今回は 少し間が空きましたが 4月22日に続き 
現在休刊中の月刊誌『少年育成』より 伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらえるか」の紹介 8回目です



「あることをきっかけとして…」
「流れ出すように…」
「急速に表現を…」


そういったことがあるのですが
何がよかったのか ここにより違うところが難しく感じます


しかし ここに書かれているようなことを 知っておくことも大切だと思います




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☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)「心をほどく人間関係の大切さについて」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑧



◇親の努力は徒労に終わり

 さて、もともと何のこだわりで2年生から不登校がはじまったかということですが、
その当時からのことを、私はあらかじめ母親からはこう聞かされていました。




「なんでか分からないのですが、朝になるとうっとうしくて、ぽつん、ぽつんと何日か
 に一日休むようになって。二日も続けて休むと次の日は、行ってくれるか行ってくれ
 るかと気になってたのに、とうとうある日から休み続けたんです。どうでもこうでも
 行かないようになって。」


「問うても問うても、何も言ってくれんかった。」


「父親が荒れ立ってしまって、どうでも行けと力づくで引っぱり出そうとして、あの子
 は泣いてわめいて、目付きまですごい様子で必死にさからって、動こうとせず、ちょ
 っとでも尋ねるとものすごい怒るので…。親もなにがなんだか訳が分かリませんでし
 た。」        


「あれこれの不登校の本に書いているように、そのへんを壊しまわるようになったかと
 思うと、私を叩いてきたり蹴りまわったりの時期もありました。」


「4年の頃から、近所の子が放課後や休みの日には遊びに来てくれるようになって、い
 つからか友達の来てくれるのを心待ちしていて。担任の先生も来てくれると、会いは
 するんですが、親や先生から、学校の話をすると、いやがって顔色が変るので、どう
 しようもなく、この四年間が過ぎたのです」

と。





◇散漫な表現の文章化を手伝ってやる

 それが、私には私と会ってまだろくに話も交わしてない内に、

「たいしたことやなかったんや。なあ」

と親に同意を求めながら、ぼろぼろとこぼれるように話しだしたというわけです。   


      
「奴らがなあ、なんやかやと」


 話はいい加減なことばの羅列でしかありませんから、こちらが推測を働かせて意味の
分かる文章化を試みていきます。


「クラスの中の何人かの者が、か?」


「女ら、や」


「女の子が数人が?やな?」


「そう。うるさいんや」


 つまり、のんびり、おっとりしたような大介少年は口さがない女の子たちグループの
冗談やからかいの対象にされ、そのわずらわしさにうんざりして、もともと男の子の仲
間で競いあったり夢中に遊びほうけたりするほうではなかったもので、何もかもがおろ
そかになり、気力散漫の常態がうとましくて、目覚めの朝から元気が湧かない。

 なにかにつけとどこおりがちな起居振る舞いを、親はせかしたり嘆いたりで、まわり
が自分を非難したり失望したりすることに慣れっこになる。

 心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、又今日もあの女どもにい
い加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも動きがのろくて、これでは大幅
に遅刻するしかなく、先生から嫌味のたらたらかと思えば、ついに頭がズキンズキンと、
熱もあるらしいと訴えて、休んでしまうといったところであったらしいのですね。




 子の表現したげな顔つきの、その表情の変化を見守りながら、私は事態のつながりを
推測で展開してやると、「うん」とか「そう」とか、「うん、だいたいそうやな」「ああ」
「うん」と合いの手を大介は入れながら、もともと四年前の不登校になりかかった頃の
自分の心の姿が読めて来たようで、日の光や頷き具合に、見る見る心の開いていく様子
が明らかだったのです。



「でな。新井ちゅう、一番うるさい女。そいつが俺になにをしたと思う?背中に紙を貼
 りよんねんや。なんたらいやなこと書いてな。相手になれんわ」


といつしか、気恥ずかしげな表現ながら自分で話し出しているのでした。