「浜松まつり-学問的分析と比較の視点から」荒川幸二ほか 岩田書院 2006年 ③ / 関成延『よく話し,語り,対話する教育』 勁草出版サービスセンター 1988年 ③【再掲載 2017.3】 [読書記録 郷土]
今日は12月20日、金曜日です。
今回は、12月12日に続いて、岩田書院の
「浜松まつり―学際的分析と比較の視点から」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「5月の連休中、静岡県浜松市は『浜松まつり』一色になる。ラッパの
音とお囃子の音、砂煙の上がる大凧揚げ、夜の街路での提灯の灯りと
練りの声…。その魅力を、日本史・社会学・古典芸能・ヨーロッパ史
の各分野から学際的に分析する。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「通説は酒井近江守真邑『浜松城記』にある、永禄年中、飯尾義広殿
誕生時、佐橋甚五郎(入野)凧の大なる御名を記念し揚げたとされ
るが偽書の疑い」
・「18世紀後半にはに節句と凧揚げが結びつき、長男が生まれた初節句
に凧を揚げる風習ができたか。正月の凧揚げは強風のため、適さな
かったから。富豪層の初節句の祝い凧であるがゆえ大型化・華美に
なる傾向があった」
・「19世紀半ばより若者組の勝手な行動が目立つようになり触れ書も出
された。しかし、権力的な禁令にも関わらず凧揚げが根強い風習と
して定着していった。『担い手の広がりと反権力的・反社会秩序的意
味合い』があり、より一層厳しい権力的禁圧がなされた」
・「近世後期から幕末に定着」
もう一つ、再掲載になりますが、関成延さんの
『よく話し,語り,対話する教育』③を載せます。
☆「浜松まつり-学問的分析と比較の視点から」荒川幸二ほか 岩田書院 2006年 ③

<凧揚大会ポスター 昭和23年
「浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」のサイトより>
◇第1部 浜松まつりの歴史的検討(2)
(1)初凧揚げの風習化-近世末-
1 豪農層初節句祝いと凧揚げ
起源
通説は「浜松市史」1926 史料:酒井近江守真邑「浜松城記」
・ 永禄年中 飯尾義広殿誕生時佐橋甚五郎(入野)凧の大
なる御名を記念し揚げた
1560年代領主級
→ 16世紀末町場(町民)まで広がった
→ 17世紀半ば三河まで広がった
→ 18世紀前半三方原で浜松対吉田の合戦
◎ 偽書の疑い
では起源は?
小楠和正 1789(寛政元)年4月11日「高林家史料」
・浜松宿で凧の商いがあった
・節句と凧揚げの結びつき
・四尺(121cm)四方は御触書と一致
・高価で自前で作る技術がなかった
= 18世紀後半には長男が生まれた初節句に凧を揚げる風習
18世紀後半に節句と凧揚げが結びついた
※ 正月の凧揚げは強風のため適さず
18世紀後半
木綿を中心とした商品生産の発展
→ 富豪層の初節句の祝い凧であるがゆえ大型化・華美にな
る傾向
19世紀
◎小さな糸枠 → 籠の中 文書散見
2 若者組の大凧揚げ
19世紀半ば~ 具体的な資料
若者組の勝手な行動が目立つ ← 触れ書
→ 権力的な禁令にも関わらず凧揚げが根強い風習として定着
していった
<担い手の広がり + 反権力的・反社会秩序的意味合い>
→ ◎より一層厳しい権力的禁圧
「土のいろ」3巻2号 1926.4 飯尾哲爾
初凧
・郡部では全く止んだが市内では依然として
・通常は「初」
・嫁の里から贈る(家々身分相当のもの)
・絵は贈り家の定紋や鶴亀等のめでたいもの
長男の頭文字
・他の親戚・知人等も夫々凧を贈る
・贈られた家は糸・用具を整える
・村の若い者はこの凧を飛揚するため初の家に押し掛ける
・初の家は若衆のため酒肴を調え柏餅を用意する
4月8日ごろから5月節句まで1か月騒ぎを継続
凧を揚げて酒を飲み風がないと言って終日呑む
・万一糸が切れるとどこまでも拾いに行く
(なくなると早死にするといわれる)
◎近世後期~幕末に定着
☆関成延『よく話し,語り,対話する教育』 勁草出版サービスセンター 1988年 ③【再掲載 2017.3】
◇対話の教育・校長ノート
O.F.ボルノー「対話への教育」
上寺久雄「甘やかすこと・耐えさせること」黎明書房
対話とコミュニケーション
子供と大人の対話の欠如
◇いじめと対話
生命の深さを見る 親鸞「涙したか」
コールリッジ(詩人)
「偉大なる人格は男性と女性を兼ね備えた人だ」
◇親との対話
甘え - 日本人特有
アメリカは非情の世界「セールスマンの死」
老いて虚しく生きず
利に放りて行けば怨多し
安岡正篤「朝の論語」
現代教育考
教育の土壌 レイチェル・カーソン「沈黙の春」
「人間のはじめの教育」 感じる心・感性・情緒・感情の教育
子供は一冊の本
ペスタロッチ
ダゴール「花を愛するように子供を愛している」
→ 当時の日本人を見て(大正5年)
↑↓
タゴールの見たものとの余りの相違
「魂の節制はどこへ?」
教育の心
「玉磨かざれば光なし」
お母さんの道徳教育
ペスタロッチ「生活は陶冶する」
唐澤富太郎(日本女子大)「お母さんの知恵」
切磋琢磨
←「水は低きに流れる」
礼儀について
逞しさを育てる
生きる力を育てる
読書の名言
① 一番ためになる本は一番考えさせる本である
② 人は読書によって自分自身に出会う
③ 読書の習慣を身に付けることは,人生の殆どの不幸から自
分を守る待避所を作ることである
④ 書物は人間が深く愛し,慈しむ少数のものの一つである
「鉢の木」に学ぶ
一人一人が何かの「鉢の木」を持つ大切さ
◇関成延(せき しげのぶ)
大正14年 神津島生まれ 神津島中心に教職
今回は、12月12日に続いて、岩田書院の
「浜松まつり―学際的分析と比較の視点から」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「5月の連休中、静岡県浜松市は『浜松まつり』一色になる。ラッパの
音とお囃子の音、砂煙の上がる大凧揚げ、夜の街路での提灯の灯りと
練りの声…。その魅力を、日本史・社会学・古典芸能・ヨーロッパ史
の各分野から学際的に分析する。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「通説は酒井近江守真邑『浜松城記』にある、永禄年中、飯尾義広殿
誕生時、佐橋甚五郎(入野)凧の大なる御名を記念し揚げたとされ
るが偽書の疑い」
・「18世紀後半にはに節句と凧揚げが結びつき、長男が生まれた初節句
に凧を揚げる風習ができたか。正月の凧揚げは強風のため、適さな
かったから。富豪層の初節句の祝い凧であるがゆえ大型化・華美に
なる傾向があった」
・「19世紀半ばより若者組の勝手な行動が目立つようになり触れ書も出
された。しかし、権力的な禁令にも関わらず凧揚げが根強い風習と
して定着していった。『担い手の広がりと反権力的・反社会秩序的意
味合い』があり、より一層厳しい権力的禁圧がなされた」
・「近世後期から幕末に定着」
もう一つ、再掲載になりますが、関成延さんの
『よく話し,語り,対話する教育』③を載せます。
☆「浜松まつり-学問的分析と比較の視点から」荒川幸二ほか 岩田書院 2006年 ③

<凧揚大会ポスター 昭和23年
「浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」のサイトより>
◇第1部 浜松まつりの歴史的検討(2)
(1)初凧揚げの風習化-近世末-
1 豪農層初節句祝いと凧揚げ
起源
通説は「浜松市史」1926 史料:酒井近江守真邑「浜松城記」
・ 永禄年中 飯尾義広殿誕生時佐橋甚五郎(入野)凧の大
なる御名を記念し揚げた
1560年代領主級
→ 16世紀末町場(町民)まで広がった
→ 17世紀半ば三河まで広がった
→ 18世紀前半三方原で浜松対吉田の合戦
◎ 偽書の疑い
では起源は?
小楠和正 1789(寛政元)年4月11日「高林家史料」
・浜松宿で凧の商いがあった
・節句と凧揚げの結びつき
・四尺(121cm)四方は御触書と一致
・高価で自前で作る技術がなかった
= 18世紀後半には長男が生まれた初節句に凧を揚げる風習
18世紀後半に節句と凧揚げが結びついた
※ 正月の凧揚げは強風のため適さず
18世紀後半
木綿を中心とした商品生産の発展
→ 富豪層の初節句の祝い凧であるがゆえ大型化・華美にな
る傾向
19世紀
◎小さな糸枠 → 籠の中 文書散見
2 若者組の大凧揚げ
19世紀半ば~ 具体的な資料
若者組の勝手な行動が目立つ ← 触れ書
→ 権力的な禁令にも関わらず凧揚げが根強い風習として定着
していった
<担い手の広がり + 反権力的・反社会秩序的意味合い>
→ ◎より一層厳しい権力的禁圧
「土のいろ」3巻2号 1926.4 飯尾哲爾
初凧
・郡部では全く止んだが市内では依然として
・通常は「初」
・嫁の里から贈る(家々身分相当のもの)
・絵は贈り家の定紋や鶴亀等のめでたいもの
長男の頭文字
・他の親戚・知人等も夫々凧を贈る
・贈られた家は糸・用具を整える
・村の若い者はこの凧を飛揚するため初の家に押し掛ける
・初の家は若衆のため酒肴を調え柏餅を用意する
4月8日ごろから5月節句まで1か月騒ぎを継続
凧を揚げて酒を飲み風がないと言って終日呑む
・万一糸が切れるとどこまでも拾いに行く
(なくなると早死にするといわれる)
◎近世後期~幕末に定着
☆関成延『よく話し,語り,対話する教育』 勁草出版サービスセンター 1988年 ③【再掲載 2017.3】
◇対話の教育・校長ノート
O.F.ボルノー「対話への教育」
上寺久雄「甘やかすこと・耐えさせること」黎明書房
対話とコミュニケーション
子供と大人の対話の欠如
◇いじめと対話
生命の深さを見る 親鸞「涙したか」
コールリッジ(詩人)
「偉大なる人格は男性と女性を兼ね備えた人だ」
◇親との対話
甘え - 日本人特有
アメリカは非情の世界「セールスマンの死」
老いて虚しく生きず
利に放りて行けば怨多し
安岡正篤「朝の論語」
現代教育考
教育の土壌 レイチェル・カーソン「沈黙の春」
「人間のはじめの教育」 感じる心・感性・情緒・感情の教育
子供は一冊の本
ペスタロッチ
ダゴール「花を愛するように子供を愛している」
→ 当時の日本人を見て(大正5年)
↑↓
タゴールの見たものとの余りの相違
「魂の節制はどこへ?」
教育の心
「玉磨かざれば光なし」
お母さんの道徳教育
ペスタロッチ「生活は陶冶する」
唐澤富太郎(日本女子大)「お母さんの知恵」
切磋琢磨
←「水は低きに流れる」
礼儀について
逞しさを育てる
生きる力を育てる
読書の名言
① 一番ためになる本は一番考えさせる本である
② 人は読書によって自分自身に出会う
③ 読書の習慣を身に付けることは,人生の殆どの不幸から自
分を守る待避所を作ることである
④ 書物は人間が深く愛し,慈しむ少数のものの一つである
「鉢の木」に学ぶ
一人一人が何かの「鉢の木」を持つ大切さ
◇関成延(せき しげのぶ)
大正14年 神津島生まれ 神津島中心に教職