生涯一年生教師物語(月刊 少年育成) <子ども受難時代>「54 電話で右翼の脅し」 鹿島和夫 /「復刻版 村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年【再掲載 2015.5】 [読書記録 教育]
今日は11月13日、水曜日です。
今回は、月刊誌「少年育成」(旧刊)より、鹿島和夫さんの
「生涯一年生教師物語-子ども受難時代」を載せます。
もう一つ、再掲載になりますが、宮本常一さんの
「復刻版 村の若者たち」を載せます。
☆生涯一年生教師物語(月刊 少年育成) <子ども受難時代>「54 電話で右翼の脅し」 鹿島和夫
54 電話で右翼の脅し
しばらくは、お父さんは、この学校には、来ないだろうと思った。
というのは、新聞に、お父さんが悪事を働き警察に捕まったと報道
されていたからである。
お父さんは、通行人の老婆と正面衝突をして、36万円を恐喝して巻
き上げた事件を起こし、恐喝罪で捕まったという新聞記事を読んだか
らである。
やはり、人を脅して、お金を取るというのが、お父さんの生業だっ
た。
このことで、しばらくは刑務所に収監されているはずだ。
1988年9月の日曜日、めすらしく、我が家に学校から電話が掛かっ
てきた。
ぼくの知人という人が家の電話を教えてくれといってきたが、どう
したものだろうかという問い合わせだった。
名前を聞くと、恵邦男といい、一家離散のことで相談したいといって
いるといった。
また、あの父親だ。
ぼくは、あの執拗な執念深さに驚き、また、体に震えが起こってくる
のを感じていた。
今度は、何か始まるのだろう。
我が家の電話を教えなかったら、また、学校に乗り込んでくる。
これは、困った。
仕方がなく、教えてもよいと同意をした。
しばらくすると、電話が掛かってきた。
「もしもし、先生でっか」
と嫌悪感を起こさせるあの声は、お父さんに間違いがなかった。
ぼくは、即座に、テープの録音ボタンを押していた。
(以下録音の通りに記述)
恵 「隆司の父親です。友だちが話をしたいというとりますんで、代
わります」
城 「先生、わたしは、恵の親代わりをしているものです。ちょっと
親代わりしてる人間だすけど。まずい話にしたくないから、わ
し、穏やかにものいいますけど」
私 「すいません、親代わりの方お名前は何とおっしゃるんですか?」
城 「城といいますねん。俺は、大阪の愛国誠友会の城や」
私 「あ、何か右翼の方ですか?」
城 「恵がね、この度、これは余分なことですよ。余分なことですが、
大阪刑務所から、この度出てきたわけですわ」
私 「それは、御勤めごくろうさんでした。それで、なんの御用です
か」
城 「率直にいえばね、はっきりいってお金のことなんですよ。まだ、
妻子4人を預けて、一家離散の憂き目にあったわけです。で、
先生が、まあ人並みの生活をされておるんであれば、なんとか
恵のためにね、してやっていただきたいと」
私 「あっ、そういうことですね。つまり、お金が欲しいということ
なんですね」
城 「そういうことなんですよ、単刀直入にいえば。でね、アパート
を借りたり、自活する生活するのね、まあ、こいつもまだ、保
護観察中なんですわ。だから、金がいるんですわ」
私 「以前に、お父さんにお金を渡しましたよ。まだ、いるんですか」
(電話の向こうで、恵が聞いているらしい。何か、怒声が聞こえ
る。『街宣車まわしたろか。家に火つけるていうとけ』など怒
鳴っている)
私 「まだ、どうせえというんですか。火付けたるとか殺したるとか
いうてますが、えらい物騒な事いうて、ぼくを脅しますねんな
あ」
城 「そんなこというてませんで」
私 「よう聞こえてますよ」
城 「ほな、真面目に話しますよ。うちの宣伝カーで、教育委員会へ話
しに行きますわ。それにね、お宅の家の前に行って、スピーカー
で、告発させてもらいます」
(『よめさんも子どもも、どうなるか知らんで』という声が聞える)
私 「なんでそんなことをして、善良な市民を困らしますねん。右翼
の人の活動というのは、社会の悪をくじき、不正を告発し社会
正義のために働くのが、理念ではなかったんじゃないですか。
あなた方は、右翼活動の破壊者になりますよ」
(『ちょっと代われや。わいが、話つけたる』という声が聞えた
と思うと、恵が受話器に出てきた)
恵 「先生、先生がやったことは、法律違反でっせ。ペンの暴力とい
うやつですわ。裁判になったら、先生は、負けまっせ。わしは、
共産党の市会議員やら県警本部の警務課の上田警視、こりゃあ
私の友達やからね。こっちの証拠を見せて、裁判したら、先生
は、たちまちにあげられまっせ」
私 「そんなこというたら、そっちが困るんと違いますか。自分の子
どもが教えてもらっている先生を脅して、カツ上げしただなん
て。右翼の親分が知ったら、組の恥さらしやって怒られるん違
いますか」
恵 「わたしは、先生を脅かしたり脅迫したりしていませんよ。話し
合いをしただけですがな。そんなことした証拠はどこにもおま
へん」
私 「あのね、この電話は、あなたがたのやり取りを、全部録音して
いるんですよ。これを聞いたら、火付けたろかとか、殺したろ
かという言葉が残っています。これは、完全に、暴力罪と脅迫
罪が成立しますよ。なんなら、テープを聞かせてあげましょか」
恵 「何、録音してるってか」
(恵は、城にいっているのが聞えている。『テープに取ってるら
しいぞ』とあわてている様子が伝わってきた。とたんに、ガチ
ャンと電話が切れてしまった)
この事件以後、隆司のお父さんである恵邦男から、いやがらせや恐
喝を受けることはなくなった。
一件落着ということなのだろうか。
あきらめたのだろうか。
でも、ぼくの心中には、またくるはずだと、いつも怯えのようなも
のを感じていた。
この事件から、ぼくは、学校の教師の仕事の内容の多様性と困難性
を認識した。
それも、熱心に心血注いで関われば関わるほど、大きな問題に遭遇
し、地獄の責め苦にも似た困難を経験することになることを知った。
やはり、教師というのは、教室において、子どもと向き合って授業
に勤しんでいるのが、もっとも教師らしい生き方なんだということを
確認した次第である。
教師は、情熱を燃やして過重な仕事をするでない、与えられた仕事
をそつなくこなしていくのが最良の生き方であるということを教えら
れた事件であった。
時は流れ、1990年の秋。
ぼくは、JR神戸駅近くの湊小学校へ転勤していた。
その日は、秋の運動会が開かれる日であった。
ぼくは、児童係として用具の準備に励んでいた。
この学校は、54歳の最高齢の教師に、一番過酷な仕事をさせても平
気な体質の学校であった。
20歳代の時には、児童係として走り回っていたが、40歳代からは、
ほとんどしていなかった係りである。
さすがに、平均台やら跳び箱などの大きな用具を運ぶのは過重労働
となり、疲れを感じていた。
だいたいを運び終えた時、青息吐息で跳び箱の上に座って胸をどき
どきさせながら休憩していた。
すると、そこへ、一人の男がひょっこりひょっこりと近づいてきた
のである。
髪の毛を長髪にしてひげぼうぼう、やせ衰えた顔面に土褐色の肌色、
白いTシャツに薄汚れた作業ズボン、その痩身は、病人を思わせる雰
囲気をかもし出していた。
「先生、ひさしぶりです」
歯のぬけた◇から言葉が出たとき、ぼくは、「あっ?」と声を上げて
しまった。
隆司のお父さんだった。
こんなところまで、追っかけてくるんだ。
唖然として声もでなかった。
なんと執念深い男なんだろう。
ぼくは、あわてて立ち上がった。
「どうして、ここが分ったんですか」
「いいやあ、この学校の近くで部屋借りてまんねんや。鹿島先生が、
ここに来てることを近所の子どもに聞きました」
といいながら、恵は、西の方向を指差した。
「また、なんですか。金ですか。金はでませんで」
今までの恵とのやり取りを思い出しながら、きちんといっておかね
ばと思った。
「いや、わたしは、先生に謝りに来たんですわ。えらい悪いことして
しもうて、先生に迷惑をかけてしまってすまんと思とります。悪事
から足を洗いましたんです」
といって、深々と頭を下げたのである。
恵の目から、意外な言葉が出てきたので、ぼくは驚いたが、これは、
素直に喜んだら、ひどい目にあうかもしれんぞ、慎重に慎重にと自分
に言い聞かせた。
「えらい風向きが変わりましたなあ。どうして、足を洗うようになっ
たんですか」
「この頃は、隆司が大きくなって力も強くて、口も達者。おれに説教
するようになったんですわ。親父、悪いことしたらあかんぞ、悪事
から足を洗えというて、説教ですわ。腕力では、もうかないまへん」
「えらい、気の弱いこというてますなあ。昔とえらい達いですがな」
「わたし病気になりました。もう治らない難病ですわ。癌で体が弱っ
てしまって、ずっと医者に掛かってます。家では寝たっきりなんで
す。それで、隆司に面倒を見てもらってるんです。今は、お医者は
んからの帰りです。この薬、見てください」
といって、恵は、薬袋を差し出して見せた。
何種類の薬が入っているようだった。
「今まで、悪いことばっかりしていたから、神さんから罰を与えられ
たんですわ。それを自業自得というんですよ。そりゃあ、隆司のい
うことを聞かなあきまへんで」
やっと、安心ができたので、ぼくは、説教がましいことをいった。
「そうですなあ。あの子のいうことをきいて、改心せえへんかったら、
わたし、家においてもらえませんねん。飯、食わしてもらわれませ
ん」
「昔は、あんたらが、隆司をほっといて家を出ていきましたがな。隆
司は、病気の親をほっておいとく子どもじゃおまへん。大事にして
くれます。あの子は、天使の使いなんです。お父さんの心を改めよ
うとする天使の使いなんですわ」
「そうですなあ。そんな子どもに、わたしは、暴力を振るってました
んやから。とんでもない親でしたんやなあ。ほんまに、すいません
でした。心から、謝ります」
というや、恵は、よたよたとした足取りで運動場を出て行った。
ぼくは、複雑な思いで、その後姿を見送っていた。
☆「復刻版 村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年【再掲載 2015.5】
◇村に残る若者の苦悶
1 村に残る若者の悲しみ
2 働いても褒められぬ生活
3 村の宿命
明治以前に人口が50万人以上の都市は
… 江戸,名古屋,京都,大阪,堺ぐらい
4 農に従う若者
5 くたびれる生活
6 伸びようと努力しても
7 さびれゆく村
◇せまい世界の余り者
1 狭い世界
二年分の食糧の確保(凶作を恐れて)
山田野理「南部牛追い歌」
- 間引きの話
2 養子の意味
3 余り者
◇二三男のあたらしい生活
1 富める者と貧しき者
島根県田所村「粒々辛苦」田中梅治翁
2 兵隊
3 都会への道
4 村に残る二三男
◇流離する若者たち
1 年季奉公
2 農閑期出稼ぎ
3 援農出稼ぎ
4 イカ吊り
5 肉体労働から技能労働
6 大工の出稼ぎ
7 女中と女工
8 苦学生
◇若者の古い組織
1 若者組
2 年齢階梯制
◇青年の位置の確立へ
1 山本滝之助
2 蓮沼門三
3 戦後の青年運動
4 生産活動への参加
◇明日への道
1 農民芸術の樹立
2 土に芽生えるもの
3 四を新しくするために
4 生産活動への参加
宮本重雄
◇解説 佐野眞一
「今日の日本の教育では,自分たちの住む郷里と東京の他は世界はな
いように思われ,マスコミは全ての人々の目をマスコミに向けさせ
るけれども…」
今回は、月刊誌「少年育成」(旧刊)より、鹿島和夫さんの
「生涯一年生教師物語-子ども受難時代」を載せます。
もう一つ、再掲載になりますが、宮本常一さんの
「復刻版 村の若者たち」を載せます。
☆生涯一年生教師物語(月刊 少年育成) <子ども受難時代>「54 電話で右翼の脅し」 鹿島和夫
54 電話で右翼の脅し
しばらくは、お父さんは、この学校には、来ないだろうと思った。
というのは、新聞に、お父さんが悪事を働き警察に捕まったと報道
されていたからである。
お父さんは、通行人の老婆と正面衝突をして、36万円を恐喝して巻
き上げた事件を起こし、恐喝罪で捕まったという新聞記事を読んだか
らである。
やはり、人を脅して、お金を取るというのが、お父さんの生業だっ
た。
このことで、しばらくは刑務所に収監されているはずだ。
1988年9月の日曜日、めすらしく、我が家に学校から電話が掛かっ
てきた。
ぼくの知人という人が家の電話を教えてくれといってきたが、どう
したものだろうかという問い合わせだった。
名前を聞くと、恵邦男といい、一家離散のことで相談したいといって
いるといった。
また、あの父親だ。
ぼくは、あの執拗な執念深さに驚き、また、体に震えが起こってくる
のを感じていた。
今度は、何か始まるのだろう。
我が家の電話を教えなかったら、また、学校に乗り込んでくる。
これは、困った。
仕方がなく、教えてもよいと同意をした。
しばらくすると、電話が掛かってきた。
「もしもし、先生でっか」
と嫌悪感を起こさせるあの声は、お父さんに間違いがなかった。
ぼくは、即座に、テープの録音ボタンを押していた。
(以下録音の通りに記述)
恵 「隆司の父親です。友だちが話をしたいというとりますんで、代
わります」
城 「先生、わたしは、恵の親代わりをしているものです。ちょっと
親代わりしてる人間だすけど。まずい話にしたくないから、わ
し、穏やかにものいいますけど」
私 「すいません、親代わりの方お名前は何とおっしゃるんですか?」
城 「城といいますねん。俺は、大阪の愛国誠友会の城や」
私 「あ、何か右翼の方ですか?」
城 「恵がね、この度、これは余分なことですよ。余分なことですが、
大阪刑務所から、この度出てきたわけですわ」
私 「それは、御勤めごくろうさんでした。それで、なんの御用です
か」
城 「率直にいえばね、はっきりいってお金のことなんですよ。まだ、
妻子4人を預けて、一家離散の憂き目にあったわけです。で、
先生が、まあ人並みの生活をされておるんであれば、なんとか
恵のためにね、してやっていただきたいと」
私 「あっ、そういうことですね。つまり、お金が欲しいということ
なんですね」
城 「そういうことなんですよ、単刀直入にいえば。でね、アパート
を借りたり、自活する生活するのね、まあ、こいつもまだ、保
護観察中なんですわ。だから、金がいるんですわ」
私 「以前に、お父さんにお金を渡しましたよ。まだ、いるんですか」
(電話の向こうで、恵が聞いているらしい。何か、怒声が聞こえ
る。『街宣車まわしたろか。家に火つけるていうとけ』など怒
鳴っている)
私 「まだ、どうせえというんですか。火付けたるとか殺したるとか
いうてますが、えらい物騒な事いうて、ぼくを脅しますねんな
あ」
城 「そんなこというてませんで」
私 「よう聞こえてますよ」
城 「ほな、真面目に話しますよ。うちの宣伝カーで、教育委員会へ話
しに行きますわ。それにね、お宅の家の前に行って、スピーカー
で、告発させてもらいます」
(『よめさんも子どもも、どうなるか知らんで』という声が聞える)
私 「なんでそんなことをして、善良な市民を困らしますねん。右翼
の人の活動というのは、社会の悪をくじき、不正を告発し社会
正義のために働くのが、理念ではなかったんじゃないですか。
あなた方は、右翼活動の破壊者になりますよ」
(『ちょっと代われや。わいが、話つけたる』という声が聞えた
と思うと、恵が受話器に出てきた)
恵 「先生、先生がやったことは、法律違反でっせ。ペンの暴力とい
うやつですわ。裁判になったら、先生は、負けまっせ。わしは、
共産党の市会議員やら県警本部の警務課の上田警視、こりゃあ
私の友達やからね。こっちの証拠を見せて、裁判したら、先生
は、たちまちにあげられまっせ」
私 「そんなこというたら、そっちが困るんと違いますか。自分の子
どもが教えてもらっている先生を脅して、カツ上げしただなん
て。右翼の親分が知ったら、組の恥さらしやって怒られるん違
いますか」
恵 「わたしは、先生を脅かしたり脅迫したりしていませんよ。話し
合いをしただけですがな。そんなことした証拠はどこにもおま
へん」
私 「あのね、この電話は、あなたがたのやり取りを、全部録音して
いるんですよ。これを聞いたら、火付けたろかとか、殺したろ
かという言葉が残っています。これは、完全に、暴力罪と脅迫
罪が成立しますよ。なんなら、テープを聞かせてあげましょか」
恵 「何、録音してるってか」
(恵は、城にいっているのが聞えている。『テープに取ってるら
しいぞ』とあわてている様子が伝わってきた。とたんに、ガチ
ャンと電話が切れてしまった)
この事件以後、隆司のお父さんである恵邦男から、いやがらせや恐
喝を受けることはなくなった。
一件落着ということなのだろうか。
あきらめたのだろうか。
でも、ぼくの心中には、またくるはずだと、いつも怯えのようなも
のを感じていた。
この事件から、ぼくは、学校の教師の仕事の内容の多様性と困難性
を認識した。
それも、熱心に心血注いで関われば関わるほど、大きな問題に遭遇
し、地獄の責め苦にも似た困難を経験することになることを知った。
やはり、教師というのは、教室において、子どもと向き合って授業
に勤しんでいるのが、もっとも教師らしい生き方なんだということを
確認した次第である。
教師は、情熱を燃やして過重な仕事をするでない、与えられた仕事
をそつなくこなしていくのが最良の生き方であるということを教えら
れた事件であった。
時は流れ、1990年の秋。
ぼくは、JR神戸駅近くの湊小学校へ転勤していた。
その日は、秋の運動会が開かれる日であった。
ぼくは、児童係として用具の準備に励んでいた。
この学校は、54歳の最高齢の教師に、一番過酷な仕事をさせても平
気な体質の学校であった。
20歳代の時には、児童係として走り回っていたが、40歳代からは、
ほとんどしていなかった係りである。
さすがに、平均台やら跳び箱などの大きな用具を運ぶのは過重労働
となり、疲れを感じていた。
だいたいを運び終えた時、青息吐息で跳び箱の上に座って胸をどき
どきさせながら休憩していた。
すると、そこへ、一人の男がひょっこりひょっこりと近づいてきた
のである。
髪の毛を長髪にしてひげぼうぼう、やせ衰えた顔面に土褐色の肌色、
白いTシャツに薄汚れた作業ズボン、その痩身は、病人を思わせる雰
囲気をかもし出していた。
「先生、ひさしぶりです」
歯のぬけた◇から言葉が出たとき、ぼくは、「あっ?」と声を上げて
しまった。
隆司のお父さんだった。
こんなところまで、追っかけてくるんだ。
唖然として声もでなかった。
なんと執念深い男なんだろう。
ぼくは、あわてて立ち上がった。
「どうして、ここが分ったんですか」
「いいやあ、この学校の近くで部屋借りてまんねんや。鹿島先生が、
ここに来てることを近所の子どもに聞きました」
といいながら、恵は、西の方向を指差した。
「また、なんですか。金ですか。金はでませんで」
今までの恵とのやり取りを思い出しながら、きちんといっておかね
ばと思った。
「いや、わたしは、先生に謝りに来たんですわ。えらい悪いことして
しもうて、先生に迷惑をかけてしまってすまんと思とります。悪事
から足を洗いましたんです」
といって、深々と頭を下げたのである。
恵の目から、意外な言葉が出てきたので、ぼくは驚いたが、これは、
素直に喜んだら、ひどい目にあうかもしれんぞ、慎重に慎重にと自分
に言い聞かせた。
「えらい風向きが変わりましたなあ。どうして、足を洗うようになっ
たんですか」
「この頃は、隆司が大きくなって力も強くて、口も達者。おれに説教
するようになったんですわ。親父、悪いことしたらあかんぞ、悪事
から足を洗えというて、説教ですわ。腕力では、もうかないまへん」
「えらい、気の弱いこというてますなあ。昔とえらい達いですがな」
「わたし病気になりました。もう治らない難病ですわ。癌で体が弱っ
てしまって、ずっと医者に掛かってます。家では寝たっきりなんで
す。それで、隆司に面倒を見てもらってるんです。今は、お医者は
んからの帰りです。この薬、見てください」
といって、恵は、薬袋を差し出して見せた。
何種類の薬が入っているようだった。
「今まで、悪いことばっかりしていたから、神さんから罰を与えられ
たんですわ。それを自業自得というんですよ。そりゃあ、隆司のい
うことを聞かなあきまへんで」
やっと、安心ができたので、ぼくは、説教がましいことをいった。
「そうですなあ。あの子のいうことをきいて、改心せえへんかったら、
わたし、家においてもらえませんねん。飯、食わしてもらわれませ
ん」
「昔は、あんたらが、隆司をほっといて家を出ていきましたがな。隆
司は、病気の親をほっておいとく子どもじゃおまへん。大事にして
くれます。あの子は、天使の使いなんです。お父さんの心を改めよ
うとする天使の使いなんですわ」
「そうですなあ。そんな子どもに、わたしは、暴力を振るってました
んやから。とんでもない親でしたんやなあ。ほんまに、すいません
でした。心から、謝ります」
というや、恵は、よたよたとした足取りで運動場を出て行った。
ぼくは、複雑な思いで、その後姿を見送っていた。
☆「復刻版 村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年【再掲載 2015.5】
◇村に残る若者の苦悶
1 村に残る若者の悲しみ
2 働いても褒められぬ生活
3 村の宿命
明治以前に人口が50万人以上の都市は
… 江戸,名古屋,京都,大阪,堺ぐらい
4 農に従う若者
5 くたびれる生活
6 伸びようと努力しても
7 さびれゆく村
◇せまい世界の余り者
1 狭い世界
二年分の食糧の確保(凶作を恐れて)
山田野理「南部牛追い歌」
- 間引きの話
2 養子の意味
3 余り者
◇二三男のあたらしい生活
1 富める者と貧しき者
島根県田所村「粒々辛苦」田中梅治翁
2 兵隊
3 都会への道
4 村に残る二三男
◇流離する若者たち
1 年季奉公
2 農閑期出稼ぎ
3 援農出稼ぎ
4 イカ吊り
5 肉体労働から技能労働
6 大工の出稼ぎ
7 女中と女工
8 苦学生
◇若者の古い組織
1 若者組
2 年齢階梯制
◇青年の位置の確立へ
1 山本滝之助
2 蓮沼門三
3 戦後の青年運動
4 生産活動への参加
◇明日への道
1 農民芸術の樹立
2 土に芽生えるもの
3 四を新しくするために
4 生産活動への参加
宮本重雄
◇解説 佐野眞一
「今日の日本の教育では,自分たちの住む郷里と東京の他は世界はな
いように思われ,マスコミは全ての人々の目をマスコミに向けさせ
るけれども…」