山折哲雄さんはこんなことを ④-「近代日本人の宗教意識」岩波書店 1996年 (4) /「宮本常一さん 教育について」 ③【再掲載 2017.5】 [読書記録 宗教]
今日は6月24日、月曜日です。
今回は6月20日に続いて、
「山折哲雄さんはこんなことを」4回目、
「近代日本人の宗教意識」4回目の紹介です。
出版社の案内には、
「日本人にとって宗教とは何か.オウム真理教事件が提起する問題を見
据えながら,著者年来の問題関心とその成果を集成.正岡子規,夏目
漱石,寺田寅彦,宮沢賢治,和辻哲郎,木村泰賢他の言行を検討し,
風土に規定された自然感覚の深奥に横たわる原初的な宗教意識と,そ
の特質を浮彫りにする.日本人の心の深層に新しい角度から光を当て
る労作」
とあります。
読んだ当時は分かったつもりになっていたのですが、
今、要約を見直してもぼんやりとしか思い出せません。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「自己の身体性を殺したり活かしたりすることを通して,より一層堅
固で強い自己を生み出すプロセスに着目し,そこに生まれる芸術様
式が能楽であり浄瑠璃である」
・「『ますらおぶり』と『たをやめぶり』、『武家的なもの』と『公家的
なもの』」
もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一さん 教育について」③を載せます。
NHK教育テレビでの「100分で名著 忘れられた日本人」、
もうすぐ終わります。
☆山折哲雄さんはこんなことを ④-「近代日本人の宗教意識」岩波書店 1996年 (4)
◇ショーペンハウエル
「意志と表象としての世界」
憂鬱の哲人
- ドイツ非合理主義者
[カント学 + 東洋の形而上学的思弁]
→ 嫌疑と不快のまなざしで見つめられた
◎ カントのアポロ的な理性が称えられショーペンハウエルのディ
オニソス的な意志が追放の憂き目にあった
- 理性信仰・論理信仰
◇遍歴する哲学者・巡礼する哲学者
ソクラテス キリスト 孔子 仏陀
→ 和辻哲郎
和辻哲郎「古寺巡礼」1919(大正8)年岩波書店
中野重治「村の家」1934(昭和9)年 父 世間と
倫理の原点
和辻「人間の学としての倫理学」
人々がそこを通り行く道が倫理の根本問題
= 道を究めることが倫理学者の使命
現実より強い存在
歌舞伎
~ もとは人形芝居
能役者と人形遣いは努力の方向が逆
◎ 自己の身体性を殺したり活かしたりすることを通して,より一
層堅固で強い自己を生み出すプロセスに着目し,そこに生まれる
芸術様式が能楽であり浄瑠璃である
「現実より強い存在を持ったもの」
不易流行
- 常住不変 型 秩序
日本の文化
- 宗教 倫理
◎「型」という思考枠組み
◇花田清輝
明治維新の無血性
花田清輝
「公家的なものと武家的なもの」
北畠親房と新井白石と勝海舟
公家的な権威による武家的権力の抑制
慈円の非暴力思想「愚管抄」
ますらおぶり と たをやめぶり
武家的なもの と 公家的なもの
◇臨死体験
キューブラー・ロス
「死ぬ瞬間」1971(1969)
レイモンド・ムーディー
「かいま見られた死後の世界」1977(1975)
ケネス・リング
「いまわのきわに見る死の世界」1981(1980)
マイケル・セイム
「あの世からの帰還」1986(1982)
スタニスラフ・グロウ クリスティナ・グロウ
「死を越えて 意識の間」(1980)
宗教画
- 節の世界への切迫した渇望
臨死体験 蘇生
→ この世に着地 帰還 再生
→ あの世へ着地 新軌道
「日本霊異記」
→ 「断食」
☆「宮本常一さん 教育について」 ③【再掲載 2017.5】

◇子供の世界
子ども組・子ども宿
絶対ルール
泣いて帰っても門まで(親は干渉しない)
逢魔が時
逢魔が時には必ず挨拶しなければならない
挨拶がないのは魔物
月夜の晩の楽しみ
= 語り物
教育(宮本)
子どもの世界の喪失
「主体性を持った子供の世界がぐんぐん突き崩されていって,
次第に子供が親に隷属していく形を取り始めた」
土地・故郷を大切に
「明治以来の教育というのは,口ではいろいろなことを言って
いるけれども、そこに住んでいる人たちをその土地からどう
切り離すかということに終始していた」
→ ◎ 古い文化が消えていく
◎ 郷土芸能をカリキュラムに!
親の働いている姿を見る
→ 生きるということ
工夫とか創造とかが消えていっている
→ 空想力・想像力を
子どもの変化
昔の子
どこへおっぽり出されても泣き言は言わない。
何をしておってもすぐに友達ができる。
今の子
電源一本切られると生きていけない
= 一種のかたわ(ママ)
◎大切なのは親が子を突き放すこと
星野哲郎
子どもの川遊び
◎「親が見張りに来るようになったら溺れだした」
= 子どもの連帯感が事故を防いでいた
今回は6月20日に続いて、
「山折哲雄さんはこんなことを」4回目、
「近代日本人の宗教意識」4回目の紹介です。
出版社の案内には、
「日本人にとって宗教とは何か.オウム真理教事件が提起する問題を見
据えながら,著者年来の問題関心とその成果を集成.正岡子規,夏目
漱石,寺田寅彦,宮沢賢治,和辻哲郎,木村泰賢他の言行を検討し,
風土に規定された自然感覚の深奥に横たわる原初的な宗教意識と,そ
の特質を浮彫りにする.日本人の心の深層に新しい角度から光を当て
る労作」
とあります。
読んだ当時は分かったつもりになっていたのですが、
今、要約を見直してもぼんやりとしか思い出せません。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「自己の身体性を殺したり活かしたりすることを通して,より一層堅
固で強い自己を生み出すプロセスに着目し,そこに生まれる芸術様
式が能楽であり浄瑠璃である」
・「『ますらおぶり』と『たをやめぶり』、『武家的なもの』と『公家的
なもの』」
もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一さん 教育について」③を載せます。
NHK教育テレビでの「100分で名著 忘れられた日本人」、
もうすぐ終わります。
☆山折哲雄さんはこんなことを ④-「近代日本人の宗教意識」岩波書店 1996年 (4)
◇ショーペンハウエル
「意志と表象としての世界」
憂鬱の哲人
- ドイツ非合理主義者
[カント学 + 東洋の形而上学的思弁]
→ 嫌疑と不快のまなざしで見つめられた
◎ カントのアポロ的な理性が称えられショーペンハウエルのディ
オニソス的な意志が追放の憂き目にあった
- 理性信仰・論理信仰
◇遍歴する哲学者・巡礼する哲学者
ソクラテス キリスト 孔子 仏陀
→ 和辻哲郎
和辻哲郎「古寺巡礼」1919(大正8)年岩波書店
中野重治「村の家」1934(昭和9)年 父 世間と
倫理の原点
和辻「人間の学としての倫理学」
人々がそこを通り行く道が倫理の根本問題
= 道を究めることが倫理学者の使命
現実より強い存在
歌舞伎
~ もとは人形芝居
能役者と人形遣いは努力の方向が逆
◎ 自己の身体性を殺したり活かしたりすることを通して,より一
層堅固で強い自己を生み出すプロセスに着目し,そこに生まれる
芸術様式が能楽であり浄瑠璃である
「現実より強い存在を持ったもの」
不易流行
- 常住不変 型 秩序
日本の文化
- 宗教 倫理
◎「型」という思考枠組み
◇花田清輝
明治維新の無血性
花田清輝
「公家的なものと武家的なもの」
北畠親房と新井白石と勝海舟
公家的な権威による武家的権力の抑制
慈円の非暴力思想「愚管抄」
ますらおぶり と たをやめぶり
武家的なもの と 公家的なもの
◇臨死体験
キューブラー・ロス
「死ぬ瞬間」1971(1969)
レイモンド・ムーディー
「かいま見られた死後の世界」1977(1975)
ケネス・リング
「いまわのきわに見る死の世界」1981(1980)
マイケル・セイム
「あの世からの帰還」1986(1982)
スタニスラフ・グロウ クリスティナ・グロウ
「死を越えて 意識の間」(1980)
宗教画
- 節の世界への切迫した渇望
臨死体験 蘇生
→ この世に着地 帰還 再生
→ あの世へ着地 新軌道
「日本霊異記」
→ 「断食」
☆「宮本常一さん 教育について」 ③【再掲載 2017.5】

◇子供の世界
子ども組・子ども宿
絶対ルール
泣いて帰っても門まで(親は干渉しない)
逢魔が時
逢魔が時には必ず挨拶しなければならない
挨拶がないのは魔物
月夜の晩の楽しみ
= 語り物
教育(宮本)
子どもの世界の喪失
「主体性を持った子供の世界がぐんぐん突き崩されていって,
次第に子供が親に隷属していく形を取り始めた」
土地・故郷を大切に
「明治以来の教育というのは,口ではいろいろなことを言って
いるけれども、そこに住んでいる人たちをその土地からどう
切り離すかということに終始していた」
→ ◎ 古い文化が消えていく
◎ 郷土芸能をカリキュラムに!
親の働いている姿を見る
→ 生きるということ
工夫とか創造とかが消えていっている
→ 空想力・想像力を
子どもの変化
昔の子
どこへおっぽり出されても泣き言は言わない。
何をしておってもすぐに友達ができる。
今の子
電源一本切られると生きていけない
= 一種のかたわ(ママ)
◎大切なのは親が子を突き放すこと
星野哲郎
子どもの川遊び
◎「親が見張りに来るようになったら溺れだした」
= 子どもの連帯感が事故を防いでいた