「二つの憲法」井上ひさし 岩波ブックレット№812 2011年 ③ /「我が子に教える作文教室」清水義範 講談社 2005年 ④(最終)【再掲載 2016.8】 [読書記録 一般]
今日は12月6日、金曜日です。
今回は、12月3日に続いて、井上ひさしさんの
「二つの憲法」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「近代日本とともに誕生した明治期の大日本帝国憲法。戦後、その帝国
憲法を改正して発布された現在の日本国憲法。この二つの憲法はいか
に生まれ、育ち、受けとめられ、議論されてきたのか。何が変わり、
また変わらなかったのか。そもそも憲法って何なんだろうか。
作家井上ひさしがやさしく語る、日本の憲法今むかし。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「憲法という考え方は17世紀末から百年かかって、イギリスの権利
章典やアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言などを経て形成さ
れていったもので、その中身は『権力者の権利の使いすぎに対して
制限を加えるものであった」
・「『日本の兵は強い。しかし、日本の軍幹部は恐れるに足りない』
- マッカーサー」
もう一つ、再掲載になりますが、清水義範さんの
「我が子に教える作文教室」④を載せます。
☆「二つの憲法」井上ひさし 岩波ブックレット№812 2011年 ③
3 戦争から敗戦まで
□「憲法」は権力への対抗手段
◎ 憲法という考え方は17世紀末から百年かかって、イギリスの権
利章典やアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言などを経て形成
されていったもので、その中身は権力者の権利の使いすぎに対して
制限を加えるもの であった
= 権力の集中からその権力をどのように引きはがすかを記した
もの
□明治22(1899)年2月11日
「大日本帝国憲法」
権力へのチェック機能はないに等しく、実体はむしろその逆、
天皇に権力を集中、天皇大権を打ち出した天皇絶対主義の憲法
チェックできないことが悲劇のもと
□恒久平和を願った国際連盟
1926(大正9)年
国際連盟
ウィルソン大統領のもとで(米国)
→ アメリカはモンロー主義を理由に
「パリ不戦条約」戦争放棄に関する条約
日本 1929(昭和4)6.27批准 1929.7月公布
仏外務大臣ブリアンと米国務長官ケロッグ
- 日本も高邁な精神をもっていた
□ポツダム宣言
昭和6(1931)年9月
柳条湖事件をきっかけに50万人の武装開拓団
農地を買って住み着く
昭和7(1932)年3月
満州国建国
昭和8(1933)年2月24日
中国の所有権を42対1で認める
→ 松岡洋右 脱退
のちにイタリア、ドイツも脱退
1936年型ファシズム
議会は動かず国外に於いては軍事力で侵略を繰り返す
ポツダム宣言 「民主主義的傾向ノ復活」項目も
□昭和20年の日本の動き
昭和20(1945)年2月
天皇は7人の重臣を呼び戦争の見通しを聴く
2月の段階で天皇も危惧していた
〇 天皇にとって一番大事なのは「大日本帝国憲法」第1条
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
(天皇制でなくなったらご先祖様に申し訳ない)
→ 軍部がつけ込む
□天皇動座
昭和20(1945)年
6月8日 御前会議
指導層は本土決戦の決意
9日 木戸幸一内大臣が天皇に「和平のための方策」提出
天皇「やってみるがよかろう」
長谷川清治平大将に全国各地査察
→ 長谷川の報告により本式に和平を考え始める
= 統帥権システムが完全に破壊
何の情報も上がってこないし、天皇が何の命
令も下せない
◎ 陸軍省の中堅エリートだけとんでもない考え
ゲリラ戦
マッカーサー
「日本の兵は強い。しかし、日本の軍幹部は恐れるに足りない」
□もう一度ポツダム宣言
モスクワへの中立態度
→ できない
7月26日 ポツダム宣言
7月28日 日本 → 黙殺
アメリカが原爆投下の恐れ
◎ 平和を希求していた日本が戦争に突入したのは?
そうなるべき装置が大日本帝国憲法の中にない
= いかに憲法が大切か!
☆「我が子に教える作文教室」清水義範 講談社 2005年 ④(最終)【再掲載 2016.8】
◇第18回 調査報告文を書ける才能
その子の能力を見据えてそれを伸ばす
◇第19回 読書感想文は書かせるな
読書感想文
= 「良い子ぶりましょう,お利口ぶりましょう」
感想とは本を読んだだけで胸の内に生じるもので…
◇第20回 「本の帯」を作ってみる
気軽に書く
読書感想文は適当に
本の帯のコピー
→ 本の魅力を正しくつかんでそれを人の気をひくように表現する
◇第21回・第22回 よい子の作文でなくていい
エンディング
大人がほっとする
作文を書いてあることの善悪で評価してはならない
◇第23回 物語作りに挑戦
親がはじめの十行を書く
◇第24回 パロディの楽しさ
パロディ
パスティーシュ
もう一つの「桃太郎」をギャグで
◇第26回 作文にユーモアがある時
◇第27回 作文にユーモアがない時
◇第28回 長いものを書ききる
◇第29回 伝わるかどうかの吟味
◇第30回 発表の場を作ってやる
今回は、12月3日に続いて、井上ひさしさんの
「二つの憲法」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「近代日本とともに誕生した明治期の大日本帝国憲法。戦後、その帝国
憲法を改正して発布された現在の日本国憲法。この二つの憲法はいか
に生まれ、育ち、受けとめられ、議論されてきたのか。何が変わり、
また変わらなかったのか。そもそも憲法って何なんだろうか。
作家井上ひさしがやさしく語る、日本の憲法今むかし。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「憲法という考え方は17世紀末から百年かかって、イギリスの権利
章典やアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言などを経て形成さ
れていったもので、その中身は『権力者の権利の使いすぎに対して
制限を加えるものであった」
・「『日本の兵は強い。しかし、日本の軍幹部は恐れるに足りない』
- マッカーサー」
もう一つ、再掲載になりますが、清水義範さんの
「我が子に教える作文教室」④を載せます。
☆「二つの憲法」井上ひさし 岩波ブックレット№812 2011年 ③
3 戦争から敗戦まで
□「憲法」は権力への対抗手段
◎ 憲法という考え方は17世紀末から百年かかって、イギリスの権
利章典やアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言などを経て形成
されていったもので、その中身は権力者の権利の使いすぎに対して
制限を加えるもの であった
= 権力の集中からその権力をどのように引きはがすかを記した
もの
□明治22(1899)年2月11日
「大日本帝国憲法」
権力へのチェック機能はないに等しく、実体はむしろその逆、
天皇に権力を集中、天皇大権を打ち出した天皇絶対主義の憲法
チェックできないことが悲劇のもと
□恒久平和を願った国際連盟
1926(大正9)年
国際連盟
ウィルソン大統領のもとで(米国)
→ アメリカはモンロー主義を理由に
「パリ不戦条約」戦争放棄に関する条約
日本 1929(昭和4)6.27批准 1929.7月公布
仏外務大臣ブリアンと米国務長官ケロッグ
- 日本も高邁な精神をもっていた
□ポツダム宣言
昭和6(1931)年9月
柳条湖事件をきっかけに50万人の武装開拓団
農地を買って住み着く
昭和7(1932)年3月
満州国建国
昭和8(1933)年2月24日
中国の所有権を42対1で認める
→ 松岡洋右 脱退
のちにイタリア、ドイツも脱退
1936年型ファシズム
議会は動かず国外に於いては軍事力で侵略を繰り返す
ポツダム宣言 「民主主義的傾向ノ復活」項目も
□昭和20年の日本の動き
昭和20(1945)年2月
天皇は7人の重臣を呼び戦争の見通しを聴く
2月の段階で天皇も危惧していた
〇 天皇にとって一番大事なのは「大日本帝国憲法」第1条
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
(天皇制でなくなったらご先祖様に申し訳ない)
→ 軍部がつけ込む
□天皇動座
昭和20(1945)年
6月8日 御前会議
指導層は本土決戦の決意
9日 木戸幸一内大臣が天皇に「和平のための方策」提出
天皇「やってみるがよかろう」
長谷川清治平大将に全国各地査察
→ 長谷川の報告により本式に和平を考え始める
= 統帥権システムが完全に破壊
何の情報も上がってこないし、天皇が何の命
令も下せない
◎ 陸軍省の中堅エリートだけとんでもない考え
ゲリラ戦
マッカーサー
「日本の兵は強い。しかし、日本の軍幹部は恐れるに足りない」
□もう一度ポツダム宣言
モスクワへの中立態度
→ できない
7月26日 ポツダム宣言
7月28日 日本 → 黙殺
アメリカが原爆投下の恐れ
◎ 平和を希求していた日本が戦争に突入したのは?
そうなるべき装置が大日本帝国憲法の中にない
= いかに憲法が大切か!
☆「我が子に教える作文教室」清水義範 講談社 2005年 ④(最終)【再掲載 2016.8】
◇第18回 調査報告文を書ける才能
その子の能力を見据えてそれを伸ばす
◇第19回 読書感想文は書かせるな
読書感想文
= 「良い子ぶりましょう,お利口ぶりましょう」
感想とは本を読んだだけで胸の内に生じるもので…
◇第20回 「本の帯」を作ってみる
気軽に書く
読書感想文は適当に
本の帯のコピー
→ 本の魅力を正しくつかんでそれを人の気をひくように表現する
◇第21回・第22回 よい子の作文でなくていい
エンディング
大人がほっとする
作文を書いてあることの善悪で評価してはならない
◇第23回 物語作りに挑戦
親がはじめの十行を書く
◇第24回 パロディの楽しさ
パロディ
パスティーシュ
もう一つの「桃太郎」をギャグで
◇第26回 作文にユーモアがある時
◇第27回 作文にユーモアがない時
◇第28回 長いものを書ききる
◇第29回 伝わるかどうかの吟味
◇第30回 発表の場を作ってやる
山折哲雄さんはこんなことを 27-「宗教の話」朝日新聞社 1997年(6) /「日本例話大全書」有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑨【再掲載 2015.9】 [読書記録 宗教]
今日は12月5日、木曜日です。
今回は、11月25日に続き、
山折哲雄さんはこんなことをの紹介27回目、
「宗教の話」の紹介 6回目です。
出版社の案内には、
「日本人にとって宗教とは何か。宗教学の第一人者が、オウム真理教事
件を機に、宗教と日本人について考えた警醒の書。麻原教祖から親鸞、
蓮如、日蓮まで日本人の宗教心をめぐって、思いのたけを語る。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「聖都エルサレムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、三宗教の
聖地。ユダヤ教の『壁』、キリスト教の『墓』、イスラム教の『岩』」
・「現実の我々は先祖の供養を通して身を慎み先祖の影を意識しつつ道
徳的な生活を送ってきた」
・「民俗芸能の仮面ケモノ系のシシとサルの皺は、サルから翁へを表す
か。顔面に刻まれた皺のシンボルを介して,サルからヒトへの移行もし
くはヒトからサルへの推移を透視した文化か」
・「オカメ顔と般若顔」
もう一つ、再掲載になりますが、
「日本例話大全書」⑨を載せます。
☆山折哲雄さんはこんなことを 27-「宗教の話」朝日新聞社 1997年 (6)
◇「無宗教」と「無の宗教」
□無 空
~ 内在的価値
無限の言葉を繰り返す事による
限りなく沈黙
□聖都エルサレム
三宗教
-ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地
聖都争奪戦争
ユダヤ教の「壁」キリスト教の「墓」イスラム教の「岩」
□近代日本人の仏教理解
① 仏教とキリスト教とのまなざしで 和辻哲郎
② 日本の仏教と日本人の歴史の中にきちんと位置づけせず,先祖
供養と結びついた
仏教
~ 民間信仰として貶めた
現実の我々は先祖の供養を通して身を慎み先祖の影を意
識しつつ道徳的な生活を送ってきた
③ 時代は体験の宗教 感性の宗教に
体験、感性の宗教へ
□合理的仏教の終着駅
宗教の原風景
悲しみの中の共生
悲哀の中の連帯
我々はカミ隠し,ホトケ隠しのゲームを楽しんで,ついに行き着
くところまで行き着いてしまった
= 合理的仏教の終着駅 DNAのリズムだけが
◇変身する
□サルとオニの戦い
「メガネを掛けた出っ歯のサル」
1944年ニューヨークタイムズ
「鬼畜米英」
進化論(退行)と輪廻説(移行)
□猿の詩話と翁の皺
サルの面の方が多い
秀吉
自己を「サル」に擬することにより「自己神化」を試みる
民俗芸能の仮面(4タイプ)
ヒト系 カミ・ホトケ系 ケモノ系 オニ系
ケモノ系
- シシとサル 皺 サルから翁へ
顔面に刻まれた皺のシンボルを介して,サルからヒトへ
の移行もしくはヒトからサルへの推移を透視した文化
- しわ 脱我・変身 心身変容の重要指標
□出口王仁三郎の異趣味
大本教
出口なお
神に魅入られ神になった
王仁三郎
神や仏にあこがれ自己を演出した
- 七福神の変装 弥勒・スサノオノミコト
三十六相八十八種
同行二人
□インディアンの仮面に思う
二次元的構成
二次元 - 現実・仮面世界の異質性断絶性
三次元 - 現実・仮面世界の同質性と連続性
□オカメ・ヒョットコの対幻想
閉口(おかめ)と開口(ヒョットコ)~ 仁王・狛犬も
インド 阿吽(あうん)の考え方
・息を大きく吐き出す ・息を大きく吸う
縄文人の変身願望
遮光器文様土偶「眼」-最も変化しにくい部分
キツネ眼顔の源流
しょうゆ顔の時代
不動明王と歌舞伎の隈取り
様式化された筋肉
- 不動明王の筋肉がモデル
赤子の肌
□オカメ顔と般若顔
日本女性の顔
〇オカメ型
丸顔・頬高・鼻低い ~ かわいらしさ美しさ
〇般若型
下半分が怒り上半分は深い悲しみ ~ 怒りと哀しみ
→ オニに変化
☆「日本例話大全書」有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑨【再掲載 2015.9】
◇思いやりの心
□道元(1200~1253)
ただひたすら座禅する只管打座への道
曹洞宗
父・久我(源)氏 母・藤原氏 = 最上級貴族出身
栄西の建仁寺
→ 中国
→ 宇治に興聖堂、越前に永平寺
□人としての陸軍大臣の器
田中義一(1864~1929)
□勇気づける言葉遣い
徳川頼宣
家康第十子 1619紀伊移封 - 紀州徳川家
□笑いの影に思いやり
柳家金語楼(1901~1972)
□父と子の無言の信頼 源頼信
源頼信・頼義親子 馬泥棒に対して
□立派な負け方 一円
一円(1226~1312) 『沙石集』
□人の過ちを顧みず
加藤嘉明(1563~1631)
□捨て身で部下を救う 山本五十六
山本五十六(1884~1943)
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば
人は動かじ」
□私物化を戒める
岩崎弥太郎(1834~1885)
□社訓に学ぶ人の道 黒沢西蔵(1885~1982)
黒沢西蔵(1885~1982)
北海道製酪販売組合創設 → 雪印乳業
① 正直であること
② 約束は必ず守ること
③ 誰にでも親切であること
④ 先方の都合を優先して考えること
昭和38(1963)年 瀬尾俊三社長
「低・賞・感・微」
頭を低く相手を賞め感謝し微笑する
□テロリストの涙 板垣退助
板垣退助(1837~1919) 1882年けが
1887年テロリストが面接に - 仮出獄の足で
今回は、11月25日に続き、
山折哲雄さんはこんなことをの紹介27回目、
「宗教の話」の紹介 6回目です。
出版社の案内には、
「日本人にとって宗教とは何か。宗教学の第一人者が、オウム真理教事
件を機に、宗教と日本人について考えた警醒の書。麻原教祖から親鸞、
蓮如、日蓮まで日本人の宗教心をめぐって、思いのたけを語る。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「聖都エルサレムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、三宗教の
聖地。ユダヤ教の『壁』、キリスト教の『墓』、イスラム教の『岩』」
・「現実の我々は先祖の供養を通して身を慎み先祖の影を意識しつつ道
徳的な生活を送ってきた」
・「民俗芸能の仮面ケモノ系のシシとサルの皺は、サルから翁へを表す
か。顔面に刻まれた皺のシンボルを介して,サルからヒトへの移行もし
くはヒトからサルへの推移を透視した文化か」
・「オカメ顔と般若顔」
もう一つ、再掲載になりますが、
「日本例話大全書」⑨を載せます。
☆山折哲雄さんはこんなことを 27-「宗教の話」朝日新聞社 1997年 (6)
◇「無宗教」と「無の宗教」
□無 空
~ 内在的価値
無限の言葉を繰り返す事による
限りなく沈黙
□聖都エルサレム
三宗教
-ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地
聖都争奪戦争
ユダヤ教の「壁」キリスト教の「墓」イスラム教の「岩」
□近代日本人の仏教理解
① 仏教とキリスト教とのまなざしで 和辻哲郎
② 日本の仏教と日本人の歴史の中にきちんと位置づけせず,先祖
供養と結びついた
仏教
~ 民間信仰として貶めた
現実の我々は先祖の供養を通して身を慎み先祖の影を意
識しつつ道徳的な生活を送ってきた
③ 時代は体験の宗教 感性の宗教に
体験、感性の宗教へ
□合理的仏教の終着駅
宗教の原風景
悲しみの中の共生
悲哀の中の連帯
我々はカミ隠し,ホトケ隠しのゲームを楽しんで,ついに行き着
くところまで行き着いてしまった
= 合理的仏教の終着駅 DNAのリズムだけが
◇変身する
□サルとオニの戦い
「メガネを掛けた出っ歯のサル」
1944年ニューヨークタイムズ
「鬼畜米英」
進化論(退行)と輪廻説(移行)
□猿の詩話と翁の皺
サルの面の方が多い
秀吉
自己を「サル」に擬することにより「自己神化」を試みる
民俗芸能の仮面(4タイプ)
ヒト系 カミ・ホトケ系 ケモノ系 オニ系
ケモノ系
- シシとサル 皺 サルから翁へ
顔面に刻まれた皺のシンボルを介して,サルからヒトへ
の移行もしくはヒトからサルへの推移を透視した文化
- しわ 脱我・変身 心身変容の重要指標
□出口王仁三郎の異趣味
大本教
出口なお
神に魅入られ神になった
王仁三郎
神や仏にあこがれ自己を演出した
- 七福神の変装 弥勒・スサノオノミコト
三十六相八十八種
同行二人
□インディアンの仮面に思う
二次元的構成
二次元 - 現実・仮面世界の異質性断絶性
三次元 - 現実・仮面世界の同質性と連続性
□オカメ・ヒョットコの対幻想
閉口(おかめ)と開口(ヒョットコ)~ 仁王・狛犬も
インド 阿吽(あうん)の考え方
・息を大きく吐き出す ・息を大きく吸う
縄文人の変身願望
遮光器文様土偶「眼」-最も変化しにくい部分
キツネ眼顔の源流
しょうゆ顔の時代
不動明王と歌舞伎の隈取り
様式化された筋肉
- 不動明王の筋肉がモデル
赤子の肌
□オカメ顔と般若顔
日本女性の顔
〇オカメ型
丸顔・頬高・鼻低い ~ かわいらしさ美しさ
〇般若型
下半分が怒り上半分は深い悲しみ ~ 怒りと哀しみ
→ オニに変化
☆「日本例話大全書」有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑨【再掲載 2015.9】
◇思いやりの心
□道元(1200~1253)
ただひたすら座禅する只管打座への道
曹洞宗
父・久我(源)氏 母・藤原氏 = 最上級貴族出身
栄西の建仁寺
→ 中国
→ 宇治に興聖堂、越前に永平寺
□人としての陸軍大臣の器
田中義一(1864~1929)
□勇気づける言葉遣い
徳川頼宣
家康第十子 1619紀伊移封 - 紀州徳川家
□笑いの影に思いやり
柳家金語楼(1901~1972)
□父と子の無言の信頼 源頼信
源頼信・頼義親子 馬泥棒に対して
□立派な負け方 一円
一円(1226~1312) 『沙石集』
□人の過ちを顧みず
加藤嘉明(1563~1631)
□捨て身で部下を救う 山本五十六
山本五十六(1884~1943)
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば
人は動かじ」
□私物化を戒める
岩崎弥太郎(1834~1885)
□社訓に学ぶ人の道 黒沢西蔵(1885~1982)
黒沢西蔵(1885~1982)
北海道製酪販売組合創設 → 雪印乳業
① 正直であること
② 約束は必ず守ること
③ 誰にでも親切であること
④ 先方の都合を優先して考えること
昭和38(1963)年 瀬尾俊三社長
「低・賞・感・微」
頭を低く相手を賞め感謝し微笑する
□テロリストの涙 板垣退助
板垣退助(1837~1919) 1882年けが
1887年テロリストが面接に - 仮出獄の足で
「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」 石田勝紀 ダイヤモンド社 2023年 ① /「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ⑨【再掲載 2015.9】 [読書記録 教育]
今日は12月4日、水曜日です。
今回は石田勝紀さんの
「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけ
どの処方箋」
1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「1万件を超える『幼児から高校生までの保護者の悩み相談』を受け、
4千人以上の小中高校生に勉強を教えてきた教育者・石田勝紀が送
る、子どもを勉強嫌いにしないための本。子どもに失敗してほしく
ない、教育熱心な人ほど苦悩を抱える大問題への意外な解決法を、
子育てを『動物園型』『牧場型』『サバンナ型』にたとえて解説し
ます。親子のタイプ診断と相性別対処法を使えば、自分から勉強する
子になるのは時間の問題です。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「指示する動物園型か、黙って見守る牧場型か」
・「少しずつ手放していけば自立に向かう」
・「過干渉タイプの親の子は中高生になると一気に反抗し始める」
・「問題なのは牧場の柵を少しずつ広げて『自分のことは自分でする』
という生活能力を身に付けさせ、物事の善悪や危険回避について教
えていた場合」
もう一つ、再掲載になりますが、半藤一利さんの
「昭和史をどう生きたか」⑨を載せます。
☆「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」 石田勝紀 ダイヤモンド社 2023年 ①
◇はじめに
「自分から勉強する子」に育つたった一つの方法は?
「動物園型」と「牧場型」の子育て
~ 子どもの自由な行動範囲が狭いか広いか
「親の理想」より「子どもの才能」優先という考え方
指示する動物園型か、黙って見守る牧場型か
「自分から勉強する子」は人に言われなくても行動できる子
少しずつ手放していけば - 自立
◇勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけ どの原因
◎子育てを3つのステージに例えたら「覚悟が決まった親」が大量発生
□過干渉タイプ
○ 子どもがやることは全部親が決めている
○ 子どもが何かをするときは親が先回りしてなるべく失敗させな
いようにしている
○ 子どもが親の思い通りにならないとイライラして感情的になる
ことがある
- いずれかに当てはまる人は過干渉タイプ
中高生になると一気に反抗し始める
□子どもの成長に合わせて進めよう
◎動物園型
何もしないでぐうたらしているだけでえさをもらえるけれども、
自由のない狭い場所でしか生きられない
◎牧場型
昼間は草原で自由に行動でき、動物舎に帰れば安全・安心が保
たれた寝る場所やえさがある
◎サバンナ型
いちばん自由でどこにでも行けるけれども、危険から身を守り、
自分で水や食べ物を探しながら生きていかなければならない
□子どもが気になってしょうがない親の躓きポイント2つ
① 幼児期に「牧場型」をスタートできず、狭い枠の中に子どもを閉
じ込めて自由を奪ってしまうケース
※ 幼児期以降は本人の自主性に任せ自由に遊ばせる時間が大切
② 中学生になった頃「牧場型」に移行し、行動範囲がうまく広がっ
ていく場合と、うまくいかなくて「動物園型」のままになる場合が
ある
※ 問題なのは牧場の柵を少しずつ広げて、「自分のことは自分
でする」という生活能力を身に付けさせ、物事の善悪や危険回
避について教えていた場合
□例外的な天才タイプはそれにあった関わり方
まれに中学生の頃から未来の森に向かって水からサバンナに出て
いく早熟な子
☆「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ⑨【再掲載 2015.9】
◇無責任論 野坂昭如 昭和5年神奈川県生
□無責任の自嘲性
「世直しの会」野坂昭如 永六輔 小林亜星
押しつけがましくなく余裕があってユーモラス
無責任という記号
「アカ」「右翼」同様
□戦争責任と敗戦責任
法の上で戦争責任は昭和天皇にはない
戦争を避ける努力を精一杯やった
敗戦責任
牟田口康也 富永恭次 乃木大将
責任のグローバル化か
… あまり責任無責任とゴタゴタ言わない
アメリカ弁護士社会
~ かちかちの責任社会 = 一億総監視時代
□繁栄犯罪人
□もっと姿かたちのいい国に
日本は終戦でそれまでの生活の基準を全否定
~ 倹約、慎ましさ
文化そのものを否定
日本には基準が無くなってしまった
「おまえ、金儲けばかり考えちゃいけないよ」とコントロール
してくれる「精神の基準」がなくなってしまった
平和主義・民主主義・個人主義・自由主義
-「主義」と名の付くものを何も考えずに受け入れたことが問題
□「足を知る」感覚
野坂昭如 「自然」
「自然をこれ以上壊さないことにしよう」
今回は石田勝紀さんの
「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけ
どの処方箋」
1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「1万件を超える『幼児から高校生までの保護者の悩み相談』を受け、
4千人以上の小中高校生に勉強を教えてきた教育者・石田勝紀が送
る、子どもを勉強嫌いにしないための本。子どもに失敗してほしく
ない、教育熱心な人ほど苦悩を抱える大問題への意外な解決法を、
子育てを『動物園型』『牧場型』『サバンナ型』にたとえて解説し
ます。親子のタイプ診断と相性別対処法を使えば、自分から勉強する
子になるのは時間の問題です。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「指示する動物園型か、黙って見守る牧場型か」
・「少しずつ手放していけば自立に向かう」
・「過干渉タイプの親の子は中高生になると一気に反抗し始める」
・「問題なのは牧場の柵を少しずつ広げて『自分のことは自分でする』
という生活能力を身に付けさせ、物事の善悪や危険回避について教
えていた場合」
もう一つ、再掲載になりますが、半藤一利さんの
「昭和史をどう生きたか」⑨を載せます。
☆「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」 石田勝紀 ダイヤモンド社 2023年 ①
◇はじめに
「自分から勉強する子」に育つたった一つの方法は?
「動物園型」と「牧場型」の子育て
~ 子どもの自由な行動範囲が狭いか広いか
「親の理想」より「子どもの才能」優先という考え方
指示する動物園型か、黙って見守る牧場型か
「自分から勉強する子」は人に言われなくても行動できる子
少しずつ手放していけば - 自立
◇勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけ どの原因
◎子育てを3つのステージに例えたら「覚悟が決まった親」が大量発生
□過干渉タイプ
○ 子どもがやることは全部親が決めている
○ 子どもが何かをするときは親が先回りしてなるべく失敗させな
いようにしている
○ 子どもが親の思い通りにならないとイライラして感情的になる
ことがある
- いずれかに当てはまる人は過干渉タイプ
中高生になると一気に反抗し始める
□子どもの成長に合わせて進めよう
◎動物園型
何もしないでぐうたらしているだけでえさをもらえるけれども、
自由のない狭い場所でしか生きられない
◎牧場型
昼間は草原で自由に行動でき、動物舎に帰れば安全・安心が保
たれた寝る場所やえさがある
◎サバンナ型
いちばん自由でどこにでも行けるけれども、危険から身を守り、
自分で水や食べ物を探しながら生きていかなければならない
□子どもが気になってしょうがない親の躓きポイント2つ
① 幼児期に「牧場型」をスタートできず、狭い枠の中に子どもを閉
じ込めて自由を奪ってしまうケース
※ 幼児期以降は本人の自主性に任せ自由に遊ばせる時間が大切
② 中学生になった頃「牧場型」に移行し、行動範囲がうまく広がっ
ていく場合と、うまくいかなくて「動物園型」のままになる場合が
ある
※ 問題なのは牧場の柵を少しずつ広げて、「自分のことは自分
でする」という生活能力を身に付けさせ、物事の善悪や危険回
避について教えていた場合
□例外的な天才タイプはそれにあった関わり方
まれに中学生の頃から未来の森に向かって水からサバンナに出て
いく早熟な子
☆「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ⑨【再掲載 2015.9】
◇無責任論 野坂昭如 昭和5年神奈川県生
□無責任の自嘲性
「世直しの会」野坂昭如 永六輔 小林亜星
押しつけがましくなく余裕があってユーモラス
無責任という記号
「アカ」「右翼」同様
□戦争責任と敗戦責任
法の上で戦争責任は昭和天皇にはない
戦争を避ける努力を精一杯やった
敗戦責任
牟田口康也 富永恭次 乃木大将
責任のグローバル化か
… あまり責任無責任とゴタゴタ言わない
アメリカ弁護士社会
~ かちかちの責任社会 = 一億総監視時代
□繁栄犯罪人
□もっと姿かたちのいい国に
日本は終戦でそれまでの生活の基準を全否定
~ 倹約、慎ましさ
文化そのものを否定
日本には基準が無くなってしまった
「おまえ、金儲けばかり考えちゃいけないよ」とコントロール
してくれる「精神の基準」がなくなってしまった
平和主義・民主主義・個人主義・自由主義
-「主義」と名の付くものを何も考えずに受け入れたことが問題
□「足を知る」感覚
野坂昭如 「自然」
「自然をこれ以上壊さないことにしよう」
「二つの憲法」井上ひさし 岩波ブックレット№812 2011年 ② /「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号(後半)【再掲載 2017.1】 [読書記録 一般]
今日は12月3日、火曜日です。
今回は、11月21日に続いて、井上ひさしさんの
「二つの憲法」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「近代日本とともに誕生した明治期の大日本帝国憲法。戦後、その帝国
憲法を改正して発布された現在の日本国憲法。この二つの憲法はいか
に生まれ、育ち、受けとめられ、議論されてきたのか。何が変わり、
また変わらなかったのか。そもそも憲法って何なんだろうか。
作家井上ひさしがやさしく語る、日本の憲法今むかし。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「伊藤博文は『我が国において基軸にすべきは、ひとり皇室あるのみ』
だから皇室を宗教にするしかないと考え、博文は皇室を宗教としよ
うと決心して草案を作った」
・「大日本帝国憲法の『第二章 臣民権利義務』には、権利については
全部に但し書きがある。民権を表に出しているがすべて制限されて
いる」
・「吉野作造の論文-『見せかけの立憲君主制を中身のあるものにする
ためには国民が勉強して知識道徳のレベルが高くならないといけな
い』大正5(1916)年『中央公論』1月号」
もう一つ、再掲載になりますが、
「土のいろ」集成 第11巻101~106号(後半)を載せます。
☆「二つの憲法」井上ひさし 岩波ブックレット№812 2011年 ②
2 大日本帝国憲法ができるまで
明治維新
宮島誠一郎(左院の小議官儀制課長)の「立国憲議」
「我が国はずっと君主独裁であり、そして人民は○○であ
る」
君主独裁が基本
= 立法府の考え 左院(板垣、西郷、後藤)
宮島「立国憲議」を
1881(明14) 岩倉具視に提出
1883(明治16)伊藤博文に提出
元老院に対する勅語
「建国ノ体ニ基キ」「広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シ」
① 黒田清隆
絶対君主制でいい
② 大隈重信ら
妥協しながら憲法を作り後に立憲君主制に転換
③ 伊藤、井上毅ら
立憲君主制の形をとり内容は絶対君主制
伊藤博文の憲法調査
明治14年(1811)植木枝盛「日本国国憲集」
人権宣言そのものの平等思想
金子堅太郎「伊藤公を語る」
国体は?
伊藤博文
「枢密における憲法制定の根本精神についての○○」
「我が国において基軸にすべきは、ひとり皇室あるのみ」
→ 皇室を宗教にするしかない!
◎ 近代日本はオウム真理教だったのではないか
|
博文は皇室を宗教としようと決心して草案を作った
草案の中身は君権を基軸
「大日本帝国憲法」発布
明治22(1899)年2月11日発布 「やまと新聞」付録
◎「読本憲法の百年」作品社 全三巻
第一章 天皇
天皇の大権多数 - 君権基軸
第二章 臣民権利義務
権利については全部に但し書き
民権を表に出しているがすべて制限されている
第三章 帝国議会
三権分立せず天皇一人にすべての権力が集中
= 絶対君主制
田中正造の質問趣意書
明治34(1901)年3.24 演説
吉野作造の論文
大正5(1916)年「中央公論」1月号
「見せかけの立憲君主制を中身のあるものにするためには
国民が勉強して知識道徳のレベルが高くならないといけ
ない」
まとめ
大切 フランス革命「人権宣言」第16条
◎ 近代憲法は「国民の権利の保障」と「権力の分立の確
保」が明記されていなければいけない。個人の尊厳が守
られないときは、実力行使による抵抗権がある
伊藤
「仏教でも神道でもない、天皇自体を神さまにし、宗教に
して国の憲法をつくっていこう」
天皇
= 生き神様
制限付きの国民の権利
(天皇が作った法律の範囲で)
= 形骸化した立憲君主制
吉野作造
「国民が勉強して知識道徳のレベルを高め、実のある
立憲君主制に変更していこう」という考え方が表れ
ている
☆「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号(後半)【再掲載 2017.1】
◇復刊第23号 通刊106号 昭和39年5月
□「麁玉」「伎部」私考(1) 山口直蔵
麁玉川
「和名抄」937年
麁玉郡中の郷名
三宅・碧田・赤狭・霜田
豊田郡 長上郡
内山真龍
「遠江国風土記伝」(1799年完成)
浜北市宮口付近に池 - ここから発する麁玉河が
積志村を貫通して市街地の東と芳川に
「大池」有宮口南。囲凡十五町。今有玉川源地
◎麁玉河は現天龍川と断定したい
-「更級日記」1059年「天ちう」
真淵 「天の中川」
天龍川
~ かつては小さい幾条かの川の集合したものか?
嘉応3年には「天龍川」
この川を統合した名前?
源光行「海道記」には天龍川が天中川とある
「続日本紀」
霊亀元年五月遠江国地震山崩麁玉河水為不流潰没
敷知・長下・石田三郷 715年
長下は709年長田郡を長上郡と長下郡に二分
□伎部 古語の上で「伎」 城・柵・綺
東国は遠江より以東
(大化の改新)
源平
鎌倉時代まで館の形
関東
早くから仏教と高麗・百済人を多量に移して文化と宗教を植え続け
ている
古代の為政者は平和を理想として文化国家に基盤をおいた政治
= 武力的な威圧はない 仏法による統治
◎ 理想政治 城の必要をいれていない
諸国には常備兵はいなかった
九州・奥羽地方の整備以外は城がなかった
□やいかがしもそうそう 川見駒太郎
やいかがし(焼嗅)
= 節分の夜,鰯の頭,葱などを焼いて串に刺し戸口や窓の外
側にさすこと
= 追儺式,おにやらい
~ やいかがしの転化が「かかし」
□参遠ところどころ 須藤功
□大手前から成子坂まで 須部弥一郎
駅前
大米屋旅館 花屋旅館 池谷鰻店
遠州銀行(当時西遠銀行)
山葉オルガン工場
大安寺下
市川写真館 - 瀬堂凧店
肴町
松作商店・間淵屋酒店・植村屋紙店・澤木麻店
名物 = 長谷川餅
鍛冶町通り
丸八陶器店
◎ 「遠州浜松広いようで狭い。横に車が二丁立たぬ」
鍛治町北側
小松屋・国領屋の商人宿
金井屋呉服店 丸三洋品店
木吉屋商店 ~ 浜松隋一の金融業 - 借家千軒
殿岡 ぬいや 新若森-下駄店 松月菓子店
都築商店 豊富な青果店
□郵便こぼれ話 鈴木犀十郎
□庚申講偶感 袴田鷹邨
今回は、11月21日に続いて、井上ひさしさんの
「二つの憲法」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「近代日本とともに誕生した明治期の大日本帝国憲法。戦後、その帝国
憲法を改正して発布された現在の日本国憲法。この二つの憲法はいか
に生まれ、育ち、受けとめられ、議論されてきたのか。何が変わり、
また変わらなかったのか。そもそも憲法って何なんだろうか。
作家井上ひさしがやさしく語る、日本の憲法今むかし。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「伊藤博文は『我が国において基軸にすべきは、ひとり皇室あるのみ』
だから皇室を宗教にするしかないと考え、博文は皇室を宗教としよ
うと決心して草案を作った」
・「大日本帝国憲法の『第二章 臣民権利義務』には、権利については
全部に但し書きがある。民権を表に出しているがすべて制限されて
いる」
・「吉野作造の論文-『見せかけの立憲君主制を中身のあるものにする
ためには国民が勉強して知識道徳のレベルが高くならないといけな
い』大正5(1916)年『中央公論』1月号」
もう一つ、再掲載になりますが、
「土のいろ」集成 第11巻101~106号(後半)を載せます。
☆「二つの憲法」井上ひさし 岩波ブックレット№812 2011年 ②
2 大日本帝国憲法ができるまで
明治維新
宮島誠一郎(左院の小議官儀制課長)の「立国憲議」
「我が国はずっと君主独裁であり、そして人民は○○であ
る」
君主独裁が基本
= 立法府の考え 左院(板垣、西郷、後藤)
宮島「立国憲議」を
1881(明14) 岩倉具視に提出
1883(明治16)伊藤博文に提出
元老院に対する勅語
「建国ノ体ニ基キ」「広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シ」
① 黒田清隆
絶対君主制でいい
② 大隈重信ら
妥協しながら憲法を作り後に立憲君主制に転換
③ 伊藤、井上毅ら
立憲君主制の形をとり内容は絶対君主制
伊藤博文の憲法調査
明治14年(1811)植木枝盛「日本国国憲集」
人権宣言そのものの平等思想
金子堅太郎「伊藤公を語る」
国体は?
伊藤博文
「枢密における憲法制定の根本精神についての○○」
「我が国において基軸にすべきは、ひとり皇室あるのみ」
→ 皇室を宗教にするしかない!
◎ 近代日本はオウム真理教だったのではないか
|
博文は皇室を宗教としようと決心して草案を作った
草案の中身は君権を基軸
「大日本帝国憲法」発布
明治22(1899)年2月11日発布 「やまと新聞」付録
◎「読本憲法の百年」作品社 全三巻
第一章 天皇
天皇の大権多数 - 君権基軸
第二章 臣民権利義務
権利については全部に但し書き
民権を表に出しているがすべて制限されている
第三章 帝国議会
三権分立せず天皇一人にすべての権力が集中
= 絶対君主制
田中正造の質問趣意書
明治34(1901)年3.24 演説
吉野作造の論文
大正5(1916)年「中央公論」1月号
「見せかけの立憲君主制を中身のあるものにするためには
国民が勉強して知識道徳のレベルが高くならないといけ
ない」
まとめ
大切 フランス革命「人権宣言」第16条
◎ 近代憲法は「国民の権利の保障」と「権力の分立の確
保」が明記されていなければいけない。個人の尊厳が守
られないときは、実力行使による抵抗権がある
伊藤
「仏教でも神道でもない、天皇自体を神さまにし、宗教に
して国の憲法をつくっていこう」
天皇
= 生き神様
制限付きの国民の権利
(天皇が作った法律の範囲で)
= 形骸化した立憲君主制
吉野作造
「国民が勉強して知識道徳のレベルを高め、実のある
立憲君主制に変更していこう」という考え方が表れ
ている
☆「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号(後半)【再掲載 2017.1】
◇復刊第23号 通刊106号 昭和39年5月
□「麁玉」「伎部」私考(1) 山口直蔵
麁玉川
「和名抄」937年
麁玉郡中の郷名
三宅・碧田・赤狭・霜田
豊田郡 長上郡
内山真龍
「遠江国風土記伝」(1799年完成)
浜北市宮口付近に池 - ここから発する麁玉河が
積志村を貫通して市街地の東と芳川に
「大池」有宮口南。囲凡十五町。今有玉川源地
◎麁玉河は現天龍川と断定したい
-「更級日記」1059年「天ちう」
真淵 「天の中川」
天龍川
~ かつては小さい幾条かの川の集合したものか?
嘉応3年には「天龍川」
この川を統合した名前?
源光行「海道記」には天龍川が天中川とある
「続日本紀」
霊亀元年五月遠江国地震山崩麁玉河水為不流潰没
敷知・長下・石田三郷 715年
長下は709年長田郡を長上郡と長下郡に二分
□伎部 古語の上で「伎」 城・柵・綺
東国は遠江より以東
(大化の改新)
源平
鎌倉時代まで館の形
関東
早くから仏教と高麗・百済人を多量に移して文化と宗教を植え続け
ている
古代の為政者は平和を理想として文化国家に基盤をおいた政治
= 武力的な威圧はない 仏法による統治
◎ 理想政治 城の必要をいれていない
諸国には常備兵はいなかった
九州・奥羽地方の整備以外は城がなかった
□やいかがしもそうそう 川見駒太郎
やいかがし(焼嗅)
= 節分の夜,鰯の頭,葱などを焼いて串に刺し戸口や窓の外
側にさすこと
= 追儺式,おにやらい
~ やいかがしの転化が「かかし」
□参遠ところどころ 須藤功
□大手前から成子坂まで 須部弥一郎
駅前
大米屋旅館 花屋旅館 池谷鰻店
遠州銀行(当時西遠銀行)
山葉オルガン工場
大安寺下
市川写真館 - 瀬堂凧店
肴町
松作商店・間淵屋酒店・植村屋紙店・澤木麻店
名物 = 長谷川餅
鍛冶町通り
丸八陶器店
◎ 「遠州浜松広いようで狭い。横に車が二丁立たぬ」
鍛治町北側
小松屋・国領屋の商人宿
金井屋呉服店 丸三洋品店
木吉屋商店 ~ 浜松隋一の金融業 - 借家千軒
殿岡 ぬいや 新若森-下駄店 松月菓子店
都築商店 豊富な青果店
□郵便こぼれ話 鈴木犀十郎
□庚申講偶感 袴田鷹邨
「責めず比べず思い出さず」高田明和 コスモ21 2011年 (後) /「一人恐怖に強迫される若者たち-彼らは,ケータイを介して常時接続しあい,互いの存在を確認しあっている」 土井隆義 筑波大学大学院人文社会科学研突科教授 『月刊少年育成』2009.2③【再掲載 2016.7】 [読書記録 一般]
今日は12月2日、月曜日です。
今回は、11月22日に続き、高田明和さんの
「責めず、比べず、思い出さず」2回目(後)の紹介です。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「責めず、比べず、思い出さず」
・「困ったことは起こらない。すべてはよくなる。嫌な過去は思い出さ
ない、考えない。」
・「呼吸だけが自分の意志で変えられる。ゆっくり呼吸しよう。」
もう一つ、再掲載になりますが、土井隆義さんの
「一人恐怖に強迫される若者たち」③を載せます。
ケータイがスマホに変わりSNSが広がってからも、
この傾向はさらに強まっているようにわたしは感じます。
☆「責めず比べず思い出さず」高田明和 コスモ21 2011年 (後)
◇幸せになれる「プラスの言葉遣い」
いろいろな脳の働き
ミラー細胞の不思議
相手の行為と同じものを写す
~ ミラー
ミラー細胞の活動で意識が変わる
ミラー細胞は人の影響を受けたり、与えたりする細胞
脳科学で解明された言葉と脳の関係
なぜよい言葉が必要なのか
→ ドーパミン エンドルフィン
(1)責めず、比べず、思い出さず
堀口大学「座右銘」
-「暮らしは分が大事です 気楽が何より薬です」
= とにかく思い出さない
(2)困ったことは起こらない
(3)すべてはよくなる
(4)嫌な過去は思い出さない、考えない
山田無文老師
「良いことも悪いことも考えないようにしよう」
(5)困難は悪魔の嫉妬-後で大きな幸運に恵まれる
(6)念を継がない
- 何かを思って発展させない
(7)陰徳は耳鳴りの如し
- 人の知らないところで功徳を!
[徳を積む]+[特を損なわない]
功徳は人の為ではない
(8)一寸の線香 一寸の仏
一体
「一寸の線香 一寸の仏
寸寸積みなす 丈六の仏
三十二相 六十種
自然に荘厳す 本来の人」
天龍寺241世・関牧翁老師
「苦しいことは早く飛び込めば早く抜けられる」
◇呼吸を変えるだけで心の平安と健康が得られる
呼吸を変えると癒やされ苦しまないで生きられる
自分の意志ではどうにもならない自律神経
◎ 呼吸だけが自分の意志で変えられる
ゆっくり呼吸しよう
呼吸はあなたの「気」を鍛える
気を極めた山岡鉄船の話
呼吸はできるだけ長くすることが大切
吐く息は長く吸う息は軽く
呼吸法の実践 まずは瞑想から
体感覚心法を詳しく観察し悩みや苦しみを減らす
- ヴィパッサナーの瞑想法
悩みや苦しみを減らすヴィパッサナーの瞑想法
身念処
→ 自分の体の部分に注意
→ 自己報告
例 : 「今右手がある」「今左手がある」
◎ 体を動かし自己報告していると他のことを考えな
くなる。また、感覚も鋭くなる。無明は馬鹿ともい
えるのかもしれない。考えるから馬鹿になる。
考えることが煩悩になる
四念処
→ [体][感覚][心][宇宙の真理]に目を向ける
禅の呼吸法も「考えない」工夫
「む-」「む-」
この呼吸法で「無」の境地に
◇座禅で「無の境地」になり本来の能力に目覚める
座禅の目的は「考えない」こと
ものすごい座禅の威力
座禅で本来の能力が全開する
線香一本分座禅
三昧
般若心経と観音経
☆「一人恐怖に強迫される若者たち-彼らは,ケータイを介して常時接続しあい,互いの存在を確認しあっている」 土井隆義 筑波大学大学院人文社会科学研突科教授 『月刊少年育成』2009.2③【再掲載 2016.7】
3.同質的な仲間で閉じた世界
多様性の時代には、あらゆる価値項目が等価に並び、従来のような序
列性が失われる。
知識や能力にも明確な優劣の基準が見出せないから、自己に評価を下
す相手は、超越的な他者ではなく、自分と対等な他者になる。
仲間集団からは階層性が失われ、若者たちは互いに対等な立場で評価
を下しあおうとする。
「上から目線」を彼らが極端に嫌悪するのもそのためだろう。
また、仲間内の評価だけではなく、大人から受ける評価についても、
メンタルには対等な他者からのものと感受されるようになる。
こうして、たとえば学校においても、教師と生徒は対等だという意識
が広まっていく。
この地平に、抑圧的な大人という敵はもはや存在しえない。
若者たちのあいだに共通の敵が想定されていれば、彼らの関心の眼差
しはみな一様にそちらへ向けられるから、自分たちの人間関係のあり方
それ自体がクローズアップされることはさほど多くない。
しかし、そのような共通の敵を見失った世界では、その抑圧に対する
反動形成として共有された対抗文化もまた衰退していく。
かくして、若者たちのあいだに共通の関心事は成立しづらくなり、そ
の眼差しが注がれる対象も外部には見出せなくなっていく。
共有された眼差しの対象として最後に残されるのは、互いの関係性そ
れ自体である。
ところが、そこで営まれる関係性とは、自らの肯定感を維持していく
ために唯一の基盤となってくれるものである。
もはや一人で立つことが困難になった自分にとって唯一の支えとなっ
てくれるものである。
だから、そこでは、できるだけ自己承認を得やすい同質的な他者が求
められがちになってしまう。
前回も指摘したように、あらかじめ客観的な評価の物差しがそこに存
在するわけではなく、他者がどのような反応を示すかは前もって予想し
づらいから、人間関係にも安全パイが求められ、できるだけ同質の人間
だけと結びつこうとするのである。
他方、異質な人間とは、適度な距離をもって付き合ったり、あるいは
対決を試みたりするのではなく、そもそも最初から認識対象の圏外へと
押し出してしまおうとする。
自分の内部に確固たる肯定感の基盤があって自己が安定していれば、
異質な人間とも接触を保ちつづけ、場合によっては対立を表明すること
もできよう。
しかし、いまはその基盤を自分の内部にもちえず、入閣関係に対して
依存的になっているために、そこに立ち現われる異質な他者は、自己肯
定感の基盤を根底から揺さぶってしまうのである。
このような事情を鑑みれば、自分にとって異質な人間を認識の圏外へ
と追いやり、同質な相手だけと接続しあおうとする今日の若者たちの心
性は、一般によく言われるようなケータイの普及によって広まった現象
ではない。
しかし、そのような志向を示す人たちにとって、ケータイを端末とす
るネット環境が、きわめて好都合な世界であることは事実だろう。
ケータイのおかげで、いまや私たちは、いつどこにいても、自分が繋
がりたい相手だけと即座に繋がりあうことができるようになっているか
らである。
現在のようなネット環境がととのう以前は、時間と空間を隔てた相手
とコミュニケーションをとるための手段がかなり限られていた。
理想の相手と繋がりあうためには、自分にとって不都合な人間とのコ
ミュニケーションも途中で経由しなければならなかった。
たとえば、中学時代の私などは、ガールフレンドの自宅へ電話をかけ
るとき、
「あの怖そうな父親が出たらどうしよう」
と緊張しながらダイヤルを回したものである。
自分にとって心地よい人間関係を築くためには、同時に不都合な人間
とも否応なく付き合わざるをえなかった。
しかし、近年は、異質な人びとが時間と空間の制約を超えて、互いに
繋がりあうことを技術的に可能にしたネットという革新的なシステムが、
逆に、同質な人びとが時間と空間の制約を超えて、互いに繋がりあうこ
とを容易にする手段として、実質的には機能するようになっている。
ネット空間へと聞かれたケータイの小さな窓を覗き込むことで、面倒
で不都合な人間といっさい触れ合うことなく、自分にとって心地よい相
手だけと即座に人間関係を築くことができるようになっている。
たとえば、近年の若者たちのあいだでは、地元つながりによる人間関
係への依存が強まっている。
高校へ進学したり就職したりして生活圏が拡大し、雑多な人間と付き
合わざるをえなくなった場合でも、中学時代までの人間関係をそのまま
ずっと緊密に保ち、その地元つながりを中心に日常生活を営もうとする
傾向が強まっている。
時間や場所や相手の都合を気にせずに互いに繋がりあえるケータイ・
メールを駆使することで、それが実際に容易になっているのである。
では、ケータイという文明の利器を駆使することで、今日の若者たち
は一人恐怖から解放されているのだろうか。
前回も述べたように、けっしてそうではない。
同質な人間との常時接続を可能にしてくれるケータイは、一人恐怖を
解消してくれる便利なツールのように見えて、じつはそのように機能し
てはいない。
ケータイ自体はニュートラルな装置だから、使われ方しだいで、逆に
一人恐怖を煽るツールとしても機能しうる。
じっさい、秋葉原で事件を起こした青年にとって、ケータイは自己の
疎外感を強めるツールヘと変貌してしまっていた。
今回は、11月22日に続き、高田明和さんの
「責めず、比べず、思い出さず」2回目(後)の紹介です。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「責めず、比べず、思い出さず」
・「困ったことは起こらない。すべてはよくなる。嫌な過去は思い出さ
ない、考えない。」
・「呼吸だけが自分の意志で変えられる。ゆっくり呼吸しよう。」
もう一つ、再掲載になりますが、土井隆義さんの
「一人恐怖に強迫される若者たち」③を載せます。
ケータイがスマホに変わりSNSが広がってからも、
この傾向はさらに強まっているようにわたしは感じます。
☆「責めず比べず思い出さず」高田明和 コスモ21 2011年 (後)
◇幸せになれる「プラスの言葉遣い」
いろいろな脳の働き
ミラー細胞の不思議
相手の行為と同じものを写す
~ ミラー
ミラー細胞の活動で意識が変わる
ミラー細胞は人の影響を受けたり、与えたりする細胞
脳科学で解明された言葉と脳の関係
なぜよい言葉が必要なのか
→ ドーパミン エンドルフィン
(1)責めず、比べず、思い出さず
堀口大学「座右銘」
-「暮らしは分が大事です 気楽が何より薬です」
= とにかく思い出さない
(2)困ったことは起こらない
(3)すべてはよくなる
(4)嫌な過去は思い出さない、考えない
山田無文老師
「良いことも悪いことも考えないようにしよう」
(5)困難は悪魔の嫉妬-後で大きな幸運に恵まれる
(6)念を継がない
- 何かを思って発展させない
(7)陰徳は耳鳴りの如し
- 人の知らないところで功徳を!
[徳を積む]+[特を損なわない]
功徳は人の為ではない
(8)一寸の線香 一寸の仏
一体
「一寸の線香 一寸の仏
寸寸積みなす 丈六の仏
三十二相 六十種
自然に荘厳す 本来の人」
天龍寺241世・関牧翁老師
「苦しいことは早く飛び込めば早く抜けられる」
◇呼吸を変えるだけで心の平安と健康が得られる
呼吸を変えると癒やされ苦しまないで生きられる
自分の意志ではどうにもならない自律神経
◎ 呼吸だけが自分の意志で変えられる
ゆっくり呼吸しよう
呼吸はあなたの「気」を鍛える
気を極めた山岡鉄船の話
呼吸はできるだけ長くすることが大切
吐く息は長く吸う息は軽く
呼吸法の実践 まずは瞑想から
体感覚心法を詳しく観察し悩みや苦しみを減らす
- ヴィパッサナーの瞑想法
悩みや苦しみを減らすヴィパッサナーの瞑想法
身念処
→ 自分の体の部分に注意
→ 自己報告
例 : 「今右手がある」「今左手がある」
◎ 体を動かし自己報告していると他のことを考えな
くなる。また、感覚も鋭くなる。無明は馬鹿ともい
えるのかもしれない。考えるから馬鹿になる。
考えることが煩悩になる
四念処
→ [体][感覚][心][宇宙の真理]に目を向ける
禅の呼吸法も「考えない」工夫
「む-」「む-」
この呼吸法で「無」の境地に
◇座禅で「無の境地」になり本来の能力に目覚める
座禅の目的は「考えない」こと
ものすごい座禅の威力
座禅で本来の能力が全開する
線香一本分座禅
三昧
般若心経と観音経
☆「一人恐怖に強迫される若者たち-彼らは,ケータイを介して常時接続しあい,互いの存在を確認しあっている」 土井隆義 筑波大学大学院人文社会科学研突科教授 『月刊少年育成』2009.2③【再掲載 2016.7】
3.同質的な仲間で閉じた世界
多様性の時代には、あらゆる価値項目が等価に並び、従来のような序
列性が失われる。
知識や能力にも明確な優劣の基準が見出せないから、自己に評価を下
す相手は、超越的な他者ではなく、自分と対等な他者になる。
仲間集団からは階層性が失われ、若者たちは互いに対等な立場で評価
を下しあおうとする。
「上から目線」を彼らが極端に嫌悪するのもそのためだろう。
また、仲間内の評価だけではなく、大人から受ける評価についても、
メンタルには対等な他者からのものと感受されるようになる。
こうして、たとえば学校においても、教師と生徒は対等だという意識
が広まっていく。
この地平に、抑圧的な大人という敵はもはや存在しえない。
若者たちのあいだに共通の敵が想定されていれば、彼らの関心の眼差
しはみな一様にそちらへ向けられるから、自分たちの人間関係のあり方
それ自体がクローズアップされることはさほど多くない。
しかし、そのような共通の敵を見失った世界では、その抑圧に対する
反動形成として共有された対抗文化もまた衰退していく。
かくして、若者たちのあいだに共通の関心事は成立しづらくなり、そ
の眼差しが注がれる対象も外部には見出せなくなっていく。
共有された眼差しの対象として最後に残されるのは、互いの関係性そ
れ自体である。
ところが、そこで営まれる関係性とは、自らの肯定感を維持していく
ために唯一の基盤となってくれるものである。
もはや一人で立つことが困難になった自分にとって唯一の支えとなっ
てくれるものである。
だから、そこでは、できるだけ自己承認を得やすい同質的な他者が求
められがちになってしまう。
前回も指摘したように、あらかじめ客観的な評価の物差しがそこに存
在するわけではなく、他者がどのような反応を示すかは前もって予想し
づらいから、人間関係にも安全パイが求められ、できるだけ同質の人間
だけと結びつこうとするのである。
他方、異質な人間とは、適度な距離をもって付き合ったり、あるいは
対決を試みたりするのではなく、そもそも最初から認識対象の圏外へと
押し出してしまおうとする。
自分の内部に確固たる肯定感の基盤があって自己が安定していれば、
異質な人間とも接触を保ちつづけ、場合によっては対立を表明すること
もできよう。
しかし、いまはその基盤を自分の内部にもちえず、入閣関係に対して
依存的になっているために、そこに立ち現われる異質な他者は、自己肯
定感の基盤を根底から揺さぶってしまうのである。
このような事情を鑑みれば、自分にとって異質な人間を認識の圏外へ
と追いやり、同質な相手だけと接続しあおうとする今日の若者たちの心
性は、一般によく言われるようなケータイの普及によって広まった現象
ではない。
しかし、そのような志向を示す人たちにとって、ケータイを端末とす
るネット環境が、きわめて好都合な世界であることは事実だろう。
ケータイのおかげで、いまや私たちは、いつどこにいても、自分が繋
がりたい相手だけと即座に繋がりあうことができるようになっているか
らである。
現在のようなネット環境がととのう以前は、時間と空間を隔てた相手
とコミュニケーションをとるための手段がかなり限られていた。
理想の相手と繋がりあうためには、自分にとって不都合な人間とのコ
ミュニケーションも途中で経由しなければならなかった。
たとえば、中学時代の私などは、ガールフレンドの自宅へ電話をかけ
るとき、
「あの怖そうな父親が出たらどうしよう」
と緊張しながらダイヤルを回したものである。
自分にとって心地よい人間関係を築くためには、同時に不都合な人間
とも否応なく付き合わざるをえなかった。
しかし、近年は、異質な人びとが時間と空間の制約を超えて、互いに
繋がりあうことを技術的に可能にしたネットという革新的なシステムが、
逆に、同質な人びとが時間と空間の制約を超えて、互いに繋がりあうこ
とを容易にする手段として、実質的には機能するようになっている。
ネット空間へと聞かれたケータイの小さな窓を覗き込むことで、面倒
で不都合な人間といっさい触れ合うことなく、自分にとって心地よい相
手だけと即座に人間関係を築くことができるようになっている。
たとえば、近年の若者たちのあいだでは、地元つながりによる人間関
係への依存が強まっている。
高校へ進学したり就職したりして生活圏が拡大し、雑多な人間と付き
合わざるをえなくなった場合でも、中学時代までの人間関係をそのまま
ずっと緊密に保ち、その地元つながりを中心に日常生活を営もうとする
傾向が強まっている。
時間や場所や相手の都合を気にせずに互いに繋がりあえるケータイ・
メールを駆使することで、それが実際に容易になっているのである。
では、ケータイという文明の利器を駆使することで、今日の若者たち
は一人恐怖から解放されているのだろうか。
前回も述べたように、けっしてそうではない。
同質な人間との常時接続を可能にしてくれるケータイは、一人恐怖を
解消してくれる便利なツールのように見えて、じつはそのように機能し
てはいない。
ケータイ自体はニュートラルな装置だから、使われ方しだいで、逆に
一人恐怖を煽るツールとしても機能しうる。
じっさい、秋葉原で事件を起こした青年にとって、ケータイは自己の
疎外感を強めるツールヘと変貌してしまっていた。
『致知』2003.12月号 特集「読書力」(3) / 「老後のお金」文藝春秋 2013年 ②(下)【再掲載 2016.1】 [読書記録 一般]
今日は12月1日、日曜日です。
今回は、月刊誌『致知』2003年12月号の
特集「読書力」の言葉を紹介します。
この20年の間に子どもたちの読書する機会は増えています。
朝読書に取り組む学校が増えたからです。
それが読書量増に結びついているかはわかりません。
ブレア首相の言葉、
-「7歳の児童たちの読書量が、将来の世界における英国の位置そのも
のである」
が心に残りました。
もう一つ、再掲載になりますが、文藝春秋の
「老後のお金」②を載せます。
だいぶ古い本ですが、わたしには参考になりました。
☆『致知』2003.12月号 特集「読書力」(3)
◇特集「読書力」
宋学の大儒者・程伊川(てい・いせん)にこういう逸話がある。
伊川は讒言(ざんげん)に遭って島流しにされた。
10年くらい経って都に帰ってきたが、威風堂々として周囲を圧する
ような迫力に溢れている。
弟子が、
「10年も島流しになると普通は樵悸して見る影もないのに、先生はど
うしてそんなに堂々として活力に溢れているのですか」
と訊くと、伊川は、
「自分はこの10年、真剣に骨身を削って勉強し、易経やその他の聖賢
の教えに通暁した。その学の力だ」
と答えた。
こういう詰もある。
西郷隆盛が二度目の島流しで、沖永良部島に流された時、西郷は3個
の行李を持っていった。
その中には800冊の本が入っていた。
わずか2、3畳の吹きさらしの獄の中で、西郷はひたすら『言志四録』
や『伝習録』などを読み、心魂を練った。
吉田松陰も同様である。
松陰は萩の野山獄に送られた時、在獄1年2か月ほどの間に618冊も
本を読み、杉家に移され幽閉された後も、安政3年に505冊、翌4年に
は11月までに492冊の聖賢の書を読破している。
すさまじいまでの読書である。
彼らは、知識を増やすために本を読んだのではない。
心を鍛え、人物を練り上げるために読書したのである。
真剣な読書に沈潜することがいかに人間に大きな力をもたらすかを、
三人の先哲の生き方が例証している。
哲学者の森信三氏は、
「読書は心の食物。肉体を養うために毎日の食事が欠かせないように、
心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」
と常々言っていた。また、
「真の読書は、人がこれまで体験してきた人生体験の内容と意味を照ら
し出し、統一する光です。私達は平生読書を怠らぬことによって、常
に自分に対する問題を深め、それによって正しい実賎のできる人間に
なることが何より肝要です。
言い換えれば、読書、内観、実践という段階の繰り返しは、人間が進
歩、深められてゆくプロセスとも言えます」
碩学・安岡正篤(まさひろ)氏は「人物」を磨くための条件として、次
の二つを挙げている。
一、すぐれた人物に私淑すること。
一、魂のこもったすぐれた書物を読むこと。
いま、子どものみならず大人も本を読まなくなった、と言われている。
しかし、読書力の低下はそのまま人間力の低下につながり、一国の衰
退になりかねないことを私たちは肝に銘じ、その復興に努めなければな
らない。
「7歳の児童たちの読書量が、将来の世界における英国の位置そのもの
である」
イギリスのブレア首相の言と聞く。
卓見である。
☆「老後のお金」文藝春秋 2013年 ②(下)【再掲載 2016.1】
◇相続 「無駄な税金は一切払わない『賢い主婦』の相続術」
坂倉京(税理士)
H25
① 相続税の基礎控除の引き下げ 3000万円×人数
② 相続税率の一部引き上げ
先ず財産リスト
自宅の相続 二世帯
生前贈与で節税
→ 贈与税の申告
生命保険の活用
墓地仏壇等は生前に
専門家(税理士)を利用
◇起業 「『「やってはいけない』9か条(シニア起業)」
小松崎毅(ジャーナリスト)
シニア起業は20年前より増えている
定年後に一花咲かせたい団塊世代
細かい業務が実はもうできない
学歴やプライドが頭を下げさせない
知らないこと予想外のことが多い
最初から事務所を構えるのはムリ
自宅兼事務所に!
奥さんや家族を丸め込めるか
コツコツ儲けるニッチなビジネスを
◇金言 「金融マンからお金を守る15の提言」
山下知志(ジャーナリスト)
「定期よりお得」
= 「定期より危険」
「年金代わりに受け取れます」
= 「預金の取り崩し」
×毎月分配型投信
「夢のある商品」では、
→ 悪夢を見ることが多い
「あわてて解約しない方が得」で、
→「得をするのは金融会社」
元本保証をにおわせた商品の元本は決して保障されてはいない
「こんないい話を断るのですか」と言われたら、
→ 断った方がいい
新規設定の投信は殆どが高値づかみ
仰天する金利にはリスクのある商品が付いてくる
×抱き合わせ
水曜日に契約を迫られたらその商品を疑ってかかるべし
水に流れる~
「次は上司と一緒に伺います」と言われたら、
→ 断るのが無難
「今が買い時」と言われたら、
→ 一旦頭を冷やして冷静に考える
情報収集が大切
「あなただけ特別に」と言われたら、
→ 詐欺を疑え
「無料で○○します」と言われたら
→ 「ただより高いものはない」と心得るべし
今回は、月刊誌『致知』2003年12月号の
特集「読書力」の言葉を紹介します。
この20年の間に子どもたちの読書する機会は増えています。
朝読書に取り組む学校が増えたからです。
それが読書量増に結びついているかはわかりません。
ブレア首相の言葉、
-「7歳の児童たちの読書量が、将来の世界における英国の位置そのも
のである」
が心に残りました。
もう一つ、再掲載になりますが、文藝春秋の
「老後のお金」②を載せます。
だいぶ古い本ですが、わたしには参考になりました。
☆『致知』2003.12月号 特集「読書力」(3)
◇特集「読書力」
宋学の大儒者・程伊川(てい・いせん)にこういう逸話がある。
伊川は讒言(ざんげん)に遭って島流しにされた。
10年くらい経って都に帰ってきたが、威風堂々として周囲を圧する
ような迫力に溢れている。
弟子が、
「10年も島流しになると普通は樵悸して見る影もないのに、先生はど
うしてそんなに堂々として活力に溢れているのですか」
と訊くと、伊川は、
「自分はこの10年、真剣に骨身を削って勉強し、易経やその他の聖賢
の教えに通暁した。その学の力だ」
と答えた。
こういう詰もある。
西郷隆盛が二度目の島流しで、沖永良部島に流された時、西郷は3個
の行李を持っていった。
その中には800冊の本が入っていた。
わずか2、3畳の吹きさらしの獄の中で、西郷はひたすら『言志四録』
や『伝習録』などを読み、心魂を練った。
吉田松陰も同様である。
松陰は萩の野山獄に送られた時、在獄1年2か月ほどの間に618冊も
本を読み、杉家に移され幽閉された後も、安政3年に505冊、翌4年に
は11月までに492冊の聖賢の書を読破している。
すさまじいまでの読書である。
彼らは、知識を増やすために本を読んだのではない。
心を鍛え、人物を練り上げるために読書したのである。
真剣な読書に沈潜することがいかに人間に大きな力をもたらすかを、
三人の先哲の生き方が例証している。
哲学者の森信三氏は、
「読書は心の食物。肉体を養うために毎日の食事が欠かせないように、
心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」
と常々言っていた。また、
「真の読書は、人がこれまで体験してきた人生体験の内容と意味を照ら
し出し、統一する光です。私達は平生読書を怠らぬことによって、常
に自分に対する問題を深め、それによって正しい実賎のできる人間に
なることが何より肝要です。
言い換えれば、読書、内観、実践という段階の繰り返しは、人間が進
歩、深められてゆくプロセスとも言えます」
碩学・安岡正篤(まさひろ)氏は「人物」を磨くための条件として、次
の二つを挙げている。
一、すぐれた人物に私淑すること。
一、魂のこもったすぐれた書物を読むこと。
いま、子どものみならず大人も本を読まなくなった、と言われている。
しかし、読書力の低下はそのまま人間力の低下につながり、一国の衰
退になりかねないことを私たちは肝に銘じ、その復興に努めなければな
らない。
「7歳の児童たちの読書量が、将来の世界における英国の位置そのもの
である」
イギリスのブレア首相の言と聞く。
卓見である。
☆「老後のお金」文藝春秋 2013年 ②(下)【再掲載 2016.1】
◇相続 「無駄な税金は一切払わない『賢い主婦』の相続術」
坂倉京(税理士)
H25
① 相続税の基礎控除の引き下げ 3000万円×人数
② 相続税率の一部引き上げ
先ず財産リスト
自宅の相続 二世帯
生前贈与で節税
→ 贈与税の申告
生命保険の活用
墓地仏壇等は生前に
専門家(税理士)を利用
◇起業 「『「やってはいけない』9か条(シニア起業)」
小松崎毅(ジャーナリスト)
シニア起業は20年前より増えている
定年後に一花咲かせたい団塊世代
細かい業務が実はもうできない
学歴やプライドが頭を下げさせない
知らないこと予想外のことが多い
最初から事務所を構えるのはムリ
自宅兼事務所に!
奥さんや家族を丸め込めるか
コツコツ儲けるニッチなビジネスを
◇金言 「金融マンからお金を守る15の提言」
山下知志(ジャーナリスト)
「定期よりお得」
= 「定期より危険」
「年金代わりに受け取れます」
= 「預金の取り崩し」
×毎月分配型投信
「夢のある商品」では、
→ 悪夢を見ることが多い
「あわてて解約しない方が得」で、
→「得をするのは金融会社」
元本保証をにおわせた商品の元本は決して保障されてはいない
「こんないい話を断るのですか」と言われたら、
→ 断った方がいい
新規設定の投信は殆どが高値づかみ
仰天する金利にはリスクのある商品が付いてくる
×抱き合わせ
水曜日に契約を迫られたらその商品を疑ってかかるべし
水に流れる~
「次は上司と一緒に伺います」と言われたら、
→ 断るのが無難
「今が買い時」と言われたら、
→ 一旦頭を冷やして冷静に考える
情報収集が大切
「あなただけ特別に」と言われたら、
→ 詐欺を疑え
「無料で○○します」と言われたら
→ 「ただより高いものはない」と心得るべし