「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ② /「遠江」28号 浜松史蹟調査顕彰会 2005年【再掲載 2019.2】 [読書記録 一般]
今回は、5月14日に続いて、井上ひさしさんの
「にほん語観察ノート」の紹介 2回目です。
出版社の紹介には
「人生の難局を切り抜け、難問を乗り越える。その力が『ことば』である。新
聞投書から首相の答弁まで、著者が感銘を受けた言葉や迷言を幅広く取り上
げる。『読売新聞』日曜版連載を単行本化。」
「ふだんの言葉の中に隠れている日本語のひみつとは?『言葉の貯金がなによ
り楽しみ』という筆者のとっておき。持ち出し厳禁、言葉の見本帳。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「振り仮名は常に傍らにいる教師である -原田種茂」
・「文章上達のコツ - 面倒がらずに毎日辞書をめくって言葉の数を増やし、
同時にその使い分けを確かめながら心の内に言いたいことを育てていく。
すべてはこのあたりから始まる。」
・「ホビットにとって教育とは、工場と同じく、流れ作業によって段階的に効
率的に到達目標を達成するシステムとして構成されるべきもの」
・「大人のその場の思いつきで大人たちの都合のよい教育化された子どもを大
量生産するのか、それとも自国語できちんと読み書き話ができて将来への
可能性を秘めた子どもを育てるのか、真剣に話し合う時期に来ているのか
もしれない - 井上ひさし」
もう一つ、再掲載になりますが、浜松市史跡調査顕彰会の
「遠江」28号を載せます。
C・E・ルメイの言葉に、これが人間の言葉だろうかと驚きます。
人道に反する原爆投下、東京大空襲、浜松大空襲等焦土作戦の指揮者。
どうしてか昭和39年、
下のような言葉を残した彼に勲一等旭日大綬章が贈られています…。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ②
<文章上達のコツ> 1
◇語彙数
NTT「語彙数推定50問」 P49
◇常用漢字
昭和56(1981)年常用漢字表
→ 「交ぜ書き」の横行
位はい、改しゅん、がい骨等
漢字を減らすことが善か?
漢学者・原田種茂
「振り仮名は常に傍らにいる教師である」
|
ワープロは振り仮名
変換する前
◇文章上達のコツ
「無から有は生じない」
→ 毎日の暮らしや心の中から「言うべきこと」を見つける
表現
①日頃から辞書となじんでおく
②いいものをよく読む
↓
「面倒がらずに毎日辞書をめくって言葉の数を増やし、同時にその使い分
けを確かめながら心の内に言いたいことを育てていく。すべてはこのあ
たりから始まる。」
◇優れた英語辞典
オックスフォード英語辞典(OED)
1858企画~1884第1巻~1928第12巻
「日本国語大辞典」全20巻 小学館
民間出版社の出血的奉仕精神
◇語呂合わせの価値
東京高裁
「語呂合わせに著作権なし」
語呂合わせ記憶術
◇正しい義務教育
古典を勉強するのが重要だ
カリキュラムに
教育課程(カリキュラム)を理論化したのはホビット(シカゴ大学)
ホビットが手本としたのはテイラーシステム(生産管理技法)
「子ども」 -「原料」
「理想の大人」 -「生産物」
「教師」 -「エンジニア」
「教育目的」 -「生産目的」
「テスト」 -「品質管理」
ホビットにとって教育とは?
「大工場と同じく、流れ作業によって段階的に効率的に到達目標を
達成するシステムとして構成されるべきもの」
↓
1920~1930年代
世界中の教育システムに拡がった
|
大量生産された「教育化された子ども」を国が社会が、つまりは
大人たちが必要としていたからこそ、ホビットの原理が重宝され
た
||
大人たちは相も変わらずコンピュータや英語のできる教育され
た子どもを要求している
↓
<ヨーロッパ>
応用問題を解いて正解を得ても、それだけでは点はもらえな
い。どうしてそうなるのか、みんなの前できちんと説明できな
くては本当の正解にならない。
義務教育期間は、理科も社会も算数もすべて自国語の勉強の
ためになる。
◎ 言葉、言葉、言葉 それが義務教育である
↓
<井上ひさし>
「大人のその場の思いつきで大人たちの都合のよい教育化された
子どもを大量生産するのか、それとも自国語できちんと読み書
き話ができて将来への可能性を秘めた子どもを育てるのか、真
剣に話し合う時期に来ているのかもしれない」
◎手を掛けないのか VS ◎手を掛けるのか
(安上がり) (お金が掛かる)
※(「文科省は『手を掛けない教育』の予算で『手を掛ける教
育』の理想を追うため、どこかに大きな無理が生じてい
る」 - ハマコウ註)
◇政治家と言葉
大政治家は演説上手
スピーチライターとギャグライター
◎ ニール・サイモンもフォードのギャグライター
◇透明な学校
井上ひさし
高校 浅草フランス座
大学 NHK学校放送部青少年部
大学院 日本TV音楽課 井原高忠 仁科俊介 斎藤太朗
斎藤太朗-全身で喜び全身で怒る
◇考える能力
人間はものを考える意外に取り柄のない生物
アメリカ
小論文試験
◎「晩年になってあなた(受験者)は300頁の自伝を書いた。そこでこの
自伝の288頁を全文ここに書き写しなさい」
☆「遠江」28号 浜松史蹟調査顕彰会 2005年【再掲載 2019.2】
◇小笠原源太夫と伊藤東涯
□小笠原源太夫基長 正徳・享保・元文(1711-1740)
浜松藩主 松平安芸守資俊・資訓 2代に仕える
源太夫堀を開き新田開発
馬込川~天竜川
昭和8年2月
関市三編 『郷土史』五島村
□古義堂学派領袖・伊藤東涯
◇岸田劉生のコレクター 浜松の山本貞次郎
□山本貞次郎の劉生コレクションと山本家の家系
「松竹山房」文化の店
~ 浜松駅前
竹村啓介
貞次郎旧蔵は19点あった
2005年現在
◎ 浜松市に国宝が一点もない不思議さ
□山本貞次郎 1890-1923
◇浜松艦砲射撃
□C・E・ルメイの回想
カーティス・E・ルメイ
米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官
◎ 浜松は名古屋の南東,天竜川と浜名湖の間にあり海岸確認が容易
だった
※「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。日本に
侵入したもののトラブルに遭遇(故障等)した場合,パイロットたちは
浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指示されていた。そして,浜松は数
え切れないほどの爆弾を投下された。なぜなら,当時のB29には数
え切れないほどの問題が発生したから…」
◎「わたしは,浜松が何トンの爆弾を投下されたのか正確には知らない。
誰だってそうだろう。そこは,本当に徹底的にやられた。我々は,搭
乗員が浜松に爆撃しても出撃に対する功績を認めることはできなかっ
た。浜松は爆撃を終了するためのごみ箱だったのだ…」
◇浜松名木 渥美登良男
□颯颯之松
938年八幡宮が小沢渡より曳馬野に遷座
□音羽松
旧は音羽慎一家内
新は六所神社内
社より600m東に松振川という沼地
→ 鶴松
今も六所神社のすぐ北に「八幡山」「八幡河岸」の地名
「にほん語観察ノート」の紹介 2回目です。
出版社の紹介には
「人生の難局を切り抜け、難問を乗り越える。その力が『ことば』である。新
聞投書から首相の答弁まで、著者が感銘を受けた言葉や迷言を幅広く取り上
げる。『読売新聞』日曜版連載を単行本化。」
「ふだんの言葉の中に隠れている日本語のひみつとは?『言葉の貯金がなによ
り楽しみ』という筆者のとっておき。持ち出し厳禁、言葉の見本帳。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「振り仮名は常に傍らにいる教師である -原田種茂」
・「文章上達のコツ - 面倒がらずに毎日辞書をめくって言葉の数を増やし、
同時にその使い分けを確かめながら心の内に言いたいことを育てていく。
すべてはこのあたりから始まる。」
・「ホビットにとって教育とは、工場と同じく、流れ作業によって段階的に効
率的に到達目標を達成するシステムとして構成されるべきもの」
・「大人のその場の思いつきで大人たちの都合のよい教育化された子どもを大
量生産するのか、それとも自国語できちんと読み書き話ができて将来への
可能性を秘めた子どもを育てるのか、真剣に話し合う時期に来ているのか
もしれない - 井上ひさし」
もう一つ、再掲載になりますが、浜松市史跡調査顕彰会の
「遠江」28号を載せます。
C・E・ルメイの言葉に、これが人間の言葉だろうかと驚きます。
人道に反する原爆投下、東京大空襲、浜松大空襲等焦土作戦の指揮者。
どうしてか昭和39年、
下のような言葉を残した彼に勲一等旭日大綬章が贈られています…。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ②
<文章上達のコツ> 1
◇語彙数
NTT「語彙数推定50問」 P49
◇常用漢字
昭和56(1981)年常用漢字表
→ 「交ぜ書き」の横行
位はい、改しゅん、がい骨等
漢字を減らすことが善か?
漢学者・原田種茂
「振り仮名は常に傍らにいる教師である」
|
ワープロは振り仮名
変換する前
◇文章上達のコツ
「無から有は生じない」
→ 毎日の暮らしや心の中から「言うべきこと」を見つける
表現
①日頃から辞書となじんでおく
②いいものをよく読む
↓
「面倒がらずに毎日辞書をめくって言葉の数を増やし、同時にその使い分
けを確かめながら心の内に言いたいことを育てていく。すべてはこのあ
たりから始まる。」
◇優れた英語辞典
オックスフォード英語辞典(OED)
1858企画~1884第1巻~1928第12巻
「日本国語大辞典」全20巻 小学館
民間出版社の出血的奉仕精神
◇語呂合わせの価値
東京高裁
「語呂合わせに著作権なし」
語呂合わせ記憶術
◇正しい義務教育
古典を勉強するのが重要だ
カリキュラムに
教育課程(カリキュラム)を理論化したのはホビット(シカゴ大学)
ホビットが手本としたのはテイラーシステム(生産管理技法)
「子ども」 -「原料」
「理想の大人」 -「生産物」
「教師」 -「エンジニア」
「教育目的」 -「生産目的」
「テスト」 -「品質管理」
ホビットにとって教育とは?
「大工場と同じく、流れ作業によって段階的に効率的に到達目標を
達成するシステムとして構成されるべきもの」
↓
1920~1930年代
世界中の教育システムに拡がった
|
大量生産された「教育化された子ども」を国が社会が、つまりは
大人たちが必要としていたからこそ、ホビットの原理が重宝され
た
||
大人たちは相も変わらずコンピュータや英語のできる教育され
た子どもを要求している
↓
<ヨーロッパ>
応用問題を解いて正解を得ても、それだけでは点はもらえな
い。どうしてそうなるのか、みんなの前できちんと説明できな
くては本当の正解にならない。
義務教育期間は、理科も社会も算数もすべて自国語の勉強の
ためになる。
◎ 言葉、言葉、言葉 それが義務教育である
↓
<井上ひさし>
「大人のその場の思いつきで大人たちの都合のよい教育化された
子どもを大量生産するのか、それとも自国語できちんと読み書
き話ができて将来への可能性を秘めた子どもを育てるのか、真
剣に話し合う時期に来ているのかもしれない」
◎手を掛けないのか VS ◎手を掛けるのか
(安上がり) (お金が掛かる)
※(「文科省は『手を掛けない教育』の予算で『手を掛ける教
育』の理想を追うため、どこかに大きな無理が生じてい
る」 - ハマコウ註)
◇政治家と言葉
大政治家は演説上手
スピーチライターとギャグライター
◎ ニール・サイモンもフォードのギャグライター
◇透明な学校
井上ひさし
高校 浅草フランス座
大学 NHK学校放送部青少年部
大学院 日本TV音楽課 井原高忠 仁科俊介 斎藤太朗
斎藤太朗-全身で喜び全身で怒る
◇考える能力
人間はものを考える意外に取り柄のない生物
アメリカ
小論文試験
◎「晩年になってあなた(受験者)は300頁の自伝を書いた。そこでこの
自伝の288頁を全文ここに書き写しなさい」
☆「遠江」28号 浜松史蹟調査顕彰会 2005年【再掲載 2019.2】
◇小笠原源太夫と伊藤東涯
□小笠原源太夫基長 正徳・享保・元文(1711-1740)
浜松藩主 松平安芸守資俊・資訓 2代に仕える
源太夫堀を開き新田開発
馬込川~天竜川
昭和8年2月
関市三編 『郷土史』五島村
□古義堂学派領袖・伊藤東涯
◇岸田劉生のコレクター 浜松の山本貞次郎
□山本貞次郎の劉生コレクションと山本家の家系
「松竹山房」文化の店
~ 浜松駅前
竹村啓介
貞次郎旧蔵は19点あった
2005年現在
◎ 浜松市に国宝が一点もない不思議さ
□山本貞次郎 1890-1923
◇浜松艦砲射撃
□C・E・ルメイの回想
カーティス・E・ルメイ
米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官
◎ 浜松は名古屋の南東,天竜川と浜名湖の間にあり海岸確認が容易
だった
※「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。日本に
侵入したもののトラブルに遭遇(故障等)した場合,パイロットたちは
浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指示されていた。そして,浜松は数
え切れないほどの爆弾を投下された。なぜなら,当時のB29には数
え切れないほどの問題が発生したから…」
◎「わたしは,浜松が何トンの爆弾を投下されたのか正確には知らない。
誰だってそうだろう。そこは,本当に徹底的にやられた。我々は,搭
乗員が浜松に爆撃しても出撃に対する功績を認めることはできなかっ
た。浜松は爆撃を終了するためのごみ箱だったのだ…」
◇浜松名木 渥美登良男
□颯颯之松
938年八幡宮が小沢渡より曳馬野に遷座
□音羽松
旧は音羽慎一家内
新は六所神社内
社より600m東に松振川という沼地
→ 鶴松
今も六所神社のすぐ北に「八幡山」「八幡河岸」の地名