「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」 石田勝紀 ダイヤモンド社 2023年 ④ /「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ③【再掲載 2017.12】 [読書記録 教育]
今日は12月18日、水曜日です。
今回は12月10日に続いて、石田勝紀さんの
「勉強しない子に勉強しなさいと言っても
ぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」
の紹介 4回目です。
出版社の案内には、
「1万件を超える『幼児から高校生までの保護者の悩み相談』を受け、
4千人以上の小中高校生に勉強を教えてきた教育者・石田勝紀が送
る、子どもを勉強嫌いにしないための本。子どもに失敗してほしく
ない、教育熱心な人ほど苦悩を抱える大問題への意外な解決法を、
子育てを『動物園型』『牧場型』『サバンナ型』にたとえて解説し
ます。親子のタイプ診断と相性別対処法を使えば、自分から勉強する
子になるのは時間の問題です。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「子どもは親の思い通りには育ちません。子どもをよく観察して、そ
の子にしかない才能と個性を見つけて伸ばしてあげるのが親の役目」
・「『放牧』子育て3つの条件 ①親子でたくさん雑談する ②呪いの
言葉を口にしない ③生活習慣を身に付けさせる」
・「苦悩モデルは同級生が比較対象」
・「安心モデルはその子自身の成長過程が比較対象」
もう一つ、再掲載になりますが、静岡県女子師範学校郷土研究会編
「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)③を載せます。
☆「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」 石田勝紀 ダイヤモンド社 2023年 ④

<放牧型子育て>
◇勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの対策
子どもは親と違う才能をもった人間と心得る
子どもは親の思い通りには育ちません。子どもをよく観察して、
その子にしかない才能と個性を見つけて伸ばしてあげるのが親の
役目
「親の安心感」より「子どもの才能」を重視できるか
子どもの行動範囲を広げる
親が好きなことを楽しめば子どもが伸び始める
子ども本来の才能が見えてくる
親が思いきって手を放せば子どもも変わる
子どもが自律、自立する「放牧」子育て3つの条件
① 親子でたくさん雑談する
勉強の話題以外でその日のいいこと、ニュースなど
② 呪いの言葉を口にしない
×「勉強しなさい」
×「速くしなさい」
×「ちゃんとしなさい」
③ 生活習慣を身に付けさせる
牧場型は「あいさつ」「時間管理」「整理整頓」
~ 学力と相関関係
放牧すると親は不安や焦りからも解放される
◎苦悩モデル
第一欲求 生存の欲求(元気で生きて欲しい)
第二欲求 心身の成長欲求(心体すくすく成長)
第三欲求 △平均から外れない欲求
第四欲求 △親の思い通りにさせたい欲求
<同級生が比較対象>
◎安心モデル
第一欲求 生存欲求(同上)
第二欲求 心身の成長欲求(同上)
第三欲求 ◎子ども目線で良さを伸ばす欲求
第四欲求 ◎子どもの人生があると認め、個性を尊重したい
欲求
<その子自身の成長過程が比較対象>
放牧すると子どもの人生が幸福になる
子どもの成長を邪魔しないと決める-親と子どもは性格も才能も
違う
◎環境を整える
放牧子育てをする前に夫婦で話し合っておこう
筆者主催「Mama Cafe 」
夫婦の役割分担を話し合う
「自分から勉強する子」になるきっかけは親が自分の人生を楽しむ姿
から
悩みの原因のほとんどは親の不安定な心にある
親にワクワク感があるのなら‥
放牧子育てのコツは、子ども時代の自分に伝えるつもりで話すこと
◎子どもの頃の自分に話すつもりで話す
①「気合い、根性、努力」の古い価値観より「楽しいこと、面
白いこと、好きな
ことを大切にして欲しい」の価値基準で伝えられる
② 上から目線のネガティブなことを言わなくなる(自分に伝え
るから)。
③ 親も子ども時代を思い出すため、子どもの気持ちが理解でき
る。
「自分から勉強する子」に育つには、放牧し始めてからも大事
我慢して見守る
→ 徐々に自走させる方向に導く
☆「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ③【再掲載 2017.12】

1山男、山婆、巨人、天狗の話 続き
(4) 弥三郎婆さ (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)
昔、弥三郎婆さといって、実に物凄い婆さがあった。
額には幾条かの溝のようなしわがあり、顔は赤銅色をして、口は耳ま
で裂けていて、銀色の髪はいつでも肩まで流れていた。
そして、前にたれかかっている髪の毛の間から、鋭い目を光らして、
こっちを向いて笑っている有様は、恐ろしいといってよいか、気味が悪
いといってよいか、とにかく縮み上がったといわれた。
村に葬式があるという時には、墓地のある物陰に隠れて人々の帰るのを
待っていて、見送りの人々が帰り終わるや、実に物凄い笑いを浮かべて辺
りを見回し、つかつかと新墓標に近づき、いまだ線香の煙の立ち上ってい
る小高く積み上げられた新墓を、無造作にかきのけて棺のふたをほかし出
し、中から死人をずるずると引き出して手足をもぎり取り、次第に横食い
にむさぼり食う。
そして血に染まって真っ赤になつた手や口の回りを、きれいになめつく
し、舌鼓をならして墓地の奥深く消えていくそうである。
また、時には人家近くへ入り込んで来て、付近で遊んでいる幼児を、墓
地へ運び去って食ったといわれている。
村人は、婆さの恐ろしい行為に生きた心地もなく互いに警戒をしておっ
た。
村としてもそのまま捨ておくことが出来ず、そうかといって弥三郎婆さ
を退治することは、誰も気味悪いことに思っていたのでなおさら出来ず、
ただ、こちらで気を付けねばならないという事になって
「夕方は一切子供を外に出す事はならぬ」
という命令を出した。
これが出なくても互いを気を付けていた事とて、夕日がまだ傾かないこ
ろに、もう子供は申すに及ばず虫の子ひとつ外で遊んでいるものは無かっ
た。
こういう訳で、かの婆さは近ごろ食に飢えて、いよいよ当地では駄目だ
と悟り、場所替えをしようとして、夕刻、富塚村へ向かってちょうど西来
山まで来た。
神ケ谷の某はその日、用事のため浜松へ出て帰りかかると、はからずも
西来山で、この婆さに行き会ってしまった。
某は大いに恐れおののいて、何でもこの婆さのご機嫌をとらねばと思っ
て話しかけた。
「お婆さ、どこへ行くでぇ」
「富塚まで用があって」
「こんな雨降りの晩にゃ止しゃいいに。俺が背負って行ってやるで、家へ
帰りやいいじゃないか」
婆さはしばらく考えていたが、あまり男が親切に言ってくれるので
「それじゃなまじ家へ帰らすか」。
そうして某はその恐ろしい婆さを背にして西来山から村の方へ向かった。
婆さは、男が親切にも背負ってくれたものだから嬉しくてたまらず、い
ろいろと話しかけた。
「お前にゃ嫁があるけ」
「俺にゃ嫁なんかなくて」
「それじゃ、わしがひとつ良い嫁を世話してやらっか」
男は恐ろしくなって、こんな婆さに世話してもらってはどんな事になる
か判らない。
断るにしかずと思って
「おら、嫁なんか欲しかねぇで、いいて」
すると婆さは
「なぜいやだ」
と言いながら長い爪を立てて、背中でも頭でも手当たり次第にかきむしる
ので、某は、ますます震え上がり逃げるに逃げられず、そうかといって、
このままこうしていれば身体中傷だらけになる。
進退ここにきわまって、先はどうなってもまず急場の逃れ道と思って
「それじゃ、ひとつ世話しておくれ」
と言うと、婆さはそれを聞いて大変喜び
「それじゃ何日に嫁を連れて来るで待っておいで」
某は、いよいよ返事に困りどうすることも出来ず、ただ黙っているより
仕方がない。
そうしているうちに二人は此故にさしかかった。(此攻は神ケ谷のすぐ
東にある坂)
坂の中途に南へ折れる道があって、それは墓場へ通ずる近道である。
婆さはここまで来ると
「わしはここで別れるほうが近いで」
と言って、某の背中から下りて
「ありがとう、では何日には間違いなく」
と間道を墓場の方へ急いで行った。
某は、婆さと別れてほっと肩荷が下りた気はした。
けれども何となく心配になってならなかった。
「とんだ事になってしまった」
とつぶやきながら大急ぎで家へ帰って、さっそく近所の人に寄ってもらっ
て、鬼婆さとのいきさつを詳しく話して、何かそれを防ぐための名案を求
めたが、なかなかこれといった工夫も出なかった。
そうこうしているうちにその日が来た。
近所の人々は一同家に集まって、霊験あらたかな心経や念仏を一心に唱
えて、弥三郎婆さが不吉なものでも持ってこないように祈っていた。
夕刻になると、一天にわかに墨を流したようにかき曇り、電光さえ白昼
のごとくひらめき渡り、雷は鳴り、打ち上げるような大粒の雨が降る、実
に物凄い空模様となってきた。
人々はどうなることかと生きた心地もなく、ひたすら百万遍を唱えて、
事なかれと祈っておった。
すると俄然、電光とともに破れ響きわたるような音がして落雷した。
一同ははっと思う瞬間、失神してしまった。
しばらくして正気にかえって辺りを見ると、これはいかに、座敷の真
ん中には白木の箱がちゃんと置いてあるではないか。
「おおかた、あの婆さのする事は、こんな事だろうと思った」
と一同は呆れ果てて棺を見守るばかりであった。
そのうち、それでもと思った一人が、白木のふたを外してまたもや驚
いた。
中には歳が17、8の目も覚めるような長者の姫君とも思われる娘が、
正装してまるで眠ってでもいるように静かに横たわっていた。
人々は意外に自分たちの想像をすっかり裏切られた気持ちになったもの
の、初めて弥三郎婆さの心底がどこにあったか分かるようになった。
すると突然、今まで死んでいるものと思っていた娘が、ぱっちりと目を
見開いて、夢から覚めたように不思議そうに辺りを見回した。
人々は、ますますその奇異に驚きの目をみはり、娘の顔をうち眺めた。
娘は人々に向かって言った。
「ここはどこだか、またどなた様のお家だか、私にはちっとも見当がつき
ませんが、私は某地の某長者の娘です。昨日まで何ともなかったこの身
体が、夕方になると急に気持ち悪くなったと思うとそのまま眠ってしま
いました。頓死したのでございます。そして今日の午後、葬式まで済ん
だ私が、ただ今、今一度生き返ることが出来ました。これもご当家があ
ればこそ蘇生したのでございます。ご当家様は私にとっては再生の恩人
です。このご恩は決して忘れません。厚く御礼申し上げます」
と自分を生き返らしたのは当家の某なりと信じて、深く感謝し心から喜び
にたえないようであった。
そこで人々は、弥三郎婆さと当家の主人との話の大略を話して聞かせた。
その娘はうなずき
「さようでございますか。それで初めて私の頓死した理由が分かりました。
その弥三郎婆さと仰せられる方が、私を頓死させたのでございましょう。
私には国元に両親もございます。この事を国元までお知らせくだされば、
誠にありがたいことでございますが」
と言うので、人々もその真偽を確かめるために、使いを長者の家へ急がせ
たところ、やがて使いは帰って来て、その通りである事を告げた。
そして長者もその後から馳せつけた。
「誠に我が娘は、昨日突然に頓死して、本日葬式を済ませたのでした。そ
れで家内中泣き悲しみ、娘はこの世に無きものとあきらめておりました。
今、目の前に生き返ったのを見てこんな嬉しいことはありません。家内
も、娘のこうした顔を見れば、どんなにか喜ぶ事でございましょう。私
どもでは、これは一旦死んだものとあきらめていましたし、また娘も無
い命と思って恩返しをしたいと言っておりますから、もし貴方様にお気
持ちがあるならば、娘をお上げしたいと思いますが、家内とて何の異存
もないと思います」
こうして即座に話がまとまった。
そして、某は長者から莫大な礼金をもらい受けたといわれている。
人々に悪鬼のごとく嫌われ、恐れられていた弥三郎婆さも、こうして恩
に報いたのだ。
今でも子供らがあまりひどい悪ふざけをしたり、甘えて泣いた時など
「それ、弥三郎婆さが来る」
と言うと、すぐおとなしくなるという。 (採話者:本多みち)
今回は12月10日に続いて、石田勝紀さんの
「勉強しない子に勉強しなさいと言っても
ぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」
の紹介 4回目です。
出版社の案内には、
「1万件を超える『幼児から高校生までの保護者の悩み相談』を受け、
4千人以上の小中高校生に勉強を教えてきた教育者・石田勝紀が送
る、子どもを勉強嫌いにしないための本。子どもに失敗してほしく
ない、教育熱心な人ほど苦悩を抱える大問題への意外な解決法を、
子育てを『動物園型』『牧場型』『サバンナ型』にたとえて解説し
ます。親子のタイプ診断と相性別対処法を使えば、自分から勉強する
子になるのは時間の問題です。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「子どもは親の思い通りには育ちません。子どもをよく観察して、そ
の子にしかない才能と個性を見つけて伸ばしてあげるのが親の役目」
・「『放牧』子育て3つの条件 ①親子でたくさん雑談する ②呪いの
言葉を口にしない ③生活習慣を身に付けさせる」
・「苦悩モデルは同級生が比較対象」
・「安心モデルはその子自身の成長過程が比較対象」
もう一つ、再掲載になりますが、静岡県女子師範学校郷土研究会編
「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)③を載せます。
☆「勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋」 石田勝紀 ダイヤモンド社 2023年 ④

<放牧型子育て>
◇勉強しない子に勉強しなさいと言ってもぜんぜん勉強しないんですけどの対策
子どもは親と違う才能をもった人間と心得る
子どもは親の思い通りには育ちません。子どもをよく観察して、
その子にしかない才能と個性を見つけて伸ばしてあげるのが親の
役目
「親の安心感」より「子どもの才能」を重視できるか
子どもの行動範囲を広げる
親が好きなことを楽しめば子どもが伸び始める
子ども本来の才能が見えてくる
親が思いきって手を放せば子どもも変わる
子どもが自律、自立する「放牧」子育て3つの条件
① 親子でたくさん雑談する
勉強の話題以外でその日のいいこと、ニュースなど
② 呪いの言葉を口にしない
×「勉強しなさい」
×「速くしなさい」
×「ちゃんとしなさい」
③ 生活習慣を身に付けさせる
牧場型は「あいさつ」「時間管理」「整理整頓」
~ 学力と相関関係
放牧すると親は不安や焦りからも解放される
◎苦悩モデル
第一欲求 生存の欲求(元気で生きて欲しい)
第二欲求 心身の成長欲求(心体すくすく成長)
第三欲求 △平均から外れない欲求
第四欲求 △親の思い通りにさせたい欲求
<同級生が比較対象>
◎安心モデル
第一欲求 生存欲求(同上)
第二欲求 心身の成長欲求(同上)
第三欲求 ◎子ども目線で良さを伸ばす欲求
第四欲求 ◎子どもの人生があると認め、個性を尊重したい
欲求
<その子自身の成長過程が比較対象>
放牧すると子どもの人生が幸福になる
子どもの成長を邪魔しないと決める-親と子どもは性格も才能も
違う
◎環境を整える
放牧子育てをする前に夫婦で話し合っておこう
筆者主催「Mama Cafe 」
夫婦の役割分担を話し合う
「自分から勉強する子」になるきっかけは親が自分の人生を楽しむ姿
から
悩みの原因のほとんどは親の不安定な心にある
親にワクワク感があるのなら‥
放牧子育てのコツは、子ども時代の自分に伝えるつもりで話すこと
◎子どもの頃の自分に話すつもりで話す
①「気合い、根性、努力」の古い価値観より「楽しいこと、面
白いこと、好きな
ことを大切にして欲しい」の価値基準で伝えられる
② 上から目線のネガティブなことを言わなくなる(自分に伝え
るから)。
③ 親も子ども時代を思い出すため、子どもの気持ちが理解でき
る。
「自分から勉強する子」に育つには、放牧し始めてからも大事
我慢して見守る
→ 徐々に自走させる方向に導く
☆「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ③【再掲載 2017.12】

1山男、山婆、巨人、天狗の話 続き
(4) 弥三郎婆さ (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)
昔、弥三郎婆さといって、実に物凄い婆さがあった。
額には幾条かの溝のようなしわがあり、顔は赤銅色をして、口は耳ま
で裂けていて、銀色の髪はいつでも肩まで流れていた。
そして、前にたれかかっている髪の毛の間から、鋭い目を光らして、
こっちを向いて笑っている有様は、恐ろしいといってよいか、気味が悪
いといってよいか、とにかく縮み上がったといわれた。
村に葬式があるという時には、墓地のある物陰に隠れて人々の帰るのを
待っていて、見送りの人々が帰り終わるや、実に物凄い笑いを浮かべて辺
りを見回し、つかつかと新墓標に近づき、いまだ線香の煙の立ち上ってい
る小高く積み上げられた新墓を、無造作にかきのけて棺のふたをほかし出
し、中から死人をずるずると引き出して手足をもぎり取り、次第に横食い
にむさぼり食う。
そして血に染まって真っ赤になつた手や口の回りを、きれいになめつく
し、舌鼓をならして墓地の奥深く消えていくそうである。
また、時には人家近くへ入り込んで来て、付近で遊んでいる幼児を、墓
地へ運び去って食ったといわれている。
村人は、婆さの恐ろしい行為に生きた心地もなく互いに警戒をしておっ
た。
村としてもそのまま捨ておくことが出来ず、そうかといって弥三郎婆さ
を退治することは、誰も気味悪いことに思っていたのでなおさら出来ず、
ただ、こちらで気を付けねばならないという事になって
「夕方は一切子供を外に出す事はならぬ」
という命令を出した。
これが出なくても互いを気を付けていた事とて、夕日がまだ傾かないこ
ろに、もう子供は申すに及ばず虫の子ひとつ外で遊んでいるものは無かっ
た。
こういう訳で、かの婆さは近ごろ食に飢えて、いよいよ当地では駄目だ
と悟り、場所替えをしようとして、夕刻、富塚村へ向かってちょうど西来
山まで来た。
神ケ谷の某はその日、用事のため浜松へ出て帰りかかると、はからずも
西来山で、この婆さに行き会ってしまった。
某は大いに恐れおののいて、何でもこの婆さのご機嫌をとらねばと思っ
て話しかけた。
「お婆さ、どこへ行くでぇ」
「富塚まで用があって」
「こんな雨降りの晩にゃ止しゃいいに。俺が背負って行ってやるで、家へ
帰りやいいじゃないか」
婆さはしばらく考えていたが、あまり男が親切に言ってくれるので
「それじゃなまじ家へ帰らすか」。
そうして某はその恐ろしい婆さを背にして西来山から村の方へ向かった。
婆さは、男が親切にも背負ってくれたものだから嬉しくてたまらず、い
ろいろと話しかけた。
「お前にゃ嫁があるけ」
「俺にゃ嫁なんかなくて」
「それじゃ、わしがひとつ良い嫁を世話してやらっか」
男は恐ろしくなって、こんな婆さに世話してもらってはどんな事になる
か判らない。
断るにしかずと思って
「おら、嫁なんか欲しかねぇで、いいて」
すると婆さは
「なぜいやだ」
と言いながら長い爪を立てて、背中でも頭でも手当たり次第にかきむしる
ので、某は、ますます震え上がり逃げるに逃げられず、そうかといって、
このままこうしていれば身体中傷だらけになる。
進退ここにきわまって、先はどうなってもまず急場の逃れ道と思って
「それじゃ、ひとつ世話しておくれ」
と言うと、婆さはそれを聞いて大変喜び
「それじゃ何日に嫁を連れて来るで待っておいで」
某は、いよいよ返事に困りどうすることも出来ず、ただ黙っているより
仕方がない。
そうしているうちに二人は此故にさしかかった。(此攻は神ケ谷のすぐ
東にある坂)
坂の中途に南へ折れる道があって、それは墓場へ通ずる近道である。
婆さはここまで来ると
「わしはここで別れるほうが近いで」
と言って、某の背中から下りて
「ありがとう、では何日には間違いなく」
と間道を墓場の方へ急いで行った。
某は、婆さと別れてほっと肩荷が下りた気はした。
けれども何となく心配になってならなかった。
「とんだ事になってしまった」
とつぶやきながら大急ぎで家へ帰って、さっそく近所の人に寄ってもらっ
て、鬼婆さとのいきさつを詳しく話して、何かそれを防ぐための名案を求
めたが、なかなかこれといった工夫も出なかった。
そうこうしているうちにその日が来た。
近所の人々は一同家に集まって、霊験あらたかな心経や念仏を一心に唱
えて、弥三郎婆さが不吉なものでも持ってこないように祈っていた。
夕刻になると、一天にわかに墨を流したようにかき曇り、電光さえ白昼
のごとくひらめき渡り、雷は鳴り、打ち上げるような大粒の雨が降る、実
に物凄い空模様となってきた。
人々はどうなることかと生きた心地もなく、ひたすら百万遍を唱えて、
事なかれと祈っておった。
すると俄然、電光とともに破れ響きわたるような音がして落雷した。
一同ははっと思う瞬間、失神してしまった。
しばらくして正気にかえって辺りを見ると、これはいかに、座敷の真
ん中には白木の箱がちゃんと置いてあるではないか。
「おおかた、あの婆さのする事は、こんな事だろうと思った」
と一同は呆れ果てて棺を見守るばかりであった。
そのうち、それでもと思った一人が、白木のふたを外してまたもや驚
いた。
中には歳が17、8の目も覚めるような長者の姫君とも思われる娘が、
正装してまるで眠ってでもいるように静かに横たわっていた。
人々は意外に自分たちの想像をすっかり裏切られた気持ちになったもの
の、初めて弥三郎婆さの心底がどこにあったか分かるようになった。
すると突然、今まで死んでいるものと思っていた娘が、ぱっちりと目を
見開いて、夢から覚めたように不思議そうに辺りを見回した。
人々は、ますますその奇異に驚きの目をみはり、娘の顔をうち眺めた。
娘は人々に向かって言った。
「ここはどこだか、またどなた様のお家だか、私にはちっとも見当がつき
ませんが、私は某地の某長者の娘です。昨日まで何ともなかったこの身
体が、夕方になると急に気持ち悪くなったと思うとそのまま眠ってしま
いました。頓死したのでございます。そして今日の午後、葬式まで済ん
だ私が、ただ今、今一度生き返ることが出来ました。これもご当家があ
ればこそ蘇生したのでございます。ご当家様は私にとっては再生の恩人
です。このご恩は決して忘れません。厚く御礼申し上げます」
と自分を生き返らしたのは当家の某なりと信じて、深く感謝し心から喜び
にたえないようであった。
そこで人々は、弥三郎婆さと当家の主人との話の大略を話して聞かせた。
その娘はうなずき
「さようでございますか。それで初めて私の頓死した理由が分かりました。
その弥三郎婆さと仰せられる方が、私を頓死させたのでございましょう。
私には国元に両親もございます。この事を国元までお知らせくだされば、
誠にありがたいことでございますが」
と言うので、人々もその真偽を確かめるために、使いを長者の家へ急がせ
たところ、やがて使いは帰って来て、その通りである事を告げた。
そして長者もその後から馳せつけた。
「誠に我が娘は、昨日突然に頓死して、本日葬式を済ませたのでした。そ
れで家内中泣き悲しみ、娘はこの世に無きものとあきらめておりました。
今、目の前に生き返ったのを見てこんな嬉しいことはありません。家内
も、娘のこうした顔を見れば、どんなにか喜ぶ事でございましょう。私
どもでは、これは一旦死んだものとあきらめていましたし、また娘も無
い命と思って恩返しをしたいと言っておりますから、もし貴方様にお気
持ちがあるならば、娘をお上げしたいと思いますが、家内とて何の異存
もないと思います」
こうして即座に話がまとまった。
そして、某は長者から莫大な礼金をもらい受けたといわれている。
人々に悪鬼のごとく嫌われ、恐れられていた弥三郎婆さも、こうして恩
に報いたのだ。
今でも子供らがあまりひどい悪ふざけをしたり、甘えて泣いた時など
「それ、弥三郎婆さが来る」
と言うと、すぐおとなしくなるという。 (採話者:本多みち)