「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてくださ い2」暮しの手帖社 2023年 ② /「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑤ 【再掲載 2017.2】 [読書記録 一般]
今日は5月19日、日曜日です。
今回は、4月29日に続いて暮しの手帖社から出されている
「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」
の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「豪華執筆陣で贈る珠玉の随筆集『あなたの暮らしを教えてください』
は、『暮しの手帖』の本誌と別冊に寄せられた『暮らし』がテーマの随
筆作品を選りすぐり、全4冊にまとめたシリーズです。
第2集は、日々の気付きにまつわるお話を集めています。当時の話題に
触れて感じたこと、近所の猫やお店のこと、仕事や家事を通しての発見
や、趣味や学びのなかで思うことなど、小さな日常をいつくしみたくな
る一冊です。」
とあります。
佐野眞一さん、高度経済成長の陰で失われたものに気付かせてくれます。
もう一つ、再掲載になりますが、上笙一郎さんの
「日本子育て物語-育児の社会史」⑤を載せます。
☆「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ②
◇「宮沢賢治」からの贈物 佐野眞一
宅配便はよく来る方だが、驚いた宅配便が来た事がある。
話はいまからざっと20年前にさかのぼる。
私はその当時、『遠い「山びこ」』という作品にとりかかっていた。
昭和26年に出版され、ベストセラーになった『山びこ学校』というテーマ
を思いついたのは、ちょうどその頃、父が死んだからである。
その通夜の席で、従兄弟の一人が、父と『山びこ学校』教師の無着成恭は縁
戚らしいと言い出した。
その話は以前にも聞かされていたので、さして気にもとめなかった。
ただ、はるか昔に読んだ『山びこ学校』と、東北に生まれ働くためだけに生
きてきたような父が、どこかで結びついているような気はした。
父が死んだ頃、息子が髙校に進学した。
息子が持ってきた卒業文集を開いて愕然とした。
その作文は、息子のものも含め、どれもこれも同じ鋳型から抜き出されたよ
うな文体だった。
『山びこ学校』の冒頭を飾る
「雪がコンコン降る。人間はその下で暮しているのです」
と比べると、息子が持ってきた卒業文集は、生活感がまったくなかった。
文章の持つ力はなぜこれほどそこなわれてきたのか。
それが新しいテーマとなった。
いうなれば死んだ父と息子が、『山びこ学校』について書け、と私に命じたよ
うなものだった。
『山びこ学校』で最も有名なのは、
「僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんぐらい貧乏です」
という書き出しからはじまる「母の死とその後」である。
「母の死とその後」は文部大臣賞を受賞したこともあって、これを書いた江
口江一少年は一躍有名人になった。
だが、江一少年はおごることなく、中学卒業後は村の森林組合に勤めた。
彼の夢は、森林を植え、貧しい村を少しでも豊かにすることだった。
だが、その夢は潰えた。
あと6日で32歳になるという朝、妻と二人の子を残して短い生涯を終えた。
森林組合の事務所で会った、江一の一年先輩の職員の話が忘れられない。
「山を見ましたかすごい緑でしよう。みんな江一さんが植えたものです。
もうとっくに間伐しなきやならない時期にきているんですが、みんな都
会に出て行ってしまい、村には木を間伐できるような若者がもう一人も
残っていないんです」
『遠い「山びこ」』が完成し、取材に協力してもらった関係者に本を送って
しばらくした頃、わが家に宅配便が届いた。
何と米俵だった。
そこにつけられた手紙には、かなだらけの文字でこう書かれていた。
「ほん、ありがと。かんじがおおくてよくわかんねけど、なんねんかかんか
わかんねえけど、よむ。おらのたんぼでいっしようけんめいつくった米だ。
くってけんろ」
米という文字だけが漢字なのが、せつなかった。
私はそれを見て宮沢賢治の童話の世界を目の当たりにしたような気がした。
☆「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑤ 【再掲載 2017.2】
≪古代≫
◇勧学院の雀のさえずり - 「学校による教育」の誕生
□二つのエピソード
大化の改新
「勧学院の雀は蒙求をさえずる」
「無意図的・生活的子育て」 見習・手習い
→ 「意図的・学校的子育て」 文書による抽象的学習
□階級文化と学校の誕生
理由:「日本の社会変化」
= 原始 → 古代
◎ 他人の余剰生産物を奪った者が権力を握り「貴族」となり,奪
われた者は「農民階級」になった
貴族
「広さと量」が大切
→ 読み書き計算能力
→「学校」の誕生
□学校の始まり
阿直岐と王仁
□琵琶湖のほとりの最初の学校
南淵請安 「請安塾」
中大兄皇子・中臣鎌足 - 大化の改新
→ 天智天皇
国立学校設立「懐風藻」に大津市の「勧学堂」?
奈良平安時代
大学と国学
平安期 私立学校
弘文院(和気広世)
文章院(菅原清公)
□学び得たのは貴族の子弟のみ
古代日本の学校
= 高級官吏養成施設
◇「色葉匂えど散りぬるを」 - 初等教育の基礎教材
□小学校無き時代の基礎的カリキュラム
中等教育学校 私塾
初等教育
家庭
~ 母親・乳母 = 通い婚
男子
7歳「千字文」「孝経」「蒙求」
女子
うたを詠み琴を弾く
◎ 基礎 <いろは歌><五十音図>
□なにわづに咲くや木の花冬ごもり
なにわづの歌 あさか山の歌 あめつちの歌 たいにの歌
□国音歌の傑作
<いろは歌>
今様形式 平安中期
<いろは>全盛から「アイウエオ」へ
口承
→ 暗誦
→ 手習い
◎ 1920年代
「いろは」 → 「アイウエオ」
◇斎肌帯(ゆはたおび)から百日(ももか)の餅まで
出産日には儀礼が矢継ぎ早に
七日過ぎて「神のもの」から「此岸のもの」へ
高かった乳児死亡率
貴族
① 住宅様式
② 食膳-動物蛋白質 → 産育儀礼尊重
③ 深闇の育ち
④ 近親結婚
◇裸ん坊の幼児たち
光源氏の愛子
= 薫は絹をまとって
貴族階級の子供といえども丸裸
江戸時代は金太郎スタイル
明治時代から裸が姿を消した
裸ん坊・二つの理由
① 幼児の体温は高い
② 多湿
◇「目木羅羅」と「33法師」(この項内容を思い出せず=ハマコウ註)
農業労働に携わる母の姿
子守歌
ただ一つ残る古代の子守歌
「巻い巻い虫」と「小間田螺」
今回は、4月29日に続いて暮しの手帖社から出されている
「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」
の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「豪華執筆陣で贈る珠玉の随筆集『あなたの暮らしを教えてください』
は、『暮しの手帖』の本誌と別冊に寄せられた『暮らし』がテーマの随
筆作品を選りすぐり、全4冊にまとめたシリーズです。
第2集は、日々の気付きにまつわるお話を集めています。当時の話題に
触れて感じたこと、近所の猫やお店のこと、仕事や家事を通しての発見
や、趣味や学びのなかで思うことなど、小さな日常をいつくしみたくな
る一冊です。」
とあります。
佐野眞一さん、高度経済成長の陰で失われたものに気付かせてくれます。
もう一つ、再掲載になりますが、上笙一郎さんの
「日本子育て物語-育児の社会史」⑤を載せます。
☆「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ②
◇「宮沢賢治」からの贈物 佐野眞一
宅配便はよく来る方だが、驚いた宅配便が来た事がある。
話はいまからざっと20年前にさかのぼる。
私はその当時、『遠い「山びこ」』という作品にとりかかっていた。
昭和26年に出版され、ベストセラーになった『山びこ学校』というテーマ
を思いついたのは、ちょうどその頃、父が死んだからである。
その通夜の席で、従兄弟の一人が、父と『山びこ学校』教師の無着成恭は縁
戚らしいと言い出した。
その話は以前にも聞かされていたので、さして気にもとめなかった。
ただ、はるか昔に読んだ『山びこ学校』と、東北に生まれ働くためだけに生
きてきたような父が、どこかで結びついているような気はした。
父が死んだ頃、息子が髙校に進学した。
息子が持ってきた卒業文集を開いて愕然とした。
その作文は、息子のものも含め、どれもこれも同じ鋳型から抜き出されたよ
うな文体だった。
『山びこ学校』の冒頭を飾る
「雪がコンコン降る。人間はその下で暮しているのです」
と比べると、息子が持ってきた卒業文集は、生活感がまったくなかった。
文章の持つ力はなぜこれほどそこなわれてきたのか。
それが新しいテーマとなった。
いうなれば死んだ父と息子が、『山びこ学校』について書け、と私に命じたよ
うなものだった。
『山びこ学校』で最も有名なのは、
「僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんぐらい貧乏です」
という書き出しからはじまる「母の死とその後」である。
「母の死とその後」は文部大臣賞を受賞したこともあって、これを書いた江
口江一少年は一躍有名人になった。
だが、江一少年はおごることなく、中学卒業後は村の森林組合に勤めた。
彼の夢は、森林を植え、貧しい村を少しでも豊かにすることだった。
だが、その夢は潰えた。
あと6日で32歳になるという朝、妻と二人の子を残して短い生涯を終えた。
森林組合の事務所で会った、江一の一年先輩の職員の話が忘れられない。
「山を見ましたかすごい緑でしよう。みんな江一さんが植えたものです。
もうとっくに間伐しなきやならない時期にきているんですが、みんな都
会に出て行ってしまい、村には木を間伐できるような若者がもう一人も
残っていないんです」
『遠い「山びこ」』が完成し、取材に協力してもらった関係者に本を送って
しばらくした頃、わが家に宅配便が届いた。
何と米俵だった。
そこにつけられた手紙には、かなだらけの文字でこう書かれていた。
「ほん、ありがと。かんじがおおくてよくわかんねけど、なんねんかかんか
わかんねえけど、よむ。おらのたんぼでいっしようけんめいつくった米だ。
くってけんろ」
米という文字だけが漢字なのが、せつなかった。
私はそれを見て宮沢賢治の童話の世界を目の当たりにしたような気がした。
☆「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑤ 【再掲載 2017.2】
≪古代≫
◇勧学院の雀のさえずり - 「学校による教育」の誕生
□二つのエピソード
大化の改新
「勧学院の雀は蒙求をさえずる」
「無意図的・生活的子育て」 見習・手習い
→ 「意図的・学校的子育て」 文書による抽象的学習
□階級文化と学校の誕生
理由:「日本の社会変化」
= 原始 → 古代
◎ 他人の余剰生産物を奪った者が権力を握り「貴族」となり,奪
われた者は「農民階級」になった
貴族
「広さと量」が大切
→ 読み書き計算能力
→「学校」の誕生
□学校の始まり
阿直岐と王仁
□琵琶湖のほとりの最初の学校
南淵請安 「請安塾」
中大兄皇子・中臣鎌足 - 大化の改新
→ 天智天皇
国立学校設立「懐風藻」に大津市の「勧学堂」?
奈良平安時代
大学と国学
平安期 私立学校
弘文院(和気広世)
文章院(菅原清公)
□学び得たのは貴族の子弟のみ
古代日本の学校
= 高級官吏養成施設
◇「色葉匂えど散りぬるを」 - 初等教育の基礎教材
□小学校無き時代の基礎的カリキュラム
中等教育学校 私塾
初等教育
家庭
~ 母親・乳母 = 通い婚
男子
7歳「千字文」「孝経」「蒙求」
女子
うたを詠み琴を弾く
◎ 基礎 <いろは歌><五十音図>
□なにわづに咲くや木の花冬ごもり
なにわづの歌 あさか山の歌 あめつちの歌 たいにの歌
□国音歌の傑作
<いろは歌>
今様形式 平安中期
<いろは>全盛から「アイウエオ」へ
口承
→ 暗誦
→ 手習い
◎ 1920年代
「いろは」 → 「アイウエオ」
◇斎肌帯(ゆはたおび)から百日(ももか)の餅まで
出産日には儀礼が矢継ぎ早に
七日過ぎて「神のもの」から「此岸のもの」へ
高かった乳児死亡率
貴族
① 住宅様式
② 食膳-動物蛋白質 → 産育儀礼尊重
③ 深闇の育ち
④ 近親結婚
◇裸ん坊の幼児たち
光源氏の愛子
= 薫は絹をまとって
貴族階級の子供といえども丸裸
江戸時代は金太郎スタイル
明治時代から裸が姿を消した
裸ん坊・二つの理由
① 幼児の体温は高い
② 多湿
◇「目木羅羅」と「33法師」(この項内容を思い出せず=ハマコウ註)
農業労働に携わる母の姿
子守歌
ただ一つ残る古代の子守歌
「巻い巻い虫」と「小間田螺」