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「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ① /「教師 大村はま96歳の仕事」大村はま 小学館 2003年 ⑤(最終)【再掲載 2016.1】 [読書記録 民俗]

今回は斎藤卓志さんの、
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 1回目です。



出版社の案内には、

「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「鈴木登美さんが宮本から学んだこととして挙げたのは 
  ①対等の立場で聞くこと ②土地の人になりきること」


・「クロポトキンの『相互扶助論』を愛読した。宮本は日常の体験や生
活感覚から自分の問題に」




もう一つ、再掲載になりますが、大村はまさんの
「教師 大村はま96歳の仕事」⑤を載せます。
生涯現役の教師であり続けたともいえる大村はまさん。
- 先生は教えるもの
子どもに力をつけるために自分に厳しく臨む姿勢から教えられます。
教えるためには大変な準備が必要になります。
現役の現場の方に読んでもらいたい本です。





☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ①

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◇斎藤卓志 
1948年愛知県生 
中央大学法学部卒
安城市教育委員会文化財課長(安城市歴史博物館)

◇奥三河の灯 愛知県北設楽郡名倉村
昭和31(1956)年11月8日 名倉村の大蔵寺で座談会
計3回の調査 
S31.10.6~10.8 S31.11.5~13 S32.5.13~21
相手の関心事,話の広がりに任せた
      ~ 皆で話すことのおもしろみ,話の場の楽しみ
宮本を助けた沢田久夫と鈴木登美夫
鈴木登美夫 
     「宮本は気さくな方」
宮本から学んだこと 
        ① 対等の立場で聞くこと
② 土地の人になりきること


◇出発は郵便局員
郵便局員 15~25歳 
     高麗橋郵便局 T13.5.13~
大阪府立天王寺師範本科第2部 T15.2~
→  修齋尋常小学校訓導 S元年9月
  天王寺師範専攻科 S3.3~4.3
→  田尻尋常小学校訓導 
       東京高等師範の試験には落ちた
神保教子 
    大9(1920)周防大島生 
    久賀のお寺の一人娘
昭和8年9月 
   「口承文学」口承文学の会 
      宮本常一,織戸健造,高田十郎、南要,山口康雄,
      前原貞次郎、鈴木東一
小学校教員時代 
    昭和2年9月から
2人の先生 
      国文学の金子実英(後に金子又兵衛)
        - 関西大学・谷沢永一の師
地理の山極三郎
森信三   
    明治29年愛知県知多生 哲学を学ぶ
森71歳で出版した「日本文化論」校閲を行ったのは宮本常一
「人生二度なし」で知られる
昭和2年 有真香小学校


◇生涯の師・柳田国男
クロポトキン
    「相互扶助論」
     → 宮本は日常の体験や生活感覚から自分の問題に
昭和10年7月31日~8月6日 還暦記念講演会
宮本常一,折口信夫,金田一京助,伊波普猷,岡正雄,
    最上孝敬,大間知篤増、瀬川清子,関敬吾,大藤時彦








☆「教師 大村はま96歳の仕事」大村はま 小学館 2003年 ⑤(最終)【再掲載 2016.1】 

[出版社の案内]
「戦後国語教育の最大の失敗は、“教えない”先生が増えたことです」
と言い切る、〈国語の神様〉大村はま。「子どもの個性尊重」の名に隠
れて“プロとして教える”ことがおろそかになってしまったのではな
いか?  
百人の子どもに百種の教材を用意する。そして人と比べられることの
ない「優劣のかなた」で真の力を身につけさせることを目ざして、ひ
たすら実践を磨いた人の言葉は鮮烈である。国語教師を52年勤め、
96歳の今も新しい教材を作っている大村はまが、この1年間、渾身で
世に訴えた発言(講演、インタビュー)を集成。

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◇講演 「教材をつくる授業をつくる」 2002年12月6日 第5回朝日NIE講座
□能力別グループ学習で新聞を作る
 優秀なグループをいじめて弱いグループに手助け
  - 能力別グループの指導のために新聞に近付いた

□何のためにグループにするのか
戦後の失敗 
   = 1 先生たちが教えることを遠慮するようになった
     2 グループ指導が行われた 
   指導をせずに
3 話し合い指導
   やりっぱなし  
         討議を教えていない

□目的に合わせたグループ編成
4人 ABCDと席を決める 
     Aには必ず司会者
  座席表を配った  
    4人の内1人がその日の当番
◎グループ指導は子どもを理解し教材を理解したところにある
  自由に組むのではなくいろんな意味の配慮をしながら先生が
    指導すべき大切なもの 
     =  教師の腕のふるいどころ

□話し合いこそ戦後民主主義の基盤

□話し言葉を勉強する
 西尾実
   「話し言葉の会」

□話し合いは生きた言葉で指導する
 ◎ お芝居でなくその人になりこの人になり、言い方まで気を付け
   ながら鍛える

□教えることは手を引くこと

□よく読むなんて読み方はない
  ◎「本が呼びかけてくる」

□手引きによって子どもの心を耕す
  勉強っぽくなく

□何をどう書いたかという先生への手紙
  P185 作文に添えて

□楽しく本を探させる手引き 
  教師が子どもを教材を知っていたか

□書きたいものと心にもたせる手引き

□私の生まれた日
私は自分の学校の図書館の本は一冊残らず読んでありました
   - 全員の誕生日を調べて何もない日はないか?

□表現比べ  
  新聞と比べて
   - 花火大会
  
□私の構想する日本語教室
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「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ②(後) /「言語学者が政治家を丸裸にする」東照二 文藝春秋 2007年 ① 【再掲載 2012.11】 [読書記録 民俗]


今回は2月28日に続いて、宮本常一さんの、
「村の若者たち」の紹介 2回目(後)です。



出版社の案内には、

「農村から都会へと、大量に人口が流出した昭和30年代の高度経済成
 長期、村に残った若者たちの苦悩とその未来を描いた本書は、現在も
 全く色褪せず、我々の人生に光を灯してくれる。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「年季奉公 社会保障を誰がするか」


・「女中と女工  見習い奉」


・「戦後青年の概念のあやふや化し35歳、40歳までのところもある」
- 町の若連には60代の人も…


・「隅々まで光を」



もう一つ、再掲載になりますが、東照二さんの
「言語学者が政治家を丸裸にする」①を載せます。
逃げる言葉としか感じさせない現在の政治家の言葉…
再び東さんに分析していただきたいと願います。




☆「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ②(後)

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◇流離する若者たち
  年季奉公
  社会保障を誰がするか
     - 報恩
 
  農閑期出稼ぎ  
    杜氏  100日稼ぎ
    米つき、薪割り、稲刈り、麦まき、茶摘み
 農閑期・魚閑期
 
  援農出稼ぎ
  岡山  い草がり
 佐渡の青年 群馬の青年 社会見学
 
  イカつり
 
  肉体労働から技能労働へ
  塩田  
    浜子
     - 昭和34年「塩○作法」
 
  大工の出稼ぎ  乞食
 
  女中と女工
  見習い奉公
 
  苦学生
    書生


◇若者の古い組織
  若者組
  行事 自警 
     - 若者宿  労働訓練も
     → 青年団
    距離と制裁
 
  年齢階梯制度  


◇青年の位置の確立へ
  山本瀧之助『田舎青年』
    大日本連合青年団へ
 
  蓮沼門二 
    修養団運動

  戦後の青年運動
    青年の概念のあやふや化
      35歳 40歳まで
 
  生産活動への参加



◇明日への道
  農民芸術の樹立  
  <解説>佐野眞一
 
  土に芽生えるもの
  昭和38(1963)年に発表

  世を新しくするために
  佐渡-八珍柿
 
  隅々まで光を





☆「言語学者が政治家を丸裸にする」東照二 文藝春秋 2007年 ① 【再掲載 2012.11】

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◇小泉純一郎の魔術
 言葉が政治を動かす
 「私小泉も愛する皆さんのため」
  魔術の種は夫婦の会話にある 
    ① リポート・トーク 
    ② ラポート・トーク
  極北の分かりにくさ  
    竹下登の修辞学 
      ◎ 学者のように分かりにくい渦巻きスタイル  
  会話の協調原理 
    ① 質 
    ② 量 
   ③ 関連性 
   ④ 話し方 
 郵政選挙圧勝の秘密は「疑問形」にあり
  小泉
= ラポート・トークの政治家 
    漲る気迫,セリフをためる,疑問形を使う
「国民の皆さんに聞いてみたい」「なぜ」の繰り返し
◎ 素人の言葉を使った政治のプロ
  善悪二言論で国民を巻き込む
 「~ます形」と「~だ形」 
    ウチを演出する 
    フレーミングの力


◇安倍晋三の馬脚
  国会所信表明演説 
    安倍の短い文節数 ←→ ダントツの長さは橋本龍之介
  文末表現から首相診断 
    ◎ 消えゆく「~あります」
  小泉を徹底研究していた安倍晋三 
   「~します」
    明快で斬新なイメージ 
    安倍のカタカナ戦略
◎ 安倍式 
     ① 「あります」を失わない 
     ② 「~します」の多用
③ カタカナ語の多用
  顔を上げて話してほしい 
    37回もの「改革」(小泉)眼中に徴収なし         
  原稿のない即興の答弁を分析すると
    がらりと変わった安倍
     - 答弁では「あります。「あります」「ございます」多用     
  ◎ 疑問形の小泉 対 「ございます」の安倍   
     演説と答弁の開き
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「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ①(前) / 「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ②【再掲載 2015.3】 [読書記録 民俗]

今回は宮本常一さんの、
「村の若者たち」の紹介 1回目です。



出版社の案内には、

「農村から都会へと、大量に人口が流出した昭和30年代の高度経済成
 長期、村に残った若者たちの苦悩とその未来を描いた本書は、現在も
 全く色褪せず、我々の人生に光を灯してくれる。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「村の宿命
田畑に限りがあることから誰かが富むと誰かが没落する
家の外で自分を戒め控えめにすることから鬱屈した気持ちが家の中
  へ」


・「日本の村は小さい地域社会といえるが、不況の時は社会保障の役割を
  果たしてもいた」


・「兵隊、最初は農家の次男三男だった」


・「能登の次男三男が都会に出て風呂屋の経営者となることが多かった」


もう一つ、再掲載になりますが、飯田稔さんの
「職員室の経営学」②を載せます。




☆「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ①(前)

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◇村に残る若者の苦悶
  村に残る若者の悲しみ
 
  働いても褒められぬ生活
  孤独
 
  村の宿命
  限りがある田畑
  ~ 誰かが富むと誰かが没落する
 家の外で自分を戒め控えめに
     → 鬱屈した気持ちが家の中へ
 
  農に従う若者
  くたびれる生活 
  支出に現金
 
  伸びようと努力しても
  勉学の機会が与えられない
 
  さびれゆく村
    青年団の指名が少なくなってきた


◇せまい世界の余り者 
  せまい世界 
  自給自足の村
     = 他の村の世話にならない
 
  山田野理夫『南部牛追唄』
義務と責任ばかり多い
     - 堕胎間引き
 「生きていくことの難しさ」
 日本の村
     = 小さい地域社会
   ~ 不況の時は社会保障の役割
 
  妻子の意味
  村内人口制限
 大坂 
     「大和婿」
       - 律儀でよく働く
     次男三男は養子に行くより他にはけ場がなかった
 
  余り者 
  オジ・オジボーズ 名子、被官
    分家 
      次男三男の3割程度
       - 後はオジロクで終わる
   
  オバ暮らし  
白川村(女の子 外に出さない)
→ 大家族 ~ 労働者
   
  ◎ 村の中で一番手を焼いたのが余った人間の処分


◇次男三男の新しい世界
  富める者と貧しき者
  次男三男を村の外で生活のたつようにすること
  女子 
     - 東北 ~ 身売り  子どもを売る村
 
  兵隊 
    最初は農家の次男三男
 
  都会への道
  愛知県佐久島
     - 子どもをやる風習
    ハシケ業
 
  村に残る次男三男
    能登
     - 風呂屋







☆「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ②【再掲載 2015.3】

[出版社の案内]
今から10余年前、多くの人は“学校の活性化”を口にした。そして今、
大きな教育改革の時を迎えた。しかし、教育内容、方法などだけでな
く、最も変わらなければならないのは、教師その人ではないか。
学制130年、いつか強固にできてしまった教師の体質。職員室を中心に
つくられた、教師の人間関係や行動様式。これがまた、“学校の常識は
世間の非常識”と批判の対象になっている。本書は、教職の抱える問題
点、教師に気づいてほしいことなど、率直に書いた連載に、当面する教
育問題を書き加えるとともに、各章とも手直しして一冊にまとめたもの
である。

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◇一言多い人足りない人
思いこみに思い上がりが重なると

二言三言気を付けて笑顔で諭す

やはり大事な表現力
  言いたいことを一言多いと相手に感じさせずに巧みに言い切る
   表現力

一言足りない人も
  言いにくくても注意しなければならないことがある
→ ◎ 言う人の判断力と聞く人の素直さ
 

◇どうしてこんな事言うの
自ら解決しないで
   ~ 責任はだれがとる

  「教頭が」「教頭が」と… 
    → 大切なのは「わたしの不行き届き」

  
◇ちょっといい風景・ちょっといい話
いい風景 
    子どもが教師を取り囲む風景
     ~ 心理的支持基盤
  学校の御都合主義ばかりが…
  学校の自己責任・自助努力

  ちょっといい話 
    学校の苦労などジャーナリズムは知らない

  居丈高にならないで 
    教職の世界に被害者意識                             
どれほど努めようと叩かれるのは自分たち
  → 防衛本能が先に立つ 
       新しい教育実践を生み出す気持ちも鈍りがち
  でも教育改革の今、教師の気勢があがらないでどうする
スクールリーダー
     ◎ 風に向かって毅然として立ち校内を励ます人でありたい

  三つのいい話
 ◎「自信は謙虚さを生み,自信のなさは虚勢を張らせる」
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「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑩(最終) /「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ⑩【再掲載 2015.11】 [読書記録 民俗]

2023年締めくくりの今回は、12月11日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介10回目 最終です。



出版社の紹介には


「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
 ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
 く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
 にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
 出すのか?死者
 になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、
 自らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「贈与と交換を繰り返せば上下関係が並行になり絆が強化される」


・「上下関係(社会的関係)と厄払い(脱社会的関係)、2つの贈与。脱社
  会的贈与とは、お互いに恥じらいと思いやりを忘れた状態」


・「ケガレとは生命の対極に位置する死、生命力に対する死の力。『ケ
ガレの逆転』があり、埼玉県比企郡幾川村大野村の送神祭など、
  『汚いものが逆に縁起物になる現象』がある。」


・「貨幣には死が宿る。貨幣は死を内在させているものであり、貨幣は
すべてに死をもたらし、すべてを無化する。手切れ金、退職金がそ
れを表している」


・「稲を連想させる黄金色で藁のような筋目 がある大判・小判」


・「身近な生活の中の素朴な疑問から大きな謎が解けていく民俗学の
快感」






もう一つ、再掲載になりますが、小野田正利さんの
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応する
 か」⑩を載せます。

-「教育改革病」とも形容すべき矢継ぎ早で場当たり的な「教育改革案」
 の提示とそれらへの対応の強圧的姿勢も、急速に教職員の志気をそい
 でいます。

-「教師になんか絶対になるんじゃないぞ、と自分の子どもには言い続
 けている」と語る教師が急増し「こんなにも教師という職業が楽しく
 なくなったのはなぜでしょうか」と食って掛かるように私に質問する
 人もいます。


学校が「学びの場」でなくなりつつあるように感じます。
学びの姿勢を身に付けるために多くの無駄な時間を割いている現在の状況。
「チームで、チームで」と言われるようになってから、
教員個の力が低下しているのではないかと、わたしは思っています。
少しでも学校の状況がよくなるようにと来年に期待しています。




☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑩(最終)

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◇賽銭はなぜ投げるのか
1 民俗から見る貨幣
身近な疑問から
儀礼と貨幣
贈与の意味 
① 袋に入れてあげるお金         
        贈与交換による絆の強化
② みんなにまいてあげるバラ銭、コイン  
        領域侵犯に際しての贈与
贈与 
     あげた方が上
       → 返す 
     返した方が上 
       → 違う物を → …

◎ 贈与と交換を繰り返せば上下関係が並行になり絆が強化さ
     れる
贈与と領域侵犯
手土産をもっていくことにより±0
贈与  
      上下関係(社会的関係)
厄払い(脱社会的関係)
贈与と厄払い
脱社会的贈与 
       = お互いに恥じらいと思いやりを忘れた状態
忘我陶酔 
       芸能の状況世界

 
2 貨幣とケガレ
分析概念としてのケガレ
ケガレ  
       不潔、危険、感染性、強力

ケガレとは生命の対極に位置する死
         生命力に対する死の力
ケガレの逆転
埼玉県比企郡幾川村大野村の送神祭
= 汚いものが逆に縁起物になる現象
貨幣はケガレの吸引装置
① ケガレの逆転現象
② ケガレは貨幣に託されている

◎ ケガレを放ち捨てて祓い清めている
賽銭、厄払いのお金をまく

神社は人々のケガレの捨て場
神社はケガレの浄化吸引装置
ケガレから神へ
十字架のキリスト
貨幣には死が宿る
貨幣
      = 死(ケガレ)
  貨幣は死を内在させているもの 
        貨幣はすべてに死をもたらす
  すべてを無化する

◎ 手切れ金、退職金

 
3 貨幣の誕生
死は概念である
王権と貨幣 
     神を祀る者 
      = 時間と空間を解読する者こそが王の原点
神を祀る者
現世と他界の媒介者・境界人

◎ 王が解読する時間と空間のものさしのようなものとして
      つくられたのが貨幣ではないか
貨幣は王権の象徴である 
① 紀元前7世紀 
        リディア王 
        エレクトロン貨幣 
         → ペルシア金貨        
     ② 紀元前17世紀 
        宝貝 → 中国王朝
大判と石高制
日本独自の貨幣は金貨の大判・小判
大判・小判 
       ~ 稲を連想させる黄金色
わらのような筋目
大判金 
       十両 米十石
小判金
       一両 米一石

◇あとがき  
民俗学 
    ① 専門教育 学術研究
② 知識提供「社会還元」
    ※ ①+② 車の両輪
民俗学  
   - 身近な生活の中の素朴な疑問から大きな謎が解けていく民俗
    学の快感





☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ⑩【再掲載 2015.11】

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(4)体力と体温を奪われる学校

 規制改革会議などの答申文書を見ればよく分かるのですが、政府の進
める「構造改革」のー環として「商品としての教育」があけすけに語ら
れています。


そして、学校などに、バウチャー制度や学校選択制という形で変革を
追っています。


 こういった風潮が喧伝されれば、学校教育は「消費する対象」として
しかみられず、満足できるような教育を「共に作り上げる当事者として
の子ども・保護者」という存在は消し去られていきます。


 このことが、子どもを前にして対等に協力しあう関係ではなく「顧客と
サービス提供者」という間違った関係性意識を生み出すことになります。


 したがって理不尽な要求は、必ずしも公立学校に多いというわけでは
なく、むしろ私立の進学校の方にも相当に厳しい現実があり、保育料を
払う保育園・幼稚園も悲鳴をあげているのです。
  


「教育改革病」とも形容すべき矢継ぎ早で場当たり的な「教育改革案」
の提示とそれらへの対応の強圧的姿勢も、急速に教職員の志気をそいで
います。


 教員評価制度と給与査定への反映は、教師文化の中にあった同僚性を
弱め「自分にさえ降りかかってこなければ」とか「火中の栗を拾うもん
じゃない」という孤立主義的傾向を強めさせ、結局は保護者からの多様
な願い(要求)を受け止める保水力を失いつつあります。
  

「教師になんか絶対になるんじゃないぞ、と自分の子どもには言い続け
ている」と語る教師が急増し「こんなにも教師という職業が楽しくなく
なったのはなぜでしょうか」と食って掛かるように私に質問する人もい
ます。


 複雑化する子ども遠の実態への対応、矢継ぎ旱に降ってくる上からの
「教育改革」への対処、能力を超えた過大な要望の前に苦悩する学校と
いうのが今の日本全体の状況です。


 定年前に「教師を降りる」人は急増し、能力的にも高く真面目な青年
が教職に就くことを忌避する傾向が進んでいることは危機的に思えるの
です。
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「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑨ /『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑦【再掲載 2015.7】 [読書記録 民俗]

今回は、12月1日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 9回目です。



出版社の紹介には


「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
 ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
 く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
 にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
 出すのか?死者
 になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、
 自らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「霊長学者・水原洋城『死は事実でなく概念だ』」


・「天から大地へそして海原へと恵みと災害を与えながら流れ落ちる両
義的な『雨』の表象がスサノオの神格に組み込まれている可能性」


・「死の世界が黄泉という漢語で表現されていることは、死の世界を顕
  す古代の日本語が存在しなかったことを示すのではないか」


・「神々を生み成したイザナミは神黄津大神になった。イザナミは生死
両界の創造者」




もう一つ、再掲載になりますが、有馬朗人さん、中西進さんらによる
「日本例話大全書」⑦を載せます。




☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑨

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◇死の神話

1 死の神話
死の発見  霊長学者・水原洋城「死は事実でなく概念だ」
「古事記」と「日本書紀」
三つの神話 
     A イザナギ・イザナミ神話
B アマテラス・スサノオ神話
C スサノオ・オオクニヌシ神話
A イザナギ・イザナミ神話
[高天原・大八島・黄泉の国]
① イザナギ・イザナミの高天原からの天降り
② 二神の結婚と大八島及び神々の生成
③ 火の神迦具土に焼かれたイザナミの死
④ 黄泉の国での黄泉戸喫(よもつぐい)
⑤「見るな」の禁忌とその破禁
       ⑥ 追跡と逃亡 
⑦ 黄泉比良坂での事戸渡し
⑧ 死穢の禊祓(ばっけい)による三貴神の誕生 
⑨ アマテラスへの高天原とスサノオへの海原の委譲
B アマテラス・スサノオ神話
[根の堅州国・天岩戸・高天原・蘆原中国]
       ① イザナキによるスサノオの追放
② アマテラスとスサノオの天安河の誓約
③ スサノオの乱暴
④ 天岩戸
⑤ スサノオの高天原からの追放
C スサノオ・オオクニヌシ神話
      [根の堅州国・葦原中国]
① 八十神の迫害
② 根の堅州国訪問
③ スセリヒメとの結婚
④ スサノオによる迫害
⑤ スセリヒメや鼠の援助
⑥ スセリヒメの逃亡
⑦ 黄泉比良坂でのスサノオの声援
⑧ オオクニヌシによる葦原中国の国づくり

◎ 神々と国々の生成の物語

◎ 神々の役割分担と領域設定の物語

 ◎ 天から大地へそして海原へと恵みと災害を与えながら流
     れ落ちる両義的な「雨」の表象がスサノオの神格に組み込
     まれている可能性
  死の世界
1 死の世界が黄泉という漢語で表現されている
~ 死の世界を顕す古代の日本語が存在しなかったことを
       示す
2 神々を生み成したイザナミこそ人間をくびり殺す恐怖の死の
    神黄津大神になった
イザナミは生死両界の創造者
◎ 死には生者を引きずり込む危険な力がある
→ みそぎはらい、穢れ観念の発生
死穢の逆転が神々の誕生
死穢はイザナギにより小門の阿波岐原で禊ぎ祓われた

三貴神の誕生 
        目
鼻 アマテラス ツクヨミ スサノオ
死穢の逆転の結果誕生  
死の豊饒性
A イザナギ
        - 黄泉の国
        - イザナミ
        - 逃走と帰還
        - 黄泉比良坂での事戸渡し       
        - 三貴神の誕生 
C オオクニヌシ
        - 根の堅州国
        - スサノオ
        - 逃走と帰還
        - 黄泉比良坂での応援
        - 国づくり
◎ 共通するのは死の豊饒性


2 地獄・論 - 地獄の起源
女性と生死
     - シュメール
死後の審判
     - エジプト
地獄の起源
     - ゾロアスター
   霊魂の永遠性
     - ギリシア
天国と地獄
     - ヘブライ
仏教の地獄
     - インド
地獄と地獄絵
     - 日本
地獄と東西
     - 無化と融合  
日本の地獄イメージ  
     源信の「往生要集」
西洋の地獄
     = インフェルノ  
       墜ちたら終わり永遠に     
↑↓
日本の地獄   
     ◎ 救済する仏の生存







☆『日本例話大全書』有馬朗人・中西進他 四季社 2001年 ⑦【再掲載 2015.7】

1.jpg

□お金と無縁と過ごした画家 
  池大雅(1723~1776) 江戸期・南画家
 
□貧しさの中の洒落ごころ 
  十返舎一九(1765~1831)
 
□未熟さを知ってバネとする 
  葛飾北斎(1760~1849)

□借金を
  十返舎一九(1765~1831)

□清貧に甘んじた慈悲の尼 太田垣蓮月
  太田垣蓮月(1791~1875)歌人・陶芸家
権勢や名利と無縁にひたすら慈悲に生きた

□貧乏を平然とできる人 
  橘曙覧(1812~1868)江戸期末・歌人

□貧乏よりも友情に泣く
直木三十五(1891~1934) 本名=植村宗一
  植の字を直と木に → 名は三十一から三十二…三十五
菊池寛 昭和10(1935)年
直木の大衆文芸における業績を記念して直木賞を創設
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「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑧ /「腕白小僧がいた」土門拳 小学館文庫 2002年【再掲載 2014.6】 [読書記録 民俗]

今回は、11月28日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 8回目です。



出版社の紹介には


「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
 ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
 く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
 にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
 出すのか?死者
 になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、
 自らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「『枕飯と火』箸は死者の食物を明示している。米の力で死者の魂をつ
 なぎ止め、餓鬼悪霊が取り憑かないようにする。ロウソクの火は特別
 な世界を表す」


・「10世紀、死は人間にとって必ず訪れる人生の締めくくりであり、
 『何も思い残すことはない』という最期の言葉と穏やかな死に顔こそ
 が理想であった」


・「石塔の初めは五輪塔。1167年藤原基実の墓石」


・「日本では土葬と火葬が古代以来ずっと長く併存」


・「浄土真宗葬儀では門徒寺住職より『白骨の御文章』がよまれる。
  -『我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず』
-『朝には紅顔、夕は白骨』」
は、死の宗教たる浄土教の一つの到達点」


我が家の菩提寺は浄土真宗であり葬儀の際、
『白骨の御文章』を聞きます。
年齢を重ねていくにつれ、その言葉が心にしみてきます。




もう一つ、再掲載になりますが、土門拳さんの
「腕白小僧がいた」を載せます。





☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑧

1.jpg

◇葬儀と墓
1 葬儀の知識
香典とは何か  
     米
      - 労力を提供し合い食事を共に
  一 俵香典
葬儀と酒    
     湯灌酒 穴掘り酒

      - 生命を守る米の力の凝縮
葬儀と血縁
枕飯と火    
     箸
      - 死者の食物を明示
 米の力で死者の魂をつなぎ止め、餓鬼悪霊が取り憑かない
      ようにする
ロウソクの火
      - 特別な世界
湯灌と清拭   
     産湯と湯灌
湯灌と焼香   
     十世紀 
      - 死は人間にとって必ず訪れる人生の締めくくり
※「何も思い残すことはない」という最期の言葉と穏やかな死に顔
    こそが理想であった。 
   遺影      
      写真が飾られるようになったのは1970年代以降葬儀社進出に
     よる

棺の蓋を開けての個人との最期の対面が身内だけに省略され
     てきた
   葬儀の祭壇   
     新しいもの
野辺送りの葬列こそ最重要
     葬儀式
      → 告別式中心へ
   位牌      
     義満
      - 出家姿の絵 
      ~ 室町時代より
   読経と弔辞
塩と清め    
     会葬御礼の塩袋は葬儀社の発案
初七日 
     四十九日法要
「続日本紀」大宝2(702)年 持統天皇の葬儀の時から
四十九日法要
初七日当日にすませてしまうことが多い
49日間に極楽往生できるかどうかが決まる

遺族は忌み慎みの生活をして法事と墓参
笠の餅、引っ張り餅  
       生者と死者の食い分かれ
四十九餅


2 死者と墓
石塔を建てる
     明治以後に多い
初期  
     夫婦が幸せでも一緒につながっていたいという気持ちから自
    分たちで建てたものが多かった
石塔の初め   
     五輪塔 
     1167年藤原基実の墓石
墓石と流行   
     墓石
      - 形式・碑文・材質の変遷
洗骨見学記   
     沖縄 女性 墓室
火葬と遺骨   
     日本 
     土葬から火葬
散骨の伝統   
     平安・淳和天皇(786~840)散骨を命ずる

風葬 - 時間を掛けて遺骨の確保をはかる
火葬 - 焼却こそ第一の目的
遺骨と毛髪   
     納めることが大切
土葬や風葬の行方 
     日本では土葬と火葬が古代以来ずっと長く併存

◎ 沖縄等南島吐息では風葬が一般的

 
3 辞世の歌
親の死に目
    「親の死に目に会えないぞ」
      = 「親より先に死ぬぞ」の意味
辞世の歌    
     恐怖と諦観 折り合わせ
死の恐怖は歌により克服され和らげられてきた
白骨の御文章
 「それ人間の浮生なる相を、つらつら観ずるに、おほよそは
      かなきものはこの世の始中終、まほろしのごとくなる一期
      なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりといふ事をき
      かず。一生すぎやすし、いまにいたりて、たれが百年の
      形身体(きょうたい)をもつべきや。我やさき人やさき、
けふともしれずあすともしらず、おくれさきだつ人は、も
      とのしずくのすゑの露よりもしげしといへり。されば、朝
      には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに无常
      (むじょう)の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこ、
      たちまちにとぢ、ひとつのいきなかくたえぬれば、紅顔む
      なしく変じて、桃梨のよそはひもうしなひぬるときは、六
      親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめど
      も、更にその甲斐あるべからず。さてしてもあるべき事な
      らねばとて、野外に送りて、夜半のけぶりとなしはてぬれ
      ば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふも、中々おろ
      かなり。されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしょう
      ふじょう)のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大
      事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念
      仏まうすべきものなり。あなかしこ。あなかしこ。」
蓮如(1415~1499)85歳
浄土真宗葬儀
「白骨の御文章」 門徒寺住職より
「我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず」
「朝には紅顔、夕は白骨」

◎ 死の宗教たる浄土教の一つの到達点
宗教と学問
  「六道輪廻の間には、ともなふ人もなかりけり 独り生まれ
      て独り死す、生死の道こそかなしけれ」    
                     一遍(1239~1289)51歳

「あす如何にならむは知らず今日の日の今日するわざにわが
      命あり」
津田左右吉(1873~1961)89歳

「老いてまた待つべきことの有り顔にほほえむ翁あはれ八十七」
柳田国男(1875~1962)88歳






☆「腕白小僧がいた」土門拳 小学館文庫 2002年【再掲載 2014.6】

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◇土門拳
 1909~1990 
    山形県酒田市生
1935 
    日本工房入社  
      報道写真家としてスタート 
  1940 
    古寺撮影
  『古寺巡礼』ライフワーク  
      リアリズム論争


◇下町の子どもたち
  近藤勇と鞍馬天狗   
  焚き火   
  落書き   
  泣く子   
  おでん屋
帰りにキャラメルチョコレート
  お使いとお駄賃   
  のぞきからくり 
  金魚すくい   
  針金細工   
  夕涼み   
  シャボン玉  
  お祭りの日
  新香細工  
  新聞配達


◇露地ですべて学んだ 群ようこ(昭和29小石川生)
  「早く遊びに行きなさい」母から
  「天気がいいのに何で外で遊ばないの」
路地 
   - 友達 
     気のいいおじさん、おばさん 
     怖いおばあさん、おじいさん
 野良猫 野良犬


◇日本の子どもたち
  団らん  
  とっくみあい  
  切り株  
  田がき  
  香具師  
  お使い小僧


◇筑豊の子どもたち
  尻っぱしょり  
  紙芝居   
  弁当の写真(もっていない子)


◇時代を超えたメッセージ  柳田邦男
  『筑豊の子どもたち』1960年春  
     子ども大好き
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