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「目と耳と足を鍛える技術」佐野眞一 ちくまプリマー新書 2008年 ②(後) /「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ①【再掲載 2017.4】 [読書記録 一般]

今日は4月27日、土曜日です。


今回は、4月24日に続いて佐野眞一さんの
「目と耳と足をきたえる技術」の紹介 2回目(後)です。


出版社の案内には、

「脳みそに汗かいて考えろ!世の中の動きと人びとの生態を一つ余さず凝
 視し、問題意識を身につける技術とは?必読書“百冊”を厳選した最強
 のブックガイド付き。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「日本の高度成長牽引の両輪は
   ①高等教育の普及 と ②メディアの発達」


・「インプットからアウトプットへ」


・「高度経済成長三部作 中内㓛 正力松太郎 宮本常一」


・「『美しく大きく誰にも反論できない』説には眉唾」



わたしは、佐野さんのノンフィクションが好きでよく読みました。


もう一つ、再掲載になりますが、柴山一郎さんの
「教育一分話」①を載せます。






☆「目と耳と足を鍛える技術」佐野眞一 ちくまプリマー新書 2008年 ②(後)

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4 人物を見て社会を聞き時代を歩く
  『巨怪伝』1994 文藝春秋 正力松太郎
警察官僚
       → 読売新聞 

   大正12(1923)年暮れの虎ノ門事件
難波大助が摂政宮を狙撃
警護の責任を取って警視庁辞職

展覧試合 
     昭和34(1954)年6月25日 
     展覧試合のシーンから書き始め

リビドー 
     日本の高度成長牽引の両輪 
       ① 高等教育の普及 
       ② メディアの発達

  「日本人だ」『凡宰伝』2000 文藝春秋

  評伝とタイトル
   『凡宰伝』の小渕恵三と『てっぺん野郎』石原慎太郎
   
  背中を書く 
   『昭和虚人伝』1989 文藝春秋  
     江副浩正や細木数子



5 発想をかえる 
オリジナリティー  
     数字の効果

   ごみを遡行する 
     『日本のゴミ』1993 講談社  
       消費 - 流通 - 生産プロセス遡行
   
   終末からの文明批評  
     前田学・水質係主査  残飯屋 弥勒久 

   新手一生 
     『だれが本を殺すのか』2001 プレジデント社

   業界紙 
     『業界紙諸君』1987 中央公論社  
        こんにゃく新聞 村上貞一氏88歳

   三行広告 
     『紙の中の黙示録-三行広告は語る』1990 文藝春秋



6 インプットからアウトプットへ
図書館の利用

   『枢密院議長の日記』2007 講談社現代新書
倉富勇三郎の日記 297冊 大正81.1~昭和19.12.31
資料等のみにしたい

構成という難関 
    「宮中某重大事件」くにの宮の婚約辞退 
      - 家系に色盲遺伝子

   「ボルト」と「ナット」  
     鳥の目,虫の目
   
   執筆 
    テーマというボール 
    『旅する巨人』人間は伝承の森である 



7 ライフワークの旅
読む力
    『旅する巨人-宮本常一と渋澤敬三』1996 文藝春秋
高度経済成長三部作の最後(中内,正力,宮本)

   宮本常一の写真  
     『渋澤家三代』1998 文藝春秋 

   満州,沖縄



8 わたしの修業時代
幼少期 
     2007年暮れ 座談会 佐野眞一&半藤一利&宮部みゆき  
     下町

   学生時代 早稲田大学文学部 昭和40(1965)年
「美しく大きく誰にも反論できない」説には眉唾



9 歩く見る聞く者の戒めと覚悟
匿名と実名 
    『東電OL殺人事件』 2000年 新潮社

   怒りと爆発 
    『暴走-JR西日本脱線転覆事故』2005






☆「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ①【再掲載 2017.4】
 
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◇福沢諭吉  
    粗衣粗食,一見看る影もない貧書生でありながら,智力思想の活
   発高尚なることは王侯貴族も眼下にする
    自ら労して自ら食うは人生独立の本源なり
    文明開化,独立自尊


◇最澄
   一隅を照らす是国宝なり
受けて恩を忘れず施して報いを願わず


◇親鸞    
   人間はあやまちを冒さずには生きられない悲しい存在だ


◇鍋島直茂  佐賀藩祖
 人間には上中下の三種類がある
    上 
     = 他人のいい分別(考え)を学んで自分の分別にする人間
    中
     = 他人から意見をされてその意見を自分の判断に変える人間
下 
     = 他人から良いことを言われてもただ笑って聞き流す人間

  「上の人間は,他人のいいところを自分の胸から腹に飲み込んで,も
   う一度吐き出す。中は他人から学んだことを胸まで飲み込んで下に
   落とさない。下はどんなに良いことを聞いても耳に入らない。」


◇ミルトン 
   1608~1674年 イギリス詩人
「心は天国をつくり,また,地獄をつくる」


◇パスカル  
   1623~1662年 フランス・科学者哲学者
人間は考える葦である

  「人間は一本の葦である。自然のうちで最も弱い葦に過ぎない。しか
   し,それは考える葦である。これを押しつぶすのに宇宙全体が武装
   する必要はない。しかし,宇宙が人間を押しつぶす時も,人間は彼
   を殺すものよりも高貴であろう。なぜなら人間は宇宙が自分より勝
   ることを知っているからだ。宇宙はそれを知らない。だからよく考
   えよう。そこに道徳の原理がある。」


◇アダムズ  
   1767~1848年 
   アメリカ第六代大統領 モンロー主義推進者
「汝の祖先を思い,汝の子孫を思え」
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「この国の教育のあり方」山口隆博 アルク 2007年 /「国家を考えてみよう」橋本治 ちくまプリマー新書 2016年 ①【再掲載 2017.10】 [読書記録 教育]

今日は4月26日、金曜日です。

今回は、山口隆博さんの
「この国の教育のあり方」を紹介します。


出版社の案内には、

「月刊『子ども英語』誌上において、ぜひ会って話を聞いてみたいという
 方々に会い、インタビュー記事を連載。そのなかから、とくに『教育』
 というテーマにしぼり、読者からの反響が高かった15人に再登場いた
 だき、出版。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「ナナメの関係」


・「光るものを見つけ出すのが教師の責任」


・「子どもの主体性を奪うことが悲劇を生む  
  周囲の元気が子どもを変えていく」


・「学力とは『自分の意見を言える力』」


・「ほんとうの学力は人間のポテンシャル」




もう一つ、再掲載になりますが、橋本治さんの
「国家を考えてみよう」①を載せます。




☆「この国の教育のあり方」山口隆博 アルク 2007年

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◇陰山英男
立命館小学校副校長
悪い事例に目くじら立てずよい事例に目を向けて挑戦を
改革を進める過程でトラブルはつきもの
大切なのは子どもが元気になること


◇藤原和博
かつての学校はまぶしい存在だった
ひとつの「正解」ではなく「納得解」をさがす力が必要
  ナナメの関係


◇金森俊朗
子どもの学びたいものが無視されている  
    先生はキャッチャー


◇親野智可等
杉山桂一 1958年生  
   「親力」と「楽勉」


◇宮城まり子
「光るものを見つけ出したい」
    - それが教師の責任


◇岡田尊司
1960年香川県生 精神科医 京都医療少年院
子どもの主体性を奪うことが悲劇を生む  
    周囲の元気が子どもを変えていく


◇魚住絹代
元女子少年院法務教官
親の無条件の愛 
    自分の「居場所」と「存在価値」を求め続けて


◇平井雷太
1949年生  すぺーすらくだ
一方的な押しつけでは子どもは決して育たない
なぜどの子どもにも同じ宿題が出されるのか
時間を計ることで子ども自身が自分の先生になれる
自分が学ばない人は教えない方がいい


◇有元秀文
国立教育政策研究所教育課程研究センター
「読解力」
学力とは「自分の意見を言える力」


◇鈴木敏志
未来教育デザイナー  
  競うのではなく「意志ある学び」で能力を高める


◇堀田力
1934年京都府生  
  逆戻りさせてはならない人を育てるゆとり教育


◇北城挌太郎
1944年生 日本IBM  
  イノベーションの担い手を育てる教育


◇寺脇研
1952年生  
  臨教審から国家の目標が変わった


◇村井実
慶応大学名誉教授
「個のための教育」を  
  ほんとうの学力は人間のポテンシャル






☆「国家を考えてみよう」橋本治 ちくまプリマー新書 2016年 ①【再掲載 2017.10】

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◇国家を考えない

□2つの国家
① 国家=国民  
       nation 人 = 国民を中心にして考える
② 国家=領土  
       state  土地=  領土を前提にして考える

□昔の中国の「国」と「国民」の考え方
國 クニ  境界
邑 クニ  人のいる国

□国家は誰のもの?
「国家は支配者のもの」
→ 「国家は国民のもの」(近代国家)

□国はなかなか国民のものにならない
 「国」と「国家」はどうちがう?
 国家
   - 家長のもの(天皇)

□長い間「国家」と無縁だった日本
明治時代から「国家」という言葉が定着
天下と国家

□日本で国家が始まる

□日本に「国家」がやってきた

□日本人である前に町人、百姓だった(階層)

□武士のみ「我々日本人」
  明治維新は一部の限られた日本人(支配階級)のやったものであった 

□王政復古と大政奉還

□明治の「国家」は天皇のものだった 
明治の「国家」
   = 天皇  
  「政府」
   = 国家を支える組織

□天皇がなんでもできる憲法
帝国憲法
   ~ 日本は天皇のもので天皇は何でもできる

□天皇も国民のように騙せられる
  しかし、天皇は何でもできるわけではない
    = 「天皇は何でもできる建前になっている」
       - 最終的に決定する権利を持っているだけ     
  とかく「国家」という言葉を使わなかった人

□福沢諭吉が語る政府
 <元来人民と政府との間柄はもと同一対にてその職分を区別し、政府
   は人民の名分となりなりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべし
   と、固く約束したるものなり>
                   - 社会契約説に基づいて
  「政府と人民は約束してなんかいないんだから、政府の言うことにな
   んて従う必要なんかないよ」
     と暗に言っている
  「政府に従わなくていい」という罠
   = 政府への脅し
  ◎福澤は「学問のすすめ」の中で「国家」という言葉を使わなかった
    「政府も天皇のもの」にしてしまった人たち
  福澤 
   大日本帝国憲法が発布される前年『帝室論』
   「天皇はいくら尊敬されてもいいが政治に関係すべきではない」
  政府
   ~ 国家を運営する組織
  ◎ 後に「政府」を構成するような人たちが、まだ若い明治天皇を担
   ぎ出して始まったのが明治維新
  政治の中心は「政府」            
  文句の言いようのないシンボリックな人を担ぎ出したのはOK
  ◎「天皇は何でもできる」という前提を作っておけば「天皇がご了承
   になった」のひとことで明治政府はなんでもすることが可能になっ
   てしまう  
  「国家」や「天皇」から逃げる福沢諭吉
  「国家」に逆らうと国家的な不良になる
      昔のまともな人間は「親に背く不良」になることが怖くてで
     きない
     ~ 国家を批判することは、家長である「お父さん=天皇」の
      悪口を言うことになるのでできなかった
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