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キーワード 読書について71-「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年(5) /「たどり来し道」会田雄次 新潮社 1996年 ②(下) 【再々掲載 2017.4】 [読書記録 教育]

今日は6月1日、土曜日です。


今回は5月21日に続いて、
「キーワード 読書について」71回目、鳥越信さんの
「はじめて学ぶ日本児童文学史」の紹介 5回目です。



出版社の案内には、


「明治維新から昭和期にかけての日本児童文学の歩みを最も初期の時代
(草創期)を起点に、科学読み物・知識読み物の歴史およびキリスト教
児童文学の歴史、外国作品の歴史と幅広い視点から考察する。
【ここがポイント!!】  
  ・日本における児童文学研究の最新成果をとりこむ  
  ・好戦的・侵略的児童文学の解明を試みる  
  ・1868年から約120年間を6部に分ける」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「都市と都市中間層の成立し『子供』への関心が高まった。エレン・
  ケイが『児童の世紀』を著し、成城小学校・自由学園・文化学院が」


・「『赤い鳥』発刊により『童心主義』=児童中心主義が話題になった。
 関東大震災の衝撃によりプロレタリア児童文学が登場」


・「『赤い鳥』から口語体の新興童謡が北原白秋,三木露風,西条八十らに
よりつくられた」


・「戦後、童心主義が批判され、戦後童謡がサトウハチロー、まど・み
ちお、阪田寛夫、谷川俊太郎、工藤直子らによりさかんになる」




もう一つ、再々掲載になりますが、会田雄次さんの
「たどり来し道」②を載せます。
-「俺たちはこんな姿の平和と繁栄などを願って死んでいったのではない」
心に残る言葉です。



☆キーワード 読書について71-「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年(5)

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<芸術的児童文学の開花>
◇時代思潮
1910年代 芸術的童話・童謡の時期
1910 小川未明「赤い船」 
1916「良友」創刊
1918 「赤い鳥」創刊 鈴木三重吉主宰
= 子供の詩文学


◇「赤い鳥」の出現
都市と都市中間層の成立
「子供」への関心 
    エレン・ケイ「児童の世紀」
成城小学校・自由学園・文化学院
1907年 義務教育機関が6年間に
         → 各地に高等女学校

  新しい動向
1913~1914 実業之日本社 「愛子叢書」5冊のみ

 「赤い鳥」創刊
1918.7 芥川龍之介,有島武郎,島崎藤村,絵・清水良雄
~1929.3 休刊  1931.1~1936 復刊 全196冊
1919.4 「おとぎの世界」 
    1919  「金の船」
→「金の星」~1929.7
1920 「童話」(~1926)

花開く「童話」
「童心主義」
     = 児童中心主義
関東大震災の衝撃 
      → プロレタリア児童文学
メディア拡張の兆し
「蜘蛛の糸」芥川龍之介 
       「赤い鳥」1918.7
赤い鳥に4編
「椋鳥の夢」浜田広介 
       「良友」1919.1
    「赤いろうそくと人魚」小川未明 
       「東京朝日新聞」夕刊1921.12.16~20
「虎ちんの日記」千葉省三 
    「童話」1925.9~10
「女神の死」鈴木三重吉 
    「赤い鳥」1919.7 
      = 子供向け「古事記」
  「野菊」吉屋信子 「少女画報」1916.10

◇唱歌から芸術的童謡へ
新興童謡と伝承童謡
1916~ 「赤い鳥」 
         新興童謡
口語体   
         ※ 北原白秋,三木露風,西条八十

  学校唱歌 
    伊沢修二 
       米国に派遣
        →「小学唱歌集」全3巻

  少年少女詩 
    有本芳水

  「赤い鳥」と白秋
白秋 
     実家倒産と人妻事件
初期 「色の魔術師」 マザーグース
1200作品 うち400に曲

  「赤い鳥」の自由詩 
    児童の投稿童謡 
     → 児童詩

  白秋,八十,雨情 
    ◎ 三巨頭の時代

  文部省の認定と文芸の大衆化

  童心主義への批判

  戦後童謡 
   サトウハチロー まど・みちお 阪田寛夫 谷川俊太郎 工藤直子








☆「たどり来し道」会田雄次 新潮社 1996年 ②(下) 【再々掲載 2017.4】

[出版社の案内]
志を消失し、金権万能の信者になった政治家。醜悪な馬脚を現した経済
界。呆然自失の国民。もはや、日本は国家ではなくなったのか…。この
衰亡を食いとめることは出来るのか。今こそ歴史家の言葉に耳傾ける時
が来た。

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◇戦後日本及び日本人
□変わるものと変わらないもの
  家康の変化
    = 本質を露呈
  日本人の精神構造は貧しい百姓根性のまま
    → それが小金持ちになっただけ

□衰退の道を辿る虚妄の戦後日本 
  成金矮小国

□見よ,この輝き(の)ない若者の顔を!
  敗戦は亡国 
  戦後マスコミ・日教組・労組
   = 戦争できない代償
失ったもの
  ◎ 志・矜持・誇り・自立の精神

□「男のための女」論
女性は清純そのもの
   - 一途でひたすらな存在?

□飽食の生んだ飢餓精神


◇日本への遺言
□戦後日本の国際行動の不当・無責任さ 
= 国際的視野を欠く狭量,独善,無思慮,利己

□問題点 
  ① 一国の行動の正否については,国際的にその判断が国によって
   根本的に違う。
② 湾岸戦争時の日本の行動
  心情・道義,感傷の問題ではない
       → 石油の問題
  大金出すも軽侮される 
      - 威圧的謝罪と補償要求(= ケチで臆病な成金高利貸し)

□昭和52(1977)年9月28日
日本赤軍 
    日航機ハイジャック事件
     = 危機管理能力の欠如
※ 国内治安が良いというのはただ国民がおとなしいから
首相は自決すべきだった

□昭和20年代~30年代
  日教組・マスコミ 東京裁判史観
   = マルキシズムないまぜの日本罪悪史観教育

□小野田少尉
 「自分がずっと交戦中と誤認したのは,ラジオを聴いても天皇が健在
  で国内巡遊中という事実。負けたらそんなことはありえない。」
 = 天皇が責任をとらなかった
  → 敗戦・惨敗の責任?
 ◎ 明確でない戦犯などを旧敵国から追求される一方,国民に対する
  重大な責任を問われない(日本国から)
 → 真の責任を問われない国
    ◎日本人による裁判があるべきだった=敗戦の責任      

□戦犯者の声
「俺たちはこんな姿の平和と繁栄などを願って死んでいったのではない」
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