀りした。

   それからこの村は非常に富裕となった。

   そのことから蒲廷にちなんで蒲島と称するようになった。

   今でもこの村の家では、いかなる時でも決して畳は用いない。

   常に太いイグサで織った廷のみを敷いている。
                           (本多みち)


(15)貴平 (浜名郡豊西村・現浜松市)

  豊西村に貴平という字がある。

   言い伝えによると、源平時代に平家の落人が来て草を刈り分けて、一本
  の大木の所に家を造って暮らしていた。

   それで昔は、木辺と称していたが、後に貴平となったという。

   また次のようにもいわれている。

   南北朝時代に、豊西村一帯は見渡す限り草原で、一軒の人家も無かった。

   そこへ後醍醐天皇の皇子様が家来を従えられて、今の貴平の地に居を定
  められた。

   都よりあまり遠くないので、まだ豊穣なこの土地で時節の到来するのを
  待って、再び都に向かおうと一時の住所を定められたが、ついに永住の地
  となった。

   それから、この地を、貴い方のお住まいになった所だからといって、貴
  平と称するに至ったという。
                             (本多みち)

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