「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ④ /ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)「心をほどく人間関係の大切さについて」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑦【再掲載 2015.4】 [読書記録 一般]
今回は、5月23日に続いて、井上ひさしさんの
「にほん語観察ノート」の紹介 4回目です。
出版社の紹介には
「人生の難局を切り抜け、難問を乗り越える。その力が『ことば』である。新
聞投書から首相の答弁まで、著者が感銘を受けた言葉や迷言を幅広く取り上
げる。『読売新聞』日曜版連載を単行本化。」
「ふだんの言葉の中に隠れている日本語のひみつとは?『言葉の貯金がなによ
り楽しみ』という筆者のとっておき。持ち出し厳禁、言葉の見本帳。」
とあります。
井上ひさしさんが、言葉とは文化だとわかりやすく教えてくれました。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「日本語の語彙は[和語―漢語―外来語]の三層構造。役人は和語を漢語にし、
外来語にするのが好き」
「もし何か言いたいなら、それを和語か漢語で言えないかうんと工夫をする
こと。それがお役所の仕事です。」
・「近頃の小学校から児童が一斉に教科書を読む声が聞こえなくなった。音声
の訓練を!」
・「日本語は連語になって初めて安定する」
もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)『心をほどく人間関係の大切さ
について』⑦ を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ④
<意言語習得トレ> 2
◇お役人の外来語好き
日本語の語彙
和語―漢語―外来語の三層構造
「試し―試験―テスト」
「ワザ―技術―テクニック」
「きまり―規則―ルール」
「企て―計画―スキーム」
~ インテリ根性
谷川俊太郎
「わたしの努めはすべての言葉をわれわれの(からだ)と(くらし)に根付
いた言葉にどうしてできるかである」
↓
もし何か言いたいなら、それを和語か漢語で言えないかうんと工夫を
すること。
それがお役所の仕事です。
◇ポケモン現象
① キャラクターカード
② エネルギーカード
③ トレーナーカード
◎基本動詞「とる」がすっかり「ゲット」に言い換えられてしまった
↓
◎日本語とカタカナ語のチャンポン化
◇外来語の表記
難しい
<言葉の経済学> 1
◇薄れゆく「あっ」
「ア」が最も基本的な母音
~ 口をとっさに開けば自然にこの母音が出てくる
日本語
→ 辞書部分 開かれた体系
文法部分 閉じられた体系
◎ 近頃の小学校から児童が一斉に教科書を読む声が聞こえなくなった
→ 音声の訓練を!
◇母音発声の法則
「アイウエオ」→「イエアオウ」発音位置
前から後ろへ = 母音の明るさ・暗さ
◇拗音の直音化
下宿 → ゲシク
百人一首 → ヒャクニンイッシ
もとの日本語化
◇人の呼び方
「上司から言われて嫌なこと」
若い女性
「うちの女の子」
「恋人はいるのか」
「結婚はまだか」
中年女性
「おばさん」
「ヒステリー」
「怖い」
「公」で呼ぶ呼び方がない
◇言葉の経済性
日本語は連語になって初めて安定する
連語
… 熟語の構成で上下の二字が共通の字義をもち、二字が合して一義
をなしているもの
労組、拓銀、自民、民社
☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)「心をほどく人間関係の大切さについて」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑦【再掲載 2015.4】
◇四年間不登校を続ける - 事例
水田大介(中一)(仮名)は小学2年の2学期はじめから不登校を始めて、4
年間それは続き、その間の親の心労は大変なものだったようですが、いつから
か不安のためどこへでも母親と常に同行するようになっていて、たまたまの地
方の市の教育委員会の行事で、不登校児の親の会に私が講師として呼ばれ、そ
の会にも母親にくっついて来ていて、大人の集会での私の話を、少年自身が聞
いたということでした。
私の話には大介が耳をそば立てていたというのです。
私は全国どこでも陥りがちな、不登校への事大主義的類型的な、本質に迫
らない対策や対応を徹底的に批判し、反省を呼びかける話をしたつもりです。
五、六十人の教員と親の聴き手が、目も耳も開いて、どよめきを生じながら
の会場全体の心の動きは、私の神経を精いっぱいにみなぎらせて止まぬ、あっ
という間の二時間でした。
数日後、私のカウンセリングルームに来所した母親が驚きをもって語ってく
れたのは、その会からの帰路、大介少年は生き生きした歩調に合わせて歌を口
ずさんでいたということでした。
何年もあり得なかった元気さだといいます。
あのおじさんのところなら行く、といって母親のすすめに応じて私の相談室
へ、大介君が日経ずして、母親に伴われてやって来たのでした。それがちょう
ど、4年間不登校を続けた6年生の2学期の半ばだったのです。
「ヨオッ」
というこちらの呼びかけに
「お-」
と呼応して何気ない態度で私の相談室に入って来る態度に、連れて来た母親が
目を丸くして
「まあこの子!(私の所に来るのは)はじめてやのに、この調子!」
「だって」
と私は本人に代って親に説明します。
「この間は私の腹蔵なしの本音の話、聞いてくれて、ほくの気心をのみ込んで
くれてるものなァ」
「うん」
私が求めたうなずきを即座に返してくれるので、私は有無を言わさず、うな
り声のよう声で、
「4年という長さ!頑張ったでェ大介。ご苦労でした」
とこの長年の労をねぎらうと、
「うんッ」
と当人は納得してしっかりうなずきました。
六十代半ば過ぎの私と6年坊主の勢いのテンポがまあなんとか合っているの
に、母親はあきれて物が言えません。
◇人の不本意さが親に読めない
「結局なにが問題やったのかねえ。二年の二学期に休みはじめちゃったのは?」
これだけ気持の行きかいがあたたかかだと、自然にたずねて自然にこたえる
のが、本当に自然というものですね。少年は応えて、
「たいしたことやなかったんや。なァ」
と脇にいる母親の口添えを要求し、母親がどう言ってよいかと面食らっていま
す。
そのちぐはぐさを見ていると、これまでの長年月の間にも、その時点(4年
前の、休みだしたきっかけ)の心の動きの確認など、これまで親子の間で交わ
されたことなどなかったのだろうと、推測できるのでした。
住まいからは遠い大阪市内のカウンセリングや精神科医などへ、本人は行こ
うとしない以上、母親一人があちこち相談にも行き回ったにもかかわらず、こ
の一年も前からは、本人に母親はどこへも行くなと強制されて、母親は相談に
行くのを止めざるを得なくなり、買い物にも銀行にも母親に本人がずっとくっ
ついてどこへも二人一緒になっていたようなのです。
私への相談申込みの電話でも
「母親依存症で私にべったりくっついて離れず、自分の気の向かないところへ
はどこへも私を行かせてくれません」
と、母親が言うので、
「気持のあり方が変ると様子もいろいろ変るので、まるで病名みたいに母親依
存症だなんて知ったかぶりに言うのはよくないですよ」
と思わず忠告したものでした。
「にほん語観察ノート」の紹介 4回目です。
出版社の紹介には
「人生の難局を切り抜け、難問を乗り越える。その力が『ことば』である。新
聞投書から首相の答弁まで、著者が感銘を受けた言葉や迷言を幅広く取り上
げる。『読売新聞』日曜版連載を単行本化。」
「ふだんの言葉の中に隠れている日本語のひみつとは?『言葉の貯金がなによ
り楽しみ』という筆者のとっておき。持ち出し厳禁、言葉の見本帳。」
とあります。
井上ひさしさんが、言葉とは文化だとわかりやすく教えてくれました。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「日本語の語彙は[和語―漢語―外来語]の三層構造。役人は和語を漢語にし、
外来語にするのが好き」
「もし何か言いたいなら、それを和語か漢語で言えないかうんと工夫をする
こと。それがお役所の仕事です。」
・「近頃の小学校から児童が一斉に教科書を読む声が聞こえなくなった。音声
の訓練を!」
・「日本語は連語になって初めて安定する」
もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)『心をほどく人間関係の大切さ
について』⑦ を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ④
<意言語習得トレ> 2
◇お役人の外来語好き
日本語の語彙
和語―漢語―外来語の三層構造
「試し―試験―テスト」
「ワザ―技術―テクニック」
「きまり―規則―ルール」
「企て―計画―スキーム」
~ インテリ根性
谷川俊太郎
「わたしの努めはすべての言葉をわれわれの(からだ)と(くらし)に根付
いた言葉にどうしてできるかである」
↓
もし何か言いたいなら、それを和語か漢語で言えないかうんと工夫を
すること。
それがお役所の仕事です。
◇ポケモン現象
① キャラクターカード
② エネルギーカード
③ トレーナーカード
◎基本動詞「とる」がすっかり「ゲット」に言い換えられてしまった
↓
◎日本語とカタカナ語のチャンポン化
◇外来語の表記
難しい
<言葉の経済学> 1
◇薄れゆく「あっ」
「ア」が最も基本的な母音
~ 口をとっさに開けば自然にこの母音が出てくる
日本語
→ 辞書部分 開かれた体系
文法部分 閉じられた体系
◎ 近頃の小学校から児童が一斉に教科書を読む声が聞こえなくなった
→ 音声の訓練を!
◇母音発声の法則
「アイウエオ」→「イエアオウ」発音位置
前から後ろへ = 母音の明るさ・暗さ
◇拗音の直音化
下宿 → ゲシク
百人一首 → ヒャクニンイッシ
もとの日本語化
◇人の呼び方
「上司から言われて嫌なこと」
若い女性
「うちの女の子」
「恋人はいるのか」
「結婚はまだか」
中年女性
「おばさん」
「ヒステリー」
「怖い」
「公」で呼ぶ呼び方がない
◇言葉の経済性
日本語は連語になって初めて安定する
連語
… 熟語の構成で上下の二字が共通の字義をもち、二字が合して一義
をなしているもの
労組、拓銀、自民、民社
☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)「心をほどく人間関係の大切さについて」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑦【再掲載 2015.4】
◇四年間不登校を続ける - 事例
水田大介(中一)(仮名)は小学2年の2学期はじめから不登校を始めて、4
年間それは続き、その間の親の心労は大変なものだったようですが、いつから
か不安のためどこへでも母親と常に同行するようになっていて、たまたまの地
方の市の教育委員会の行事で、不登校児の親の会に私が講師として呼ばれ、そ
の会にも母親にくっついて来ていて、大人の集会での私の話を、少年自身が聞
いたということでした。
私の話には大介が耳をそば立てていたというのです。
私は全国どこでも陥りがちな、不登校への事大主義的類型的な、本質に迫
らない対策や対応を徹底的に批判し、反省を呼びかける話をしたつもりです。
五、六十人の教員と親の聴き手が、目も耳も開いて、どよめきを生じながら
の会場全体の心の動きは、私の神経を精いっぱいにみなぎらせて止まぬ、あっ
という間の二時間でした。
数日後、私のカウンセリングルームに来所した母親が驚きをもって語ってく
れたのは、その会からの帰路、大介少年は生き生きした歩調に合わせて歌を口
ずさんでいたということでした。
何年もあり得なかった元気さだといいます。
あのおじさんのところなら行く、といって母親のすすめに応じて私の相談室
へ、大介君が日経ずして、母親に伴われてやって来たのでした。それがちょう
ど、4年間不登校を続けた6年生の2学期の半ばだったのです。
「ヨオッ」
というこちらの呼びかけに
「お-」
と呼応して何気ない態度で私の相談室に入って来る態度に、連れて来た母親が
目を丸くして
「まあこの子!(私の所に来るのは)はじめてやのに、この調子!」
「だって」
と私は本人に代って親に説明します。
「この間は私の腹蔵なしの本音の話、聞いてくれて、ほくの気心をのみ込んで
くれてるものなァ」
「うん」
私が求めたうなずきを即座に返してくれるので、私は有無を言わさず、うな
り声のよう声で、
「4年という長さ!頑張ったでェ大介。ご苦労でした」
とこの長年の労をねぎらうと、
「うんッ」
と当人は納得してしっかりうなずきました。
六十代半ば過ぎの私と6年坊主の勢いのテンポがまあなんとか合っているの
に、母親はあきれて物が言えません。
◇人の不本意さが親に読めない
「結局なにが問題やったのかねえ。二年の二学期に休みはじめちゃったのは?」
これだけ気持の行きかいがあたたかかだと、自然にたずねて自然にこたえる
のが、本当に自然というものですね。少年は応えて、
「たいしたことやなかったんや。なァ」
と脇にいる母親の口添えを要求し、母親がどう言ってよいかと面食らっていま
す。
そのちぐはぐさを見ていると、これまでの長年月の間にも、その時点(4年
前の、休みだしたきっかけ)の心の動きの確認など、これまで親子の間で交わ
されたことなどなかったのだろうと、推測できるのでした。
住まいからは遠い大阪市内のカウンセリングや精神科医などへ、本人は行こ
うとしない以上、母親一人があちこち相談にも行き回ったにもかかわらず、こ
の一年も前からは、本人に母親はどこへも行くなと強制されて、母親は相談に
行くのを止めざるを得なくなり、買い物にも銀行にも母親に本人がずっとくっ
ついてどこへも二人一緒になっていたようなのです。
私への相談申込みの電話でも
「母親依存症で私にべったりくっついて離れず、自分の気の向かないところへ
はどこへも私を行かせてくれません」
と、母親が言うので、
「気持のあり方が変ると様子もいろいろ変るので、まるで病名みたいに母親依
存症だなんて知ったかぶりに言うのはよくないですよ」
と思わず忠告したものでした。