今回は、4月13日に続いて、親野智可等さんの
「プロ親になる」紹介の4回目です。



出版社の紹介には

「子供を伸ばす親の総合力を『親力』と呼んでいます。例えば、子供を愛し、
 受け入れ、褒めて、伸ばしてやる力です。または、子供によい環境を作って
 やったり、楽勉をプロデュースしたりする力です。この本では、皆さんの親
 力をさらにパワーアップさせるための発想、アイディア、テクニックなどを
 紹介しています。」
 
とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「クラスに(日本地図)のジグゾーパズル常備」


・「漢字指書き一日一分作戦 → 毎日少しずつで記憶を定着」


・「算数の文章題を解くコツはズバリ図を描くことにある
 → 図を書く力を鍛える」
- 文章題の秘訣はもう一つ「わたかず」にあるとわたしは感じます。
  「わ」かっている数2つに直線、
  「た」ずねられている数に波線
 を引いてから取り組むように声をかけています。


・「テスト前に理科や社会の教科書を音読すれば断然優位
 → テスト前の音読」
- テストを配付した際、
 「すべての文字を音読してから取り組もう」と言います。 
 やる子とやらない子の違いは大きいように感じます。
   


もう一つ、再掲載になりますが、藤尾秀昭さんの『小さな人生論』より
「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」
「真理は現実のただ中にあり」
を載せます。
10年以上前に載せた記事なのにもかかわらず、
現在でも多くの方に訪れていただいています。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。






<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。



☆「プロ親になる」親野智可等 宝島社 2005年 ④



◇「楽勉」のすすめ(1)
  
□親力57 <社会>ジグゾーパズルで地理の楽勉ができる 
クラスにジグゾーパズル常備

  
□親力58 <社会>大河ドラマで歴史通になろう
映像の力で時代をまるごととらえる

  総集編で時代を概観する
  
  
□親力59 <社会>地球儀の不思議な魅力
「世界の中心」はない

  
□親力60 <国語>「漢字指書き一日一分」を続ければ漢字の天才になれる
「漢字指書き一日一分」作戦
毎日少しずつで記憶を定着

  
□親力61 <国語>漢字しりとりで漢字のパーツに強くなる
  漢字しりとり  
前の漢字の一部(パーツ)しりとり
1 続きをかけなくなった人が負け
2 かけなくなったら前の人が代わりに書いてやる

  
□親力62 <算数>分数のある生活で分数の壁を乗り越える
生活の中で出合う分数
   ◎リットル図 
    ◎テープ図

  
□親力63 <算数>算数の文章題を解くコツはズバリ図を描くことにある
◎ 繰り返してやるのが上達の近道

◎ 図を書く力を鍛える

  
□親力64 <理科・社会>テスト前に理科や社会の教科書を音読すれば断然優位
◎ テスト前の音読

  

□親力65 <理科>虫眼鏡は不思議な世界への入場券
安全は確保

  
□親力66 <理科>星や星座を数えれば尊敬される
自分の目で見たという自信

  
□親力67 <理科>プラネタリウムは最新の教育施設である
「勉強、勉強」と言う前に









☆「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」「真理は現実のただ中にあり」 - 『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より ⑪ 【再掲載 2012.2】



◇霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味

「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」しみじみと胸に響く言葉である。


 軒端に吊るされた渋柿は冬の寒天にさらされ、霜に打たれることで何とも言
えぬ美味に染まる。


 人間も同じである。辛苦に耐えることで人としての風味を増すのだ。


 ある文芸評論家が、こう言っている。

 「日陰がなく、日向だけの男は暴力である」

 病気を知らず、逆境に悩んだこともなく、挫折に苦しんだこともない。人生
の陰影に乏しく、ただ明るいだけの男は、存在そのものが堪え難い、というの
である。


 同じことを別の観点から言ったものだろう。


 しかし、柿は霜に打たれれば確実に旨味を増すが、人間は辛苦に耐えればそ
れでいいのだろうか。


 辛苦を味わうことで人の痛みがわかり、思いやりに溢れた滋味を身につける
人がいる。


 だが、辛苦の経験が偏狭さとなり、傲岸不遜、悪どくしたたかになってしま
う人もいる。


 大事なのは辛苦そのものではなく、耐えるというその一語の重さにある。


 辛苦を味に変えるような人生をこそ、生きたいものである




◇真理は現実のただ中にあり

 『二宮翁夜話』 にこんな一節がある。


 二宮尊徳がある村を巡回した時、怠惰・無気力で、掃除もしない者がいた。


 その人に、尊徳はこう諭した。


 こんな不潔きわまることにしておくと、お前の家はいつまでも貧乏神のすみ
かになるぞ。貧乏からのがれたければ、まず庭の草を取って家の中を掃除する
がよい。


 また、こんなに不潔では疫病神も宿るに違いない。だからよく心がけて、貧
乏神や疫病神がおられないように掃除しなさい。


 家の中に汚ない物があればくそばえが集まるし、庭に草があればへびやさそ
りが得たりとばかり住むのだ。

 肉が腐ればうじが生じる。

 水が腐ればぼうふらが生じる。

 そのように、心や身が汚れて罪とがが生ずるし、家が汚れて病気が生ずるの
だ。

 恐ろしいものだぞ。


 現実を知りつくした人の言葉である。


 同時に、この言葉は現実を変革する力も持つ。


 つねに自然を師とし実行を友とした人ならではの言葉である。


 この尊徳の言葉に大きな影響を受けた一人に森信三氏がいる。


「まことの道は天地不書の経文を読みて知るべし」の言葉に、氏はそれまで尾
てい骨のように残っていた大学的アカデミズムから完全に解放された。


 真理は哲学書の中になどない。


 むしろ、この現実の天地人生のただ中に文字ならぬ事実そのものによって書
かれている。そのことに開眼したのである。


 天地不書の経文から何を学ぶか。


 各人各様の人生の課題がここにある。