「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ④ /『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑤【再掲載 2015.5】 [読書記録 一般]
今回は、5月16日に続いて武光誠さんの
「大人のための修学旅行 奈良の歴史」の紹介 4回目です。
出版社の紹介には
「学生時代に奈良を訪れたが、日本史の流れをしっかりふまえて旅することが
できたら……大和朝廷から天平文化まで、この国の成り立ちが名所旧跡を通
して理解できる『読む修学旅行』の本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「聖徳太子がいなければ16世紀まで日本は孤立した島国のままであり、仏
教の普及が遅れていたはず」
・「時と共に仏教に伴う諸技術の有用性 → 太子は蘇我氏側に加わる」
・「飛鳥文化は『日本固有の伝統+朝鮮風の要素』。白鳳文化は唐朝に倣い中国
風に洗練」
・「斑鳩には渡来系豪族が多かった。蘇我支配下、先進の学問が育成された。
斑鳩は中国の先進文化を取り入れて消化する土地。」
もう一つ、再掲載になりますが、有馬朗人さん、中西進さんらによる
「日本例話大全書」⑤を載せます。
ちょっとした挨拶のときに役立つ本だとわたしは感じています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ④
◇中国の先進技術を取り込んだ 聖徳太子と飛鳥文化(1)
□飛鳥時代の到来は文化の輸入から
仏教による日本文化の転換
聖徳太子がいなければ16世紀まで日本は孤立した島国のままであ
り、仏教の普及が遅れていたはず
古代の支配層は聖徳太子の指導の元、初めて紙を量産して文字を学
び、文書を作り法律・哲学・経験科学やそれに基づく有益な技術を身
に付けた
蘇我氏の成長と聖徳太子
540年 欽明天皇
蘇我稲目が大臣として政治
◎ 渡来系の人々を登用
→ 大陸の文明を国内に広めた
587年 蘇我派が物部守屋を滅ぼした
593~622年
聖徳太子の政治
隋朝と国交
太子没後
→ 蘇我蝦夷と蘇我入鹿
→ 豪族間の反目が強まり中国(唐)との関係が悪化
→ 大化の改新
仏教が広がった理由
日本へ仏教
552年(538年説もある)百済より
|
時と共に仏教に伴う諸技術の有用性
太子は蘇我氏側に加わる
大寿院(古墳は小型化し、姿を消す)
飛鳥文化 飛鳥時代(587年~645年)
日本固有の伝統 + 朝鮮風の要素
白鳳文化 白鳳文化(645年~)
唐朝に倣い中国風に洗練
仏教文化のふるさと斑鳩
河川に囲まれた町
朝鮮半島に多い
聖徳太子が斑鳩を選んだ理由
593年 摂政 推古天皇の補佐役
上之宮遺跡が太子の館?
605年 斑鳩宮に移り、宮のそばに法隆寺
~ 難波との交通路上
◎ 竜田道と横大路 筋違道(太子道)
なぜ飛鳥から移ったのか
斑鳩 - 渡来系豪族が多かった
渡来系
~ 飛鳥 と 斑鳩
蘇我支配下
- 先進の学問の育成
◎ 中国の先進文化を取り入れて消化する土地
□副葬品が示す大陸との交流 [藤ノ木古墳]
出土した地中海沿岸のコルク
48m円墳 大陸からの一級品 6世紀末
盛んになる大陸との貿易
拝仏派の記念碑の古墳
欽明天皇の皇子の墓説
- 排仏派政争の敗者説
竜田神社
法隆寺の鎮守
☆『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑤【再掲載 2015.5】
◇人生の道しるべ
□不治の病から救われる 油井真砂
油井真砂
結核菌研究家
- 自ら結核菌に
21日間の座禅断食
→ 結核完治
永平寺貫主
森田悟由に
□ツキのない時は待て 柴田錬三郎
柴田錬三郎(1917~1978)
眠狂四郎
- 不幸な境遇に生まれ虚無的な性格
□たすき掛けの教え 幸田文
幸田文(1904~1990)
良寛
「災難に逢時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく
候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
= 業として正面から受け止めることでしか、不幸や災難に対する
正しい処方は見つからない
大工、とび職
足を踏み外したとき両手両足を思い切り広げろ
→ 身体の一部がクッションに触れる
= 瞬時の危機から目をそらさず正面から受け止めることによって
のみ
□蝸牛の歩み 北村西望
北村西望(1884~1987) 長崎平和祈念像
「わたしは天才でないから、人より五倍も七倍もかかるのです。いい
仕事をするためには長生きをしなければならない」
揮毫
「決心之大成」
「先心長寿」
平和祈念像
朝 足下に一匹の蝸牛
→ 夕方9mのてっぺんに
◎ 「たゆまざる歩み恐ろしカタツムリ」
□人生探究に終わりはない 鈴木大拙
鈴木大拙(1870~1966)
渡米「禅と日本文化」
アメリカに禅
のち東大、学習院大、大谷大
金子大栄(1881~1976)
東洋大 → 大谷大
◎ 道を求めるのに到達点などなく求道そのものが悟りの姿
「大人のための修学旅行 奈良の歴史」の紹介 4回目です。
出版社の紹介には
「学生時代に奈良を訪れたが、日本史の流れをしっかりふまえて旅することが
できたら……大和朝廷から天平文化まで、この国の成り立ちが名所旧跡を通
して理解できる『読む修学旅行』の本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「聖徳太子がいなければ16世紀まで日本は孤立した島国のままであり、仏
教の普及が遅れていたはず」
・「時と共に仏教に伴う諸技術の有用性 → 太子は蘇我氏側に加わる」
・「飛鳥文化は『日本固有の伝統+朝鮮風の要素』。白鳳文化は唐朝に倣い中国
風に洗練」
・「斑鳩には渡来系豪族が多かった。蘇我支配下、先進の学問が育成された。
斑鳩は中国の先進文化を取り入れて消化する土地。」
もう一つ、再掲載になりますが、有馬朗人さん、中西進さんらによる
「日本例話大全書」⑤を載せます。
ちょっとした挨拶のときに役立つ本だとわたしは感じています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「大人のための修学旅行 奈良の歴史」武光誠 河出書房新社 2002年 ④
◇中国の先進技術を取り込んだ 聖徳太子と飛鳥文化(1)
□飛鳥時代の到来は文化の輸入から
仏教による日本文化の転換
聖徳太子がいなければ16世紀まで日本は孤立した島国のままであ
り、仏教の普及が遅れていたはず
古代の支配層は聖徳太子の指導の元、初めて紙を量産して文字を学
び、文書を作り法律・哲学・経験科学やそれに基づく有益な技術を身
に付けた
蘇我氏の成長と聖徳太子
540年 欽明天皇
蘇我稲目が大臣として政治
◎ 渡来系の人々を登用
→ 大陸の文明を国内に広めた
587年 蘇我派が物部守屋を滅ぼした
593~622年
聖徳太子の政治
隋朝と国交
太子没後
→ 蘇我蝦夷と蘇我入鹿
→ 豪族間の反目が強まり中国(唐)との関係が悪化
→ 大化の改新
仏教が広がった理由
日本へ仏教
552年(538年説もある)百済より
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時と共に仏教に伴う諸技術の有用性
太子は蘇我氏側に加わる
大寿院(古墳は小型化し、姿を消す)
飛鳥文化 飛鳥時代(587年~645年)
日本固有の伝統 + 朝鮮風の要素
白鳳文化 白鳳文化(645年~)
唐朝に倣い中国風に洗練
仏教文化のふるさと斑鳩
河川に囲まれた町
朝鮮半島に多い
聖徳太子が斑鳩を選んだ理由
593年 摂政 推古天皇の補佐役
上之宮遺跡が太子の館?
605年 斑鳩宮に移り、宮のそばに法隆寺
~ 難波との交通路上
◎ 竜田道と横大路 筋違道(太子道)
なぜ飛鳥から移ったのか
斑鳩 - 渡来系豪族が多かった
渡来系
~ 飛鳥 と 斑鳩
蘇我支配下
- 先進の学問の育成
◎ 中国の先進文化を取り入れて消化する土地
□副葬品が示す大陸との交流 [藤ノ木古墳]
出土した地中海沿岸のコルク
48m円墳 大陸からの一級品 6世紀末
盛んになる大陸との貿易
拝仏派の記念碑の古墳
欽明天皇の皇子の墓説
- 排仏派政争の敗者説
竜田神社
法隆寺の鎮守
☆『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑤【再掲載 2015.5】
◇人生の道しるべ
□不治の病から救われる 油井真砂
油井真砂
結核菌研究家
- 自ら結核菌に
21日間の座禅断食
→ 結核完治
永平寺貫主
森田悟由に
□ツキのない時は待て 柴田錬三郎
柴田錬三郎(1917~1978)
眠狂四郎
- 不幸な境遇に生まれ虚無的な性格
□たすき掛けの教え 幸田文
幸田文(1904~1990)
良寛
「災難に逢時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく
候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
= 業として正面から受け止めることでしか、不幸や災難に対する
正しい処方は見つからない
大工、とび職
足を踏み外したとき両手両足を思い切り広げろ
→ 身体の一部がクッションに触れる
= 瞬時の危機から目をそらさず正面から受け止めることによって
のみ
□蝸牛の歩み 北村西望
北村西望(1884~1987) 長崎平和祈念像
「わたしは天才でないから、人より五倍も七倍もかかるのです。いい
仕事をするためには長生きをしなければならない」
揮毫
「決心之大成」
「先心長寿」
平和祈念像
朝 足下に一匹の蝸牛
→ 夕方9mのてっぺんに
◎ 「たゆまざる歩み恐ろしカタツムリ」
□人生探究に終わりはない 鈴木大拙
鈴木大拙(1870~1966)
渡米「禅と日本文化」
アメリカに禅
のち東大、学習院大、大谷大
金子大栄(1881~1976)
東洋大 → 大谷大
◎ 道を求めるのに到達点などなく求道そのものが悟りの姿