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「プロ親になる」親野智可等 宝島社 2005年 ⑥(最終) /「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号 ②(後半)【再掲載 2016.9】 [読書記録 教育]

今回は、4月23日に続いて、親野智可等さんの
「プロ親になる」紹介の6回目 最終です。


親野智可等さんはもともとは静岡県の小学校の先生でした。


出版社の紹介には

「子供を伸ばす親の総合力を『親力』と呼んでいます。例えば、子供を愛し、
 受け入れ、褒めて、伸ばしてやる力です。または、子供によい環境を作って
 やったり、楽勉をプロデュースしたりする力です。この本では、皆さんの親
 力をさらにパワーアップさせるための発想、アイディア、テクニックなどを
 紹介しています。」
 
とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「それぞれの事情の中で精一杯子どもへの配慮をしてくださいそれぞれの事
情の中で精一杯子どもへの配慮をしてください」


・「子どもが伸びていなければ意味が無い。51%主義とは努力の放棄ではなく
結果の委任である」


・「結局は成功も失敗もないと知りながらそれでも頑張るのが人間の定めであ
り本能でもある。」


・「愛情こそが命を引き継ぐための絶対条件である。親子関係は命のリレーで
あり愛情のリレーである」



もう一つ、再掲載になりますが、古くからからの郷土誌
「土のいろ」集成 第十一巻 101号~106号 ②(後半)を載せます。



<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆「プロ親になる」親野智可等 宝島社 2005年 ⑥(最終)

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◇子育てを楽しむために(2)
  
□親力76 
  それぞれの事情の中で子どもに向ける時間を増やす努力を
親にとっていちばん大切なこと
それぞれの事情の中で精一杯子どもへの配慮をしてください

◎ 子育ての後始末は大変


□親力77 
  自分の子どもだけ幸せにすることはできない
二極化する社会の中で
子どもが引き継ぐ親の価値観

  
□親力78 
  「親力」を読むことの弊害は?
子育て情報に接するときに起こること
◎ 完璧な子育てなどあり得ない

  
□親力79 
  51%主義で気楽になる 
「60%できたら大成功という気持ちが必要」
  「51%」の意味するもの
教育で結果を求めるとき、それは「子どもが」どれだけ伸びたか
     ということを問われる
= 主語は子ども
子どもが伸びていなければ意味が無い
 心の中で起こる変化
51%主義 
         努力の放棄ではなく「結果の委任」

◎ 何事も思うようにはならない


□親力80 
  子育ては本当のところ何が成功で何が失敗か誰にもわからない
失敗は成功に、成功は失敗に

◎ 本当の本当は人生には成功も失敗もない

◎ 結局は成功も失敗もないと知りながらそれでも頑張るのが人間の
     定めであり本能でもある。



◇おわりに
親子 
   - 愛情のリレー
     ◎ 愛情こそが命を引き継ぐための絶対条件
     命のリレー = 愛情のリレー     

  プロ親になるためにも勉強が必要



◇親野智可等
1958年生 
  本名・杉山桂一 23年間現役教師








☆「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号 ②(後半)【再掲載 2016.9】



[土のいろ集成-浜松文化遺産デジタルアーカイブより]
戦前の大正13年(1924)に創刊され、戦争中の一時期の中断を経て、戦後の昭
和43年まで続いた郷土誌『土のいろ』全114冊(『浜松市史』四 第三章第九
節第六項参照)を、全て翻刻(原本はガリ版刷)した『土のいろ集成』全12巻の
刊行が開始されたのは昭和56年のことである。ひくまの出版により足掛け八
年にわたるこの大事業が完結するのは昭和63年(別巻と索引の刊行は平成3年)
のことであるが、全国に誇り得る郷土誌『土のいろ』の翻刻を企画したとこ
ろに同社の姿勢が表れており、この出版の意味は大きい。刊行に当たっては
土のいろ集成刊行会が作られたが、メンバー六人の中に同社顧問の那須田稔
も加わった。

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◇復刊第22号 通刊105号 昭和39年1月
  
□浜松・金原氏の起こり  小山正 
蒲の庄  
    藤原静並が越後から国司役人として3番目 大像(だいしょう)開拓

  伊勢神宮をお祀り
     → 神宮領に捧げた 
     = 蒲の御厨(みくり)
  24郷→43か村(寛政期)
 金原将監晴時
      金原法橋(寺の住職)が領主に

   鎌倉期 
    ・朝廷からの役人(国司)の治めている国に守護
・私有地の庄園には地頭

  蒲庄に遠藤氏来る 
      ※遠江の藤原 = 遠藤 1185~1300年頃
鎌倉武士 本拠屋敷は鎌倉
任地には第二の屋敷                       ↓     
    遠藤氏の次に金原晴時
      1300~1580年頃

   金原法橋 「妙恩寺略縁起」
  大野の政清の子供 
       下総国金原大宮の別当職
→ 鎌倉期に抜擢され遠州に
  知行1万8千石 28か村領す 左近将監

     家康入城の翌年 
       台場に新居 
        → 帰農 庄屋や神官


□蜆塚発掘調査の総まとめ 鈴木謹一
  

□大手前から成子坂まで  須部弥一郎 
大手前 
     元城小学校(現在は統合されて中部学園)前 
     伊勢屋文具店,川瀬文明堂,松柏堂文具店
榎木町  
     大木屋,山本屋呉服店,木綿屋洋服店,道惣金物店
連尺   
     谷島屋書店,文泉堂,鴻池屋
大手前  
     山口屋菓子店,伝馬町巌邑堂
  

□子供の遊戯抄 小池誠二 
てんつば,おたたき,あなどち,ギッコンバッタン



◇復刊第23号 通刊106号  昭和39年5月
  
□「麁玉」「伎部」私考(1)  山口直蔵 
麁玉川 
     「和名抄」937年
     麁玉郡中の郷名 
       三宅・碧田・赤狭・霜田
 豊田郡    長上郡
          
   内山真龍
     「遠江国風土記伝」(1799年完成)
       浜北市宮口付近に池 
       - ここから発する麁玉河が積志村を貫通して市街地の東と
        芳川に
     「大池」有宮口南。囲凡十五町。今有玉川源地
            ↓
   ◎ 麁玉河は現天龍川と断定したい
  |
   「更級日記」1059年「天ちう」
      賀茂真淵 「天の中川」
           
   天龍川
     ~ かつては小さい幾条かの川の集合したものか?
  嘉応3年には「天龍川」
       この川を統合した名前?
 

   ◎ 源光行の「海道記」には天龍川が天中川とある

   「続日本紀」
      霊亀元年五月遠江国地震山崩麁玉河水為不流潰没
    敷知・長下・石田三郷 715年

 長下 
    → 709年長田郡を長上郡と長下郡に二分
  

□伎部  
   古語の上で「伎」= 城・柵・綺
   東国は遠江より以東(大化の改新)       
 源平 
     鎌倉時代まで館の形
   関東
     早くから仏教と高麗・百済人を多量に移して文化と宗教を植え続けている

  ◎ 古代の為政者は平和を理想として文化国家に基盤をおいた政治
      = 武力的な威圧はない 
        仏法による統治

◎ 理想政治
      城の必要をいれていない
   諸国には常備兵はいなかった 
 九州・奥羽地方の整備以外は城がなかった
  

□やいかがしもそうそう  川見駒太郎 
やいかがし(焼嗅)
     節分の夜,鰯の頭,葱などを焼いて串に刺し戸口や窓の外側にさす
    こと
= 追儺式,おにやらい

   やいかがしの転化が「かかし」
  

□参遠ところどころ 須藤功
  

□大手前から成子坂まで  須部弥一郎 
駅前
     大米屋旅館 花屋旅館 池谷鰻店
   遠州銀行(当時西遠銀行) 山葉オルガン工場
  大安寺下  
     市川写真館-瀬堂凧店
   肴町 
     松作商店・間淵屋酒店・植村屋紙店・澤木麻店 名物=長谷川餅
   鍛冶町通り 
     丸八陶器店

◎「遠州浜松、広いようで狭い。横に車が二丁立たぬ」

   北側 
     小松屋・国領屋の商人宿
   金井屋呉服店  丸三洋品店
     木吉屋商店 
       浜松隋一の金融業-借家千軒
     殿岡 ぬいや  新若森-下駄店  松月菓子店
    都築商店 豊富な青果店


□郵便こぼれ話  鈴木犀十郎


□庚申講偶感  袴田鷹邨

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