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「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ④ /「大いに盛り上がる-対談集」 丸谷才一 立風書房 1997年 ②(下)【再掲載 2017.2】 [読書記録 一般]

今日は4月19日、金曜日です。


今回は、4月16日に続いて、藤尾秀昭さんの
「小さな人生論 2」の紹介 4回目です。

出版社の案内には、

「『致知』創刊25周年の刊行以来、好評のうちに増刷を重ねて
 いる『小さな人生論』。本書は川島廣守氏(日本プロ野球組織
 コミッショナー)からヤンキースの松井秀喜選手に贈られた
 書としても話題を呼んだ作品の続篇だ。
 『自分を高める』『人生に残すもの』『何のために生きるのか』
 『命を伝承する』『人生の法則』『先哲の英知をくむ』の各章
 テーマのもと、著者の折々の思いが記している。
 『人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
  その1個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこ
  そ、各人が果たすべき人生のテーマといえる……』
 人生と向き合うための座右の書として、活用いただきたい一冊。」

とあります。



もう一つ、再掲載になりますが、丸谷才一さんの
「大いに盛り上がる-対談集」②を載せます。




☆「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ④

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◇精神爽奮

 以前、ある経営者に、人生でいちばん大切なものは何かと尋ねたこと
がある。


 その人は「それは自分にもわからないが、こういう人は絶対に成功し
ないという条件はある」と答えられ、次の4項目を挙げられた。



 一つは言われたことしかしない人、

 二つは楽をして仕事をしようとする-そういうことが可能だと思って
 いる人、
 
 三つは続かないという性格を直さない人、
 
 そして四つはすぐに不肖腐れる人、である。

 

 省みて、深くうなずけるものがある。


 多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、いつ、いかなる状態に
おいても、常に精神を爽やかに奮い立たせることの大切さである。


 精神爽奮
  - そこに人生を開く鍵があるように思われる。



◇天知る、地知る、我知る

 言葉というものはありかたいものだと思う。


 先人の残した言葉というものは、しみじみとありかたいものだと思う。


 一つの言葉が生まれるには、おそらく、何万人、何十万人という人が
同じような重いを味わい、その思いの集積が飽和点に達した時、一滴の
しずくがこぼれ落ちるように、一つの言葉が生まれ落ちてくるのではな
いだろうか。


「天知る、地知る、我知る」という言葉も、そういう言葉の一つである。


 これは単に自分を戒める言葉にはとどまらない。


 いかなる不遇の状況にあっても至誠を貫かんとするものを励ます言葉
である。


 人は知らずとも、天は知っている、地も知っている、自分も知ってい
る。


 そう思って、己の誠を尽くしていく。


 人を相手にするのでなく、天地を相手に相撲を取る。


 道は無窮であることを教える言葉でもある。







☆「大いに盛り上がる-対談集」 丸谷才一 立風書房 1997年 ②(下)【再掲載 2017.2】

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◇なぜ今忠臣蔵か?(井上ひさし 池宮彰一郎)
□池宮「忠臣蔵」の新着眼点
池宮彰一郎『四十七士の刺客』で新田次郎賞

□物語作者に都合の良い「忠臣蔵伝説」
丸谷理論
   = 悠久の昔に日本人の心の中にあった春の神と冬の神との闘い

□資料に頼る危うさ

□刃傷の原因は何か? 

   … マーケットが違う・高級品と大衆品
徳川綱吉という変な人と浅野内匠頭というヘンな人とのぶつかり合い
  … 毎日の緊張

□討ち入りは体制に対する反乱だ
浪人のつらさ
   - 肉体労働でできない
綱吉の代に40名以上の大名がつぶれた
上野介
   - 将軍と天皇に代表される体制側
大石の女好きは日本文学の伝統



◇批評的だから小説が書ける(筒井康隆)
□小説を具体的に読む態度

□批評家ウンベルト・エーコの鋭さ
  「エーコの文学講義」

□朗読は一番いい「自己評価の手段」

□一緒に笑ってくれない真面目主義の国



◇西洋の踊り・日本の踊り(中村勘九郎)
□歌舞伎舞踏の基本 
  女形の踊りが中心
「子守」「越後獅子」から
「一小節の中でなら,辻褄があっておもしろければテンポはどう変え
   てもよい」

□男が女になる 
吉田健一 
= 戦後日本で一番偉い批評家
  日本文学で一番大事なのは天皇が詠んだ 恋歌
 歌舞伎
    = 「踊り」と「音楽」と「芝居」
男が女に化ける芝居
    - 王朝和歌(男が女になり女ごころをうたう)
着付けで体の線を殺す

□六代目菊五郎と「瀕死の白鳥」
お尻の穴から頭のてっぺんが一直線
 日本の踊りは大地を踏みしめる
   西洋の踊りは天に憧れて跳ぶ
西洋の踊りは形を大事にする
 ◎ 「枯れた」「味が出た」はない
  ◎ 跳べなくなったらおしまい
  - 形があって初めて枯れたとか味が出たとかプラスできる

□踊りは歌舞伎の中心
形ができたら心
見得,だんまり,立ち回りも広い意味の踊り
  踊りは最初100%形からはいる
  大人になると意味が分かってきて,同じ形をしていてもそこに
   心が入ってくる



◇四大国語辞典を引き比べる(井上ひさし)
□日本人の付加価値好き 
  付加価値底上げ手法
 大野晋「角川必携国語辞典」
  説明が易しく正確

□二重三重のインデックスを

□もっと語感の記述を

□「ら」抜き言葉を総チェック

□国語辞典の百科事典性 「大辞林」が比較的よい
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「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ③ /「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号(前半)【再掲載 2017.1】 [読書記録 一般]

今日は4月16日、火曜日です。


今回は、4月13日に続いて、藤尾秀昭さんの
「小さな人生論 2」の紹介 3回目です。

出版社の案内には、

「『致知』創刊25周年の刊行以来、好評のうちに増刷を重ねて
 いる『小さな人生論』。本書は川島廣守氏(日本プロ野球組織
 コミッショナー)からヤンキースの松井秀喜選手に贈られた
 書としても話題を呼んだ作品の続篇だ。
 『自分を高める』『人生に残すもの』『何のために生きるのか』
 『命を伝承する』『人生の法則』『先哲の英知をくむ』の各章
 テーマのもと、著者の折々の思いが記している。
 『人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
  その1個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこ
  そ、各人が果たすべき人生のテーマといえる……』
 人生と向き合うための座右の書として、活用いただきたい一冊。」

とあります。



もう一つ、再掲載になりますが、かつての郷土誌、
「土のいろ集成」第11巻を載せます。



☆「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ③

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◇母の力
 大正から昭和にかけ、熱烈な説教講演で多くの信奉者を集め
た真宗大谷派の憎・暁烏敏の短歌がある。



  十億の人に十億の母あらむも
  わが母にまさる母ありなむや



 十億の人に十億の母がいる。


 中には立派な母、優れた母もたくさんいるだろう。


 だが、自分にとっては自分の母こそが最高の母だ、というの
である。


 この素朴な母への讃美には、共感を覚える人が多いに違いな
い。


 生後小児麻痺を患い、不自由な身体になった詩画家の はら
みちをさんは、母に背負われて小学校を卒業した。


 そのはらさんの作品の一つに、「どしゃぶりの中を」と題す
る詩がある。



  どしゃぶりの中を
  母は僕を背負って走った
  母の乳房がゆれ
  僕は背中でバウンドした

  どしゃぶりの中を
  母は僕を背負って走った
  母の白いうなじに雨と
  僕の泪が流れた

  どしゃぶりの中を
  母は僕を背負って走った
  いくら走っても遠いのに
  僕はぬれたって平気なのに

  どしゃぶりの中を
  母は僕を背負って走った
  火を吐く山の機関車のように
  母の力がばくはつした



 もう一つ、詩を掲げる。


 サトウハチローの「母の日記をよみました」である。



  母の日記をよみました

    -悲しきことのみ多かりき
     されど よろこびの日もありき-

  そのよろこびの日もありきという文字が
  太く強くしるされているのが
  かえってボクには
  かなしくて かなしくて……



 多言は要すまい。


 子を思う母の力強い愛。


 その愛を感じ、母の喜怒衰楽に触れて人は人生を確立してい
く。


 母に愛された記憶こそ、一人ひとりの生きる力の根源である。


 その母の力こそ、ひいては日本という国を支えた根本である。


 そう思わないわけにはいかない。


 近年、母の力の衰えが感じられてならない。


 虐待、養育放棄、果ては子殺し。


 頻出する事件はその突出した表れのようである。


 かつて児童福祉施設は親を失い、寄る辺ない子どものための
施設だった。


 だがいまでは、虐待する親から子どもを引き離し、守るため
の施設と化しているという現実が、母の力の衰えを端的に示し
ている。


 規範を失い、混乱する現代の世相の根本にあるものは、母の
力の衰弱と無関係ではない。


 母の力の覚醒が求められてならない。



 13歳の愛娘めぐみさんを北朝鮮に拉致されて28年、その奪
還に奔走する横田早紀江さんに、特集にご登場いただいた。



「めぐみは必ず取り戻します。そして、日本を凛とした国にし
 ます。私はそれに命を懸けているのです」



 毅然とした声が耳元に響いている。


 母の力は死んではいない。







☆「土のいろ」集成 第十一巻 101~106号(前半)【再掲載 2017.1】

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◇復刊第18号 通刊101号 昭和37年11月
□遠州大念仏後編


◇復刊第19号 通刊102号 昭和38年1月
□法多山思玄上人(上)  山口直蔵 

□浜松特産「足袋のあれこれ」 須部弥一郎
徳川中期より 
    特産地 = 浜松と松本  
    足袋と旅
紺染めと厚地木綿 
   - 紺屋

□竜禅寺の不動堂  市川象三郎

□浜松の「リズム社」について  渥美 実
  大正末 
   浜松の音楽結社「リズム社」
    ~ 「赤い鳥」運動 
小学校教師同人として発足
  県善三郎,松井多聞,関川美作雄,水谷正義,仲野静
  30号まで
   - 大正11年5月~大正13年11月


◇復刊第20号 通刊103号 昭和38年5月
□西浦田楽はね能の詞章について 鈴木進 
  
□法多山思玄上人(下)  山口直蔵 

□新居の民俗覚え書き 山口幸洋
大倉戸のこと 
   大倉戸 
    - 古代の屯倉に由来
  「お倉が崎」
    - 三宅性が多い
  戸 = 河や海の入り口の意味 
      湊は水の戸 大和は山の戸 
  節分 
   - ヤイカガシとナタもち(炒り豆を臼でつぶし,つきたての餅)  
五月一日 
     虫除け 
       = イチジクの葉を一枚敷いて線香
すわま  
    三月節句 
     → 米の粉に黒砂糖と溜まりを加えて練って蒸す
はんぺんの形,波形
  
□持統天皇と引馬野 川見駒太郎
  697年  8月1日 
  702年秋      参河御幸「続日本紀」   

□嫁たたきの大の子について 渥美静一


◇復刊第21号 通刊104号 昭和38年9月
□浜松通信事業の90年 鈴木犀十郎
  浜松宿
   「遠州浜松広いようで狭い 横に車が二丁立たぬ」  

□湖東地方の風俗と言語 鈴木敏


◇復刊第22号 通刊105号 昭和39年1月
□浜松・金原氏の起こり  小山正 
 蒲の庄
     藤原静並が越後から国司役人として3番目 
      大像(だいしょう)開拓
    → 伊勢神宮をお祀り
     → 神宮領に捧げた
     = 蒲の御厨(みくり)
24郷
      → 43か村(寛政期)
金原将監晴時 金原法橋(寺の住職)が領主に
  鎌倉期 
     ・ 朝廷からの役人(国司)の治めている国に守護
    ・ 私有地の庄園には地頭

  蒲庄に遠藤氏来る 
    遠(江)の藤(原) = 遠藤 1185~1300年頃
鎌倉武士 本拠屋敷は鎌倉
      任地には第二の屋敷  
遠藤氏の次に金原晴時 1300~1580年頃
金原法橋 「妙恩寺略縁起」
大野の政清の子供
      下総国金原大宮の別当職
→ 鎌倉期に抜擢され遠州に
    知行1万8千石 
      28か村領す 左近将監
    家康入城の翌年 
      台場に新居
       → 帰農して庄屋や神官

□蜆塚発掘調査の総まとめ 鈴木謹一
  
□大手前から成子坂まで  須部弥一郎 
大手前
   - 元城小前 伊勢屋文具店,川瀬文明堂,松柏堂文具店
榎木町
   - 大木屋,山本屋呉服店,木綿屋洋服店,道惣金物店
連尺
   - 谷島屋書店,文泉堂,鴻池屋
 大手前
   - 山口屋菓子店,伝馬町巌邑堂
  
□子供の遊戯抄 小池誠二 
  「てんつば」「おたたき」「あなどち」「ギッコンバッタン」
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