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「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ⑥(最終) /「日本の名句名言」増原良彦 講談社現代新書 1988年 ⑤【再掲載 2014.4】 [読書記録 一般]

今回は、5月29日に続いて、井上ひさしさんの
「にほん語観察ノート」の紹介6回目 最終です。




出版社の紹介には

「人生の難局を切り抜け、難問を乗り越える。その力が『ことば』である。新
聞投書から首相の答弁まで、著者が感銘を受けた言葉や迷言を幅広く取り上
げる。『読売新聞』日曜版連載を単行本化。」


「ふだんの言葉の中に隠れている日本語のひみつとは?『言葉の貯金がなによ
り楽しみ』という筆者のとっておき。持ち出し厳禁、言葉の見本帳。」
 
とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「不機嫌な日本人」
「その原因の最大なものは『自分の役割を演じるための演技力の欠如』」


・「ウソに寛容な日本人」


・「ことわざは人間の口を通して告げられた神の声」


・「厚生省のポスターに『育児をしない男を父とは言わない』のコピー
 役所、経営者、労組にも責任はあるのに…」



もう一つ、再掲載になりますが、
増原良彦(ペンネームはひろさちや)さんの
「日本の名句名言」⑤を載せます。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆「にほん語観察ノート」井上ひさし 中央公論新社 2004年 ⑥(最終)

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<言葉の経済学> 3
◇不機嫌な日本人
不機嫌の原因
  最大なもの
     「自分の役割を演じるための演技力の欠如」

◎ 自分がその役割を立派に演技することの大切さ



◇ウソのおきて
ウソに寛容な日本人
・ウソも方便 
    ・ウソをつかねば仏になれぬ 
    ・ウソも追従も世渡り
・ウソはつき次第 
    ・ウソは日本の宝

  ◎ ことわざは人間の口を通して告げられた神の声



◇何でもない交感的な会話
交感的言語
   「こんにちは」「お元気」「いい天気ですね」「そうね」「どちらへ」
= あいさつ代わりの軽い言葉のやりとり



◇「人さまざまである」
  「人さまざまである」
    ~ どんな文章も突然すっと終わってしまう

  「人生いろいろである」




<お役所の素直なせりふ>
◇完成啓蒙ポスター
運輸省   「明日も泊まろう」

  政府広報  「だれにだって頑張る舞台がある」

  厚生省   「育児をしない男を父とは言わない」
  ※ 役所 経営者 労組にも責任はあるのに…



◇言葉を壊す役人
公安調査庁
    ~ 市民運動調査



◇町おこし
宇都宮    - ぎょうざ 
  気仙沼    - イカの塩辛 
  長野県丸子町 - 薬用人参
青森県田子町 - ニンニク 
  山形県寒河江市- サクランボ 
  磐田市    - メロン
沼津市    - あじの干物 
  知多市    - 小玉タマネギ 
  草津市    - ひょうたん 
  宍道町    - シジミ
  柳川市    - のり

  → 時代の流れ「地方の時代」
NHK ドラマに各地の方言



◇井上ひさし
1934 山形県生 上智大学フランス語科卒
1972 「道元の冒険」第17回岸田戯曲賞
「手鎖心中」 第67回直木賞
1980 「しみじみ日本乃木大将」「小林一茶」第31回読売文学賞
1981 「吉里吉里人」第2回SF大将
1991 「シャンハイ・ムーン」第27回








☆「日本の名句名言」増原良彦 講談社現代新書 1988年 ⑤【再掲載 2014.4】

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◇「世間は虚仮なり、唯仏のみ是真なり」 聖徳太子
   摂政皇太子
     - 聖徳太子と昭和天皇の二人のみ

   江戸時代の儒者・国学者
     - 者 仏教を敵視するあまり太子に攻撃



◇「まことにはのむへくもなけれとも、この世の習い」法然
   法然(1133~1212) 
     念仏一筋、戒律を堅固に守る必要なしと言いながら守り続けた
  ゆったりと戒律を守って生きた「中道」の生き方

   日本人の宗教音痴 = 必要悪と言った考え方ができない
   1 必要悪 
     2 必要善
     3 不必要善 
     4 不必要悪

   日本人は<善・悪>と<必要・不必要>を一致させてしまう
① 必要ならば善
② 不必要なら悪
(例)売春・暴力

   ◎ 善か悪かは宗教の原理
◎ 必要か不必要かの判断は政治の原理
   = 異次元の原理を同一に扱ってしまう
  ※ 必要悪であるならばそれを抑える努力が必要



◇「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」 『歎異抄』唯円
   他力信仰 
     浄土信仰 - 阿弥陀仏の本願を信じて救済されよう

 仏教においては善人と悪人を区別する方がおかしい
  → 親はわが子を善人悪人と区別して救うだろうか
      ましてや仏さまは
    ~ 善人悪人と区別しているのは人間の側

   法然のことばとする説も「法然上人伝記」
     仏教 
      - 善人・悪人、強者弱者、日本人・外国人、ノッポ・チビ
     …その他様々な差別しないのが仏教の立場



◇「門松はめいどのたびの一里づか馬かごもなくとまりもやもなし」一休
 われわれは肉体という家から離れて自由になるべきだ



◇「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」福沢諭吉
   アメリカ『独立宣言』より 
     → 天は造物主

東洋
     → 「天」は規範の志 為政者を規制するもの

   そんなところでは支配者の無責任にならないか
   現に支配者と被支配者が分離しているところで両者の平等を言えば、
    支配者が無責任になってしまう

   支配者には当然「高貴なるものの義務」

  大正・昭和 
      ◎高貴なる者が高貴なる義務も責任も果たさず
    - 一般大衆の犠牲の上にあぐらをかいていた

◎ 諭吉は「平等」を説くべきであった

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