今回は 玉利勲さんの「古代日本の発掘物語」を紹介します

玉利さんは 元新聞記者の方で 
発掘について 分かりやすく 教えてくれます

25年以上前の本ですが 古いとは感じません
玉利さんの遺跡に対する愛情を感じる本です 

水戸光圀さんは
「出土品をまた埋め戻す」
「古墳に手を加えない」
ことからも 文化を大切にする方だと分かりました

笠石のような言い伝えは案外あるもので
「またいではいけない石」
周辺を試掘調査したことから
重要な遺跡が次々と見つかった というような話も聞きます

遺跡・遺物から かつての暮らしを想像することは
ミステリーを解くかのような ロマンがあります

お近くで 調査報告会があるときは ぜひお出かけください



以前にもお知らせしましたが

浜松では 有志によって 市街地を活性化させようと 

浜松在住のモデラー・山田卓司さん
(「TVチャンピオン」で著名)

の作品展示を中心とした
「ジオラマ ファクトリー」開設の動きが活発になってきました
3月に浜松市中央部に開館の予定です
ぜひ応援願います

※浜松ジオラマファクトリー http://hamamatsu-diorama.com/
※山田卓司さん  http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B3%C5%C4%C2%EE%BB%CA






☆「古代日本の発掘発見物語」玉利勲 国土社 ① 1985年



◇我が国最初の発掘 水戸光圀と侍塚古墳

○二つの侍塚古墳 
 栃木県那須郡湯津上村「侍塚」
上侍古墳(上車塚古墳)下侍古墳(下車塚古墳)
水戸光圀による日本最初の発掘

古墳=死者を安置する部屋を石で築き(石室)その上に土を盛ってつくった
    大がかりな古代の墓

 3~7世紀 日本で数十万基

 円墳・方墳・前方後円墳(名付け親は蒲生君平)宮車に似ていると見た
 

○不思議な石の柱
笠石 ひでりのとき石を戻すと雨が降ると信じられていた
  1676.4 円順が梅平村庄屋・大鐘重貞に「身分の高い人の碑」

重貞 石柱を調べると文字が…
6回訪ねておおよそを書き写す
             → 文中に那須の国のみ奴
             → 自分の「那須記に」

 1883.6.7 光圀に重貞が「那須記」を差し出す → 借り受ける

 1887  光圀・梅平村再訪 碑再建作業1691.3
佐々介三郎宗淳 工事総指揮 直接の指揮は重貞
花崗岩の自然石
     → 今、笠石神社御神体 1.2m高0.5m幅152文字
昭和27国宝に


○古墳の発掘
上侍塚と下侍塚 どちらかが国造の墓と考え国造名が分かるだろう(光圀)

元禄5.2.13墓前祭
14~ 10日間 上侍塚 鏡 管玉 石の腕輪 兜片
下侍塚 鏡 刀 土器片

光圀は出土品を箱に入れ埋め戻す 「出土品は絵で見せればよい」

   古墳の上には小さな松を植える 
3.1埋納 4.11 光圀は重貞に金一封 国造名は分からず
 

○光圀の心配り
トロイ発掘は約180年後の1871年

光圀の立派さ 出土品を自分のものとせず古墳にも手を加えず保存

那須国造 那須国を支配した豪族
生前の業績を記した碑文 紀元700年前後の地方政治の仕組み
二つの古墳とも国造の墓ではなかった
国造の墓は? 
        斎藤忠「笠石神社の神体・国造碑を納めた碑堂の下?」

 光圀の精神は今も ~ 毎年二回の奉仕活動