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「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ⑤ /「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑦【再掲載 2017.3】 [読書記録 一般]

今日は6月15日、土曜日です。


今回は、6月12日に続いて暮しの手帖社から出されている
「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」
の紹介 5回目です。


出版社の案内には、

「豪華執筆陣で贈る珠玉の随筆集『あなたの暮らしを教えてください』
は、『暮しの手帖』の本誌と別冊に寄せられた『暮らし』がテーマの随
筆作品を選りすぐり、全4冊にまとめたシリーズです。
 第2集は、日々の気付きにまつわるお話を集めています。当時の話題に
触れて感じたこと、近所の猫やお店のこと、仕事や家事を通しての発見
や、趣味や学びのなかで思うことなど、小さな日常をいつくしみたくな
る一冊です。」

とあります。


次の言葉が印象に強く残りました。

―「日本はかつてアメリカに原爆を落とされ、焼け野原になって戦争に負けた。
  しかし、その後人々の努力によって見事な経済復興を果たした。今、その
  経済力を世界の不均衡のために役立てようとしている。そうした日本人の
  姿に尊敬の気持ちを感じている」。



もう一つ、再掲載になりますが、上笙一郎さんの
「日本子育て物語-育児の社会史」⑦を載せます。
封建的だといって捨て去られたものの中に、
大事なものがあったのではないかと感じさせられました。



☆「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ⑤

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◇私への片想い 堀潤

 毎年、アフリカや中東を訪ねている。

スーダン、ヨルダン北部のシリア難民キャンプ、そしてパレスチナのガザ地
区など、紛争や貧困などに苦しむ人々の暮らしにカメラを向けてきた。 


 分断が続く現場だ。


 国際社会からの孤立とも向き合う。

 現場を訪ねてみると日本に住む「私」と繫がっていることにも気がつく。
 

 ガザは、イスラエルに封鎖された地域。街の周囲全てが壁やフェンスで囲
われていて、ガザの市民は自由に外に出ることができない。


「天井のない監獄」と呼ばれる所以だ。


 市民が無断で壁の外に出ようとするとイスラエル軍によって射殺されてし
まう。


 ガザの人口はおよそ200万人。


 燃料の確保も難しく、電気は1日数時間しか使えない。


 生活に必要な物資の多くを国連からの支援に頼っている。


 子どもたちの多くが栄養失調にあえいでいる。


 ドローンによる空爆や、地上戦で壊滅的な被害に見舞われた地区もある。

 今も緊張を伴う衝突が突発的に続く。


 ガザを現在統治しているのは、政党から発展したハマスという組織。


 日本政府は国際テロ組織として扱っている。よって日本からの渡航は制限
されている。


 車中から破壊された街の様子を撮影している最中だった。


「止まれ」という声で周囲の変化に気がついた。


 私はいつの間にかハマスの私服警察官たちに囲まれていた。


「無断で撮影をしていた」という容疑で車内に拘束され、尋問をうけた。


 カメラのSDカードは没収。


 隣でドライバーのリヤードさんが

「彼らは日本人だ、支援が必要なガザの今を伝えるために来てくれている
 んだ」

と懸命に説明してくれていた。


 映像の確認やパスポートのチヱックが済み、本当に日本人だということが
わかると、警官の一人が歩み寄り、

「ソーリー ~ごめん~」

と言ってSDカードを返してくれた。

「日本人は戦争をしない。俺たちの状況を伝えてくれ、世界に向けて発信し
 て欲しい」

と続けた。


 民家を一軒一軒訪ねている時だ。


 貧困地域で暮らす一家。


 停電で冷蔵庫も使えない中、冷たいぶどうジュースをわざわざ買ってもて
なしてくれた。


 家長が胸に手をあて、

「日本はかつてアメリカに原爆を落とされ、焼け野原になって戦争に負けた。
 しかし、その後人々の努力によって見事な経済復興を果たした。今、その
 経済力を世界の不均衡のために役立てようとしている。そうした日本人の
 姿に尊敬の気持ちを感じている」。

 そして頭を下げてくれた。


 同行したNGO職員が指し示した先には、ガザの水道を支える給水タンク
が見えた。


 中央には日の丸が記されていた。


 日本の政府開発援助で建てられたタンクだった。


 私が納めた税金が原資になっている。
 

 私はここに来るまで、ガザについて語ることがあっただろうか。


 ガザの人たちは日本を知ってくれていて、日本への想いを様々感じてくれ
てもいる。


 しかし私はガザで暮らす人々の気持ちをほとんど知らなかった。


 こんな片思いがあっていいのか。私は私の無関心を卒業する。
                              2020年3月









☆「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑦【再掲載 2017.3】 

[出版社の案内]
原始時代から現代まで―子どもの歴史と子育ての歩みを、豊かな資料を
引きつつ興味深く語り、日本人の育児の知恵と子どもへの深い思いを明
らかにする。

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≪封建時代後期≫①
 
◇「隋年教法」の確立 - 武士階級の子育て
□大きく変貌した武士の子育て
徳川時代250年 
    大切なのは「事務処理能力」

□三尺下って師の影を踏まず
私塾    
   = 高等教育   
      京都 ― 伊藤仁斎の古義堂
 日田 ― 広瀬淡窓の咸宜園
家塾・藩校
   = 初等中等教育
藩校 5~10歳で入校,教師は武士

□「火の玉を喰う」素読
「素読」中心  
    「孝経」「大学」「中庸」「論語」  

□発達段階に応じた教育の提唱
貝原益軒
   「和俗童子訓」1710年
   発達段階に即しての教育目標と教材の配当
  「隋年教法」 ― ペスタロッチより70年早い


◇手習いから見習へ - 町人階層の教育
□最下位にして最高の階層  
  手習い基礎 → 見習

□寺子屋 
  自由なミニスクール
 商人と職人には一定程度の「読み」「書き」「算」が不可欠
浪人や町人が私立学校 子供「寺子」「手習い子」「筆子」
6~7歳 
  授業料=月謝 
    ◎ お金でも品物でも可  ◎ 一定でない
午前7時頃から午後2時頃まで
教科書
     「往来もの」「童子教」「庭訓往来」「明衛往来」
     「商売往来」「江戸往来」「年中往来」から一冊

□江戸の小僧大阪の丁稚
寺子屋 
    「手習い」6~7歳から2~3,4~5年
 見習教育 = 実地教育
丁稚入りから手代まで見習教育
    30歳くらいまて゛

□奉公に来た日の心忘るな
教育心
    = 子育て心  親,親方
学習心
    = 学び心   子供たち


◇一姫二太郎主義の養育法 - 農民階級の児童悲惨史
□暁の星から夕の星まで働いても

□小説「土」のお品のように 
  「棄て子」「胎をおとすこと」

□死出の山路の裾野なる
「間引き」
    - 農民「子供を」 
      返す・戻す・山へやる・山へ登らせる
        → ◎ 神のところへ

□一姫二太郎は命に替えても守る
家存続のため女の子一人男の子二人
 男女三人の子を確保
     = 三人の子供に関しては自らの命を賭してでも養育の責任
      を果たした
  → 例証  
        ◎飢饉の年の餓死者数 子供1:大人5.4


◇子供組の諸処様々 - 共同生活の一環として
□村の子供たちの作った組合
子供組 
    = 子供仲間    
       現代の少年団 ボーイスカウト
村組
    → 若者組 娘宿 年寄り組 と並列
子供組は村組の祭祀的行事のあるもの

□子供は神に近い存在と見られて
臨時的・間歇的な組織
農耕へのつながり

□武士や町民社会にあっての子供組
武士
    ~ 郷中教育の一環としての稚児組織
    ◎ 掟がある
76戸の下加治屋町から西郷隆盛,大久保,大山巌,村田新八輩出

□町の子供組 
  京都
   - 地蔵盆

□遊びと学習二つの側面
親方(14 15) 小頭(12 13) 子分(年少層)

□子供組 
  江戸時代から
    「子供たちの基礎的社会教育」
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