「個性なんて人に育ててもらうもんじゃない。潰されても潰されても,負けるもんか、負
 けるもんかと出てくるものが個性です。」





今回は、人間学を謳う月刊誌『致知』の
2005年6月号と2005年7月号の要約を紹介します。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「人間の力は出し切らないと増えない,それがお金と違うところ」


・「物事の本質は常に現場にある」


・「民間企業の商業的側面、 消費者の無責任、 政治・行政の先見性のなさ・説明不足」


・「新しいリーダー像 = キャパシティ」
- いろいろな意見を広く受けとめられるリーダー、大きさを感じます。




もう一つ、月刊誌「ラジオ深夜便」2013年3月号より、
第七回「ラジオ深夜便こころのエッセー」賞に輝いた、
堀田春枝さんの「始まりのことば」です。

素晴らしいエッセーです。

勇気をいただきました。

「ラジオ深夜便」誌、随分前から定期購読しているのですが、
長い間積んだままになっていました。
ふと手にとって読んだ本号、目が覚める思いでした。

楽しめて学べる月刊誌です。








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(1)『致知』2005年6月号・2005年7月号



◇居ル所赫赫ノ名ナキモ去リテ後,常ニ思ハル  牛尾治朗
  
□減少に転じる日本の人口 
   
   2040年には1億人を切る
  


□狡兎に三窟あり 

 小さな政府

人間の質の向上 → 優れた人材にお金を



□後になってその偉大さが理解される







◇特集「活力を創る」巻頭言
  
□東洋工業の村井勉(のちアサヒビール → JR西日本)

  3点 
   ① 企業は常勝集団たれ 

   ② 情熱を持ち続けよ 

   ③ 努力は必ず誰かが見ている             





□ポイント 
 ① 企業家精神を持たせる


 ② 情報に対する鋭い感性を涵養する
                                               ③ 自分は企業躍進の原動力という自覚を持たせる




自身に

  「今という環境をあなたは一生懸命に生きているか?」

 
  「あなたはどれだけの情熱を持って生きているか?」







◇組織の活力をどう生かすか  平尾誠二・中田宏
  
□「ラグビーには人生の全てがある」矛盾の固まり



□楽しいことがスポーツの原点

「人間の力は出し切らないと増えない,それがお金と違うところ」



□物事の本質は常に現場にある

 ごみ現場  

  ① 民間企業の商業的側面

  ② 消費者の無責任

  ③ 政治,行政の先見性のなさ,説明不足
  


□一人一人が考える組織に  

 試合中は選手に任せる
  


□自発性をいかに引き出すか 

  「公私混同は大いにしなさい」



□新しいリーダー像 = キャパシティ







        
◇教育に活力を付けよ 宮川俊彦・野口芳宏
  
□今教育現場は柵のない放牧状態

 野口:硬派の教育「徹底して教えるべきだ」



□教育の活力は教師の活力だ



□まず学校教育の深い反省を = 親を育てたのも学校教育



□女子教育の衰退 
 これこそが家庭崩壊の原因 

 小原国芳「母のための教育学」



□知識注入教育が日本国家のベースとなった

 桃太郎はなぜ鬼退治に行ったのか



□考え書くことで自分自身を客観化する

 子どもの活力 = 「気付きと目覚め」



□「禁止」を禁止する



□まやかしの言葉を見抜く力が必要
  


□教育は先生次第



□教育の使命は安定した社会の構築
   
 男女共同参画社会 - 文化破壊



□画一教育でなければ学校の意味がない

作文分析 明治期~昭和中期 

   

□ベスト3ワード

① 一所懸命 

② 努力 

 ③ 頑張る
  
 

□野口
 
「個性なんて人に育ててもらうもんじゃない。潰されても潰されても,負けるもんか、負
 けるもんかと出てくるものが個性です。」














(2)「始まりのことば」 堀田春枝(岩手県宮古市 六十三歳) 第七回「ラジオ深夜便こころのエッセー」賞受賞エッセー




 向こうの山の端に、絵に画いたような入道雲が連日居座り続けている。あの山並みを眺
める度に、胸に湧きあがる言葉がある。


「楽しい人生だった。」


 主人のこの一言。


 そして、そう言い切った時の後ろ姿が、震災後の日常の様々な場面で、私を支えて来て
くれた。




 忘れもしない音の記憶。「シャワシャワ、シュルシュル、ビタビタ……。」地面を這う
ようにして玄関から入って来た水。驚く間も無く主人に脚を抱えられ、階段を引きずり上
げられて、踵が濡れる寸前に逃げ切り、店の屋上へやっと避難できた。


 そして、その眼の前に広がった信じられない光景は、我々の想像を遥かに超え、時間も
思考もそこで止まってしまった。


 大きな真っ黒い波は街中を飲み込み、車や建物をものすごい速さで引きずり回しで流れ
て行く。


「おじいさんガンバッテー」と屋根の上から叫ぶ声に目をやると、逃げ遅れた近所の長老
が自らを電柱に縛りつけ、流れに耐えている。


 遠く「誰か助けて 」とエンドレステープのように繰り返す若い女性の悲鳴。



 恐る恐る下をのぞくと、濁流の中を家や車と共に大きなガスボンベが三、四本ガスを吹
き出しながら、ネズミ花火のようにぐるぐると渦を巻いて近づいて来る。



「あのボンベが家にぶつかって爆発すれば我々も終わりだな。」と主人の声。



(そうか、私はここで死ぬのか。こんな形で、ガスボンベに吹き飛ばされ、火の海か、あ
の黒い波の中に消えるのか。)と思考停止の頭の中で、ぼんやりと自分に言い聞かせてい
た。




 その時、主人がスッと姿勢を正し、向こうの山並みに視線を上り、胸を張り、両足を揃
えて立った。


 そして、しばらくの沈黙の後、きっぱりと、「楽しい人生だった。」と一言。



 ふだん寡黙な主人のその一言の、何かしらドラマチックな成り行きに、私はふと笑みがこぼれ、主人の横に並び、「私も……。」と真似て一言。



 その瞬間、胸に熱いものが広がり、(津波にさらわれても冷たくも、寒くも無いだろう)
と、死への恐怖も恋しみも無くなり、こみあげて来た思いをこぼさないように、大切に抱
え込むように、両の手で胸をギューっと押さえ、目を閉じて立ち続けていた。





 どの位の時間が過ぎたのだろうか、波は引き、私達は助かったのだった。






 あれから二度目の夏が行こうとしている。変わりはてた街並みの妙にスッキリとした風
景には、いつも通る道の、いつもの曲がり角までも、いまだに間違えてしまいそうになる
拭えない違和感が付きまとう。



 町はずれにある我が家は、昭和のはじめに建てられた木造の家である。


 祖父がここから兵隊に行き、終戦後は進駐軍が居留した。アイオン台風の大洪水にも耐
えて、今度の津波にも踏み止どまってくれた。


 私は、この白壁の土蔵と古い木造の家屋には、失われた昔が偲ばれ、人々の心をなごま
せてくれる何かがあると感じている。


 私達家族は、この家と土蔵を修復しながら住み継いで行こうと決めた。


 難しい重い荷物だが、肩肘を張らず、少しずつ前を見て行くだけ。


 この家を再生する事を心の拠り所として、最後の言葉になるはずだった「楽しい人生」
を、新しい歩みの「始まりのことば」として進んで行こうと、ワクワクしながら日々を暮
らしている。